2.絶体絶命回廊<生き廃れた者共が城>

Starved+Mortal

 甘い女の囁きで目が覚めた。のしかかるような甘い声。
「………どこだ、ここ」
 シンプルな、それでいて品のある天井に蝋燭の明かりが反射している。
 思考が泥のように重く、腹部には鈍い痛みが残っていた。
「あー……」
 オークに蹴られた事を思い出して顔をしかめる。
「生きてるじゃねぇか……。生きてさえいればいいんだ」
 遠くで少女の笑い声が聞こえるが、それも薄れて消えた。それっきり意識を保てずに、新たな睡魔に身をゆだねた。


「なんじゃ、人間はよう寝るのう。治癒術を施してから何日目じゃ?」
「負傷しているそうですよ。傷の治りが遅いんですねぇ」
 覚醒しかけのふやけた思考で、音を感知した。
「それにしても派手な頭じゃな。あやつは珍しいものが好きじゃからの」
「そうですか?私もこのテは好きですけど。色々と楽しませてくれそうで」
「おぬしの思考回路は想像しないでおいてやろう。わらわは乙女じゃからな。……それよりも、あやつはどこに行った?」
「湯浴みの香油を選びに行きました」
「マメよのぅ…」
「マメですねぇ」
「………うるせぇよ」
 いい加減うざったくなってきた。と、目の前には可憐な少女。蝋燭の薄明かりでさえ輝くプラチナブロンドに、アメジストのような瞳。天使のような美少女だが、猫のような瞳孔ととがった耳、極めつけに人のそれとは明らかに異なった長さの犬歯がふっくらした唇からのぞいている。
「誰だよ、アンタ」
 ぶっきらぼうに問いかけると、美少女吸血鬼は俺の頬をつねりながら応えた。
「何とも無礼な人間じゃ!わらわはメフィスト公爵(デューク・メフィスト)。そなた、両親に礼儀を習わんかったのか?人に聞く前にまずは自分で名乗るべきであろ」
 口調はきついが、その瞳は笑っている。
「お生憎だな。吸血鬼に対しての礼儀は習わなかったんでね。んなことより、あいつはどこだ」
「あいつ?」
 問いかけを返したのは男の声だ。ベットの足元を見やると金髪碧眼の青年がのほほんと鎮座していた。もちろん吸血鬼だったが、金髪で緑の目は個人的に好ましくない。
「ああ。黒髪の長髪に真っ赤な目の奴だよ。二十歳くらいの」
「それは私のことか?」
 声の主は部屋の入り口に立っていた。よくよく見渡すと、この部屋は広い。いたる所に蝋燭が置かれていて、いっそう広く見せているのかも知れないが、それでも寝室にしては広かった。それに調度品でさえ高級感が漂う。まるで上流階級のそれだ。
「来やがったな変態。俺の剣と弓はどこだ」
 そいつは無表情に近づいてくる。メフィストと青年のペアは忍び笑いを漏らしながら、部屋の片隅に置かれたソファへ足音もなく動いた。
「自分の状況を良く把握した方が賢明だな。それとも支えがないと独り立ちができぬほど愚かなのか?」
「いちいちムカツク野郎だな。てめぇこそガキみたいな面して偉そうな口きいてんじゃねえぞ」
「その『ガキみたいな面』した奴に助けられたのはどこのどいつだ?その気になれば私達はお前が想像もつかないような殺し方ができるのだぞ。それともオークの群に嬲り殺されたいか」
「………」
 メフィストが盛大に笑い出した。無邪気な笑い声に聞こえるが、どこか見下している笑い方でもあった。
「おぬし、吸血鬼が怖くないのか?」
「怖かったらハンター廃業だぜ、お嬢ちゃん」
「……まあいい。メフィスト、ウィラメット、ワインを持ってきてくれ」
 メリアドラスの一言で、二人は静かに退室した。
 それっきり沈黙が満ちたが、肝心なことを思い出して俺は向き直った。
「お前―――」
「メリアドラスだ」
「はいはい。ちょっとこっち来な」
 返答はないが、メリアドラスは俺の枕元へ座った。
「心臓に矢傷を負ったら、吸血鬼でも治癒するのに時間がかかるのか?」
「何故そんなことを聞く」
 だー、まどろっこしいな。説明するのも面倒なので俺は行動に出た。上等な刺繍の入った上着の襟を持って、力一杯引き裂いた。いくつかボタンが飛んで、胸元があらわになる。
「………」
 作り物のように白い肌。無駄な肉のついていない、引き締まった胸板に傷はない。
「喰われたいのか?」
「誰がだ!!変な勘違いすんな。傷があるか見たかったんだよ」 
「傷?」
「ああ。『陽光の矢』を心臓にくらった吸血鬼を探している。アンタと同じ黒髪赤目のな」
 メリアドラスはまた無言で俺を見下ろしている。人外の美貌というものを初めて見た。
 魔物だ。魔物がいる。人間にはあり得ない魔性の美貌。
 なのに、魔物の気配を感じない。ここまで気配を絶つことのできる魔性に恐怖すら感じる。それでも、どうしてコイツを生きていると思ったのだろう。
「アンタ何者?」
「吸血鬼に見えないか?」
 それから俺の肩に垂れた髪を一房手にして、寝癖で絡まったそれを軽く梳いた。
「湯を用意した。連れて行ってやろう」
 突然言うと、メリアドラスは俺を抱き上げた。
「うわ、降ろせ馬鹿野郎!こういうのは女にやってやれ!!」
 俺の抗議をあっさりシカトして、もうしゃべり尽くしたとでもいうように、メリアドラスはそれっきり何も語らず、それでいて俺を離すわけでもなくオヒメサマダッコのまま浴室へ運ばれた。
 恥ずかしい。とてつもなく恥ずかしい。20代折り返し地点の男が、何故こんな仕打ちを受けるんだろう。うう、超気まずい……。


 湯は、やたらと気持ちよかった。何かのハーブと花の匂いが鼻腔をくすぐり、身体の疲れを癒していった。
 おかげで頭も冴えてきた。
 ふと、愛馬を思い出して止めた。
 そして気付く。俺はいまいち理解していなかったのだ。 
 ここが『常闇の国』であることに。生き物は全て魔であるということに。


 人間というものは欲張りなもので、寝て起きて身体も頭もすっきりすると、今度は腹が減る。
 着替えに用意されたものは、着心地の良い絹だった。闇に溶けるような黒いシャツには、襟と袖に銀の茨が刺繍されている。今まで着ていた旅装は消えていたが、武器一つ持たぬ身で旅装が消えようと事態は変わらない。
 じたばたするよりも、郷に従うことにしてみよう。
「お腹空いてませんか?」
「へってます………えーと、ウィ、ウィ……」
「ウィラメットです」
 浴室から出てくると、ウィラメットが向かえの壁に寄りかかって待っていた。さっきはよく見てなかったが、こいつも美形には違いない。メリアドラスと比べるのもどうかと思ったが、ウィラメットも整った顔立ちをしていた。金髪碧眼じゃなければ言うこと無いんだけどな。
「食堂へどうぞ」
 吸血鬼も食事するのか?……するだろ。するよな。じゃあ、食材は俺か………?
 投げやりについていったが、そこは本当に食堂だった。調理場だったらどうしようと思っていたのだが、安心したより拍子抜けした。
 促されるままに椅子に座ると、メフィストが銀のトレイを持ってきた。
「わらわは料理が得意じゃ。安心して食うがよいぞ」
 得意げに胸を反らすとテーブルを回って、俺の正面に座った。ウィラメットは、上座に座るメリアドラスのグラスに赤ワインをついでいる。
「さあ食え。そして味を教えてくれ」
 メフィストに急かされて、とりあえず目の前の皿にのった何かの肉を口に入れた。
「どうじゃ?」
「美味い。美味いんだが、これは何の肉だ?」
「なんじゃ、食材を心配してたのか?安心して食えといっておろうに。それは野ウサギの香草焼きじゃ。一応人間の嗜好に合わせて作っておるのじゃぞ」
「アンタ達、本当に吸血鬼か?」
 口をついて出た質問。
「ずいぶんですねぇ。あなたは戸惑う前に、まず自分の偏見に気付くことです」
「そうじゃ。わらわたちは高尚な生き物ぞ」
「……高尚ね。まあ、俺に害がなければ高尚だろうと何だろうといいけど。それより、教えてくれないか?」
 メフィストは小首を傾げながら、ワインに口を付けた。外見は少女なのに、笑う目元に老齢の余裕が漂っている。
「この国と、吸血鬼について。ここが『常闇の国』なら、俺は最低でも3ヶ月はここにいなきゃなんねーんでね」
 すると、目の前の二人は上座を顧みた。それにならって俺も顔を向けるが、メリアドラスはそっぽを向いたままワイングラスを傾けている。
「アンタ達は『陽光』の武器で攻撃されようと痛くも痒くもないぐらいには高位の吸血鬼なんだろ?だったら今の俺なんて紙人形も同じだ。殺す気ならいつでもできる。それでもそうしないのは、少なくとも俺を生かしておく理由がある、違うか?だったら俺を生かす理由を教えてもいいんじゃない?」
 できるだけゆっくりと言葉を紡ぎ、うっすらと焦げ目の付いた肉にナイフを入れた。
「……然り。まさしくここは『常闇の国』。日の昇らない国であり、不死者(ノスフェラトゥ)が住まう国じゃ。次に世界が通ずるのは三ヶ月先。それまではどれほどの者でも門をくぐることはまかりならん」
「門……。崩れ欠けた白石の鳥居か?」
「そうじゃ。わらわ達はあれを『上界の門』と呼んでおる。全ての月が満月になりし三日間のみ扉が開く」
 そうか。本当に在ったのか『常闇の国』は。
 脇に置いてあったグラスには白ワインがついであった。何故俺だけ白なんだろう。あいつらが飲んでるのはワインじゃないのか…?
 しばらくワインを凝視していると、ウィラメットが笑いながら心中の疑問に応えた。
「僕たちが飲んでいるのもワインですよ。白の方が飲みやすいので、選んだんですが、お気に召しませんでした?」
「召してます。そうだ、酒で思い出したけど、門の近くに酒場があったが、アレは何だ?魔物の巣窟になってたが、種族の違う魔物が群れてて平気なのか?」
「ここは『国』じゃ。酒場があってもおかしくあるまい。お前は見なかったのかもしれんが、民家や屋敷がごろごろしとるぞ」
「魔物も人間と変わりませんよ。あなた方とは姿形や嗜好が違うだけで。勝手に怖れているのはそちらですからね。まあ、食人種と仲良くなれなんて言いませんけど」
 害なす者に敵意を向けるのは当然ではないだろうか。ワインを口にしながら考えた。この白ワインは口当たりが良い。鼻に甘く抜けるのに、後味はすっきりと洗練されている。
「『悪は心がどうあるかで決まる』か。それは種族に関係ないと言いたいいんだな。まあ、アンタらよりもマジで魔物らしい人間を知ってるから、同意する。…じゃあ、吸血鬼の強さってのは、どう決まってるんだ?」
「血です」
「は?」
「オリジナルの吸血鬼――吸血王(ヴァンパイアロード)というが――にどれだけ近いかによって、または吸血をどれだけ貰っているかによって魔性の強さが変わってくるのじゃ」
「僕たちは血の濃さには絶対的に服従です。人間に王や貴族や平民が在るのと同じで、この国にも同じものが在ります。吸血王(ロード)を筆頭に、公爵(デューク)、侯爵(マルフィス)、伯爵(アールズ)、子爵(ヴァイカウント)、男爵(バロン)、それ以下は平民や奴隷だと思ってかまいません。これらの爵位は吸血王から賜るもので、ほとんどを不死族で占めているとはいえ、魔性と血統がそれらを左右します」
「わらわとウィラメットは公爵じゃ。わらわ達の常識から言うと、おぬしのように無礼な者は八つ裂きにされておるぞ。それより、飯が冷めるぞ。早く食べるがよろしかろ。何ならデザートも作るが食うか?」
 目から鱗。もしかして俺は貴重な話を聞いてるんじゃないのか?アグライアの大図書館にさえ、こんな事書いてある本など無いぞ。
 俺達退魔ギルドが相手にしていた魔物なんて、たかだか雑魚だったのか?
「ちょっと待て、あと二つだけ聞かせてくれ。その気になれば俺を殺せるのに、何故ただの人間を生かす?」
「それはわらわ達が答えるべきものではない。わらわ達は従うだけじゃ」
 誰に従うのか。それはもちろん王にだろう。
「……吸血王って、誰?」
 答えは聞かなくてもわかる気がする。俺の問いかけにメフィストは答えず、かわりに苦笑して肩をすくめた。ウィラメットでさえ曖昧な笑みを浮かべている。
 上座に座る黒い闇のような青年を見つめると、彼は興味なさげにそっぽを向いた。
「お前か……メリアドラス」
 釈然としない、どこか納得がいかない。だが、尋常じゃないのだけは理解できる。それでもなんとなく認めたくない。
 メリアドラスはグラスのワインを飲み干して、そっぽを向いたまま、紅玉の眼だけ俺を見つめてやっと口を開いた。
「そうだ」
 そうか、本当にこいつが、この若い男がこの国の王なのか。激しく認めたくないぞ。悔しいのとも違う、こももやもやした感情は何だろう。
「ようこそ、私の国へ」
 人をくったような笑みと共に、メリアドラスは鼻で笑った。

 
 ホームシックになりそうです……。

  

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