1.ヨリンゲル

Starved+Mortal afterward

 馬車が進む。
 進む道は私の知らない道。私の国には存在しない太陽が昇り、密やかに身を苛む。
 その馬車の振動を受けて、橙色の美しい髪が細かく揺れている。メリアドラスの目の前に座る青年は、懐かしそうに瞳を細めて外の景色を眺めたいた。
「家に帰る前に、ちょっと寄るとこあるけど、驚かないように」
 にやりと笑うその表情は、大輪の華のよう。髪の色と相まって、その漆黒の瞳は鑑賞に値する。派手だが一度見ると忘れられない、印象深い美人だ。
 無邪気なその表情が、快楽に喘ぐ姿は言にしがたい魅力だが。胸中で一人ごつ。
「御者のお兄さん〜、『ヨリンゲル』でいったん止まって」
「……『ヨリンゲル』って、あのヨリンゲルですか?こんな時間に?」
「客は俺、あんたは御者、判ってるか?」
「……………『ヨリンゲル』に着きましたら、お知らせします」
 返事もせずに窓を閉めて、カグリエルマは私に話しかける。
「俺は、馬車なんか滅多に使わないんだよ、本当は。女つれてる時は別だけど、基本的に馬一匹いればよかったから」
「私のためか?」
 聞き返すと、彼は微かに苦笑する。
「路上でぶったおれられたら困るからな。まあ、俺の姿を見せたくなかったってのが本音だけど。こっちの界隈じゃ、俺って割と有名人なのよ」
 そう言って窓の外に視線を戻した。
 その横顔を見ながら、やはり着いてきて良かったと思う。


「お客さん、着きましたよ」
 御者の言葉に、カグリエルマは静かに立ち上がった。私の顔を見て、しばし考え込む。
「…何だ」
「やっぱさ、待ってろよ」
「いや、あまり行く気はなかったが」
 それもそのはず。『ヨリンゲル』と呼ばれているこの建物はれっきとした娼館であった。たたずまいは品があり趣きもあるが、この界隈はどう考えても住宅街と言うにしてはいかがわしすぎる。香水の匂いがここまで香ってくるようだ。
「あれ、興味ない?興味ないなら来てもいいけど」
「興味はあるが、用はない。娼館ならばお前が襲われる心配も無いだろうから、ついていかないだけだ」
「……甘い。甘いぞメリーちゃん!ここの女どもは平気で男を襲う。誰も彼もが高級娼婦のくせに、いい男には見境がない。…ある意味恐怖だぞ、ここは」
 どこか切実と語るカグリエルマ。
「ま、いいや。俺はあいつらの客じゃねえし、預けモノしてるだけだから、ちょっと行って来る」
 片手をひらひらと振って、身軽そうに馬車を降りて館の入り口をくぐっていった。
 行く気はないが、興味はあるので、カグリエルマの気配を追うように壁の向こうを見透かす。可聴域と視野を広げ、透視する。自らの加護を与えたカグリエルマの気配は、黙っていてもセンサーに引っかかる。
 私は腕を組んで椅子に座り直し、くつろいだ体勢を探す。この馬車はお世辞にもいい椅子を使っているとは言えない。しょうがないのでよしかかって足を組んだ。そうすれば少しはましに座れる。


***


「店終いのとこ悪いが、ボナディアを呼んでくれないか?」
 フロントのカウンターに肘をついて、カグリエルマが女に言った。
「ボナディアって…女将のことですか?………失礼ですが、あなたは?」
「あれ、そう言えば、見たこと無い顔だな、君。初めまして、俺はカグラ」
 女が喜ぶような独特の甘い声と表情で、囁くように。…あいつ、私が見ていないからと思って女を口説いてどうするのだ。
「あ…アタシ、サティです。えと…」
「カグラって言えば判るから、誰か呼んできてくれないか?」
「あ、は、はいっ!」
 顔を真っ赤にして女が頷いたとき、ロビーに続く階段から数人の女が下りてきた。カグリエルマの顔を見て、こぼれ落ちそうなほど目を見開く。
「よー、ヒルド、カルチュア。元気だったか?」
「カ、カグラー!?ちょっとあんた!!!今まで顔出さないでなにやってたのよ!!!」
「三ヶ月ですよ!?カグラさんっ!!ママだってすっごい心配してたんですからね!ちょっと、わかってますか!?」
「あー、おー、うん。ほらほら、こんな朝っぱらから大声出すと客が起きるぜ?」
 スリットが乱れるのも、ネグリジェから胸が見えるのもかまわずに、二人の女は階段を駆け下りてきた。客なんか帰ってもういないのは、だいたい見当が付くが、寝坊している延滞客が起きると、その分料金が減るのではないか?
「ちょっとー!!みんな、カグラよ!カグラが見つかったよ!!」
 その一声で、あちこちから女が出てくる。皆一様に驚き、カグリエルマの名前を呼びながら彼を押し倒す。ロビーで団子のようになっている真ん中に、彼女たちをなだめつつ人に埋まるカグリエルマがいた。行かなくて良かったと、再確認する。
「この馬鹿!心配したんだから!!」
「今日はアタシ達の相手しないと、絶対返さないよ!」
「だー!!こらこらこらこらぁ!へんなとこさわんなー!!」
「やぁよっ!満足するまで放してあげないんだから!」
「カグラさんいなくて、淋しかったんだからねー!」
「やーめーれー!!」
 姦しい。そこで繰り広げられる惨事に目眩を感じ、聴覚を元に戻そうかと本気で考え始めたとき、二階の廊下に堂々とした女が現れた。
「ボ、ボナディア!助け……」
「犯っておしまい、アンタ達」
「きゃーーーーーーー(黄色い大合唱)!」
「アタシ達を心配させた罰さ。甘んじてお受け」
「うわっ、マジで!?悪ぃ!悪かったって!俺だって色んな事情があったんだよ!!外に人待たせてるしっ!あんま時間もねーんだよ!…こら!どこさわってんだ!放しなさい、アルテミア!噛むな、エステル!」
 必死になって逃げようとするが、四方八方から伸びる腕や足がカグリエルマを拘束する。
「………待ち人?仕事なのかい?」
「そう!馬車で来てるし!鍵もらいに来ただけだから!詫びはまた今度するって!」
 ボナティアの視線が窓の外、この馬車へ向く。群がられるカグリエルマを後目に、カーテンを少し上げて、私を見ようとする。瞳を合わせるのもおかしく思い、私はカグリエルマより視線を外した。
「ずいぶんいい男を連れてるじゃないかい」
 その一言に女達が全員振り向いた。一斉に窓に歩み寄り、私を眺め出す。珍獣か何かのようではないか、私は。
 しばらく黙って私を眺めていた女達は、異口同音に口を開く。

「かあーわあーいいいいいいいぃぃ!!!」

 私は耳を疑った。可聴域を上げすぎたか?
 聞こえない振りをするというのも不便だ。女達の後ろでカグリエルマが爆笑しているのが気に食わない。

「ちょっと!カグラ!あんなオイシソウな子どこでひっかけてきたのよ!」
「ねー、呼んできていい?呼んできていい?」
「イヤっ!たまんない!アタシあのタイプ大好き!腰細くて手足長くて神秘的で胸板厚そうで肩がっしりしてて、サイコー!」
「涼しげな目元とか、若いのになんだか渋いとことか、イタズラしちゃいたぁい」

 口々にわめき出す声に、本気で呆れる。館から馬車まで近いわけではない。よくあの距離で細部まで見ているものだ。いや、上半身でさえ半分ほどしか見えないのに、彼女たちの視力はどうなっているのだろう。
「カグラ、あのボウヤ連れておいで。そしたら鍵を返してやるよ」
 ボナディアのその科白に、女達は新たな歓声を上げる。
「げ。連れて来いってったって、あいつが来たがんねーかもしれないだろ!?」
「連れといで」
 地を這うようなドスの利いた声で、ボナディアがカグリエルマを脅す。
 カグリエルマの気配が動く、どうやらこちらに向かってきているらしい。
「メリアドラス……、悪い。ちょっと来て」
 服も気崩され、あちこちに口紅を付けたカグリエルマが馬車の扉を開ける。
「あの中に私を入れるつもりか」
 あからさまに嫌な顔をした私に、がっくりと肩を落として愚痴を言う。
「聞いてたなら話は早い。俺だって、帰りてーよ。でも、家の鍵はボナディアに預けてあるんだよ。俺の持ってる鍵だけじゃ家に入れないんだよ…」
「………大の大人が本気で嘆くな」
「嘆きたくなるって、マジで。ホント、あいつらの寝技にはまいる…」
 馬車に片腕を着いて項垂れる。
「行ってもいいが、ならば顔を上げろ」


 その瞬間ヨリンゲルの窓辺にはびこる女達が、全員声を上げた。
『あ゛』
 ある者は瞳を輝かせ、ある者は驚愕に瞳を開く。
「ねえ、今のってキスよね」
「そうね。まさに掠めるようだったけれど、あれは確かにキスだわよ」
「ちょっと、何!?カグラさん趣旨替え!?」
「それでもいいわよ、綺麗だもん」
「まあ、希少価値はあるわよね。アタシ達がどつきまわしても、カグラって滅多にいない美人だから。相手がアレならアタシは身を引くわ」
「ちょっと、胸もない男に身を引くのアンタ?」


「な、な、な……!」
 酸欠のように口を開き、カグリエルマは私に指を指す。
「虫除け程度の効果はあるだろう。どうした?行くのだろう?」
 罵声も気にせず、私は館に足を踏み入れた。
 ロビーには様々なジャンルの女がひしめいている。
「私をお呼びだとか?」
 静かに言い放つと、女達は頬を赤らめた。じろじろと舐め回すように私の姿を見、最初にボナディアが 口を開いた。
「アルテミア、一番いい酒をもっといで」
「は、はいっ!」
「どこか高貴な御貴族様とお見受けいたします。当ヨリンゲルへようこそ、私どもは最高のお持て成しであなた様を歓迎いたしますわ」
 ボナディアが優雅に一礼した。
「気を遣わずとも良い、女将よ。……カグリエルマ、いつまで拗ねている気だ?」
「べーつーにー。つうか、ボナディア、俺の時と対応がえらく違わないか?」
 あからさまに不満を述べたカグリエルマを一睨みして、ボナディアは鼻を鳴らす。
「ちょっと来な、カグラ」
「えっ、わ、ちょっ…!」
 そのまま二人は奥へ消える。
 聴覚域を広くし、会話を盗み聞こうとしたとき、ボナディアの後ろに控えていた女達が、一斉に私の回りに集まった。
「初めまして、わたくしはカルチュアと申します。あなたのような方がカグラのお連れとは、驚きましたわ」
 皆一様に礼儀正しくなった女達が、私の身動きを封じた。


***


 一方、カグリエルマとボナディアは…。
「何だよボナディア」
「ずいぶん位の高い方と知り合いになったね、カグラ」
「やっぱり、判るか?」
「アタシを誰だと思ってんだい。天下のヨリンゲルの女将だよ。物腰と服装を見ればだいたいの想像は付くさ。あれは外見で騙されるね。そうとうな狸だよ。………そういえば、あんたもいい服着てるじゃないかい」
 そのとき初めてボナディアは、カグリエルマの姿をまともに見た。
「この三ヶ月、あいつのトコに世話になってたんだよ」
「その三ヶ月で趣旨替えかい?それともどっちもいけたくちだったかね?」
「あーのーなー」
 どっと脱力してしまう。
「隠したって無駄さ。そんな小綺麗なやらしい顔して、あのボウヤに抱かれてないなんて言ってごらん。エリニン川の橋の上で素っ裸にして見せ物にするよ」
「………」
 ダメだ、この女には一生勝てない。カグリエルマは心の中で深く涙を呑んだ。
「まあ、いいさ。私達が心配していたことは事実なんだから、そのツケは追々払ってもらうよ」
「……喜んで」
「それより、アタシにキスくらいしておくれ。三ヶ月間肌身離さずこの鍵を持っていたのだからね」
 柔らかく暖かく微笑んで、ボナディアはドレスの胸元を広げた。その豊かな胸の谷間に、銀色の鍵が埋まっている。
「相変わらず、嬉しいことしてくれるよ」
 喜々としてボナディアの腰を引き寄せて、その形良い唇を自分の唇で塞ぐ。ゆっくりと味わうように、丹念に舌を使って。だが、唇を放したときのボナディアは、いささか嫌そうに眉を寄せていた。
「しっかり仕込まれてるんじゃないか、カグラ。キスまで上手くなるなんてさ」
「うわっ!それ傷ついた!まるで俺がヘタレみたいにいうなよな!」


***


「えー、じゃあ、今晩待っててもいいんですか?」
「エステルの前に、あたくしと遊びましょうよ」
 椅子の肘掛けに座り、私の髪を梳きながら身体をすり寄せてくる。
「私なら、十分に満足させてあげられるわよ」
 膝の上に座る女が、熱っぽくささやく。
「一遍に相手をしてもいいが、今のところ相手に不満はないのでね」
「やだ、相手って、だあれ?」
「アタシ達よりいい女なの?」
 口々に話し出す彼女たちは確かに美しいが、私はもう少し気が強く派手な美人が好みだ。
「…………何やってんだよ、お前は…」
 廊下から姿を現したカグリエルマは、ロビーに着いた途端がっくりと肩を落とした。
「混ざるか?」
「きゃー!カグラちゃんいらっしゃーい!」
「……アホか…」
「そう、妬くな」
「やだ!やっぱり相手ってカグラなの!?趣味悪い!」
「てめ、ヒルド!この都市で三本の指に入る俺の美貌を捕まえて『趣味悪い』はないだろ!?歳ばらすぞ、この!」
 呆れていたカグリエルマが急に喧嘩腰になり、トレードマークと化している三つ編みが左右に揺れる。妬いてくれてもいいのだが、なかなかつまらない。
「そんなことしたら裸で縛り上げてSM男色家だって有名な市長の家に転がしてやるわよ!?『弄んでください』って張り紙付けて!」
 負けだな。
 メフィストもそうだが、この種の女には逆らえないものがある。
「アンタ達、接待もそこそこに何遊んでんだい」
 ボナディアが呆れて腕を組む。
「良い。私が許したのだ。そう咎めるものでもあるまい、女将」
「それならいいのですが、お見苦しいところをお見せいたしましたね」
 やはり娼館を取り仕切る女将、半端なことで礼儀を欠かすことはない。
「いいや、久しぶりに楽しい時を過ごした。そのうち何か贈らせよう」
 酒か菓子か花あたりが妥当だろう。
 紳士的に女達をどけ、ボナディアの手の甲に口付ける。
「そろそろ腰を上げねば、カグリエルマが拗ねるだろう。私はこれで失礼しよう」
「誰が拗ねるか、タコ」
 すかさずカグリエルマが私を裏手ではたく。こういう可愛げのなさが私にとっては魅力ではあるが。
 見送りに女達から一人一人キスをされ、馬車に戻った頃にはそろそろ住民も起き出す時間だった。

「……疲れた」
 明らかに本音を吐きだし、堅い椅子に身を投げ出すカグリエルマ。乱れた三つ編みを解し、軽く波打つ髪を撫で付けている。
「悪かったなー」
 上目使いで苦笑され、私もそれに返すように軽く笑む。
「気にするな。久しぶりに旨そうな女達を見つけた」
「…あいつらを獲物にすんなよ。物騒な奴だな。……ったく、俺じゃ足んねーってか?」
 呟くような文句を聞き逃す私ではない。
「…確かに、足りないときもある」
 私の科白に、睨むような責めるような漆黒の瞳で私を見つめる。
「儚い人間の体力とお前を比較すんな!お前とやると体力使うんだよ!少しは手加減して欲しいぜ…」
「良くは、なかったのか?」
 意味ありげに尋ねると、ふいと外へ視線を移す。そのほおが少し赤いのは、忌まわしい日光の所為だけではないだろう。
「そうか。私もまだまだだな」
 思ってもいないことを口に出し、私は鼻で笑う。途端に聞こえるカグリエルマの罵倒も、私にとっては睦言も同じ。たった三ヶ月で、よくもこう私に打ち解けたものだと思う。
 その心と身体に敬意を表し、馬車の中でことに及ぶのは、避けることにしよう。

  

ヨリンゲルは、アグライア屈指の美女がそろった会員制の娼館です。
女の人書きたかったの…。

copyright(C)2003-2008 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.