2.フェルドレイク

Starved+Mortal afterward

 街道で出せるギリギリの速度で馬を走らせる青年がいる。年の頃は二十代半ば。シルバーアッシュの髪が風になびき、その青い双眸はどこか遠くを見つめていた。一見して印象の薄い色合いで、すぐに忘れてしまいそうだが、健康的に焼けた肌と快活そうな表情は整った顔とアンバランスで、奇妙な違和感があった。

 その男は怒っていた。憤っていた。
 長引いた仕事がやっと終わり、ふらりと娼館街に立ち寄ったとき、行方不明の友人が見つかったという吉報を耳にしたのだ。それは大変喜ばしいことだが、同時に怒りも沸いた。

 自分の立場は娼婦達より劣るのか、と。

 彼の友人と誰よりも親しかった自分は、周りから常に羨望のまなざしの的であった。それに優越を感じていなかったと言えば嘘になるが、自分は彼の中で重要な位置にいると思い込んでいたのだ。それが友情であろうとも、別段気にはならなかった。友人は同姓に好かれることを大変毛嫌いしていたし、自分も恋愛対象として友人を見ていると知れたら、きっとこの関係は傷つくと思っていたので、今のように接してくれていれば、それで満足だとしていた。
 だが、噂の尾ひれだとしても、火のないところから煙は立たないものだ。娼婦達の言うことは八割方正解だろう。
 ……まさか、どこの馬の骨とも知らん奴に、最愛の友人を盗られるとは思わなかった。
 自分は嫉妬している。どこの誰とも知らない男に。
 会ったら、一発ぐらい殴らねば気が済みそうにない。いや、それで済むとは限らない。
 険しくなる表情を押さえもせず、その青年は馬を急き立てた。


***


 馬車が停車したそこは、表通りとは一本裏道にあり、他の住宅とも少し距離を置いていた。二階建てのこぢんまりとした白い家。家に付着するように馬房が側にある。馬のためだろう幾分高めの柵があたりを囲っている。
「遠いとこ悪いな」
 見ようによれば妖艶ともとれる笑みを御者にむけ、金貨と銀貨を数枚渡す。
「旦那様…これは」
 上擦る声は金の所為か、それとも笑みの所為か。…ああいう笑みを軽々しく他人に使って欲しくないものだが。
「多くを語るな、ということだ。判るな?」
「………そうですね。わたくしは、ここまで散歩に出ただけでございますから」
「そうそう。賢い御者は重宝されるぜ。また、アンタのとこで借りるかもしれん。そのときは宜しく」
「有り難うございます。それでは」
 軽く一礼し、二頭の馬に鞭をくれる。割と静かな音で滑るように馬車は消えていった。
 そのやりとりを横目で見ながら、私は影を落とす木の下にいる。朝日が一番苦手だが、それと同じぐらい午前の日光は苦手である。完全体であれば苦にすることはないが、やはり分割して行動するには負担が多い。体力の消耗もいつもに比べて高い。肌が焼けそうだ。
 …所詮魔物は魔物、か。
「おーい。大丈夫か?」
 鍵を開け、家のドアを開けながらカグリエルマが振り返った。
「外よりいいだろ、中入れよ。……三ヶ月ほっといてるから、お世辞にも綺麗だとは言えないけど」
 手招きに促され、私はその家に入る。中はなかなか趣味の良い配置がなされていた。どこか生活感のなさが漂ってもいたが。
 確かに埃が積もっていて、お世辞にも綺麗だとは言えないが、三ヶ月間手を入れなかったのだから、これくらいは当たり前だろう。
「うわ、めんどくせえな。取るもん取ったら宿でも泊まるか!?ヨリンゲルでもいいけどさー」
 ソファをはたいた拍子に舞い上がった埃に顔をしかめ、カグリエルマが呻いた。
「私が何とかしようか」
「……お客さんにそれはできねぇだろー」
「私が労働で掃除をすると思うか?この程度の埃など控除魔法でなんとでもなる」
 言い切ると、カグリエルマは複雑そうな表情を浮かべている。苦虫を噛み潰したような、いたたまれないような複雑な表情だ。
「何だ。嘘だとでも思ったか」
「いや。お前が平気かと思って」
 けろりとそんなことを言うカグリエルマに、自然と笑みが漏れた。
「切り離してきたこの身体でこの区画を丸ごと塵芥と帰すくらいは何ともない」
 言いながら、魔力の触手を延ばす。網のように魔力を織り上げ、この家を覆うように張り巡らせる。カグリエルマが何かを察知したように身体をこわばらせた。
 まんべんなく魔力を敷き詰め、まっさらの魔力にある特定の闇の要素を注ぎ込む。敷き詰めた魔力が淡く発光しすぐに収まった。埃や塵が霧散したことを確認し、私は魔力を手放す。
「………すげー」
 家具に指を走らせて、素直に感嘆するカグリエルマ。扉を開けて次の間へ姿を消す彼を追って、私も家の奥に進入する。
「全部やってくれたのか…」
「そうだ。あの部屋だけを綺麗にしてどうする」
「ありがとうございました」
 私に向き直り両手を合わせて礼を言う。その仕草が気に入り、私は沸き上がった衝動に身を任せる。
「お礼に、少し喰わせてくれないか」
 耳元でぼそりと囁く。
「そういえばあれっきり飯食ってないよな、お前」
「やはり私は太陽に嫌われているらしくてな。消費が悪い」
 嘘ではないが、真実でもない。
「俺の行動に支障をきたさない程度なら、食ってもいいぞ」
 以外とあっさり許可が下りる。おそらく食事方法を深読みしなかったのだろう。
「……では、遠慮無く戴こう」
 喉の奥で笑い、私はカグリエルマを引き寄せた。眉を寄せて文句を言おうとした形良い唇を塞ぐ。そのまま舌を差し入れ、歯列をなぞるように丹念に口腔を犯す。最初のうち抵抗を見せていたカグリエルマだったが、諦めたように力を抜いて私の唇に素直に酔い始めた。唾液の絡む音が室内に響き、甘さを帯びた鼻に抜けるようなその声に理性を揺さぶられる。
 こうも無意識に媚びる仕草は、一体どこで覚えてきたのか。
 胸中で苦笑し、唇を放した。
「何だよ…」
 眉を寄せて不満を表す。避難めいた視線に大人げなくそそられた。側にあるテーブルに押しつけて、身動きがとれないようにする。上着のボタンを手早く外し、シャツをたくし上げて指を這わせた。
「何だ、とは?」
 耳元で低く応えて、耳朶を噛んだ。
「……俺的にそういうイミではなかったんだけど」
 カグリエルマは小さく溜息をついて、私を押しのけようとする。
「あとで言うこと聞いてやるから、もう少し手っ取り早く『食事』できないか?」
 苦笑混じりのその瞳は、明らかに私を子供扱いしている。死ぬことを知らぬこの普遍的な私に、保護者ぶった態
度をとるとは何とも度胸があることだ。
「これが一番効率のいい方法なんだがな。それに、大した時間などかからないだろう」
「アンタなぁ…。十代のガキみたいに駄々こねるなよ」
「……お前を求めることが、『駄々』か?」
「明日世界が滅亡するなら許すけど、今は『駄々』」
 口の端を上げて、企むように微笑う素振りが癪に障ったが、まあ、それはいい。
「……………カ――」
 私が言いかけたとき、近くに人間の気配を感じた。日常生活のそれではなく、一直線にこちらに向かってくる。若い、男だ。
「メリー?」
「………気に食わんな」
「は?」
 訝しがるカグリエルマを後目に、私は肩口に頭を埋めた。
「えあ!?な…何なんだ!お前、俺の話聞いてなかったのか、この!」
 素っ頓狂な悲鳴を上げながら、精一杯私を押しのけようとするが、テーブルに手だけを縫い止めて易々と抵抗を遮り、私は鎖骨に軽く歯を立てる。
「っ…おい!」
 非難も気にとめず、空いた手で脇腹をなで上げ、首筋をきつく吸い上げた。
「この馬鹿!そこ隠れな……っ!」
 脇腹から胸元へ昇ってきた指で突起に触れる。爪で柔らかくひっかくと、息を詰めた。


***


 見慣れた白い家の入り口に馬を進め、敷地に入って馬から下りた。厩の入り口に手綱を縛り付けて、俺は玄関の前に立った。
 確かに人の気配がする。扉をノックしようとしたとき、俺は硬直したように固まった。
「……………」
 声が聞こえた。その声は確かに三ヶ月間聞くに待ち望んだ友人のものだが、声の質が全く違う。
「…………」
 また、聞こえた。
 上擦った、鼻に抜けるような甘い声。何度か想像し、だが一度も本物を聞くことがなかったその声が、今扉の向こうで何者かの手によってつむぎ出されている。
 嘘…だろ…?
 俺は見知らぬ相手に業火のような嫉妬を燃やし、力一杯扉をたたいた。


***


「…やっ……」
 熱を持った喘ぎが耳朶を心地よく打った時、その音は唐突に聞こえだした。それは予想していたものと相違なく、慌ただしく扉をたたく。
「カグラー!!!カグラぁー!!!出てこい!!」
「!!……ドレイク!?」
 私に委ねていた肩がびくりと跳ね、カグリエルマは私の知らない名を呼ぶ。…気に、食わないな。
 カグリエルマの意識がズレた一瞬の隙をついて、私は首――丁度頸動脈のあたりに食い付いた。
「い…っ、…なっ、メリー!?」
 牙を突き立ててはいない。だが思い切り所有の印を付ける勢いで、きつく吸い上げる。そのまま幾ばかの精気を奪ってゆく。一番姑息な手段だ。健全に身体を繋げるより、こちらの方が体力を消耗する。セックスを食事の方法にするのは、獲物に一番負担がかからないからである。需要と供給が成り立つのだ。吸血鬼は新鮮な精気を貰い、人間は負の力を与えられる。その力は、人間を一歩人間外に近づける。もっとも、この事実を知らしめる吸血鬼はいないが。
「…ん、…ぁ…」
 声に艶が混じった。吸血鬼が捕食するとき、ある一定の体内物質を分泌させる。それは人間の痛感神経を麻痺させ、快楽中枢に直に働きかけるもので、ある種の麻薬や媚薬と言っても過言ではない。
「カーグーラーっ!!!!!!」
 五月蠅い。
「三ヶ月も失踪しやがって、俺に一言いうことねーのか!?」
 …………いい度胸だ。
 私は唐突に唇を放した。カグリエルマが状況を飲み込めないというように惚けている。ゆっくりと床に腰を下ろしたのは、膝が笑って立てなかったからだろう。
 カグリエルマをその場に残したまま私は迷い無く玄関まで歩み、騒音を奏でる来訪者を黙らせるべく鍵を解除し、勢いよく扉を押し開けた。
 ごん、と鈍い音がして、不可解な悲鳴が聞こえた。地面にへばりつく男を冷淡に見下ろし、私は口を開く。

「何の用だ」


***


 正面からモロに鼻を打って、俺は尻餅をつく。なんてなさけないのだ。怒鳴りつけてやろうと上を見上げて一瞬息が詰まった。
 そいつはぱっと見たところ単なる青年だった。だが、次の瞬間全てを否定する。見たこともない漆黒の髪と紅玉の双眸。男としてはかなり美しいと言える容姿。ほっそりとした長身の優男かと思ったが、貴族とも見まごう高価な服の下には、そこそこ引き締まった身体が収まっていることを見て取った。
 何よりもその、俺をさげすむ傲慢な目つきに一瞬恐怖を覚え、こんな若者に恐怖心を感じた自分を酷く恥ずかしく思った。
「カグラに用がある」
 俺がそう言うと青年は鼻で笑い、何も答えずに家の中に姿を消す。あまりの態度に呆気にとられつつ、俺は青年の後を追う。
 カグラはリビングのテーブルの側にいた。何故か床にいる。俺は青年が手を貸してカグラを起こす光景を、ただ呆然としながら眺めていた。到底信じられない気持ちもあった。
 見た目に上質と判る上着とシャツは半ばはだけている。それだけでも魅了するに値する格好だ。だが、そんなことよりも俺は、首筋についた紅い痕の方に目が釘付けになった。明らかな主張がそこにある。
 俺が凝視していることに気付くと、カグラは視線を泳がせ、ばつ悪そうに頭をかく。一方青年は、勝ち誇ったような表情を浮かべて手近にある椅子に深く腰を下ろした。胸元から紙タバコを取り出し、慣れた手つきで一服している。
「………よ、よう」
 沈黙を破ったのはカグラだった。シャツのボタンを留めながら上目遣いで俺に尋ねる。
「あー…、元気だったか?」
「誰だコイツ」
 やっと正気を取り戻した俺は、カグラにそう聞いた。
「えーと…。……お、恩人」
 やはり視線は彷徨いながら、ぼそりと答えた。その歯切れの悪さが、あからさまに怪しい。年上の威厳も薄く、俺は嫉妬むき出しで青年を睨み付けた。
「俺の相棒が世話になったようで感謝する。俺はフェルドレイク・ロレンス。ギルドに代わって礼を言おう」
 一遍の理性で握手を求めたが、青年はさも興味なさそうにちらりと俺を見ただけだった。
 ……こいついい度胸じゃないか。
「…………ガキかお前ら」
 いつの間にか冷静さを取り戻したカグラが呆れて間に入ってきた。
「ドレイク、俺はソロのハンターなんだが、いつの間にお前が相棒になったんだよ」
 この科白は俺に深く突き刺さったが、あえて表情には出すまい。
「まあいい。あー…。えーとだな。彼は負傷した俺を介抱してくれた人で、さる城の主だ。アグライアの街に興味があるというので俺が連れてきた」
「……負傷だと?どこか怪我を負ったのか?大丈夫なのか?」
「…まあ、な。今は完治したから。おかげで三ヶ月も帰ってこれなかったんだが」
「重傷か?何故文のひとつもださない。迎えに行ったのに。本当に大丈夫なんだろな。お前に何かあれば俺は親父に顔向けできん」
 見えるところには傷らしいものは残ってないが、こいつの綺麗な身体に跡が残るのは後見人の俺の実父ジョンアーサーも喜ばないだろう。
「アーサーにも後で報告するよ。依頼人にも会わなきゃならんし」
「それもそうだが、まさかそれでその不作法な恩人の話を誤魔化したんじゃないよな」
 俺が言うと、カグラはまたも困ったような顔をする。
「シャツで隠れてないぞ。そのキスマークは」
 俺がじと目で宣告すると、カグラはほんの少し頬に朱を走らせ、それも消えると清楚に無邪気に微笑んだ。
「誤魔化すも何も。関係無いだろ、お前に」
 俺の脳裏に『悪魔』と言う単語がはっきりと浮かんだ。それが誰とは言わないが…。


***


 私でさえ、カグリエルマの言葉に、初めて人間に同情した。
 言われた当の人間は、目を見開いて硬直している。…気持ちは分かる。だからといって助けてやる義理も道理も持ち合わせていないので、ほうっておく。
 私にとって気にすべきはカグリエルマであって、この人間ではない。
 欲という物は際限を知らない。私はその点で多大に勝っている。人間に比べて理性よりも欲望で生きるのは、それが本能であり、闇から生まれた感情そのものであるからだ。
 器は満たされると溢れ出す。だが、その器の底が無かったとすれば、それは溢れることはない。そう、私の目にはこの人間が何を思い、何を感じているのかが手に取るようにわかるが、それはやはり、私には関係のないことだ。
 私の行動原理では、欲しい物はただ一つであり、それは私から逃げることはないだろう、恐らく。求める物がただ一つであり、それだけを極めるのならば、より魔物的な視点が得られるだろう。
 だからこの人間にはカグリエルマは適さない。
 カグリエルマは、内面的に人間性を持っていない。周囲、地位、友好、権力、金、多方向からなる抑圧に無関心であり、一つのために残りを犠牲にしても笑うだろう。
 しがらみに縛り付けられているようでは、まだ青いと言うことだ。知っていて溺れるのと、知らずに溺れるのでは結果は同じでも意味は全く異なる。立っている場所が違うのだ。
 だから私は追い打ちをかける。

「お前では役不足だ」

 紫煙を吐き出し、鼻で笑った。

  

おじゃま虫が書きたかったの。そのわりにフェルドレイクの性格が今ひとつよくわからない。
結局バカップル。

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