どんなに忘れようとしても
憎しみと愛だけは
忘れられない

永遠に

 

Amadiciena Chronicle [ act.1 ]

Amadiciena Chronicle

「我は死ぬ。
 だが死ぬ前にやらねばならぬ事がある。
 この世界に戻りし時、全ての羽根はむしり取られ、折られ、傷ついていた。
 堕とされた肉体は、邪悪なる者達の甘美な供物であり、我が魂は黄金の果実と同じ。
 噛み砕かれ、侵されながら、それでも我が生き延びたのは、エルシノアに対する憎悪のみ。
 このまま死ねば、何も残さず消滅する。
 エルシノアに選ばれた人間の魂と混濁し、この身をエルシノアの写し身に与えることはすなわち、我を犯すこの猛毒を滲入させること。
 我が死した魂は、エルシノアに吸収され沈殿するだろう。
 無知純粋なエルシノアを、汚せるのは我唯一人」

**---**---**

「また、御寝所を汚されましたな…」
 月光を背に、長身の男が音もなく扉そばに佇んでいた。
 感情のない月のような白い髪が、左片方だけ長い。どこか獣を思わせる薄い褐色の肌とのコントラストが、間違いなく『異質』だ。額には白い霊印が描かれ、まるで第三の目であるかのようだ。融通の利か無そうな、精悍だが美しい顔に、今は苦渋を張り付けている。
「索冥か…」
 索冥(サクメイ)、と呼ばれた白髪の男は、長い裾を翻し――ただし衣擦れの音さえ感じないほど静かに――声の主に近づいた。
 この男、褐色の肌のくせに何故か『白』のイメージを植え付ける体風だった。
 だだっ広い部屋に、大きなベッド。この部屋はそれしかない。
 そのベッドの上に男女が居た。女の方は首からおびただしい血を流して息絶えている。男は上半身を起こして気怠げに自らの髪を梳いた。今は冷えた返り血にもつれ、途中で指を止めた。
 上半身のほとんど、至る所に返り血を浴びて、男が薄く笑う。
 血に染まる肌は索冥とは対照的に白い。髪の方も対照的に黒に近かった。漆黒ではなく、どこか鉱物的な光を帯びているそれは、無作法に肩まで伸びていた。今は艶やかに、どす黒い女の血を浴びて光っている。
「貴方の御身は本来、血に染まって良いものでは無いのです」
 咎めるように、索冥はうなる。
「戯け。王とは血まみれになるのが常だ」
 女の方を一瞥し、彼はシーツで返り血を拭った。
 ランドール王。索冥の主にして、天空要塞アマディシエナの民50万人の専制君主である。
 成人になりきっていないような体躯は不完全故に美しい。そんなことを思わせる人物だ。二枚目ではない。その容貌は並以上だ。少年、と言うには大人だが、成人だとは言い切れない未発達さが残っている。
 藤色の瞳にはシニカルな色がのっていた。
「無血の王などは、王ではない。国という生き物を御する行為で、王という名の絶対的な権利の元に、何ものも犠牲にはしないなどと、今更この私に阿呆をぬかせと言う気か?」
「しかし………」
 索冥の琥珀の瞳は、さらなる苦渋に染まる。
「黙れ下僕。お前が、私を王に据えたのだ。私に逆らうことは、相成らん」
 ランドールは索冥を睨み付け、立ち上がった。

「湯を浴びて正寝に戻る。この死体をどうにかしておけ。形は残すなよ、どうせ間諜の下女だ」
 索冥を見上げる王は、眉を寄せて不機嫌そうに言う。
「お前に見下されるのは我慢ならんな」
「そのような物理的な問題は、私にはどうにもできませんよ」
 微笑の後ろにある冷たさを隠しもせず、索冥は一礼を返す。
 跪いて王の気が済むのなら、いくらでも従ってやる、そんな態度だった。

**---**---**

 アマディシエナは世襲制の国ではない。形こそ絶対主義国家をとっているが、元老院と言う名の支配機関がその実権を握っているに等しい。元老院の議員数は400名あまり。だがその中で実際に王と朝議で顔を会わせられるのは十分の一に満たない数だ。
 王は王座に座っている、形だけの存在だった。先王までは。
 ランドールが王位について今、元老院はなかなか動きにくくなっていた。好き勝手な軍事国家を築き上げた有力な議員達を排除し、勅命をもって法を改正し、形なりにも法治国家の体を見せてきた。
 当然、甘い蜜に浸っていた元老院議員の一部からは反感を買った。
 おかげでランドールの周囲はにわか騒然とした日々に包まれ今に至る。元老院の名をかたって王の退位を求めるテロリストが横行したり、あからさまに反意を示す区長が目立ってきた。中には堂々とランドールを批判し、自分の方が王に相応しいと唱える人物まで出てきた。だが、それに屈する王などではない。捕らえられる者は片っ端から捕らえ、秘密裏に始末された反逆者もいる。
 後世に名を残す法治国家アマディシエナの王にしては、生臭い幕開けだった。

 天空要塞の名は、まさに如くである。雲の合間に浮かぶ巨大な城は、横から眺めればいびつな菱形をした巨大な建造物だ。枯れた枝のように、様々な建物が外観をぼやかせていた。その頂点の王城から城下を眺めれば、ほぼ円を描いているのがわかる。
 これだけ巨大な建造物で生活を送る民は50万人に近い。その重さを支えるのは、まさに未曾有の力だった。
 生物を形作る四素、地水炎風の聖霊と、世界を形作る八つの高次聖霊が魔力を治めるこの世界。各国、部族、集団はそれぞれの聖霊を崇めている。
 この国も例外ではない。アマディシエナは『天(エルシノア)』という聖霊を祀っていた。天の聖霊はこの要塞を浮かせ、それ故に政治に少しばかり干渉もしていた。間接的にだが。
 王を選ぶのは天の御子。男ならば『覡魁(ゲッカイ)』、女ならば『巫魁(フカイ)』と尊称される。総じて高位魔術を用い、人の夢に入り込みまた幻覚を見せる等の特殊能力を有する。
 この者達は、統治や支配などの範疇の外に生き、王に仕えることのみを一生の仕事とし、命運を王に預ける。
 一説には国民の具現だとも言われるが、それを調べ上げた人物は国家創建以降誰もいない。
 元老院にも従わない。権限らしい権限は無い。額のその霊印と装束で存在を示し、入れぬ場所はなく、拒絶できる者はこの国には王以外にはいない。権限がないにもかかわらず、事実上命令には逆らえない何かがあった。
 国家として発展し、錬金技術で高度に栄えたアマディシエナで唯一伝統のように残った王の選別制度が、この聖霊の介入にあった。


 そなたの名は、王その人に名付けられ、その人以外に発音することはできないでしょう。

「『王』…。私が仕えなければならぬお人か」

 不満のようですね。御子にしては珍しいこと…。

「たかだか一人の人間のために、私は命を懸けるのか」

 御子よ、貴方は私の一部。その気持ちも分かります。ですが、王に会ってご覧なさい。我が選んだ王です。

「確か私の先代、その先代も愚王に仕えて国を傾けた」

 人は皆、誰でも王になりうる気質を持っているものです。我はその気質の多い者を選定したにすぎません。賢王になる道を捨てたのは人間の心。そこまでは干渉しません。
 強いて助言をするのならば、御子の仕え方にも影響があるのでしょうね…。

「無駄な作業のようにお見受けいたしますが」

 それは御子よ、貴方にはとんと口の出せぬこと。

「私の選ぶ王はいずこか」

 この要塞の下階層に。貧しき者達に混ざり…。血筋を遡れば清き者ですが、その心は闇に近い者。

「闇の心を持った者を王に据える気か」

 だからこそ、なのです。あの者はその闇を飼い慣らし、すでに自らの一部をしている。揺るがぬ強固さと、残酷なまでの意志がある。

「闇の意志を持った者に王位を与えてしまえば、臣は荒み、民は死に絶える」

 善意の闇も、時に必要なのですよ。そして、今この国で彼以外の王はいないでしょう。

「彼、男か…。この国は男ばかりが愚王に成り下がる…」

 そうかどうかは、あなたが見極めてくるのです。

 


索冥はランドールに従事する。
 下階層を探すまでもなく、彼は王気に感づいていた。背がちりちりとはぜるような、不安感にも似た感覚が。自分を生み出した聖霊に言われなくとも、この国の王座につける者などあの人間をおいてはいない。
 だが、不本意ながら。索冥は自分の生存理由を受け入れられずにいた。
 なぜ、まだ成人してもいないような、年若き者を王に選ばねばならないのか。しかも自分の生涯は王のために存在するのだ。人とは相容れない成分で構成されている自分が、人には持ち得ない強大な力を持つ自分が、何故に、そのようなちっぽけな人間風情に仕えなくてはならないのか
 いわばプライドの問題だった。
 御子には、あまり外部に知らされていない、最も重要な特殊能力がある。先の世界を読む力。
 それは第一印象で職業を当てるような行為に似ていた。その人物を一目見た瞬間に、その人物の行動があらかた読めるのだ。使わないようにすることもできるが、最強の力を得て使わないことはないように、索冥はその力を存分に使い、結果王を助ける働きをしてしまう。
 どんなに抗っても、王の側にいなければ、自分は苦しむ。そう気付いてしまってから、なおのこと王を否定したくてたまらなかった。
 いつの日かその思いは、憎しみに近づくほど。

**---**---**

 汚らわしい物でも見るように、索冥は女の死体を見下ろしている。全裸の女は、驚愕に瞳を見開き、もがくような指の動きで『物』になっていた。
「身の程知らずが…」
 吐き捨てて、片手を女に向ける。燐光のように女の白い肉体が発光し、皮膚の表面から青白い炎が踊り出す。
 シーツに飛び散った無数の血液も青白く燃えて、炎が消える頃には跡形さえなかった。
 殺人など皆無のような、何の変哲もないベッドに戻ったことを確認し、索冥は無言でその部屋を辞した。
 正寝で、我が主が待っている。

 若き王、ランドールは自室のベッドの上で、無数の紙を睨み付けている。この正寝は、選りすぐった部下しか入ることは許されない。常時、禁軍が入り口という入り口を固め、何人の出入りでさえ王の許可なしには行われない。ただし、索冥は除くが。
「騙し合い、いや、化かし合い、か……」
 一枚の紙を拾い上げ、目を細めて指で弾いた。それは複写された地図だ。何階層も混ざり合ったような、複雑で分かり難い幾何の様である。それは第七区ビルゴ区庁舎の見取り図であった。
 ふむ、と納得し、もう一枚拾い上げようとしたとき、扉が開いた。
 来訪者は一人しかいない。
「遅かったな、索冥」
 本人を見ようともせず、ランドールは散らばる紙を見聞する。
「何を企んでおいでか」
「主に向かってその言いぐさはないだろう?」
「私以外の誰が主上をお諫めできるとおっしゃいます」
 控えめに吐き捨てるという、索冥独特の口調で王を責める。
「主上自ら御手を下さずともよろしかったのに」
「まぁな……」
 ランドールは口の端に年に似合わずシニカルな笑みを乗せて笑う。その仕草でさえ、索冥は苛立たしく思うのだ。
 どんなに索冥が嫌みを言おうと皮肉を言おうと、この王は堪えた様子がない。自分がどれだけ地味な抵抗をしているのかは理解している。だが、どうしようもなかった。例えるのなら、催眠暗示をかけられた自殺願望者のようなものだ。死にたくても死ねない。索冥は、王を傷つけたくてもできない。力でも魔力でも王は何一つ自分に及ばないというのに。
「お前は予言をしなかった。おあいこだろ?」
 予言が欲しかったわけではない。そんなものはランドールにとってどうでもよかった。本当は国の政や地位や権利もどうでもよかったが、自分が王になることは実は物心ついた時から気付いていた。
 20年生きてきて、自分の妄想かと思いだした頃、索冥がやってきた。遅すぎる、と怒鳴ったのを覚えている。本人はいたく不本意だったらしく、いまだにそのことを根に持っている。いや、違う。索冥は自分の立場が嫌いなのだ。抗えない物を背負ったことが嫌なのだ。ランドールが王であることが嫌なのかもしれない。だとしたらそれこそおあいこだ。
 索冥が主を嫌うように、ランドールは『天の御子』と呼ばれる存在を嫌っている。意地の張り合いか、プライドの譲り合いだということに、二人は見て見ぬ振りをしているのだが、互いは非常に頑固だった。「主上が身罷るような預言ではありませんでしたゆえ」
「ならばお前が口出しする問題ではない。黙っていたのに文句を言われる筋合いは無いな」
「誤解も甚だしいですね、主上よ。貴方の危機ならば私は何より先に告げたでしょう」
「私の危機は、お前の破滅だからな。保身か?索冥」
「言い換えればそうなりましょう」 非常に頑固だった。
 しかし、信用していないわけではない。信頼はしていないが。「限がないので話を戻しますが、あの女から何を聞き出されたのです?」
「ビルゴ区塔が爆破されただろう?あれは区長の手引きだった。『我ら七区の平和を乱す輩に対し、私は深い哀悼の意を表します。区の平和を守るべき王は一体何をやって御出なのでしょうか』だと?言ってくれるな。一字一句覚えているぞ私は。涙目で訴えかけるなんて私にはとてもできんな」
「……澱んでいた堤が、切られましたか」
「あの女狐、見る目はないが馬鹿ではない。野心も十分だ。愚王続きの男を最上位に迎えるくらいならば、女王となって賢帝に取って代わるつもりらしいな。無駄なことを」
 反乱で国が傾けど、王位を奪うことはできない。下克上など初めから通用しない王制度だ。
「即位より一年、なかなか遅かったですね」
「機をねらっていたのだ、私があいつならこの時期をねらう」
「軍備強化などするからです」
「軍ではない。警察機構と呼んで欲しいな。……この話は明日にしよう。疲れた」
 欠伸をかみ殺し、ランドールは散らばる紙を集め始めた。
「では、私は下がりましょう」
 索冥が背を向けかけたとき、王は不遜に下僕を止めた。
「お前が帰ってどうする。私が何のために呼んだと思っているのだ」
「………」
 とたんに嫌そうな顔をする索冥。
「今夜はお前と寝よう」
 実にまじめな顔で王はのたまった。性的な誘いではないのだが、絶対にそうではないとは言い切れないような、試すような何かが混じっていた。
「独り寝は寂しいですか」
「ついさっき一人の女を服上死させてきた男の身体を求めるのか?趣味が悪いな、お前は」
「飛躍して受け取らないでいただきたい」
「お前もな。私は今夜熟睡したい。お前は姿を消した者の気配さえ読む。警報機の代わりだ。広さだけなら十分あるから休むのなら私のベッドに入れ。睡眠が必要ではない生き物だったら、部屋のどこかで一晩中立っていればいいだろう」
 覡魁と呼ばれる生き物は、主に逆らうことはできない。どれだけ憎まれ口をたたこうと、それだけは変わらない事実だ。
「では御邪魔させていただきます。警戒はしますが、子守歌など歌いませんから一人で寝付いてください」
「聞きたくないわ、そんなもん」
 水と油の様な二人だが、肉体関係がないわけではない。以外にも相性がいい。ただ、歴代の王と御子に反して、この二人の行為は単なる性処理にすぎず、愛情はない。そして御子が王を抱く、というのも異例と言えば異例だった。ただランドールは男に抱かれる趣味はなく、何故索冥に抱かれてやるのか本人にも答えは出ていなかったが。

 

**---**---**

 熱い湯につかりながら、ランドールは不快な吐き気に襲われた。幾度となく咳をして、その永遠ともとれる苦悶の時を過ごす。
「………っは……ぁ………っ…」
 口元を押さえた拳には、見まごうか血が付いていた。
「………」
 もう、何度目か忘れてしまった。18年目の誕生日を境に、ランドールは喀血が増えた。下層街に住んでいた頃の仲間でさえ、このことを知る者は居ない。
 医術士や錬金術師に見せたことはない。そんなそぶりを他人に伺わせたこともない。自分の演技力を賞賛したくなるほど、ランドールは隠し通していた。
「まだだ。まだ、死ねない」
 独白は風呂の中だけで留める。今すぐにではないが、青年王は自分が死ぬことを少なからず知っている。医学的根拠が無くても理解していた。
 死は、怖くはない。誰にでも必ず訪れるもので、それが早いか遅いかの違いでしかないからだ。
「おれは何も成してはいない」
 もう一度むせるように咳をして、湯に溶けて消える鮮やかな赤を眺めた。
「だが…時間がない」

 索冥は王の病を知らない。それはランドールが頑なに隠している所為もあるが、予言の業でもそれは露見できえなかった。
 はたして、それを知ったからといって態度が変わるのかといえば、否としか言い様はないが。
 ランドールが着替えを終えれば、朝礼となる。毎朝変わらない出来事だ。
「なんだ、待っていたのか」
「髪が濡れていますが」
「お前が乾かせ。丁寧に拭いている時間などないわ」
 当然のような王の要求を返事もせずに聞き入れ、索冥は風と炎の魔術で水分を殺した。
「朝礼が終わったら七区(ビルゴ)の下層街に降りる」
「ユンカーにですか?」
 分かっていて聞き返すな、と口の中で文句を言いつつも、ランドールはうなずいた。
「手始めにビルゴから落とす。見せしめにはなるだろう」
「禁軍は如何しましょう」
「阿呆かお前は、下層街に禁軍を連れて行って私は何をしでかすのだ?」
「御身に何かあっては事です」
「お前が居て、何もあるわけないだろう」
「……私も同行するのですか」
 ランドールはため息をついた。この下僕は本当にアホではないのか、と。
「お前は自分をなんだと思っているんだ?」
「…………」
「沈黙が答え、か?だから阿呆だと言うのだ」
 吐き捨てて、ランドールは索冥の胸ぐらを引き寄せた。頭一つ分ほどの身長差だ。王は下僕を見上げながら、食い付くように唇を合わせた。
 索冥は逃げなかった。むしろ喰らい返す勢いで王の唇を貪った。お互いがお互いの技巧を比べ合うような、色気も素っ気もない口付けとも呼べない囓り合いのような行為が続いた。
 視線で息の根を止める、それほど強い眼光で互いを睨み付けて、濃厚なそれは身体に熱を呼び覚ます事はない。唾液が絡む音だけが場にそぐわぬ卑猥さを漂わせている。爪を立てて掴んだ腕に、体温が移るのがいっそ不思議だった。
 どちらからともなく唇を離した。つ、と糸を引いて切れた唾液に、我に返ったと実感するほどのめり込んでいたのか、と口にも顔にも出さないでお互い、心中で苦い思いをする。気付けば、索冥は自らの王を壁に押しつけていた。
 動揺を心中深くに押し込み、先に口を開いたのは索冥だった。
「お戯れを、主上」
 どすの利いた声だった。
「戯れだと?嫌がらせに冗談を言ってどうする」
 王は鼻で笑い、軽く下僕をいなす。
「さて、元老の禿頭でもなでてくるか」
 くくく、と笑い、何事もなかったようにランドールは朝礼へと歩みを向けた。その後ろで索冥がぎり、と憎悪に歯ぎしりしたことは聞かなかったふりをして。


「あなたはこの国をむざむざ死滅させるおつもりか!?その資質は単なる強請なのですか!!」
 朝から元気な老人だ、ランドールは嫌そうに顔をしかめた。アホらしくて欠伸が出そうだ。
「………激昂してどうする?」
「我らの苛立ちを理解できませぬか?先王の様な軽はずみな政はお控えいただきたい」
 冷淡に話す元老院の長老の一人は、朝日に禿げた頭を照らすほど脂汗をかいていた。
「ほう。ならば私を愚王と罵るのは、単なる趣味か。不敬罪で捕らえられても文句は言えなかろうな。お前は何年その椅子に座って愚王を操ってきたのか」
 ランドールに味方はほとんどいない。こと元老院との朝礼に至っては、索冥以外が敵だとしても過言ではない。その索冥は王の後ろの壁際で、爪を研ぐ獣のように静かに主を待っていた。朝礼に興味を抱いていなさそうに見えて、その実耳と目だけは鋭く警戒している。
「民の労働を貪り、従わない者を暗殺していった、この国の暗部を私が知らないとでも思ったか?」
 王の味方は自らの権威。頭の固い長老にとっては、生意気な青年と言うだけで軽蔑の対象だ。そんな輩に大人しく理を唱えたところで、国が豊かになるわけではなかった。
「失礼ながら主上よ、何故今、軍備を増やすとお言いか」
 堅く静かな口調で、朗々とした老人がぽつりと漏らした。
「戦争のためではないことは確かだ。民を苦しめるためでもない」
「では、何故『軍備』を?」
「『軍』ではないのだがな。貴殿等はそこをはき違えておいでのようだ。我がアマディシエナの軍は、禁軍を除きすべて解体する、そう私は言ったのだが」
 朝礼の場がにわかにざわついた。
「どうして狼狽える?私は以前から腐るほど言っていただろうに」
 王はさすがに苛立たしくなってきた。宰補に視線を向けると、ごく不自然に目をそらした。
「宰補からは何も聞いていないのか、それとも聞いていて知らないふりをしているのか、私にはわからないが、どうやら貴殿等と私との距離は並大抵の遠さではないのだな。王自らが頼み込むような無様な真似を私はしないと心しておけ。私が望むのは服従だけだ。お前達の何人が下層街を根城とし、私の座を狙っているのか、そんなことは知らぬ私ではない。私が許すまで、企むことは控えてもらおう。従えぬものは職を辞せ」
 上座からぐるりと家臣達を人睨みし、ランドールは紫玉の瞳に覇気を込めた。
「だが考えろ。私は、貴殿等が気にくわないという理由だけで、禁軍に襲わせることもできる者だ。何故先の変革で貴殿等が辞任せずにすんだのかを」
 そして独断の王は席を立ち、家臣が止めるのも聞かずに朝礼の間を去った。

  

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