Amadiciena Chronicle [ act.4 ]

Amadiciena Chronicle

 忠那は螺蛇鏡区の執務室で朝を迎えていた。元老の一人となってかれこれ20年になろうかとした時、思わぬ邪魔が入ってしまった。毎朝の朝議で顔を会わせるあの若造が、私たちをあごで使い、のうのうと玉座に収まっているのが許せない。彼が有能だということは、渋々認めている。だが、それを隠して有り余るほどの性急さが彼にはあった。私たちを置いて、国政を一人で行うつもりかといつでも憤っていた。
 あれは鳥のようだ。決して気を許さず、高天より獲物を見下ろす猛禽の鳥。だがその鳥は地に降りることはない。地上で羽を休めずに、常に空をくるくると舞う。
 目線と同じ高さに上ってきた太陽に目を細め、忠那はため息を付いた。あの元老の中にも、国王を少なからず好んでいる者が存在していることを王本人は知らない。忠那はその一人ではないが、国王に好意的な人物は知っている。
「……よう」
 かたり、錯覚かと思うような音は窓から聞こえた。そちらに目を向けると、忠那の実の息子がにたにたと笑って窓枠
に腰掛けていた。
「お前は入り口を知らないのか、那備よ」
「俺が入り口から入ってきて困るのはアンタだろ?」
 那備は忠那の妾の子だ。公式に子供は存在してはいない。息子の言うことももっともなので、忠那はため息を付いて椅子を勧めた。那備はそれを無視して、食卓机に片尻をのせて座った。
「俺、抜けるわ」
「何だと?」
 唐突な息子のセリフに、忠那は眉を寄せた。息子と同じ赭色の髪にはいくつか白いものが混じり始めていた。
 何をだ、と聞こうとして、それが愚問であることに気付く。
「アンタの計画、俺無しでやってよ。重要なことできたからさ」
「今更馬鹿をぬかすな。誰のお陰で今まで生きてこれたと思うのだ」
「アンタの下半身のお陰だろ?その立派なモノで俺をつくっといて、誰のお陰とか言い出すなよ。今まで俺が動いたお陰でどれだけアンタが動きやすくなったのか考えて見ろ」
 机に乗っていた果物籠から赤い果実をとりだして、那備は片手でもてあそんだ。
「理由は何だ?金か?女か?」
 睨み付ける忠那に嫌悪を表し、那備は果物を一口囓った。
「アンタと同じにしないでよ。俺は俺の信念で動く。アンタに従ったなんて考えてるなら、そりゃお門違いもいいとこだぜ。よくそんなんで元老だって言えるよな」
「親を馬鹿にするのもいい加減にしろ」
「子供を見下すのもいい加減にしろよ」
 親子はしばらく睨み合い、罵りの視線を交わした。親が子供に愛情を抱いていないのと同じように、子供も親に愛情を抱いてはいなかった。
 ノックの音と下女の声が聞こえて、二人は視線をはずして扉の方を見つめた。
「アンタに俺が抜けることを教えに来ただけで有り難く思え。そろそろ俺を頼るのはやめとけよ」
 捨てぜりふを残し、忠那が机を見たときには既に息子の姿は消えていた。

 ビルゴ区の一番高いところでは、来瀬が安らかに眠っていた。寝室は唯一の安らぎの場所であり、その日の目覚め方は一日の機嫌を左右する。
 雨雲の消えない空から零れる朝日は、一日の始まりと言うよりは終わりの色に似ていた。
 こつこつと窓を叩く音が聞こえて、来瀬はまどろみから意識を覚醒した。忘れてしまって覚えていないが、先程まで見ていた夢は類い希にすばらしいものだったように思う。
 窓ガラスを叩く音はまだ鳴っている。この高さの窓を叩く人間は居るはずなく、それはすぐに密書だと気が付いた。
 ステンドグラスの窓を開けると、灰色の小さな鳥が舞い降りた。捕まえて足に付いた手紙の小さな筒を取り外す。差出人も宛名も書かれていないが来瀬にはそれが誰から着たものか理解していた。
 くるくると紙幣を広げ、その文面に目を走らせて来瀬は息をのんだ。今までの計画が水の泡だ。密書をもう一度じっくりと読んで、火の魔術でそれを焼き捨てる。この世界の誰もがそうであるように、来瀬もある程度の魔術を使うことができた。だが、自分が高位の魔術者でなくてよかったとこの時ばかりは思っただろう。苛立ちでこの塔を吹き飛ばしてしまいたい衝動に駆られたからだ。
 長い髪を両手でぐちゃぐちゃにかき回しながら、来瀬はめまぐるしく考えを巡らせた。全ての計画を変更しなくてはならない。味方など最初から居なかったのだと、腹をくくった。
「あのゲス野郎」
 口汚く罵って、来瀬は花瓶を壁に投げつけた。

 一方那備は、その空とはうって変わって晴れやかな表情を見せていた。影のようにすばしっこく朝霧に隠れながら住処へと戻って、未だのびている手下を足でけ飛ばした。
 こいつらともおさらばか。そう考えて口元を歪めた。元来独り者なのだ。地位にも興味はない。金にも興味はない。ただ自分の好きなことを追いかけて生きる。それが那備の生き方だった。
 頭の悪い親父とか、尻の軽い女とか、やってることが面白そうだったので付き合ってみたが、今はもうその計画ですら屑のように見えた。
 那備の頭の中は今、嵐のような人物で埋められている。
 何処の区にもつかずふらふらしている那備でさえ、その人物は驚異だった。サギタリウスの支配者。区長ではなく、下街に太平を築いた男。誰もが化け物だと彼を呼んでいた。彼に勝てた者はいなかった。質の悪いサギタリウスのごろつきを、どうやって飼い慣らしたのかが不思議で魅力的で、那備は嵐弩に会いに行くためにサギタリウスへと足を向けた。
 だが、那備がサギタリウスに着いたときには嵐弩の姿は何処にもなく、変わりにトップの席に座っていたのは以前とはすっかり変わってしまったごろつきのリーダーだった。嵐弩が何処へ行ったのか問いただしても知らぬ存ぜぬの一点張りで、それもどうやら真実らしく、ごくたまに顔を見せるというその機会を待ってみたが嵐弩は街に帰ってこなかった。
 目下の興味は、嵐弩が何者で、何を望み何を知っているのかだった。何故自分がこれ程までに嵐弩という人物を望むのか、その答えはきっと本人に会えば解けるだろうと信じていた。
 対面して、強烈に意識したその魔性。
 嵐弩は人間に持っていない何かを持っているに違いない。恐怖を伴ってなお引きつける魅力に、那備は抗えないだろう。自分の物にしてみたい、叶わない欲望を秘めながら、那備は初めて知る敗北感を心地よく味わった。

 メガイラは主が居るはずの後宮をゆっくり巡回しながら、同じ様な思考を繰り返していた。もとより主上の身を案じていないので、他のことに目がいくのだった。
 ビルゴ区長は狐の様な女だが、やけに沸点の高い癇癪持ちだ。プライドの高いあの女が、はたして下層区と繋がっているのか?下層区に手下を抱えている区長なんてのはほとんどだが、来瀬に限ってそうじゃねぇ気がするんだよな…。裏に何かがありそうでいけねぇ。何かのきっかけで破裂しなきゃいいがなぁ……。
 悶々と考えながら、空の後宮でじりじりと時間が過ぎていった。

 同じ時、雪華も同じ様なことを考えていた。
 来瀬は学はある、支配欲もある、でも尻軽で怒りっぽいんだよね。とっつきにくいし。男好きなのに、かわいい女の子も好きってのもよく理解できないのよ…。主上はなんで来瀬の嗜好をしってたのかしら。下町生まれかもしれないけど、あーんな細っこい身体で怪我なんかしてなきゃいいけどなぁ………。
 剣術訓練で鬼のように部下をしごく怪力の女性は、必死に食い付いてくる男性士官を片手でさばきながら気持ちだけは別のところにあった。
 丁度休憩時間にさしかかったところ、訓練所の側を通ったメガイラを見つけて、雪華は大股で近づいた。
「よう、雪。どうだ?」
 白い歯を見せて豪快に口元に笑みを吐き、メガイラは通路の死角にゆっくりと進んだ。
「どうって?訓練、それとも主上?」
「訓練だ。主上は今、正寝で御休だ」
 お互いに笑い、しばらくして雪華がため息を付いた。
「なぁ、メガイラ……」
「うん?」
「あの二人、どう思う?」
 いつになく殊勝な雪華は、桃色の瞳を陰らせて剣の柄をまさぐった。
「わたしは…よく、理解できないんだ。あのお二人の関係は、一体なんだと思う?」
 通路の窓から差し込む光は、その天気を反映したようにどんよりと曇っていた。
「主従関係、ではないのか?俺たちと同じように」
「主と、僕。それはそうなんだけど、ね……」
「どうした、雪。らしくないぞ」
「覡魁殿は、主上を憎んでらっしゃる。あの瞳は、あの憎悪は初めて会った時から変わっていない。主上はそれを知 っているんだろうけど…。でも…さ」
 黙って聞いていたメガイラは、瞳を閉じて雪華の言葉を聞いていた。
「前王と巫魁様は端から見ても妬けるほど仲がよろしかった。今までの王と御子がそうだったように。まぁ、王と覡魁の組み合わせが異例なのは知ってるし、そういう関係がない訳じゃないことも解るけどね」
「男でも女でもやることは同じだぞ?まぁ、俺は男に組み敷かれる趣味はねぇが、組み敷く相手が王なら大歓迎だがな」
「無礼なことを言うな」
「冗談に決まっている。まぁ、主上が覡魁殿に愛情に近い好意を持っていないことは確かだろうな。俺にも、理解できんよ」
 二人は同時にため息を付いた。
「わたしは、主上の皮肉そうに笑うあの綺麗な顔の裏側が、まったく読めない。…何か……何もないといいけど…」
「そうだな……」

 遠くの空で音だけの雷が鳴った。
 昼を過ぎようかとしていた。飾りばかりの窓からは朝日など射し込むはずもなく、ただ明るい光が淡く射し込んでいただけだった。
 ベットの端に腰掛け、索冥は主は見つめた。瞳を閉じていれば、なんて害のない顔だろうか。この美丈夫は私に何を隠しているのだろう、索冥は熟睡しているランドールの首へと手を伸ばした。この手で括り殺せそうな、そんな細さの首だった。
 索冥は気付かない。いつもは藤色に輝くその意志の強い瞳が、伏せた睫毛で病的に見えることを。着実に蝕んでいる何かが、下僕には見えない。
 だが自らの感情と本能で、索冥は主の死を見ていた。 
「他の誰でもない。そのときが来たのなら、私が貴方をこの手で殺しましょう。確実に息の根を止めて差し上げよう」
 微かな掠れ声で囁き、首にあてた手にほんの少し力を入れた。殺気のない悪意を向けて、その琥珀色の瞳がきらりと光る。しばらくして手を放し、そのかわりにランドールの首筋に舌を這わせ、首の付け根を強く吸い上げた。
 ぴくりと肩を揺らしたランドールが目覚める一瞬前に、索冥は獲物を狙う獣の様な動きで起きあがり、独りごちた。

「私以外の者の手にかかって命を落とすなど、断じて許しはしません」

**---**---**

「私がどんなに貴方を愛していたか…。
どれほどまでに貴方しか考えていなかったか、きっと貴方には解らないのでしょう?
 私の行ったことで、貴方が私を憎むほどに想ってくれたと知れて、私はそれだけで嬉しい。
いつか理解できるでしょうから。
 求めても逃げてすり抜けるとりとめのない貴方に、私だけを見つめさせるには、
貴方を世界の底へ堕とすしかなかった。
 そうすれば、あなたは生涯私を想うでしょう?」

**---**---**

 ランドール、索冥、那備の三名は、いったいどういう関連性のある仲間なのか、周りから見ているとさっぱりわからない集団だった。場所は下層街には変わらないが、三人はビルゴ区を離れていた。五区カンケルの食堂で、入り口から死角になるテーブルを陣取って密談とは言えない会合を開いている。
「ビルゴじゃ駄目な話?」
 腹に一物抱えていそうな笑みを張り付けながら、那備がエールのつがれたジョッキに口を付けた。ランドールはアルコールの弱い果実酒を頼んだが口を付けることはなく、索冥に至っては何も注文しないという徹底ぶりだ。女将と女中がちらちらと三人を見ているが、通りかかった女中の一人に銅貨を数枚握らせると、その目線に煩う必要もなくなった。
「予想はついているんだろう?おれは言葉遊びをしている程心が広くないんでな」
「……可愛くねー。それより、首についてるソレ何よ?」
 肘を突いて指を指す那備に、ランドールは眉を寄せた。
「気付いてないの?それともバックレてんの?」
 苦笑だかにやけだか入り交じった顔をしながら、那備は懐から手鏡を出した。男が何故そんなものを持っているのか、主従は疑問に思ったが那備なら持っているかもしれないと納得して何も言わなかった。
 ランドールはその小綺麗な手鏡を受け取り、首を傾げながら『ソレ』を探した。すると、左耳の下辺りに鬱血跡が残っているのを見つけた。いつのまに…、と索冥を顧みたい衝動を堪え、無表情にじっくり鏡の中のソレを見て、悪びれもなく手鏡をテーブルの上に置いた。
「おれの宿に鏡なんてなくてな」
「うわお。あれからお楽しみかよ、なんて野郎だ」
「さあ、どうだろうな?」
 曖昧な返事を返して、ランドールは卓上の手鏡の裏をなでた。
「ところで、忠那老は元気か?」
 その質問に、那備はにやりと笑った。
「忠那って誰?」
「とぼける、か。今更」
 那備の笑顔にシニカルに笑い返すランドールは、手鏡を那備の方へ滑らせて次の言葉を待った。
「なぁ嵐弩。アンタ………何者?」
 張り付いた笑みと180度違う温度の声を出して、那備はさりげなく殺気を向けた。それに堪えた風など微塵も見せず、ランドールは果実酒に口を付けた。
 お互いに見つめ合うことしばし。索冥はその様子に興味さえないように、腕を組んで黙って瞳を閉じている。
「おれに従わないのなら、お前に用はない。どうする、那備?」
 ちらりと片目で問うと、一瞬屈辱が赤茶けた瞳に写り、那備は静かに目を閉じる。呆れたため息混じりに、口を開いた。
「ネタはどこからだ?」
「それを教える馬鹿はいないと思うがな…。その手鏡を見せる時は場所と人を選んだ方がいいと忠告しておこう」
 那備は鏡を手に取り、裏の細工をじっくり眺めた。持っている本人は一体これの何がどう関係あるのかわからない。眉間にしわを寄せた那備に、ランドールはゆっくりとだが確実に事実を述べていった。
「蔦に巻かれた百合、は忠那一族の家紋だ。知らなかったのか?」
「アンタも何で知ってんだよ。知らない俺も俺だが…。まァ、お袋の形見なんだよねェ、これ……」
「…そうか」
 エールに口を付けて那備は微笑んだ。嫌味のない笑いだったが、それにほだされるようなランドールでもなかった。
「来瀬を組んで何をした?」
「煽動とテロ」
「区長舎爆破はお前か…」
 質問に饒舌になった那備は、ランドールに好意的に答えていた。
「自己紹介も兼ねて、いいでしょ?俺の得意分野は爆薬の調合、攻撃業はもう分かってるよな。魔術より錬金術が得意だね。アンタには適わないけど、剣の腕もそこそこいけるぜ?」
「阿呆か。何人殺したと思っている」
 ランドールは吐き捨てた。過ぎたことはしょうがないといっても、我国民をむげに殺したテロリストを前にして沸き上がった怒りにぎり、と奥歯を噛む。目の前の男を殺したい衝動を堪えて、アマディシエナの王は那備を睨み付けた。
「嫌だねぇ。お前がソレを言うの?見て見ろよ自分の手のひら」
 那備の指摘したことは、ランドールの胸に深く刺さった。嵐弩がランドール王だと知らない那備だが、人殺しは人殺しの臭いを嗅ぎ分ける。とっさに否定したくても否定できる要素がなくて、ランドールは言葉に詰まった。
 自分の手が、血まみれなのは解っている。この国を起たせるために血を浴びるのなら喜んで浴びよう。だが国民は我が血肉と同じだ。矛盾点が、辛い。
「忠那は来瀬とグルか」
「うんにゃ?それが俺にもよくわかんねぇのよ。どっちが持ち掛けたのか、どうしても明かさないんだあいつ等。来瀬には身体の方にもじっくり聞いたんだけどねぇ」
 にやりと笑ってジョッキを呷る那備。やっと瞳を開けた索冥は、主上、と低く唸ると、ランドールの耳元に唇を寄せた。
『私が調べましょう。力圧しもここまでです。一度城に戻った方がよろしい』
 声はでていない。振動で話すといった囁きは、端から見れば疚しいものに見えてしまう。眉根をよせたランドールの耳朶を索冥が甘噛みしている、様に那備には見えた。こんなところで何なんだ…と呆れかけたが、ランドールの伏せた目元が類い希に美しく思えて何も言えなかった。ああ、首のアレはこの用心棒か?まさかな……。那備はひとり自答を繰り返した。
「………情報不足も甚だしい、か」
 ランドールは瞳を閉じて納得した。
「アンタ達、そーゆー関係?」
「何のことだ?悪いがこれまでで帰らせてもらう。事情が変わった。ここは奢ろう」
 含むように口元を歪めたランドールは席から立ち上がった。
「は?オイッ!!なんだそれ!聞くだけ聞いたらポイ捨てかよ!てめぇ情報屋に売るぞ」
 数少ない客と店員が三人を凝視する中、外に出ると暮れる直前の太陽が曇り空に反射してどす黒い赤になっていた。
「その若さで死にたくはないだろう、那備?近い内にすぐ呼び出してやるから、お前は十区に隠れてろ。アクセライって女に嵐弩の使いだと言え。しばらくは置いてくれる」
「だから!理由とか何とかいわねーのかお前は!連絡先くらい教えろよな!犯すぞ!」
 腰に手を当てた那備は最後にさりげなく物騒なことを発言し、索冥に睨まれながらも引かなかった。
「我慢する事を学ぶんだな。情報も身体もそうそう安い物ではない」
 シニカルに笑ってランドールと索冥は夕暮れに消えていった。
「くそっ!もしこれでつけたら、何されるかわかんねえし!畜生、一回くらいヤらせろよな、アイツっ」
 悪態を付く那備だが、自分の状況を読めない程愚かではない。夕闇に紛れて十区をを目指して姿を消した。

 ランドールと索冥が消え、那備も十区に潜った頃、七区下層街では混乱が生まれていた。区長の命令で、ユンカーを仕切っていたグループが皆狩り殺された。山積みになった死体の中に、区長の探し求める男は存在せず、不法行為者の討伐と銘打ったただの虐殺として国民に知れることになる。

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「あの女狐め、焦りおったな」
 誰もいない執務室で忠那は小さく文句を口にした。
 体調不良で朝議を休んだ国王は、次の朝には疲労など微塵も見せぬ顔色で席に着き、恒例となって変遷されない各報告を黙って聞いていた。
「最近、下層街が騒がしいな。何か知っている者はいないか?」
  ぐるりと元老長達を見回して、王は呆れ顔で問うた。それに答えた元老は誰一人いず、皆一様に目線を彷徨わせると、王も納得したのかそれ以上何も聞かなかった。
 賽は既に投げられている。判断するのなら今だ。王が全てを知っているのだとしたら、来瀬を殺してでも計画を消滅させなければならない。だが、もし何も知らないのであれば、引きずり下ろすのは今しかないだろう。
 忠那は眉間に堅いしわを寄せて、本日何度目かのため息をもらした。
 王の器を持った者など、この国にはいらない。有ってしかるべきなのは、無知な人形と、踊らせることが巧い人形遣いだ。
 天は権力を人に返すべきなのだ。神が操る時代はもう終焉を迎えるべきだ。
 ふと卓上に目を戻すと、宰補から取り上げた軍改正の原案が目に入った。『禁軍縮小化及び警察機構立案に関する覚え書き』と書かれた数枚の紙は、ランドール自らが草案を起こしたもので、先の朝議で話題になったものである。
 これによれば、禁軍の下士官以下は全て一時解雇、同時に発足される警務軍に編入だという。アマディシエナ禁軍は、カーマ王国の朱闇騎帝軍、神聖ミディエンスの神聖騎士団、サチャ・ユガの『砂漠の焔(デザートブレイズ)』、プルヤルピナ有翼領の飛翼部隊と肩を並べる実力を持っている。本来禁軍は宮城を守護する軍であり、王直属の軍隊だ。国内の治安維持に使われるべきではないのだが、下街の警備ですら禁軍が行っているのが現状だ。国防と国内治安維持を分けている国もあれど、そうでない国もある。王の草案では、国家の安全の為の国防時には警務軍は禁軍に編入されるという。
 元老は禁軍で儲けている者も多い。禁軍の行使は元老でも可能だ。区に派遣する禁軍の費用を多額に区や国民から請求する。忠那もその一人である。警察機構が成立し、王が顧問として国が運営するようになると、忠那達一部の元老が不正に摂取する金の額が大幅に減ってしまう。この損失は重い。王を殺してでも止めさせたい事案だった。

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 遅々とした執務をこなし、昼食のために移動していたそのとき。
 矢が、刺さった。
 索冥の二の腕に、深く。
「………大…丈夫、か?」
  珍しく驚きをあらわにした王は、自らの下僕をまじまじと見つめた。
「この程度では死ねません」
 面白くなさそうに、索冥は無造作に矢を抜いた。かぎ爪状になっている鏃は、肉片と血痕を飛散させて腕からあらわれた。ランドールはそれを痛そうに見て、止血のためにとハンカチを取り出した。
「結構」
 そっけなく答え、索冥は治癒魔術を使って瞬く間に傷口を癒していった。治癒魔術は四元素全てに通じていなくてはならない高位魔術、それは傷の深さによって難易度も比例してゆく術だ。
 王と覡魁がそんなやり取りをしている間に、身辺警護の右軍は一斉に動き出していた。メガイラは的確に指示を出す。矢が放たれた方角へと部下を派遣し、高位魔術師を残して王の周りに幾重もの防護結界を施した。
 矢は、単なる矢ではなく、明らかに魔術による施術が施された特殊な矢であった。人力では飛ばない距離を飛び、視力では見えない場所に的確に命中させる。守護結界を幾つも纏った螺旋城を通過する矢など、到底あり得ないものだ。
「私の落ち度です。この処罰、重く検討していただきたい」
 片膝を突いて頭を垂れるメガイラと、涼しい顔をした索冥を見て、ランドールはため息を付いた。
「今お前を処罰しても、お前以上に使える将軍を私は知らん。以後の働きに期待するとして、この襲撃は目を瞑ろう。だが、螺旋城を攻撃できるものなど聖霊や魔人以外に存在させてはならない。これを不問にはせず、新たな強化策を打ち出す事を望む」
「御意に。……御恩情、痛み入ります」
 右軍将軍は今一度深く頭を垂れて、その巨体を起きあがらせた。
「索冥に礼を言え。この咄嗟の出来事で、私はおろか将軍であるお前でさえ動くことができなかったのだ。お前の首は索冥が繋いだも同じだ」
「まこと、感謝の言葉もございません、覡魁様」
  長身を折り曲げ、索冥に礼を返す右軍将軍は自分の未熟さを呪った。
「礼は無用です、右将殿。私の行動は義務であり権利ですから」
 考え事をしていたランドールは、襲撃時の判断が一瞬遅れた。明らかにランドールの頭を狙った矢は、鴻嵐鵠の力を具現させる前に定められた位置に直撃するかに見えた。その巨体には不似合いな素早さを持つメガイラでさえ、気付いたときには抜刀も魔術使用もできぬ時だった。
 それを、索冥は人間ではない器官で捉え、王の前に踏み出して身を挺した。
 索冥でさえ魔術を発動させるには遅すぎたのだ。魔術に頼るよりも、己の体を使った方が早いと判断しての行動だった。この行動に、ランドールは心底驚いていた。魔術や使役獣で王を護れども、自分を犠牲にする程に索冥が王に尽くしているとは思わなかったのだ。
 無論、王の身体を家臣が護るのは当然のことと言えよう。禁軍ならなおさらだ。しかし索冥は軍人でも近衛兵でもない。王を護ることは自らの保身と立場だろうと、ランドールは理解していた。そのために、身を呈すとは思わない。思えなかった。
「お前…なんで守ったんだ?」
 率直な感想を口にして、ランドールは呆れかえる索冥を顧みた。
「何を馬鹿なことをおっしゃいますか貴方は」
 索冥と全く同じ表情を浮かべたメガイラは会話に加わりはしなかったが、ランドールの言ったことも何となく理解していた。
 自分を憎んでいる人物が、自分をかばって傷つくのが理解できないんだろうな。と、メガイラは無言で王を見つめる。俺にも理解できないが、覡魁殿の態度にはきっと何かがあるのだろう。雪華は王を訝しんだが、何も怪しいのは王だけではない。
 この国の上部に存する二人は、腹に一物も二物も抱え込んだ人物だった。
「庇うなら他の方法にしろ。いつか死ぬぞ」
「私が死ぬときは貴方が死ぬときです。お忘れにならぬよう」
 感情のこもらない声で話される会話は、聞きようによってはいささかこの場に不釣り合いな熱烈な内容に思えた。メガイラは会話の裏を読もうとしたが、王がくるりと振り向いたので考えを中断した。
「メガイラ、例の計画、昼食終了後に決行しろ。私は正寝にひっこむから、全ての報告書はそっちへ持ってこい」
「御意」
 敬礼を返すと、巨体を感じさせぬ素早さでメガイラは回廊を歩いて消えた。

 王が正寝に入る前に、右軍兵が人為・魔術的に捜索したところ、二人の部外者が発見された。だが、そのどちらも禁軍の手にかかる前に自らの命を絶ってしまった。
「裏にいるのはどっちだ?」
 安全が確認されて警護も厳重となった自室で、ランドールは呟いた。机の上には用意された昼食が乗っている。女官自らが王の前で毒味をするほどの念の入れようだった。
「私が行けば、すぐに調べがつきますのに」
 左右将軍を待つ王の自室には、人払いがしてあるため二人しか存在していない。だが索冥は何かが有ればすぐに対処できるよう、数匹の霊獣を適当に配置していた。
「俺を置いてお前が行くのか?身を挺してまで私をかばったお前が。それに、お前ができるのは幻術と夢視だ。人の心の中までは自由にできないだろう?」
「幻と夢で、人の心は脆く崩れ、そして露わになるものです。形無い故か、これ程弱い物はないでしょう」
「……そうでも無いと、私は思う。『形が無い』と言い切れるのは何故だ?私は心ほど強い物は無いと信じている。誘惑に弱く脆いことは認めるが、たった一つのものでとてつもなく強くなれる」
「たった一つのもの……?」
「『意志』だよ、索冥。私を突き動かしているものは、紛れもない意志だ。どんな意志なのかはお前に語る気はないが、例え死んだとしても私は本望だろう。意志は継げる。たった一つの言葉や行動で、私の後に続く者がでるかもしれない。意志の輪廻は永遠だ。それが途中で屈折し歪曲しようとも、それは血筋より硬いものだ。残念ながら私はそれを信じていないが。少なくともそうなればいいという希望は捨てていないつもりだ」
「私は信じませんよ。そんな狂信じみたものは。不確定な連続性のない弱さだ。操ることも惑わすことも、子供を騙すように簡単です。この世界を創造した二神の一人、『創主』でさえ心の病みで世界を混沌に落としたものです」
 どこまでも平行線を辿る会話に、お互い溜息をついた。
「ビルゴへ行くぞ」
 王の言葉に索冥は眉を寄せた。危機感が無いのか、相当な自信家なのか、家臣がどう反対したとしても自分が決めたことは押し通すランドールだ。下僕は何も言わずに苛立ちを押さえた。
 ランドールが口を開いたその時、ノックとともに雪華が部屋に入り王を確認して跪いた。
「メガイラの代わりに私が報告に参りました。報告書はこちらに。例の計画は進行中です。私の部下とメガイラの部下は先程螺蛇区を出ました。一刻後に区庁に着くことでしょう。以上です」
「解った。私もビルゴ区庁舎へ行く。ユンカーから庁舎へ侵入して来瀬に会う」
「なっ!主上!!貴方は何を考えて御出ですっ!いくら姿がばれていないからとて、貴方は今狙われている身なのですよ!私たち禁軍を連れまわる事が邪魔なことは解りますが、私たちをないがしろにしすぎです!」
 ランドールに激昂した雪華が詰め寄った。心を許した将軍の怒りを理解している王は、彼女を宥めるように肩を叩いた。
「すまん、としか言えないな。だが雪華、お前は私が首を縦にしないことをわかっているだろう?」
 漠然とした、だが全てを見通したような瞳で、ランドールは雪華を見つめた。
「………貴方は、卑怯です。私たちに心配ばかりさせる。私がどれほど貴方の身を案じているか解っていますか?」
「解っているよ。唯一の理解者だからな。だが私は王として、自分の意志に恥じるような王にだけは成りたくない。我が儘を聞き入れてくれ」
 諦めの溜息をもらしたのは雪華ではなく索冥だった。
「無駄ですよ左将どの。いくら諭しても王は変わらない。私が護るのですから、王の身は無事にお返ししましょう」
 この言葉に驚いたのは、雪華ではなく当のランドールだった。

  

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