錬金術師の犬 - 3 -

The Horn Tablet [ Alchemist's Minion ]

「ああ、やっぱり帰ってきたんだ」
「寄っただけだ。すぐに消える」
「そんなことしなくても、もう君を知る人々はこの世にいないだろう?」
「お前がいる、パトロクルス」
「残念ながら君には僕を消せないよ?」
「殺す気はない。興味がないから。それより、“リディジェスターキュヴィエイル”って知ってるか?」
 名前を呼ばれたことに、リディジェはぴくりと反応した。身体は眠っているが、不思議なことに意識だけは虚ろと起きていた。
「…………」
「知ってるんだな」
「連れ出したのが君で幸いだった、とでも言っておくよ」
「吐け」
 セツの声はどうして金属的なのだろう。リディジェは鈍る意識で考えた。
「怖いなぁ。別に隠すつもりはないよ。うーん…。どこから話そうかな」
「キュヴィエ」
 その言葉に、リディジェの身体が反応した。
「起きたみたいだね」
 リディジェの視界を覆うマントが取り払われ、彼は二色の瞳を開けた。最初に見たのはセツではなく、セツよりも黄が強い萌葱色の髪を持った軽薄そうな男だった。背中から生えた鳥の翼に似たそれは、南国の鳥の様な黄緑地のカラフルな羽毛。
「初めましてリディジェスター」
 柔らかい、おっとりとした口調だが、不思議なほど隙がない。
「パトロクルス、話を続けろ」
「彼に聞いた方が早いような気もするけど。何て言っても当事者には叶わないよ」
「これが正常に話せるのならな」
「話せるよ。だって彼はキュヴィエの息子だもの」
 パトロクルスが言った言葉に、セツは眉根を寄せた。当たり前である。錬金術師キュヴィエは、5世紀以上過去の人物だ。彼女の孫はおろか、曾孫の代、それ以上先でも無ければこの世に存在していないだろう。もっとも、彼女の子孫が存在しているという事実は何処にもないが。
「リディジェスター・キュヴィエ、か?」
「違うと思うよ。キュヴィエはアマディシエナ人だから、姓と名で『キュヴィエ』なんだ。だから、もしもこの子が人間であれば、リディジェスターが名前だね」
 何度も連呼される嫌な名前を聞きながら、リディジェは混乱と戦っていた。鋼の爪を伸ばして、その名を呟く人間を殺したい。だが純粋な欲求は行動を伴わない。リディジェの意志と別のところで、何か強烈な力がそれを止めていた。
「『もしも人間であれば』なんて曖昧な台詞は好きじゃない」
「可哀想だからさ」
「どこが。これだけ凄まじい『魔』と融合しているのに」
 悦に入ったようなセツの口調に、パトロクルスはやれやれと溜息をついた。
「それは君だから言える言葉だゼフィルス」
 ぴくりと肩を揺らしたセツからは、リディジェが無意識に震えてしまうほどの殺意が放たれていた。それに怯えた様子も見せないパトロクルスは、怯えるリディジェをあやすように撫でた。
「君のそれもどうかと思うけどね。さて、話が逸れた。リディジェに子供がいた事実は無いけれど、この子は正真正銘リディジェの子。生まれ方がとても特殊なだけ」
「どことなく想像はつくが、女だからできた芸当だな」
 交わされる会話を聞きながら、リディジェは抵抗することを止めた。体の怠さは殆ど消えているが、無気力感の所為で何かしらの行動をとりたくはない。首を巡らせる。小さな木のテーブルと椅子が二脚。一つにはセツが腕と足を組んで座っている。テーブルの上には金属製のコップが二つ。その他はリディジェが横になり、パトロクルスが腰掛けているベットしかない。
 セツはリディジェをじっと見つめ、その二色の瞳が不思議そうに見返すのをただ黙って受け止めていた。
「キュヴィエは自分の卵を魔族と受精させた。その魔族でさえ自分が召喚したんだから大した女傑だよね。君、合成は専門分野だろ?」
「人間の卵を使用することはあまりないが、な」
「僕は知識としてしか知らないから、何とも言えないけど、なーんとなく人の道は外れてそう…」
 うーんと唸りながら話すパトロクルスに、セツは鼻を鳴らした。
「一般的に人体実験はどこの魔曹界でも禁忌だ」
「ふーん…。それで、キュヴィエだけど、彼女はあの場所で一人黙々と実験に没頭したんだ。胚が分裂するのに様々な魔導を施して、何とか人の形をとった。でもその胚は魔族の要素も含んでいる。胎児からの成長スピードはとても速い。人間の身体から『魔』が逃げないように、幾重にも魔導を掛け合わせた。結果、幼児まで成長したときにはもう、『魔』に対する様々な中毒になってたよ。でも、解毒してしまうと、それはそれで問題だった」
「自分で作り出した『物』との主従関係―契約―は、血液か寿命や魂によって行われる。だが、自分の卵を使うことによってそれは不可能だ。魂の混ざり合った『自分』と同じ『物』とは、命令形式・速度が同じになってしまう。それに気付かないキュヴィエではないだろうに」
「知ってたけど、あえてやった。という感じだったよ。高位魔族体を合成させるのに、他の女の卵は使いたくなかったんじゃないかな」
 女心って複雑だよね、とパトロクルス。自分の話をされていることを、鈍る頭で聞いているリディジェはただ黙って大人しくしている。
「それはもっともだ。俺もできるもんならやってみたい。…それで、中毒症状から抜け出したコイツは、あの村を壊滅させたのか?」
「半分正解。研究室から逃げるためと、魔族の持つ特有の破壊欲で人々を散々殺してしまったこの子。その姿を知られたことで、口封じのために村を壊滅させたのはキュヴィエ。ちなみに止めたのは僕」
 飄々と言ってのけたパトロクルスは、セツにVサインを出して見せた。
「正体、バレただろう?」
「バックレましたよ。キュヴィエの研究室は元々いろんな結界が張ってあったから破壊を免れていて、彼女はそこにこの子を封印しました。これが僕の知ってること」
「勿体ないな。俺なら自分に従わないキメラなど殺してしまうが、研究者のサガか…、わざわざ残しておくとはな」
「制御できない魔物は我慢できなかったんでしょ。あんな非道な封印の仕方。僕は助けてやるわけにいかないし。……彼女も、結構な年だったから、一体何を考えていたんだろう」
 やっぱり女心は複雑だね、としみじみ呟いてパトロクルスはリディジェを撫でた。
「お前…理解してたから恋人やってたんじゃないのか」
 ぽつりと呟いたセツの言葉に、言われた本人はただにこりと笑うだけだった。

***

 パトロクルスは、セツが書き留めた小さな紙を持って街に出た。
 僕を使い走りにできるのって君くらいだよね、と文句だか何だか曖昧な口調で溜息をついて。
 室内に残されたリディジェは、居心地悪く感じて身体を動かすこともできなかった。
「おい」
 低い、軋んだような声だ。セツは一直線にリディジェを見つめる。返事を強請する視線で。
「……あんたは何だ。人か?」
 リディジェは掠れた声で答えた。男性的なアルトの声だったが、セツに比べると驚くほど美しい音の旋律を持っていた。
「お前の主だ。理解しているだろう」
 表情をぴくりとも動かさずに、セツはベットの上にうずくまるその塊に話しかける。その口調は、リディジェにはとてつもなく威圧的な命令に感じてしまう。
「俺は………何だ……」
「それはお前自身が良く知っているだろう。違うか?」
 そう言われてしまうと、リディジェは何も言えなくなる。自分は自分であるとしか言えない。それが当たり前であることは理解しているが、それでも何か他の名称が欲しかった。
「人間よりは格上で、魔族よりは格下。生き物としては意味を成さない物、それがお前だ。多くの魔術士は、お前を最高の合成獣、すなわちキメラと呼ぶだろう。世界最高の錬金術師によって生み出された、二体とない貴重なサンプルだ」
「どこが…最高だ。お前はおかしい」
 唸るようなリディジェの告白に、しかしセツは薄気味悪く笑うだけだった。
「それは贅沢な悩みになるだろうな。お前はある一部では絶大な羨望の的になる。キュヴィエの血をそのまま受け継いだ魔導師になる素質と、魔族の力の片鱗を持っている。俺ですらそれは羨ましく思う」
「狂っている」
「何とでも言え。言える内に言っておいた方がいいだろう。俺はお前を従わせる者だ。お前にとってそれがどれほど苦痛で、また自由なのか、そのうちに嫌でも理解できるだろう」
「奴隷にだけは……ならない」
 傷ついた身体のどこにそれだけの殺気があるのか疑問に思うほど、リディジェは渾身の力でセツを睨み付けた。魔力と、魔族の負の力が合わさったそれは、部屋の骨格をみしみしと軋ませた。
 無表情の笑みを張り付かせたセツは、黒い瞳でリディジェを見つめ続けた。変化はすぐだ。
「………!!」
 身体をくの字に折って、リディジェが血を吐いた。
「奴隷というのは、気分次第だ。不同意の下で従わざるを得ないのならば、それは奴隷と言えるだろうが、お前が望んで俺に従うのならばそれを奴隷と言うことはできない。本来、力ある魔導師に下ることはこの世の理だ。お前が従うべき想像主はこの世に存在していないが、お前よりも強力な魔導師ならばここにいる。それが嫌なら俺を殺してみろよ」
「………なに、を……した」
 リディジェは自分の力がどの程度で、人間の魔術師程度はまったく歯牙にもかけない事を知っている。一睨みで人間を殺すこともできる生き物に成り下がってしまったのだから。
「何かしたのはお前の方だろう。俺は正当な行いをしたまでだ。お前はまだ未熟だな」
「俺の…何処が……未熟だと」
「自分を支配できていない。加えて俺が何であるかも判らないほどだ。お前が従うのならば、俺は見返りにお前が生きる術を教えてやる」
「お前は…何だ」
「知りたいのなら、従えばいいだけだ」
 やはり無表情の笑みを浮かべたまま、セツは吐き捨てた。

「嫌なら、俺を殺すんだな」

***

 パトロクルスが買ってきた品物を机の上に無造作に置くと、セツは短く礼を述べてそれを器用により分けた。何種類かの葉類と木の実を小さな鉢の中に入れ、短く魔呪を唱える。目に見えない風のようなものが一回転し、鉢に入れられた物は細かく粉砕されていった。
 出入り口の他にあるもう一つの扉を開けて、セツは鉢を片手に姿を消した。
 リディジェはそれが何であるかを理解できず、ただ黙ってセツを見つめている。有翼のパトロクルスは自分の羽の繕いをしながら、ついでに買ってきた何かの果実をつまんでいた。
「食べる?干したものだけど」
 差し出されたそれは、オレンジ色の一見しなびた果実だ。甘酸っぱい臭いを嗅いだことも、食べたこともないリディジェは眉間にしわをよせて首を横に振った。
「美味しいのになぁ。そういえば、君がものを食べているとこって、見たことないね」
「あんたは…いつも何か食べてた…?」
「覚えているのかい」
「あんたは…変わらないのか?俺が見たときから…何一つ変わってないのか?」
「それは僕の外見を言っているのかな?それとも中身を見て言ってるのかな?」
 問いに問いを返す、意味ありげな笑顔を向けながら、パトロクルスは黙々と果実をたいらげている。
「僕は君に答えをあげることも、道を示すこともできはしない。僕はまたすぐにこの街を離れるし、ゼフィルスもきっとここを離れるよ。『角刻板(タブレットオブザホーン)』を探しに、ね。君はあの実験室の外の世界を知らないだろう?いい機会じゃないか。その二つの目でしっかりと見ておいで」
 犬の頭を撫でるように、パトロクルスはリディジェの髪を乱暴に掻き乱した。
 いつの間にか漂ってきた、薬草の渋い臭いに気付いて振り返ると、扉に身体を預けたセツが佇んでいた。凍てついた瞳と目が合う。
「パトロクルス。ゼフィルスの名を持った奴はもうこの世にいない。いい加減覚えろよ」
「はいはい」
 リディジェは理解不能を顔に表したように、眉間のしわを深くする。怒りの気を隠しもせずに近づくセツは、リディジェを抱きかかえてもう一つの部屋へと無言で歩いた。
 高湿の室内には湯の満たされた浴槽が一つ。薄黄緑色のお湯からは湯気と薬草の臭いがした。
「『角刻板(タブレットオブザホーン)』って、何だ?」
 丁寧に抱かれながら、首を巡らせて尋ねる。セツは方眉を跳ね上げて、ほんの一瞬だけ微かに笑った。
「俺がいいと言うまで浸かっていろ」
 有無を言わせぬ口調でリディジェを床に降ろし、セツは扉を閉めて出ていった。取り残されたリディジェは、じっと湯を見つめながら考え、しばらくして瞳を閉じた。次の瞬間にはそこに人の姿はなく、紫がかった白き狼がそこにいた。いつもはピンと立った耳を伏せて、その獣はゆっくりと浴槽に四肢を埋めた。陶器の浴槽のへりに頭をのせて、それは不満そうな溜息をもらした。

  

キュヴィエの恋人だったパトロクルスと、この話に出てきているパトロクルスは同位体ですが別人です。多分そんなに出番は多くない。
2003/06/26

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