錬金術師の犬 - 4 -

The Horn Tablet [ Alchemist's Minion ]

 選択肢の数は幾つあるだろうか。今まで、意志など意味を成さなかったのに。従うか否か。もし、という言葉は許されているのか。従わなければ、いったい何ができるというのか。
 力でねじ伏せることはできない。知識で言い負かすこともできない。何一つ勝てるものはないのか。
 服従は奴隷と何処が違うのだろう。自分の意志で従順に尽くすことで、一体何が奴隷と違うのか。行動を照らし合わせたら、奴隷と何も変わらない。尽くすことは奴属することだ。自由意志の範囲など狭まってしまう。

 狼は考える。それは獣でも人でもない者。薬草の臭いに眉を寄せながら、後ろ足で耳の裏をかいた。
 そして気付く。今まで決してこれ程までに自分の意志で動いたことなど無かったと。
 拘束されていることさえ、苦痛を感じることさえ遠いことのように感じていた。自分は殻の中に住んでいる。切り刻まれて、それでも回復する四肢の痛みも、まるで人ごとの様に思っていた。
 物を食べたこともなければ、睡眠をとったこともない。
 自由に固執していたが、そもそも自由とは何かさえわからなかった。確かに今まで、あの女が生きていた時は、片時も自由ではなかったと思う。いつも流動する魔術の流れが身体を這い回り、声を発することもできないから不平を述べる事もできなかった。身体と意思の束縛から逃れることは、自由になったということか。はたして、本当にそれが自由なのか。
 やるべき事も、やりたいと思う事もないのに、本当に自由なのだろうか。

「溺れる気か?」
 はっと気付いたリディジェは、入り口によしかかったセツへ振り返った。
「お前の血統と力を把握しておきたいんだが、俺に従う気になったか?」
 獣の姿を見ても驚きもしないセツは、近寄ってその白い頭を撫でた。
「俺が従ったら、お前のメリットは何なんだ?」
 狼の姿をとったままのリディジェは、人と変わらぬ口調と声で尋ねた。
「コレクション、優越、資料的価値…、お前を所有することによって発生するものだ。お前を戦力に使うことはないんだぜ。力と知識は俺が持っているだけで十分だ。お前が進んで俺の戦力になるのなら話は別だが。それに、お前を使って実験をしようとも思わんな」
「よく、わからないが」
「お前は考えなくてもいいんだ。考え、答えを出すのは俺だ。お前は俺の言葉に従えばいい。悪くない契約だろう?」
「契約……」
「そうだ。俺の血の味を覚えているだろう?人外の物と契約を行う、初歩的な方法だ。本当はお前は有無を言えずに従わなければならないんだがな。選択権はないが、理解する機会は与えているのだからマシなほうだろう」
「それは…卑怯なんじゃないのか……?」
 無理矢理契約させられて、拒否権さえ与えられなかったのに。
「右も左も判らないお前に、無償で生き方を教えてやろうって俺に向かって卑怯はないだろうよ。嫌ならば、俺を殺す方法を考えるんだな。だが、一番の近道は俺に付き従うことだ。俺は秘密主義者ではない。本当に知りたいと望むのならば、知識を漏らすくらいはできる」
 リディジェは、セツの瞳を見つめながら考えた。殺人願望があるわけではないのだ。ただ、自分の行く手を阻む物を排除したいだけだ。
「操り人形は嫌いだろう?お前の意思で俺に下るんだ」
 まるで汚れのない聖人君主のような微笑を浮かべたセツは、毛並みを確かめるように何度もリディジェの頭を撫でた。張り付いた本当のようで嘘のような表情に不満のうなりを発したリディジェだが、思いのほか優しく暖かい手のひらに、諦めと決意の混じった溜息をついた。
「とりあえず……お前に従ってみる事にする、今は。それでいいか………マスター」
「いい返事だ。お前は立派な魔獣だな、リディ」
 まるで子犬を誉めるような口調だったが、セツは初めてリディジェスターを名前で呼んだ。
 効能のために、もうしばらく湯につかる事を言い渡されたリディジェは大人しくそれに従う。
 ほくそ笑みながら室内を辞するセツは、リディジェに触れたときに読みとった組織構造を脳内で反芻させていた。手のひらといわず、肌は全ての情報の受信送信器官だ。自分の確信に間違いはあり得ないと自負しているセツは、キュヴィエを称える文句を胸中で呟いた。
「気持ち悪い笑いだなぁ」
 珍しく眉間にしわを寄せたパトロクルスが呟いた。
「零世界、アステリスクレベルスリーの魔物だ。魔神にはさすがに劣るが、世界干渉ぎりぎりのラインを乗り越えている。人間と混ざり合っているお陰で力が弱まっているのはいただけないが、最大限の譲歩だろうよ。いいペットを手に入れた」
「属性を持っていない魔導師ってのは、どうしてみんな物騒なんだろう…」
「だから錬金術なんていう胡散臭い物にはまるのさ。……キュヴィエの技はさすがだな。ホムンクルスとキメラの合体なんて荒技で早死にを免れているのは、肉体の支配機関をいじってあるためだった。殺そうとする人間の部分と生き残ろうとする魔物の部分が見事に均衡がとれている。いくら俺が上級錬金術師だからといえ、こうも上手くは作れない」
 幾分興奮した口調でパトロクルスに言い放つ。干し果実の最後の一つを囓ったセツは、恨めしげなパトロクルスの視線を故意に無視した。
「君にあの子は作れないの?」
「俺の研究は『破壊』と『想像』。『変化』と『維持』の研究は止めた」
 トーンダウンしたセツの声色の原因を悟ったパトロクルスは、「ああ」と呟いただけだった。
「この前会ったときに教えるのを忘れていた事が一つあるんだ」
 何気なさを装ったパトロクルスだが、秘密を打ち明ける直前のようにその声は複雑な雰囲気に満ちていた。
「捜し物を尋ねるのなら、聖土霊(ノーム)に聞くといい。彼女はこの世界の皮膚みたいなものだから」
 目の前に座る有翼の人間を、まるで別の生き物でも見るようにセツは目を細めた。立ち上がったパトロクルスは大きく伸びをして、その翼を何度か羽ばたかせた。
「本当は、教えないつもりだったんだ。君が『角刻版(タブレットオブザホーン)』を見つけだすことが、いいことなのか悪いことなのか判断しかねるからね。でも、リディジェスターキュヴィエイルを解放した報酬だと考えることにした。まぁ、がんばって探しなよ」
 それが捨て台詞だとでも言うように、扉を開けた。温厚さを取り戻したパトロクルスは、片手を上げで手を振ると翼を使ってふわりと飛び上がった。

「生きていたら、また会おう」

 セツの言葉を聞いた直後、疾風を残してパトロクルスは消えていた。
 風のざわめきが辺りの樹木に波紋を広げ、残された余韻を閉め出すように、セツは扉をしっかりと閉じた。

  

2003/06/28

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