小さな翼の少女 - 1-

The Horn Tablet [ The girl of small wings. ]

 支配されて生きる事は、楽な生き方だ。考える必要など無い。それが理不尽な要求だろうと、自ら導き出す苦労がない分、はるかに怠惰的だ。
 俺はそんな怠慢を許すほど優しくはない。自由であるということはそういうことだ。俺にいちいち指示を仰ぐな。自分が最前であると思う方法と俺が求めているものが合致するか否かを見極めて、己で行動しろ。

 プルヤルピナを出る直前に、主人は魔獣にそう告げた。


 空を飛び交う有翼人や様々な交易商が大通りを賑わしている。ここは商業都市ポポリシェナ。遥かむこうには世界の中央の大陸が見えた。ここはミネディエンスとカーマへの定期船の拠点になっている。
 船に乗ることがほとんどないプルヤルピナの有翼人と、無翼の人間達の生活習慣がごちゃ混ぜになった街だった。他の街より緑は少ないが、それでもプルヤルピナ以外の都市よりはよっぽど樹木が多い。
 鬱蒼と茂る大木に居住場所を作る者は殆どが有翼の民であり、翼のない者は地面に家を作った。商店はほとんどが地上にあり、およそ全ての人々が買い物を楽しむことができる。海遊民族や、流れ者の大陸人、人種が入り交じり、海の潮と花と果実の匂いが風に乗って人々の合間を縫っている。
 セツはミネディエンス行きの定期船を予約しに港の案内所へ。リディジェといえば、プルヤルピナで見ることのできない珍しい物に興味を引かれ、待ち合わせの場所よりだんだんと賑やかな大通りに足を踏み入れていた。
「そこの美人の姉ちゃん!ポポリシェナ名物の果物でも見ていかないかい?」
 目があった店員に言われ、リディジェは言葉を理解できなかった。考え込むように黙る。豪快な海の男といった店員は自分の言葉と何処が違うのか探すようにリディジェをよく見つめた。瞳の色が左右違うことに賛嘆とも賞賛ともとれる眼差しをむけ、胸にふくらみがないのを見つけた。
「おんやー、もしかして兄ちゃんだったのかい?」
「ああ」
「そりゃすまねえなぁ!あんまり綺麗な顔してるもんだから、てっきり女かと思っちまったよ」
 げはげはと豪快に笑いながら店員は、様々な果物が積み重ねられた屋台の中から黄色の果実をとりだしてリディジェに渡した。
「甘酸っぱくて人気がある。勘違いしたお礼にやるよ」
 皮ごと食えるから磨いて食えよ、と言われ、一応礼をしてリディジェは人混みに戻った。
 黄色い果実に口を付けたリディジェは、自分の容姿について考えていた。セツに会うまで、自分がどのような姿でいることすら知らなかったのだ。人間に似た姿と魔物に似た姿をしていることは漠然と知っていたが、その美醜までは理解できなかった。鏡の前に立ったとき、そこにキュヴィエに似た人物がいて驚いたものだった。白っぽい薄紫の髪と色素の薄い肌がまるであの女だった。いつも俺をさげすんだ視線で見下ろしていた青緑の瞳も同じだった。唯一違うことは、琥珀色をしたもう一方の瞳と、平らな胸だけだ。
 自分の姿に嫌悪してしばらく獣の姿ですごそうとしていたら、何が気にくわなかったのかセツに止められてしまった。
 周りの道も見ずに、ただ甘酸っぱい果実を囓りながら歩いていた。気付いたときには自分が何処にいるのか判らなくなっていた。
 大通りから延びる路地の数は多くはない。その路地には必ず憩う小さな公園があった。羽を伸ばせるように背もたれのない椅子に座りながら、リディジェは小さく溜息をついた。主に置いてけぼりをくった、情けない魔獣。迷子だとは口が裂けても言いたくない。
 あまりに人が多すぎて、主の気配が朧気にしかわからない。セツならば見つけられようが、今のリディジェにはまだ無理だった。後で何を言われるか判らないが、とりあえず一カ所でだまって待っていようと決めた。
 顔を上げると、近所の子供達が公園の木々を飛び回っているのが見える。
「あなた、こんなところで何をしてるの?」
 かけられた声にビクリと肩をゆらして、リディジェは横を向いた。気配を感じることがなかった。
「ねえ、何をしてるの?」
 それは有翼の少女だ。桃色の髪と白い羽根が可愛らしい。ソバージュのかかった髪の毛には色とりどりの羽根飾りがさしてあり、華の刺繍が入った民族衣装はフェミニンな印象を与える。
「君は?」
 好奇心溢れる桃色の瞳に、リディジェは優しく尋ねた。人と接することに不慣れなリディジェは内心怯えながら、しかし少女が纏う穏やかな雰囲気に警戒心を解いた。
「私は待っているの。あなたは?」
 先を急くように、少女はリディジェに詰め寄った。
「俺は…。俺も、待ってる」
「あなたも待ってるの?あなた、外国人でしょ?こんな路地に何しに来たの?」
 よほどリディジェが物珍しいのか可憐な声で質問責めに問いつめる。
「用があって来たんじゃないんだ。相手が見つけてくれるまで、待ってるだけ」
「迷子ってこと?」
 ずばりそのまま事実を指摘されて、リディジェは黙った。
「私も迷子なの」
「同じだな」
 お互いににっこりと笑い合ったが、少女は微笑んだまま、
「違うわ」
 と答えた。そのまま小さな指を向かえの家に向けて楽しそうに。
「私の家はあそこよ」
 会話の食い違いにリディジェは眉を寄せたが、子供は子供なりの解釈があるのかと思って相づちを打った。
「おばあちゃんとママ、それから…ママの恋人が住んでるの」
 ママの恋人、少女の声が剣呑に響く。
「ママの恋人が、嫌いなの?」
「ううん。嫌いじゃない。私は嫌いじゃないの」
 身近にいる人間は自分の主しか知らないリディジェは、少女の言葉を理解することはできなかった。だが、話を聞いてやることはできる。
「俺はリディジェ。君は?」
「私の名前は言えないの。でも…そうだ、ゼファって呼んで。おばあちゃんはわたしをそう呼ぶの」
「………ゼファ、か。いい名前だね」
 聞くに聞けない主の名前とどこか似通った名を持つ少女は、リディジェの曇った瞳に気が付いた。
「その目、変わってるのね。空の蒼と、森の黄色だわ」
「うん、まあね」
「とっても綺麗でうらやましい。でも、いじめられたりしない?」
 椅子から下がる細いゼファの足が、すねたようにぶらぶらとうごいている。
「珍しがる人はたくさんいるけど、いじめられたことは………ないと、思う」
 今の自分を苛める者はいない。かつてリディジェを攻撃した者は、もうこの世にいないのだから。
「そっか。うらやましいなぁ」
「ゼファは、苛められてるのか?」
 優しく聞いたリディジェに、ゼファは俯いた。ピンク色の爪の手のひらで、民族衣装のスカートを何度もなでつける。それから小さな声でリディジェに尋ねた。
「私のはね、どう思う?」
「羽根?」
 首を傾げながら、リディジェは少女の背を眺めた。純白の、どこか神聖な感じがするほど美しい翼。
「真っ白で綺麗だよ。精霊みたいだ」
「でも、小さいでしょう?」
 小さいと言われても、リディジェにそれは解らない。プルヤルピナ有翼人ではないし、有翼人の平均的な翼の大きさも解らない。子供なのだから、大人よりは小さいだろう、それぐらいの知識しか持っていなかった。
「俺には解らない。それがふつうじゃないのか?」
「私のはねは、みんなより小さいの。パパが人間だったから…」
「それで苛められてる?」
 こくりと小さく頷いた。
「これだけ綺麗な羽なのに、見る目ないんだなそいつ等」
 ぼそりと呟いた本音に、ゼファはくすりと喉を鳴らした。そのまま声を立てて笑い、リディジェの服の袖をぐいぐいと引っ張る。
「そんなこと言う人、ロメオの他にもいたんだ」
「ロメオ?」
「…………ママの、恋人。青いはねが綺麗なの」
 ああ、とリディジェが呟いた。それっきり何を言っていいのか解らずに、リディジェは黙り込んだ。その沈黙をどうとったのか、ゼファは横に座るリディジェを見つめ、それから真向かえの家を眺めた。
「ロメオは、いい人なの。私のはねを『綺麗だね』って言ってくれたの」
「そう…」
「でも、ママはロメオをあいしてるの。ロメオが他を向くのはゆるせないんだって」
 小さな、溜息。
「みんなで仲良くすればいいのに、って。私何度も言ったの。だってママ、ロメオがおばあちゃんに優しくしても怒るんだもん。それっておかしいわよ」
 ゼファの母は極度に嫉妬深いのか、とリディジェは納得した。
「ロメオが私に優しくするたびに、私はママから嫌われてしまうの。どうしたらいいのか、わかんないの。私がロメオを嫌ったら、ママは安心するかもしれないけど、そしたら今度はロメオが傷つくじゃない…。私はママもロメオも大好きなのよ」
「上手くいかないよな…」
「…うん。そうね」
 正面を向いてしまったリディジェには見えなかったが、悲しげな声で同意した少女の顔は、邪悪な微笑みに満たされていた。
 いつの間にか、その広場にはリディジェとゼファの二人だけになっていた。

  

いきなりよくしゃべるようになっているリディジェスター。セツの教育のたまものでしょう。次回はセツが出張ります。
2003/07/14

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