小さな翼の少女 - 2-

The Horn Tablet [ The girl of small wings. ]

 神聖ミネディエンス、沿岸都市ディアナポートへの片道切符は二人分で銅貨一枚。出航は夜半。
 商業都市ポポリシェナは港町である。何本もの埠頭があり、港の中央からは大通りが延びている。大通りの両側は様々な出店や商店でひしめき合い、それとはうって変わって路地に入ると樹木が生い茂っていた。木々の間は翼人が飛び交えるだけの透き間が空いてあり互いにぶつかることはない。ただ、ポポリシェナの翼人は大通りの上だけは飛ぶことはなかったので、そこだけは混じりけのない空が見えるのだった。
 待ち合わせというか、人混みで移動が面倒だったため、セツは魔獣を大通りの港に近い広場にあるベンチに置いてきた。だがリディジェは待ち合わせの場所にいないことを知っていた。全身白っぽいリディジェスターはいくら人種多岐な街だとはいえ翼人の中では少しばかり目立ってしまう。視線を気にして適度に場所を移動するだろうことは判っていた。もし迷子になったとしても、セツには首輪を繋ぐリードがあるかのように、魔獣が何処にいるのかわかるのだった。

 この都市に着くまでに、セツはリディジェに色々なことを教えた。それは教育や飼育ではなく、むしろ訓練に近かった。リディジェは、人間が生を受けてから生きていくために必要な事を知っていた。ただ経験だけが足りず、知識だけでを持っていた
 セツはその確認作業に似た訓練を根気よく進め、二・三日後にはそれさえ必要無くなった。日常生活が支障無くおくれるようになると、次に教えたのは初歩的な錬金術理論だった。
「これが何に見える?」
「……林檎」
 仏頂面で律儀に答えるリディジェに笑みを返し、セツはその赤い林檎を両手で包み込んだ。次に見たとき、そこには林檎ではなく南瓜が置かれてあった。
「魔術的要素を用いて外観を視覚的に変容させることが容易な理由は、本当は何も変化していないからだ。これが南瓜に見えるか?触って見ろ」
 リディジェは訳も分からずその南瓜を触ってみたが、困惑したように眉根を寄せて自分の手のひらを見つめた。そしてもう一度その南瓜を触ってセツに答えを求める。
「お前の眼なら、触るまでもなく解るはずだ。次はよくこらして見るといい。この林檎は南瓜に見えるだろうが、触れると全く違う物だろう?それは『視覚で捉えると南瓜』という林檎だからだ。触れてみると林檎の手触りと大きさを感じる紛れもない南瓜だろう?」
 南瓜に見える物を触りながら、リディジェは瞳を凝らした。よく見つめると南瓜の姿は薄れていて、深紅の林檎がそこにあった。
「今までのは単なる魔術だが、林檎を南瓜その物に変えてしまうことは魔術だけではない。魔導の一種であり、錬金術の系統を汲んでいる想像行為だ。これはさっきの小技に比べて難度も手間もかかる。林檎を南瓜に変える事は『変容』と言う」
 言いながらもう一度その林檎を両手で包み込んで、ゆっくりと手を放した。今度はそこに南瓜があった。リディジェが不思議そうにそれに触れても、見た目を裏切らないごつごつした南瓜の感覚が返ってくる。
「錬金術ってものをひとつとったとしても、ある一定以上の魔術を扱えなければ学べない代物だ。それだけ根気と理解と独創性が必要だ」
 セツは取り出したナイフで南瓜をまっぷたつに切り開く。鮮やかな山吹色の断面と無数の平べったい種の何処を見ても林檎の面影は無かった。
「物質の変容は常に合成と隣り合わせのものであり、視覚的変容ではない物質的変容をやり遂げるには、通常より多くの魔術を知ることが不可欠だ。高位体の変容では魔導レベルの知識がいるしそれでも足りない場合もある。一番簡単な変容体はキメラだ。これは基本であり『合成』。1+1=2ってやつだな」
 南瓜を横に退けたセツは、紙を取り出してメモ書きを書き留める。リディジェに対する配慮だ。
「1+1=2で出来上がった『2』と言う存在は、別に二つあるという訳ではない。これが一方通行性変容。『2』は一つの存在に変わってしまったために、それをもとの『1』と『1』に戻すことはできない。対する両通行性変容は、同じ1+1=2で出来上がった『2』が、一つの存在ではなく、文字通り二つの存在も含んでいる」
「二つの存在…」
「そうだ。AとBを足して出来上がった物は、AであるがBでもある。AとBを内包したCという存在だ。これが変容性を持ったキメラ。独自の意思または術者の意思で物質を変容させながら存在できる物体。要するにお前だな」
 リディジェは黙った。考え込むように俯いて。
 大通りの人混みを器用に避けながら、セツは魔獣の気配をたぐる。難しいことではない。人の殻をかぶっているからとはいえ、あれは人間で有りはしない。砂の中から宝石を見つけだすようなものだ。
 リディジェスターは、御しやすい獣だった。理解する脳と発言できる口がしっかりしている。ただ従うだけの奴隷ならば、金でいくらでも買えるだろう。自律した従順な手先が欲しかった。一人で旅をすることに、そろそろ飽きたのかもしれない。そうセツは考えた。
 あれから何年探し回っているだろう。リディジェスターという発見のお陰で、いいヒントが手に入った。
「彼女を、ようやく眠らせてやれるかもしれないな…」
 セツの呟きは人混みに溶けた。

***

 大通りより一本奥へ入った静かな路地。穏やかな風景に反した異様な空気にセツは黒い瞳を細めた。
「リディジェ」
 軋むようなざらついた低音で呼びかける。
 はっと気付いて立ち上がる白い衣の傍に、桃色をまとった少女がくっついていた。白い翼を持った、まるで天使か精霊のようなその姿。眉を寄せたセツは、リディジェのあまりの鈍感さに舌打ちをする。
「マスター…?」
 日光に透けそうな白っぽい藤色の髪がさらりと音を立てた。立ち上がったリディジェは迷わずセツの傍による。
「………すまない」
 不承不承謝るリディジェ。セツの沈黙を、迷子になったこと――約束を破ったことへの無言の糾弾ととったのだった。
「こんにちは」
 羽のように軽い足取りで、ゼファが間に割って入った。セツの顔をじっと見て、華のようににっこりと微笑む。
「大樹の姫神に会えるとは思わなかったわ。その姿は移し身?」
「ゼファ?」
 セツの顔を覗き込んで少女は笑う。意味の分からないリディジェは、両者を見比べることしかできなかった。
「目に見えないものが見えるからといって、口に出さない方が利口だぜ?」
「ごめんなさい。気を悪くしないで。わたしはただ本当に嬉しかっただけなの」
「早く用を済ませて消えるんだな。そう長くは持たないだろうから」
「ありがとう。もう少し。もう少しで帰れるの」
 ゼファは空に向かって手を伸ばした。その仕草は普通の子供と同じように見える。リディジェは、はしゃぐ少女を横目に止めながら、セツに疑問を投げかけた。
「『大樹の姫神』って?」
 尋ねられたセツは一瞬あからさまに嫌そうな表情をしたが、知識を分け与える約束をしてしまった手前、無下に無視する事もできない。
「十二聖霊の一つ、聖樹ナシュカザに仕える双子巫女だ。葉姫ガルナ、根姫デアと呼ばれている」
「人間?」
「精霊の一種。有翼種達の聖地パラシュメイアに祀られている神木を育て守るのが役目だ」
「その精霊とマスターに何か関連性があるのか?」
 何気なく聞いたリディジェだが、セツの見下した笑みに言葉を詰まらせた。笑顔はくせ者だ。上手く作れば作るほどそれは怖ろしい。
 セツは本人の見た目よりよほど長い年月を生きてきたが、逆鱗に触れられたことにたいする対処の仕方はあからさまであり稚拙だった。しかし他人がどんなにそのことが気になったとしても、力ずくで聞き出すこともできない。
「…………理不尽だ」
「何か言ったか?」
「………………………別に」
 肘まである黒革の手袋をはいた腕を組んで、セツは軽く鼻で笑う。自分がいちいち反応していることに対して、一番理解しているのは自分自身だった。
 眉間にしわを寄せてリディジェは少女のへと視線を向けた。少女は太陽の日差しの下で祈るように手を組んで、光を溜め込むかのように白い翼を天に向けて広げていた。それはさながら童話に描かれるような天の使いに見える。
 声をかけることをはばかられたリディジェは、困惑しながらただ見守ることしかできなかった。何をやっているのだとか、何をしようとしているのかなど聞けなかった。
 鳥の声や風の音が消え、辺りが静寂に包まれた。大通りからの喧噪一つ聞こえないことに気付き、さすがにリディジェは焦り出す。セツは人差し指を立ててリディジェの唇に押しあて、その指をゼファの家の扉へ示した。
 リディジェは目を疑った。
 扉はしっかり閉まっている。それにも関わらずもう一枚戸があるかのように、半透明の扉が開かれた。
 出てきたのは、瑠璃色の羽を持った温厚そうな青年だった。
「ロメオ!!」
 少女が嬉しそうに叫ぶ。
「………ロメオ…?」
 ゼファの母親の恋人の名前。ロメオと呼ばれた青年は、呼ばれた先を探すように辺りを見回した。手招くゼファに気付くと、にっこりと微笑んでゆっくりと少女の下へ歩む。
「…大した女だよ、お前は」
「マスター?」
セツの皮肉げな口調に笑みを返したゼファは、白い翼を羽ばたかせて二人の目線まで浮かんだ。
「ママはね、わたしから未来を奪ったの」
 青い羽根の青年に視線を合わせたままでゼファは呟く。
「別にそれでもいいかなって思ったけど、一人でいくのは寂しかったから、ロメオについてきてもらうことにしたのよ。もうどれくらい祈ったか忘れてしまったけれど、最後にあなた達に会えて少し楽しかったわ」
 何度か羽ばたき少女は青年の周りをぐるりと飛んで、幼い両手で青年を後ろから抱きしめた。
「リディジェ、わたしと話をしてくれてありがとう。最後に一つ教えてあげる」
 鈴を振るような笑い声と共に。

「『ゼファ』を信じちゃ駄目よ」

「……………は?」
 何のことを言っているのか問おうとした直後に少女の姿は薄れ始めた。日光が収束し、光の粒となって辺りに舞ったとき、もうそこに人影はどこにも見あたらなかった。

  

ホラーになりきれなかった生温い良い見本ですね…。
「小さな翼の少女」は次で終わります。次章はミネディエンスという国に行く予定。ちなみにカーマは寄りません。多分。
2003/07/29

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