束縛の騎士団 - 2 -

The Horn Tablet [ The Knights of bind ]

 明かりの消された室内で二人はお互いの寝具に座り、声のトーンを幾分落として話をしていた。
「さっきの、アレは何なんだ?」
「通称エルドーアン。零世界に徘徊している闇、瘴気(ゼファ)だ。驚異になるほど強力ではないが、やたらと素早い。特性上、奴に死は存在しない」
「ゼファ…って」
 記憶に新しい白い羽の少女を思いだして、リディジェスターは尋ねた。
「シルフィードが贈るそよ風(ゼファ)と、零世界からの瘴気(ゼファ)は同じ名だ。生き霊、悪霊、精霊…。意味も無数に存在する」
「アンタとどういう関係なんだ…?」
「…………」
 下界で話し合う四人の騎士を見下ろしながら、セツは暫し黙った。
「また、黙りなわけか、マスター」
「……………関係を言い表す言葉を探していた」
「敵、なのか?」
「いや…。……そうだな、『友達』だったのかもな…。遊び相手だったのかもしれん」
「あんな奴が友達?アンタ、荒んだ子供時代をおくったんだな……」
「ガキだったこともないくせに知ったような口を利くじゃないか」
 窓の下を眺めながら、肩をすくめる。
「どちらにせよ、別段害はない」
「そんなわけないだろ?これ、何なんだよ」
 ベットに座っていたリディジェスターは立ち上がり、腕を引いてセツを振り返らせた。血に染まった上着は、貫かれたように裂けている。覗く地肌に傷一つないが、生きていることを確かめるようにそっと触れた。
「どこでそんな仕草を覚えてきた?」
「は?」
 口の端をつり上げて笑うセツは、その手を取って静かに口付けた。
「何?」
 きょとんとしたリディジェスターは、何故セツがそんな行動に出たのか理解できていなかった。全く無邪気に見上げられて、獣の主は面白くなさそうに溜息をつく。
 革手袋を外して、傷ついて破れた部分に手のひらを当てる。少し黙って手を放したときには、まるで裂け目など消えていた。
「………なんでだ」
「お前は俺が錬金術師だってことを、たまに忘れてくれる」
「錬金術…。今のがか!?」
「物質の再生は、『変容』の応用だ。もともと、錬金術なんて物は、哲学的な物質観からきている。作りだし作り変える化学だ。医者も鍛冶屋も俺にとっては錬金術の一種。俺は裁縫の腕が無いから、服を治すのはそれの代用だ」
「随分都合良く便利なんだな…」
「そうでもない。むしろ不便だ。服を直すだけの力を使えるようになるには、この服がどんな物質でできているのか知ることのできる触覚が必要だ。そしてそれを直すために、どんな理論が成り立っているのかを理解できなければならない。直すだけなら、針と糸で事足りる」
 面倒くさいことを言いながら、当の本人は簡単にそれをやってのけたのだから、リディジェスターはただ頷くことしかできなかった。
「エルドーアンを追い払った方法も、極端に言えば錬金術だ。聖樹ナシュカザの力を借りてはいるが、魔導の類ではない。樹木が蓄えている『光』を拝借しただけだからな。発散した光が樹木に吸収されてしまえば、それで終わりだ」
 両手を方まで持ち上げて、軽く小首を傾げる。それで終わり、という仕草を仏頂面で見つめるリディジェスターの耳に、廊下の向こうから足音が聞こえた。
「マスター……人間が来る」
 訝しげに扉を振り返る魔獣は、気配を殺して戦闘体勢を取る。
 こつこつこつ。金属で木の扉を叩く音が三度。
「安心しろ私だ」
 扉を開けて入り込んだ人物を見て、リディジェスターは面食らった。
 長身の男だ。その姿が二重に見えたのだ。
 太陽のような金髪の翠目、なかなかの美男子だと言えるだろう。だがそう見えたのはたった一瞬だった。くすんだ金髪と紺色の瞳、二枚目だが何処にでもいそうな男が目の前にいた。
「なんだ、邪魔したか?」
 その男は、リディジェスターを頭のてっぺんからつま先まで見下ろして、含み笑いをセツに向ける。
「久しぶりだなハギア」
「今はダイクと呼んでくれ。お前は変わらないな。いや、連れがいるのを初めて見た」
「まぁな」
「それより、また魔物が出たのか?ナイツ達が探していた」
「無駄な捜索だ。元の世界へ返した」
「その割に無傷だな」
 ハギアと呼ばれた男は拳を上げた。セツもそれに習って、ハギア―――ダイクの拳に自らのそれを押し当てる。
 素直に再会を喜び合うセツを、リディジェスターは初めて見た。
「まだ、ごたごたは片付いていない。あれからずっと空位が続いている。騎士団中がぴりぴりしてるから、気をつけろよ」
「お前ほど危険ではないさ」
 ふ、と笑ってリディジェスターの頭を撫でる。まるで子供にするように。長身の二人に比べるとリディジェスターは小さく見えたが、それでも彼は成人男性の平均より少し低いくらいだ。
「私はダイク。ダイク・ハイマルメーネ。お前は?」
 女性を口説くのに随分役立ちそうな笑みをむけ、ダイクはリディジェスターを見下ろした。
 名前を問われ、咄嗟にセツを顧みる。すると、許可を与えるように頷かれた。
「………リディジェスター」
 名前の半分を省略して。半分魔獣であるリディジェスターにとって、フルネームを告げることは危険行為だ。
「私の妻に比べたらどんな女もブスに見えるが、随分美人を捕まえたな」
「………リディは生物学上、一応男性体だ。これでも」
 呆れたセツが言い返す。
「じゃあ、まだ手出してないわけか?」
「ダイク」
「リディジェスター、気をつけろよ。この男は危険だぞ?この街の娼婦泣かせだからな」
「それが恩人に対する言葉か」
 ひとしきりヤジを飛ばしてから、ダイクは急に真顔に戻った。立ち話もなんだからと勧められた椅子に座って、ゆっくりと口を開く。
「冗談はさておき、この子には俺の『姿』が見えたようだな」
「はっきり言え」
「……………魔物臭い。普通は解らないだろうが、俺の六感が告げる」
 内心ぎくりとしたリディジェスターに比べ、セツは飄々としていた。
 随分気を許しているのか、リディジェスターのフルネーム以外を語って聞かせる。それを黙って聞いていたダイクは、納得し終えると今度は魔獣へ視線を向けた。
 テーブルにはアルコールの入っていない葡萄酒が置かれている。グラスに注がれるのを見届けて、ダイクは暫し考えた。セツの性格から言えば、きっとこの魔物に何一つ告げずに連れ回しているのだろう。お節介根性が頭をもたげて、ダイクは口を開いた。 
「この街には今だに四聖騎士長が不在だ。選出議会がもう何年も金と権力の洗い出しで手こずっていてな。姿を変えねばこの街で生活することが面倒なんだ」
 官職名は知らなかったが、言葉の内容に何かしらの意図を感じてリディジェスターは相槌を打った。
「何故」
「四聖騎士長を殺したのが私だからだ」
 少し低められた声には痛みを堪える何かが漂っていた。ふいに理由が気になって、だが不躾に聞くのも躊躇われて、リディジェスターはじっと見つめるに留めた。
「好奇心の強そうな目だな。まるで子供だ。私の過去も少し聞いておくか?私をこの姿にしてくれたのはセツだからな」
 ふ、と鼻で笑ってグラスを傾けた。対するセツは実に嫌そうな顔でダイクを睨んだが、しかし何も言わなかった。
「あまり愉快じゃない話だがな。私が四聖騎士長を殺したときの役職は聖水騎士団長。私は部下だった。下克上に狂ったとか、そんな理由だったのならいいんだが、殆ど私意だ。無能な上官にこれ以上この国と世の理を荒らして貰いたくなかった、それだけの理由で白昼公然弑虐を行った」
「それだけ…って」
 もっと深い事情があるんだとう、と。
「『事情』は多いし理由も深い。だが、それは私だけが知っていればいいことであり、あえて口に出すような愚かなことはするつもりはない。弑虐の理由など、語るだけで歪められるからな」
「俺は……この世界にも国にも部外者にいるつもりだけど」
「なら、なおさらだ。『創主』復活なんて馬鹿げたことを部外者に知られるとこの国の汚点になるだろ。弑虐といえば、四聖霊はそろって弑虐に荷担してたな、史実では。だが、もう神に世界を動かされる時代は終わったんだ」
 理由の一反を言葉の端にのせながら、深く笑う。
「私はこの国が好きだからな。これ以上腐敗させたくなかったのさ。だから、元の姿を変えてでも私はこの街の行く末を見届ける義務がある。それが弑虐の代償だ」
 代償。リディジェスターはその言葉を深く刻みつけ、自分にもいつか降りかかるのかと考えた。そしてふいに主が支払った代償を疑問に思う。
「後悔なんてしていないさ。誇りだ。ただ、人を殺した澱が誇りの錨として心に沈んでいるが」
 シニカルな笑いは、闇に溶けた。

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 日が昇ってすぐに、セツはどこかへ出かけていった。付いていこうとしたリディジェスターといえば、ダイクに押しつけられて朝食を食べに街中に出ている。
「ここの飯はうまい。私と妻が結婚する前によくここで愛を語らったものだ」
 しみじみと呟くダイクに、魔獣は顔をしかめる。純粋にどう反応していいのか解らなかった。
「愛想のない奴だなお前は。そんなにセツが心配か?」
 素直にそうだと答えるのが癪だったので、リディジェスターは鼻を鳴らしただけで何も言いはしなかった。
 そんな態度に気分を害したわけでもなく、ダイクはメニューも見ずに店員に注文をしていく。
「それとも、私に嫉妬か?」
「………は?」
 思っても見ないことを言われ、リディジェスターは疑問符を返した。朗らかに笑う男は、無知な獣の頭を撫でる。
「それもわからんか?あまりに無知に過ぎるな。卑怯者だな、あいつは……」
「何が…」
「死への旅路に、どうして今更仲間を必要とするのか。死に水でも取って貰いたいわけでもあるまいし。お前もお前だ。殴ってでも問いつめればいい」
 傍を通る店員に配慮して声を低める。
「死……?」
「人間の寿命は様々だが、どんなに長く生きても二百の壁はほとんど越えられない。一番短命のプルヤルピナですら百前後。この国の隣、カーマ王国は魔神の血が流れているからそこそこ長いが、それだって百八十がいいとこだ。にもかかわらず、セツはあの姿で有に百五十年だ。不老の化け物だろう?」
 笑いながら、しかもこんなさわやかな朝、朝食を待ちながら話す話題ではないのに。
「あんたは、なんでそれを知ってる?」
 リディジェスターの質問に、ダイクは片眉を上げた。青年の笑みではない、もっと老齢の笑みを唇にのせて。
 その答えを得る前に、運ばれてきた料理がテーブルの上を飾った。朝食に相応しい、彩りだ。焼きたてで湯気の出ているパン、ハムの乗ったサラダと卵料理、それに食欲をそそるポタージュ。空のカップが二つと香ばしい香りを発するポットが一つ。
 ポットから焦げ茶色の液体をそそいで、リディジェスターに差し出した。だまってそれに口付けると、口内に苦みが広がる。
「前聖水騎士団長ハギア・ハイマルメーネが四聖騎士団長を弑虐した当時の年齢は97歳。結婚歴子供ともになし」
「97…歳?だって、どう見ても…」
「姿は暴けても年齢までは暴け無かったのか。もう少し訓練を積め。私とセツはもう長い間友好関係を築いている。奴は根無し草だから、幼なじみとは言えないが、異国の友人と言うには親しいな。少なくとも、あいつが何故名前を嫌うのか知ってる人物の一人だ」
 実に若者らしい仕草で焼きたてのパンを囓りながら。
 フォークでサラダをつついてみたリディジェスターは、目の前の青年が本来老人であるはずの姿を見ようとして瞳をこらえた。だが、結局何も見えなかった。
 噛みしめていたパンを飲み込むと、ダイクは世間話のように語りだした。
「死にたい。それが奴の望みだ。奴が愛した女は、奴を愛してはいなかった。友愛であって恋愛ではなかたようだ。その女に生かされてまで、この世界に価値を見いだしてはいない。だからといって、闇に堕ちてしまうこともできない。ひどく優柔不断な男だ、あいつは」
 快活に負の望みを語る。
「不義密通は汚名だ。その所為で奴は一度魔力を封じられ、翼をもがれた。言葉のあやじゃあない。本当の翼だ。あれでも奴はプルヤルピナ人だからな。それは有翼人にとって死に等しい今はたいていの傷なら跡形もなく直るが、その傷だけは未だに背中に残っている。」
 確かに、心臓に傷を受けたらしいが自分が見たときには消えていたな、と獣は頷く。
「その婆さんが見たのは、80年前だかに壊滅させた神殿村の生き残りだろう。偽姫を立てた神殿を滅ぼした。村ごと、皆殺しだったらしいが、殺り残したとは奴らしくない。まあ、結局始末できたのだからいいさ」
 長閑な町並みを見つめながら、ダイクは片眉を上げてリディジェスターに問うた。
「戦争に持っていってはならない物はなんだと思う?」
 いきなり別話題の質問に、思考を切り替えるために魔獣は黙った。
「…感情、か?」
「いや、感情は必要だ。いらない物は情け容赦だ。殺戮に手を染めたら、完全にそれが何であろうと完膚無きまでに、草木一本残してはならない」
「それがセツと何の関係がある」
「奴がやっていることが戦争だからだ。敵の存在が酷く曖昧だが、やろうとしていることは同じさ。規模は小さいがな。見ていれば解るだろう?奴はいつも何かを憎み、讐いている。そこまでして自分を殺し、同じように自分の中の彼女も殺してしまいたい」
 卵をつつきながら、その紺色の瞳に同情が滲んだ。
「……セツの…、マスターは何で名前を嫌うんだ」
 ぽつり、と呟く。
 捨てられて孤独に震える子犬のように、二色の瞳を曇らせながら俯いた。
 その仕草に感化されて、ダイクは目元を緩める。男にしておくにはもったいないな、と胸中で一人ごちた。

「………ゼフィルスってのはな、プルヤルピナの古語でゼファを意味するんだ。セツァは樹。『樹を守る者』同時に『樹を枯らす者』それがあいつの名前だ」

  

設定をぶちまけた様な回。
2003/10/03

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