海原の王者 - 1 -

The Horn Tablet [ The king of maritime ]

風切羽を無くした。
もう空は飛べない。


 ミネディエンスの港には、大小さまざまな船が入港している。
 砂漠の大陸や諸島への定期便、大型の漁船…。港を歩く人達の人種も様々で、その姿も多様だ。
 セツとリディジェスターは、その港の外れに立っていた。忙しく人々が行き交う昼過。
 交わす会話も少なく、殆どが無言で。
 じっと海を見つめるリディジェスターは、出入りする船から人々が動く様子を見つめるふりをして、横に佇む主の姿をちらりと見た。
 その無表情からは、何も伺えない。
 自分が無駄なことをしているのはわかっている。小さく溜息を付いた。
「来たぞ」
 ぼそりと。黒い小舟を顎で示した。
 漁船に見えなくもない。怯えることもなく堂々とした態度で埠頭に寄せて、慣れた手つきで船を泊めた。
 その船から黒い色の服を着た二人の男が近付いてくる。その両耳には無数の輪がつけてあり、ガラス玉を繋げた宝飾品が首や腕に巻き付いていた。
 二人ともくすんだ金髪をしていた。
「いきなり呼びつけるから、キャプテン怒ってたぜ」
 小太りの男が開口一番そう告げた。頷く中肉中背長髪の男は言葉を繋げた。
「ただでさえミネディエンスは管理厳しいし、この間上陸したときに面倒臭ぇことがあって、キャプテンの機嫌良くねぇの。あの人怒らすと怖ぇんだから、あんまり挑発すんじゃねぇぞ」
「大人しく乗ってるさ」
「おう、そうしてくれや。船は沖だ。…………………連れか?聞いてねぇぞ」
「場所は取らないから乗せてやってくれ」
 セツの言葉に、二人の船乗りは嫌そうな顔をしながらも黙って頷いた。
 その小舟は、四人乗れば十分な広さがあった。小さな帆と舵が付いていて、埠頭から離れると小太りの男が魔術を詠唱した。不思議なことに呪文と言うよりそれは呼吸に近かった。聖霊魔法ではないのかもしれない。
 寄せ集められた風が帆をふくらませて、船が滑るように波に乗る。長髪の男は寸分違わず舵を操る。
 しばらくそうしていると、ポツンと黒い影が見えてきた。
 近付くに連れてそれが大型の船であることがわかった。漆黒の巨体に漆黒の帆、その帆には太陽にきらめく黄金で、角と爪のある龍が描かれていた。
 陸上では感じなかったどこか異質な気配に、リディジェスターは主をかえりみた。体の芯から警戒音が聞こえてくる。巨大で、畏怖すら感じるような圧倒的な気配が両肩にのしかかってきた。
「本当に、ご機嫌斜めというやつだな」
「だから言ったろう。せめてカーマあたりだったら良かったんだけどな」
 セツの軽口に、小太りの男が答えた。
「ハロクは何も言ってなかったが」
「あいつもそれほどお人好しじゃねぇしよ。一年も前のこと、っつってもキャプテンはしっかり覚えてやがんだ。人間なんざもう忘れちまってるだろうに」
「何をやらかした?」
 ふん、と鼻で笑う。自分のことを棚に上げている訳ではないが。
「……まぁ、見ればわかんだろうから」
 どことなく釈然としない温い笑いを浮かべた二人の男は、お互いに顔を見合わせて溜息を付いた。

***

 下ろされた縄ばしごを難なく昇って、甲板に降りた。前に乗った客船に比べて、甲板が広い。特に物が置かれているわけでもないのに、不自然に広いのが気になった。
 リディジェスターは初めて感じる気配に、体を堅くした。獣の姿であれば、毛が逆立ちそうだ。船全体を覆う結界のような気配。乗り込む前より強く感じる、その威圧感。人間でもなく、魔族でも魔物でもない。
 ぴたりとセツの背後に付き従うリディジェスターが辺りを警戒しているとき、ガラス張りの艦橋の横、円い窓の取り付けられた扉が開いた。
「………マスター」
 喉がからからになり、掠れた声で呼んだ。
 絶対に、勝てない。それほど強い何かがくる。
「俺を足に使うとはいい度胸じゃねぇか、流幽(リィウヨウ)」
 現れた人物は、不機嫌を絵に描いたような表情をしていた。光を弾く金髪に、長身を漆黒のコートで覆っている。そしてなにより、恐怖すら感じさせる黄金の瞳。
「これはこれはキャプテン魅朧」
「………なんだァ?船内にペットなんか持ち込むんじゃねぇよ」
 その金色の瞳が、リディジェスターを見た。リディジェスターも魅朧を見る。瞬時に、それが人間でないと判断した。姿形はたしかに擬態しているが、決して人間ではない。そんな卑小な存在であるはずがない。
「雑種の犬か。お前も変な物くっつけんの好きな奴だな」
「俺の作品じゃない。戦利品だ。それに犬扱いは止めて貰おうか。自分で言うのは気にならないが、他人に言われると癪に障る」
 悪態を付きながらも、二人に敵意が見られないのが不思議だった。
 近付いてきた魅朧が、まるで犬猫を触るみたいにリディジェスターの頭に触れようとした。窮鼠猫を噛む一心で、リディジェスターが殺気立った。触れられる前にその手を払いのけようとし、ついでに攻撃に転じた。
「おいおい」
 セツと魅朧の呑気な声が耳に入ったが、気にせず腕を振りかぶる。
 しかし鋼すら断ち切るその腕を振り下ろす前に、リディジェスターは動きを止めた。首筋に、ぴたりと刃物を押し当てられていた。鉄ではない、人間の作り出す物質とは思えない漆黒の鋼のダガー。
 灰色の髪が揺れ、殺気を滲ませた青磁色の瞳。気配を窺わせもしないことに驚いた。魔獣を止めたのは、ただの人間だった。
「……落ち着けや」
 やはり呑気な声で。
 セツはリディジェスターの首根っこを掴んで引き寄せ、魅朧は身を守るように前に乗り出した人間を引き寄せる。
「凶暴な犬だな。躾ぐらいしとけ、流幽。噛み付くなら海に投げ捨てるぞ」
「すまん。放し飼いに慣れていてな」
 しゃあしゃあと答え、セツは魅朧に引き寄せられた人間を眺めた。触らなくともわかる、混じりけのない人間だ。類い希な魔力を保持していることは、リディジェスターを止めたことで証明されている。一度に3種の補助魔術を唱えるなど、常人には出来ない。加え、人殺しに慣れた動きだ。リディジェスターとて、人間に比べたらよっぽど強い生き物なのだが、如何せん経験値が少なすぎる。こればかりはどうやっても補うことは出来ない。
 感心しながらも、この船に人間がいることに興味を引かれた。セツは人の悪い笑みを浮かべて魅朧に嫌味を言う。
「そっちこそ、凶暴な猫でも飼ったのか?この縄張りの中で聖霊魔法が使えるとは驚いた」
「お前は試すんじゃねぇぞ。コイツにしか許してねぇから」
 にやり、とまるで自慢するみたいな笑顔を浮かべている。その姿を改めて見たリディジェスターは、魅朧の本性をいくばか嗅ぎ取った。
 鱗に覆われた生き物だ。長い角と牙と爪。優雅な流線を描く四枚羽を思い浮かべる。この生き物は何だろう。困惑を顔に出したリディジェスターを横目で見て、魅朧が鼻で笑った。そして思い出したように口を開く。
「っと、立ち話も何だ。茶くらいだしてやるから、針路を言いな」
「……獣帝都ラーハスに一番近い港へ」
 暫くして、漆黒の巨船は西へ針路を向けた。

***

「30年振りか。まったく変わってねぇな、お前は」
 煙管に火を付けながら、魅朧がにやりと笑った。
 甲板から移動して、この漆黒の船の船長室にやってきていた。その広い室内にはセツと魅朧の二人だけだ。リディジェスターは魅朧が連れていた人間に預けてある。
「お嬢さんは元気か?」
「……お嬢さんっつうには成長しちまったが、元気なもんだぜノクラフは。腕の調子もいいし。継ぎ目なんざわからねぇな」
 煙を吐き出して。
 三十年前、セツは一人の女性を助けた。たまたま立ち寄った港町は随分と治安が悪いところで、諍いに巻き込まれる前にさっさと出ていこうとしていた矢先、感じたこともない不思議な気配に気が付いた。
 持ち前の好奇心には抗えず、その気配を辿っていくと一人の女性が傷付いていた。左の手首から下が切り落とされ、右手で左手を持っていた。痛みすら見せない気丈さと、人間とは違う異質さに、セツは治療を申し出た。
 元通りにくっつけてやろうか、と。
 その女性の名前はノクラフと言う。接合のために触れたとき、その生体組織の構造を読みとった。それが何であるか、膨大な知識の中から探り当てたときに心底驚いたことを覚えている。
 その女性は紛れもない龍の一族の一人だった。
「約束通り、あんた達一族の組成は何処にもばらしてはいない」
「ああ、俺がお前に名前を付けてやったんだ。迂闊にゃばらせないことくらい、俺が承知だ流幽」
 流幽(リィウヨウ)、と。龍族の長である魅朧が、一族の女を救った感謝の品として指輪と名前を送った。
 海原の王者とも謳われる海賊船、スケイリー・ジェット号。そのキャプテンが直に贔屓にした人間など、滅多にいるものじゃない。その指輪は海賊に対する印籠にもなるし、魅朧という大海賊の承認の証にもなる。
 しかし同時に与えられた名前は、龍族としては名誉かもしれないが、その他の者にとっては呪詛の類と変わらなかった。
 魅朧はセツと一つだけ約束をした。セツが高位の錬金術師だと見抜いて、保険をかけた。龍族の存在を内側から解明されることは好ましくない。肉体の接合で知られた龍族の組織構造を、セツ以外に知られることがないように。
 誰一人としてその情報を漏らすことも、また書き留めることも許さない。
 その変わりに、用があれば世界最速のこの船に乗せてやろう、と。
 そうして名前を与えたのだ。破れば、魅朧に伝わり、確実に報復を下せるように。
「まぁ、俺はあんた達の事をばらす程愚かじゃないつもりだがな。こんな知識、勿体なくて他人になど教えられない」
 勧められた煙草に火を付けながら、セツは呆れ混じりに呟いた。
「お前の心理なんざ初対面で読んだっきりだからな。感情に蓋してる奴を手放しで信用出来るほど、俺はお気楽じゃねえよ」
「……読まれて楽しいものでもない。あれは不覚だったな。まさかあの魅朧が出てくるとは思って無かった」
「『あの』、ね…」
 くつくつと笑いながら。魅朧は煙管の雁首を灰皿に当てて、灰を落とした。
 本人が一番わかっている。船乗りならば、漁港の住人ならば誰でも知っている。悪名高いと言うよりは、畏怖や恐怖の対象になっている海賊の名前。
「お前みたいに分別のある人間が多いといいんだがな」
 吐き捨てるように言うから、セツは面白そうに笑いながら尋ねてみる。
「……ミネディエンスで何かあったらしいな。あの人間が絡んでくるのか?」
「聡いね、お前さんは」
 お互いに、腹に一物抱えた笑みを浮かべながら。煙管に新しい煙草を押し込んで、火を付けながら魅朧は瞳を細めた。

  

とりあえず書いた所まであげました。
暴露しますが、HTとLTJってキャラクター被ってるんですよ。HT没にしてLTJ書いたから、もー、カラスとリディが性格同じでいやんなっちゃう。
ちなみにカラスが持ってるダガーは、魅朧の鱗を削りだして作ったものです。
2004/02/21

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