海原の王者 - 2 -

The Horn Tablet [ The king of maritime ]

 セツに「あの人間」と呼ばれた青年は、リディジェスターと甲板にいた。
 発泡酒と肴を小卓に並べて、空を見ながら呑気なものである。ついさっきお互いに殺気を剥き出していたなどとは到底思えなかった。
「お前、人間相手より動物相手のほうが楽しいだろう?」
 魅朧と呼ばれるあの生き物が、そんなことを言いながら青年の頭を撫でていたことを思い出した。
 これでも階級ある魔獣である。そう簡単に動物と同じにしないで欲しい。
 眉間にしわを寄せていると、青年が微笑を浮かべながらリディジェスターに話しかけた。
「俺はカラス。名前、聞いてもいいか?」
「………リディジェスター」
 ぽつりと呟くと、カラスが笑みを深くした。綺麗な人間ているんだな、なんて漠然と思った。
「見たトコ俺と同じ歳だけど、アンタも人間じゃないんだろ?」
 グラスに注いだ発泡酒に口を付けながら苦笑する。
 悪意は感じられないが、一体どこまで自分のことを明かせばいいのだろう。望むときに限って自分の主は横にいない。
「純粋な人間とは言えない」
「ああ、やっぱり。じゃあ、アンタの連れもそうか。魅朧の知り合いだから、人間じゃないとは思ったけど」
「………カラス、は…、純粋な人間だろう?」
 平凡と言うには随分魔力が高いが。
「まぁな。この船で唯一の人間だね、俺は」
「カラス以外の…、いや、この船って何なんだ?」
 今一番知りたい問題だった。
 この世界をセツと歩きながら、これ程怖いと思ったことはなかった。
「海賊船スケイリー・ジェット号」
 初めて聞く名前だった。
 ミネディエンスでハギアと話してから、あまりセツと会話をしていないことに気が付いた。知ろうとする手段を絶ったのは自分なのか、とリディジェスターは複雑な心境になった。
「海を統べる龍の一族がその船員で、全ての海龍の長がキャプテン魅朧」
「海龍……?」
「そう。この世界で一番強い存在、らしい。俺も詳しくは知らない。聖霊とか魔族とか外来種とは一線をひく
、この世界固有の種族だと魅朧は言っている」
「そんなものが、この世界にいるのか…」
 本当に自分は世界を知らないんだな。随分長く生きていたが、本来の意味で生きてるとは言えなかった。

***

「恐らく最期になると思うから、海原の王者にひとつ聞きたいことがある」
「あん?」
 鳥の腿を囓りながら、魅朧は方眉を上げた。
「ホーンタブレット、を知っているか?」
 それは自分が二度目の生涯をかけて探している物だ。
 精霊を殺す書物。現世から引き離す呪文。死を再生させる奇蹟。
「…………それを、何に使う気だ?」
 黄金色の、爬虫類に似た瞳が冷たく光った。人間に擬態している魅朧の、酷く冷徹な部分を見るたびに、人間には勝てない物もあるのだと思う。
 セツはまだ一度もドラゴンの本体を見たことはないが、見たいとは思えなかった。あまりに強大な力に触れてはいけない。
 人間の、限度を弁えることが、龍の前で生き延びる方法だ。
「いい加減、解放してやりたいんだ、彼女を」
 革手袋のまま、自分の心臓の上に手を当てた。この鼓動は自分の物ではない。体が覚えている自分の鼓動は、何十年も前に止まったままだ。
 篝火のようなその決意をセツの漆黒の瞳から感じ取った魅朧は、ぽつりと小さく言葉を漏らす。
「…死に急ぐ奴が多いな」
「今の俺は生きているとは到底言えないだろう」
 皮肉を込めて笑えば。
「そういうのに、他人を巻き込むんじゃねぇよ。誰を殺そうが愛そうが憎もうがどうでもいいが、生き死にに他人を関わらせるな」 
「俗世にまみれて生きるより、後顧の憂いを断ち切ってしまった方が、よっぽど潔いと思わないか?」
「俺達に自殺願望はない。自らを恥じるような生き方も、他人に引きずられるような生き方もしねぇ。後顧の憂えだと?その口でお前が言うのか。残していくとハナから決めてるくせに、どの面下げて後顧だと言うんだ。消えるんなら、てめぇでやれ。自分の命くらい自分で決着しろ。お前の生死で、他人の人生を変えるな」
 爬虫類のような細い瞳孔に仄かな怒りを滲ませて、魅朧は真剣に告げた。海賊の王者である人物のその言葉を聞いても、セツは揺るぐことはなかった。
「……原因を作ったのは精霊達だ。奴等の想いは俺にとって苦痛だった。あまりにも純粋すぎて、人間にそれは悪意と同じだ。純粋で純朴すぎる想いってのは、少なからず何かを壊すものだ。俺を未だに生かし続ける彼女は、俺が聖樹に仕える大神官に成れたから、あの時俺を助けた。彼女は聖樹しか見ていなかった。俺の想いなど、ひたむきな主への想いに比べるまでもなかったようだ」
 思えば青年の恋心だったのかもしれない。当時の自分にとって、縋れる者は彼女しかいなかったことも確かだが、彼女の純粋さの奥を読むことが出来なかった。
 漸く気が付いたときには、殆ど恨みに変わってしまったこの想い。
 翼を無くした俺が、よもや聖樹ナシュカザに仕えるとでも思ったのだろうか。信仰と宗教の熱など、冷めることは早かった。彼女のために大神官になるなど、そんな惨めなことはできない。
 よく考えたら、俺も呆れるほどイカレてるな。ふ、と暗く笑って。
「ホーンタブレットについて、知っていたら教えてくれ」
「俺は聖霊じゃねぇ。使い方は知らねぇよ」
「存在は知っているのか」
 そう告げると、ワイングラスに口を付けた魅朧は瞳だけで狡猾な笑みを浮かべた。
「この世は全て二等分で平等になっている。そういう理があるんだ。善の半分は悪であるし、真実の半分は嘘だ。魔族の数も、天族たちの数も同等。人間だってそれぞれの属性に則って半分ずつ存在しているからこそ、均衡を保っている。錬金術師のお前さんに講釈する程暇じゃねぇが」
 一度言葉を切り、グラスの中身を半分空けて。
「俺達は人間じゃねぇし精霊でもねぇ。全くイレギュラーだが、それは人間にも言えることだ。この世界の土台も魔力も、この世界独自の物ではない。実験の結果生み出された人間達の力と俺達龍族の力、総量を比べるのならば平等になるだろう。しかし、龍族は人間と混ざれることが希に有ったとしても、人間達のように精霊や魔族と結合することはない。もしできるとしたらそれはこの世界原産ではない力が大きく働いていなければならんし、それを分かつには特殊な力が必要になる」
「混合物を分かつことは不可能に近い」
「お前はその力が欲しいんだろう?『角刻板(タブレットオブザホーン)』ってのは、そういう物だ。人間が使える最強の魔導書(グリモワール)」
 セツの目の前にいる人物は、セツと同じように人間ではない。この世界の代弁者と言えるかもしれない存在だ。
 龍族の女を助けたときに、その組成を読みとった。だが、理解できなかったのだ。本当は。
 人間を作ること、もしくはリディジェスターのようにホムンクルスを作ることはできるだろう。だが、龍族を作ることは確実に無理だと言えた。奇蹟なのか偶然なのか、答えは出ているのだが数式が存在しない問題のようだった。
 確かに、その点で龍と呼ばれる生き物はイレギュラーなのだろう。
 物質にあるはずの属性が皆無なのだ。
 人は女と男から生まれてくる。二つの物が一つになる。
 セツは人間の身体と精霊の力で生きている。リディジェスターは人間の核と魔族の魂を結合させている。二人はまるで縮図だった。
「………後顧の憂い、か」
「あん?何か言ったか」
 人より鋭いその耳で本当は聞き取っているだろうに。
 しかしセツは首を横に振って、唐突にひらめいた理論を組み立てようと試みた。
「風に当たってくる」

***

 そろそろ船内に戻ろうか、と灰色の髪の青年はリディジェスターに告げた。
「ああ、そうだ。さっきは悪かった。咄嗟に手がでたから」
 何のことかとリディジェスターが不思議そうな顔をすれば、カラスは苦笑を浮かべながら腰にさしたダガーの柄を態度で示した。
「この鋼は特殊だから、有り得ないくらい切れ味がいい。止まらなければ俺は魅朧を守るためにアンタを殺してたかもしれない」
 あっさりと、感慨すら含まずに。
 自分にあれだけの恐怖を植え付けたドラゴンを守るなど、随分傲慢だとも思ったのだが、それは口に出さず、いいや、と呟く。
「……どうして、守るんだ?」
 変わりにそんな言葉が口をついた。
 するとカラスは一瞬驚いたような表情を見せ、眉根を寄せて表情を隠すように口を引き締めて、

「大事だからだ」

 一言。唐突に、カラスが照れているのかと思った。だがその言葉は随分と真摯だった。それでも何故と聞きたくて、リディジェスターは口を開きかけたところで主の気配を感じた。振り返ると扉が開いて、セツの漆黒の瞳がこちらを見る。
「難しい話は終わったようだ。俺は船内にもどるよ」
 ワインとグラスを両手に持って。それ以上の追求を逃れるように、カラスは微かな笑みを浮かべてセツが出てきた扉に向かった。
 途中すれ違ったセツは、カラスをちらりと横目で見やる。およそ人種を特定できない配色だ。触ってみれば解るだろうかと考えて、そんなことをすればこの船の船長が飛んでくるだろうと内心ほくそ笑んだ。
 目を戻せば、薄い橙色の髪と二色の瞳がこちらを見ていた。
「リディジェスター…」
 もう呼び慣れてしまった名前を呼んでみる。
 じっと指示を待つ強い視線が帰って来た。どことなく、カラスに似ているような気がしたのだが、決定的に違う箇所を一つだけ発見した。
 カラスは反抗的な生意気さがあった。だが、リディジェスターにはそれがない。主に尽くす従順さが全面に出ていた。
「リディジェスターキュヴィエイル」
 その真名は、リディジェスターを縛る鎖だ。
 呼ばれた当の本人は、その名前に歯を食いしばった。真名を呼ばれると、鳥肌がたつ。不快なのか嫌悪なのか、それとも全く別の感情なのか、ざわりと背を這うような感覚に襲われた。
 魔獣のその様子を眺めながら、セツはぽつりと言葉を漏らした。
「俺が消えたら、お前は自由の身だ」
「な……に?」
「そう遠くない未来に、俺は消えてなくなるだろう。お前は魔術師から解放され、晴れて自由になるわけだ。束縛という鎖など、命で抗える」
 金属的な笑みを浮かべてセツが笑う。
 その笑いを何度となく目にしたリディジェスターは、一つだけ唐突に気が付いた。セツの笑顔は、ただ筋肉を動かしているにすぎない。自然と笑うのではなくて、まるで相槌か何かと同じ作用をもっているだけの笑みだった。

「俺が死んだら……そうだな。俺の血肉を食らうがいい」

  

2004/02/21

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