土の女 - 1 -

The Horn Tablet [ Regina planities ]

「人は転生することはない。
もし魂というものが存在し、それが輪廻してしまうならば、人は限られた住人でしかなくなる。
無限の個性を持つ者こそ、人でなければならない。
だが、人は転生を望む。 」

***

 獣には転生の概念が存在しない。

***

「おや、ほんに珍しや。我が土着の獣が土地に、三種の血を持つ者が踏み込みしか」
 どす黒いとも取れる紅を引いた唇を吊り上げて、その女は笑った。
 煙管に新しく仕込んだ刻み煙草に火をともし、一度噴かしてからもう一度その口を吊り上げる。
「精霊と魔族と人間。表と裏とその間。生と死と………ほんの一握りの夢」
 女は呟いて、喉の奥で音も立てずに笑った。

***

 魔族は、人間を食う。その補食の方法や、食する部位は違えども、魔族は時に人を喰うことは事実である。
 その理由は二つある。
 ひとつ、食料として喰う場合。これについてはまさにそのままの意味であり、人が日に三度飯を食うことと何ら変わりはない。ただ日に三度喰うかと言われれば、それは否であって、その魔族によって食事の回数も変わってくる。
 それは猫が鼠を喰うように、自然の摂理である。
 そしてもうひとつ。自らの魔力を高める為に人を喰う場合。大概に置いては凡庸な魔力しか持たぬ人間でも、中には飛び抜けている者が少なからず存在する。そういう者は、だいたいが魔族の目当てにされるのだ。
 しかしながら、この世界を隔てる壁は大きく固く厚い。魔族など、そうそう干渉できる物でもない。ときおり裂け目のようなものから異界魔族が漏れ出てこようと、人間の魔導師は易々と狩られるほど弱くはない。
 より易く魔導師を喰うために、魔族は人に下ることがある。それを、契約という。
 人は魔族に、望みを叶えさせる為に己の魔力を使って、異界よりそれを召喚する。魔族はその代償を口に出して求めることはない。
 だが、例外なく。
 従属した魔族は、契約の履行を持ってその魔導師を喰らうのだ。

***

 人間の街の港しか見たことがなかったリディジェスターは、初めて見る光景に暫し立ちつくした。
 黒い海賊船は堂々とその港に分け入り、逃げも隠れも怯むことさえせずに、船着き場に船を泊めた。
 港の水夫たちは畏れることはなく、むしろ敬意を込めた眼差しで海賊船を見つめている。人間達に畏れられるこの黒船は、ここでは全く逆だった。
 この大陸の民は、人間であって人間でない。その姿は獣に酷似している。いや、むしろ獣そのものだった。獣人とよばれる種族は自ら人間との境界を主張している。獣であることの誇りと、自然に対しての感謝を忘れることはない。ともすればどちらも置き去りにしがちな人間とは、文化からして異なっていた。
 港の作りといえば他のそれと変わりはなく、交流地点ならではの賑やかさと大雑把さに溢れてはいるが、そこを行き交う人達はやはり他国とは異なっていた。
 確かに人間とは言い難い獣の外見。あるものはまったく獣その物の顔を持ち、またあるものは人によく似た顔をしていたりするものの、大概に置いては耳や爪や尾などが獣のそれだった。
 露店が建ち並ぶ最奥に、石作りの小屋が建てられている。その小屋の後ろにはなだらかな坂があり、小屋を通り抜けたものたちが坂を上ってゆく姿が遠巻きに見えた。小屋の前に、他と異なる服装のものが二人。獅子の顔、長い尾、大きく太い手足。その巨体はしかし二本の足で立ち、鎧とマントを身につけていた。人々――というか獣たち――はその獅子に礼を返している。
 そこは検問所のような所だった。
「帝都は山の上にある。ここからは暫く登山になるだろう」
 小高い山の上を顎で示しながら、セツはリディジェスターの頭を撫でた。
 セツは海賊船の船長と語り合った後から、様子が少し変わったようだった。何かを確信したような黒い瞳は、迷うことさえ捨てたかに見える。愉快犯のような笑みは、いつものより怪しくて猜疑をよぶ。
 二人は検問所の門をくぐろうとして、獅子族の獣人に止められた。
「人の子が獣が都に何用か」
「我らが都は人間のそれと異なりし。歓楽を求め訪れたならば、すぐに立ち去るがよかろう」
「観光ではない。俺達は巫女に会いに来ただけだ」
 巫女、という言葉に獅子たちならず周りの獣人までもがセツを見つめた。
「特別の許可もなく我らが巫女にまみえるとは笑止。獣が民を敵に回したくなくば、そのような無謀は控えることだ」
「そういきり立たないでくれ、獅子の戦士よ。間引く眼をもっているのなら、俺達が人ではないとわからないか?」
 焦りもせず、セツは獣たちの瞳を見つめた。リディジェスターはおとなしくそれを聞いていたが、主に腕を引かれ、獅子の前に引き立てられた。
「力が敬意ならば、この魔獣にも敬意を示してくれはしないだろうか」
「……魔獣だと?」
 獅子は方眉を上げた。
 獣に表情がないというのは嘘である。豊かで複雑な表情の変化を持っていた。
 獅子の戦士は瞳を細め、リディジェスターを見つめた。人には到底解らない感覚を、獣たちは持っていた。
「純血の魔獣ではないが、魔獣であることには変わりない…か」
 品定めするような獅子の眼をまともに受けながら、リディジェスターは小さく笑んだ。女のようなその笑み にセツは目敏く気付いたが、かけようとした手を払われてしまった。
『この身体、暫しの間借り受けるぞ』
 断固とした女の声が、リディジェスターの脳裏に木霊した。
『案ずるな。悪いようにはせんよ』
 ふふふ、と鼻で笑う。頭の中に反響するようなこの声にリディジェスターは抵抗を考えたのだが、操られるような感覚から逃げる術など知るはずもなく、結局押さえつけられるような形でその声に身体を乗っ取られてしまった。
「……リディ?」
「お主は我に用があるのだろう。無用な諍いは好ましく無いゆえ、黙って我についてくるがよい」
 それは変わりないリディジェスターの澄んだ声なのだが、口調や表情その雰囲気に至るまでがまるで別人だった。
 ゆっくりとした動作で腕を組み、ちらりとセツに笑みを向けながら、行く手を遮る獅子を見上げた。その笑い方が普段のセツに似て、どこか含みがある。
「護門の獅子達よ、今よりこの異人達は我の管轄下に置いた。我はこの者達に用が有りしや。急ぎ御殿まで連れて参れ」
 高飛車なその姿勢は正に女の仕草だった。
 獅子の戦士は何かを感じ取ったのか、手の平に拳を当てて叩頭した。

 獣が大陸、帝都ラーハス。
 幾種類の獣人達がそれぞれの部族、氏族に分かれて群で暮らす大陸の中心地。土の聖霊を祀る神殿があり、その中枢には聖霊その御霊がおわすという。
 それは魔神と創主がお互いを切り裂き合った戦争の後より延永と生きている。歳月で言えば炎の聖霊と同じ。
 四聖霊が肉体を持って世界に散らばっているとは、最高位の魔導師ではないかぎりおとぎ話として扱われる。
 だが、この獣人達は違った。
 自分たちの崇めている聖霊は確かにこの地に生きている。だが、民族の口は堅く、厳格な掟に沿って生きているため、外の人間にはその存在すら明かしてはいない。
 セツとリディジェスターは石作りや藁葺き屋根、土で作られた様々な形式の建物の間を延々と歩いた。前を行く獅子の戦士は振り返ることすらしなかった。だが、もし二人が立ち止まったり他の道へ入ろうとしたとしても、彼らの五感は鋭くそれを察知するだろう。 港からそろそろ小一時間になろうというところか、街をぬけて丘を登ると、丘の中心が椀のように抉れている場所へ出た。最も深いところに石で補強された出入り口が見て取れる。丁度その入り口へ、丘の淵から一本の石畳が続いていた。
「あの中へ」
「俺達二人でいいのか?」
「我らが巫女に、私の入殿許可は与えられていない。そして、もしお前達が脅威になろうとも、あの中は巫女の体内も同じ」
 それきり、戦士は腕を組んで顎を引き締めた。
 セツは方眉をあげて不満そうにしながら、石畳を足早に下りていった。リディジェスターは主の気配を敏感に窺いながら後を付いた。
 石の入り口をくぐると、不思議なことに内部が明るかった。どこからか光が入っているのでもなく、松明が灯されているわけでもない。よくよく見るとその土壁が淡く発光しているのだ。
 道は一本道で、やはり地面は石張りで人が二人通っても大丈夫な程度には広かった。
 それは緩やかに下っていた。そして唐突に視界が開けた。
「何用じゃ、その身に精霊を宿せし人の子よ」
 茶褐色の肌をした女が、クッションを並べられたベッドの上に寝そべっていた。
 黒っぽい焦げ茶色の髪が高く塔の様に結ってあり、その間に色とりどりの宝石で細工されたかんざしが幾つもささっている。髪の間だから覗く耳は人よりも細長く尖っていて、動物のようなふさがついていた。
 褐色の肌に目立つ白い文様が美しい顔に描かれ、黒と紺で糸で編まれた民族衣装を纏っていた。
 年齢不詳の、土色の瞳。土の精霊ノーム、その人である。未だ指折り数えるほどにしか明かされて居ない真名を、ゲオという。
 白く塗られた唇が上品そうにつり上がり、全ての指に宝石のはめられた指先の白い爪が民族衣装の幾何学模様をなぞっていた。
「海原を横断し、そなたがあの奔放な風より何を唆されたのかね」
 ノームは言った。
「あれは掴み所が分かり難い性格をしておる。お主、遊ばれただけやもしれぬぞ」
「聖霊を殺す方法を記した書物はどこにある」
 くつくつと笑う女の声を遮るように、セツは詰問した。
 交渉などする気がなかった。知識も力も最初から負けている相手に、今更へつらうような可愛げなど無かった。
 女は面白そうに口を歪め、セツから視線を外して順にリディジェスターを見つめた。
「我は母。全ての源であり、土台であり、理の代弁者だ。息吹なる風、血潮なる水、魂なる炎、肉体なる土 。息吹と血潮を魂を定着させし肉体を司るは、我なり。我が触れて判らぬ肉体は存在せぬ。お主等、傍に寄るがよい」
 優しげだが厳しさも見える笑みで、女は両手を差し出した。
「我に解かすを拒む者に答えなど与えぬ」
 セツはぶっきらぼうに手を差し出したが、肘まである革手袋を顎で示されてしぶしぶそれをはずした。手の平は、皮膚は最大の触覚である。高位の錬金術師は皮膚でその組成を知る能力を身につけることがある。触れば解る、のはセツも同じだ。だが、やはり魔術の能力規約と同じ事で、自分よりも遙かに高位の霊体などの組成を知ることは適わないが。
 ふむ、と女は唸った。
「相違ない。やはり精霊と魔物と人間の三種」
「それで、ホーンタブレットは何処に」
「焦るでないよ。お主がそれを使うに値するか、我は未だ解り得ぬのだから」
 手を放し、彼女は身振りで床を示した。ここには椅子などない。セツは気にせず床に座り、リディジェスターも静かに従う。
「錬金術師よ、そなたはホーンタブレットの使い方をしっておるのか?」
 セツは黙った。その存在は知っているが、そもそも写本すら見たことがないのだ。
「肉と命を分ける力が秘められている。霊達を造った者の角で刻まれた魔導。それは最も簡単でいて、もっとも難しい方法と言われている。我はその使い方を知っているが、だからこそ我に使うことができぬ方法である。だが、お主にならば使えないとは言えぬだろう。肉体の問題だけで言えば、だがな
 命は命によって購わなければならない。当に等しい報いが在ってこそ、その効果を発揮する。お主の躯と魂はお主の物じゃが、それは一度分離しているだろう。分離した物を元に戻すことは人の力では叶うものではなく、それを叶う為にはまた等しい力がいる。
 肉と魂の分離など、年端もいかぬ仔にさえ可能だが、それを定着させるのならば精霊の命ですら喰らわねばならぬ」
「まどろっこしいな、端的に教えてくれないか」
「……できぬ。それを言えば『角刻版』を使うことが出来ぬだろうからな」
「使い方など、なんとでもなる。それが手に入りさえすれば」
 決意は揺るぎ無かった。ノームはセツをまるで哀れな者のように見つめた。
「あれは一度、別の目的で使われたことがある。『天を翔けし者』と、天霊の絆を断つ為に。地にも海にも触れ合っていない、空に浮かびし混沌の地で」
 その昔偉大なまでに栄え、今では伝説化された天空の国。
「天空要塞…アマディシエナ」
「そこから持ち出された形跡はない。彼の魔導書は一度も地に触れてはいないのだから。また、海にも触れてはいないだろう」
 海にそれがあるのだとすれば、海原の王である海龍が知らぬわけがない。
 ノームは白い爪で衣装の皺を伸ばした。その顔にはいつの間にか笑顔が消えていた。どこか遠くを凝視するような視線が、揺らめきながら不意に定まった。
「………」
 セツは目まぐるしく考えを巡らせていた。アマディシエナは今無法地帯も甚だしい。国家として存在しておらず、発展する前に停滞してしまった技術と魔術で混沌としたやっかいな要塞である。かつて錬金術発祥の地であったそこは、他国に無差別な攻撃を加える目の上のたんこぶだ。
 以前は使われていたという飛空挺便。しかしそれは一方通行のものになってしまった。王国の崩壊と供に交易が止まり、アマディシエナに渡ろうとする人間達は殆ど存在せず、現在外からアマディシエナに侵入するのは大変難しい。飛行魔術では遠すぎるし、唯一可能性があるとすれば騎獣くらいだろう。
 その騎獣とてすぐに手には入る物ではない。
 セツの考えていることが手に取るように解ったノームは静かに唇を開いた。
「……冥土の土産に、騎獣くらいは貸してやれるかもしれぬぞ」
 ぼそりと口にしたノームはどこか苦しそうだった。
 それを断る道理もない。セツは二つ返事でそれを頼んだ。騎獣の手配ができるまでの数日、帝都の宿に逗留を進められ、急に態度が硬化したノームによって彼らは追い出される事となった。用があるときはそれと解る方法で知らせられるという言葉を最期に。

「ウンディーネと違って、肉体の終わりが見えるのも問題じゃな…」

  

2004/08/28

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