Koerakoonlased - 2 -

Koerakoonlased "Radid Canine"

「ええと、ごめん、ミラ。俺なにかした?」
 後頭部をかきながら緩い口調で言ったユージーンの腕を取り、ミラビリスは急いで館を出た。しかられた子犬のような挙動不審さで引きずられるユージーンはカーマの文化を殆ど覚えていない。
「先に謝っておくが、お前はこの国を出られなくなるかもしれない」
「は?ちょっと、待って。なんでそんなに飛躍するの」
「黙ってようかと思ったけど、そうなるとお前も俺も犯罪者街道まっしぐらだ。国内どころか国外にすら懸賞金つきで指名手配されるぞ」
「…やっぱ、なに、俺がなにかしたわけ?」
「いいや、お前自身が何か起こしたわけではなくて…、くそッ!何から話せばいいのかわからん!」
 静謐が嘘のように消え、気がつけば大通りまで戻ってきていた。先を歩くミラビリスは、何かをめまぐるしく考えているらしく、殆ど周りが見えていない。
 案の定、階段を踏み外した。
「ッ…!?」
「落ち着きなさいって」
 転倒を免れたのは、ユージーンが背後から抱きかかえたからだった。片腕で楽に腰をささえている。
 触れ合えて嬉しい。役得だなぁ、なんて暢気に考えていたユージーンだが、はたと気が付いた。想像していたより、いやこれはこれで構いはしないが、しかし明らかに違う。
「…ごめん、変なこと聞くけど。ミラって二人居ないよね?」
「何だいきなり。その質問はおかしいだろう」
 少しは落ち着きを取り戻したのか、しっかり地に足をつけ、身体を離したミラビリスが怪訝そうな顔をした。
「双子の姉なら居るが」
「そうだっけ…?」
 ユージーンの記憶には残っていなかった。まさか、姉と間違えているわけでもないだろう。顔の霊印など滅多に出るものではない。
「お姉さんの名前って」
「ミレニエラ。昔は病弱だったからな、お前の記憶に無くても仕方ない」
「そっくり?」
「まあ、今は多少違うが。ある程度は。霊印の位置と規模が違う。…何故ミニーの事を聞く。言っておくが姉はすでに人妻で子持ちだぞ」
「ああ、うん。そうだよな。ミラビリスだもんな」
 言われた本人にはまったく理解の出来ない納得の仕方をしているユージーンから、ミラビリスは一歩離れた。こんな性格をしていただろうか。昔はもっと優しくて柔らかかったイメージを持っていたのだが、目の前に居る長身の男はついぞ得体の知れない何かがある。
「ごめん、もう一回聞く。もしかして、ミラって」
「何だもったいぶるな早く言え」
「男?」
 一瞬、空気が固まった。
 ユージーンの問いかけも尤もなのだ。ミラビリスは筋骨たくましい男ではない。腕にすっぽり抱え込める程度には華奢だし、艶やかな黒髪と白い肌が優雅な美貌と相まって、全体的に美しい印象を受ける。確かに女性的な服装をしているわけではないが、傭兵仲間の女ばかりを見てきたユージーンにとっては、ミラビリスの立派に女性の部類に分類出来た。しかも割と極上な方へ。
 ちなみに余談ではあるが、マクミラン家の遺伝なのか、男女ともそう大柄にはならずに華奢な体躯をしているので、ミラビリスが特別小さいというわけではない。
「…俺達はお互いに相手を女だと思い込んでいたわけか。幼かったからな、まあ、仕方ない」
「あー、ごめんね?…攻め方変えないといけないかな」
「何のだ?」
「なんでもない。じゃあもうひとつ。彼女いる?」
 突拍子も無い問いかけに、ミラビリスは杖を握り締めた。思わず殴りつけそうになった精神を必死に押さえ込む。その問いに何の意味があるというのか。
「いねぇよなー!お前モテねぇもんなー!」
 紛れ込んだ声は小悪魔のそれだった。
 主の魔力を感知して、どこぞに飛ばされた場所から戻ってきたらしい。放り投げられても逃げ出せない使い魔のサガがこのときばかりは憎いと思うミラビリスだ。
「告白されても、『もう心に決めた相手がいるんだ…』とかスカしてたお陰で、彼女いない歴二十年か切ないねぇ」
「黙れ羽虫。その羽根千切るぞ」
 紫の瞳が怜悧に細められ、シャプトゥースは咄嗟にユージーンの背中に隠れる。舌を出して威嚇しても、迫力より小憎たらしさを感じさせた。仕返しのつもりなのだろうか。
「ま、落ち着いて」
 どこか上機嫌のユージーンは、懐から飴玉を取り出して悪魔に与えた。受け取るやすぐに紙をはがして齧りついた小悪魔は結果的に黙る。
 そういえば昔もよく飴玉を持っていた。やはり男でもジーンには違いないのか、とミラビリスは妙なところで感心してしまった。
「変なこと聞いてごめんね、ミラ。…略奪しないに越したことないし、一応確かめたかっただけなんだけど。気にしないで」
 ミラビリスの黒髪を撫でたユージーンは、作ったような完璧な笑みを浮かべた。
「で、俺を何処に連れて行くの」
 小首を傾げて問い掛ければ、ミラビリスは漸く冷静さを取り戻して落ち着いた表情になった。先導するように歩みを戻す。今度は足を踏み外すことは無い。
「ああ、とりあえず魔天師団へ。騎士院へ報告しなければならないし、登録も行わなくてはならない」
「軍?」
「そう。カーマ国有軍は覚えているか?」
「戦争の黒天、警備の赤天、研究の魔天。このくらいは」
 進路は魔天師団の本部へ向かっている。ミラビリスが勤めている場所だ。カーマには主に三つの軍があり、黒天師団は主に国を護る為の対外国武力的措置を、赤天師団は国内における治安維持を主とし、魔天師団は黒天や赤天のバックアップや魔術の研究などを行っている。殆どが学者を占めていた昔と違い、近年では魔天師団の勢力が大きく、戦闘で力を発揮できる魔術師が増えて何やら体育会系の部門が侵食しているのだが。
「俺は魔天師団の騎士院で、ギュスタロッサ関係の研究をしている。館での介錯をしたり、騎士位が生まれたらその登録作業を手伝ったり。普通なら騎士院へ連れて行けば後は担当官に引き渡せばいいんだが…、お前の場合はもっと複雑だ」
「二本あるから?」
 元々持っていた二本の剣を左に、短剣を右側に差し、黒い長剣は手に持ったままのユージーンは邪魔くさそうにしている。
「…金剛の指輪を与えられたからだ」
「ごめん、ミラ、よくわからない」
 ユージーンは正直に答えた。正直剣は四本いらないし、長旅で疲れているからなおさら邪魔だ。再会に浮かれていたが、自分はそこそこ疲労している。衝撃的な事実も発覚したし。純血のカーマ人ではあるが、故郷に対する想いは薄い。ここでは当たり前のことが、自分には不慣れだ。
 ミラビリスから離れる気がなかったので大人しく付随しているが、傭兵気質が色濃いユージーンにとって、不自由は何より絶え難いものだった。
「剣聖という言葉は?」
「ああ、それは一応。傭兵の間でもちらほら出てくる。カーマ最高峰の剣士で、国王に匹敵する発言権を持つという伝説の役職だ、って」
 主に酒場の馬鹿話に出てきたということは、口に出すことを控えた。
「伝説じゃない、本当に居たんだ。今のカーマに居なかったというだけで、三人の剣聖が登場した時代だってある」
「ああ、そうなんだ」
 あくまでも他人事のユージーンに、ついつい苛々してしまう。知らないのだから仕方がないと自分に言い聞かせたミラビリスは、代わりに長嘆した。
「剣聖は剣士でなければならず、金剛石は剣聖でなくば与えられない」
「へぇ」
「……お前が剣聖なんだ」
 呆れて頭痛がする。
 笑顔のままユージーンが固まった。石化したように動きを止め、ミラビリスの溜息を聞いて動き出す。愛想笑いは跡形も無く消えていた。
「そんなまさか。俺、この国の外の方が長いんだよ?そんな重そうな職業いらないよ。剣技に覚えがあるって言っても傭兵流だし。地位も権力も欲しくない」
「望むと望まざるに関らず」
「困ったな。これ全部返してもいい?」
 ミラビリスは肩を落とした。
 一心不乱に飴玉を食うシャプトゥースが今だけ羨ましく思えた。

 

***

 

 扉を閉めれば鬱陶しい喧騒から漸く逃れられた。
「疲れた…」
「すまないな…。ゆっくり休むなら、客室に行くなり宿を取るなり出来るんだが、本当にここでいいのか?」
 部屋に入るなり肩を落としたユージーンに苦笑を返したミラビリスは、荷物や外套を片付けながら尋ねる。
「ああ、うん。大丈夫。話したいこともあるし、なんか離れるのは怖い」
「怖い、って。いい大人が何を言っている」
「十年ぶりなんだよ。せっかく会えたのに、また居なくなったりしないかと思うと、ね」
 顔を伏せるユージーンは何処か寂しそうだった。これが年上かと思うと複雑な気分だが、ずっと罪悪感を感じていたミラビリスは何も言えなかった。

「では、まず氏名を正確にお願いします」
 魔天師団の建造物に入り、騎士院へ辿り付いた時には、他人の視線にさらされ続けたユージーンの疲労はすでにいいところまで来ていた。カーマは他国人に対して寛大だとは言え、国の中枢を担う軍にあきらかな他国人が侵入するというのは嫌でも目立つ。自分が敵対国の象徴である金髪でなくて良かったとこのときばかりは思ったものだ。
 騎士院のフロアに入り、ミラビリスが中年の男と言葉を交わした後で、その中年がぎょっとした顔をしたのが忘れられない。困惑を浮かべながら数枚の書類を引き出しから取り出した担当官は、筆記用具でも入っているのか小ぶりの箱を小脇に抱え奥の間へ二人を招いた。
 取り調べに似ているな、とユージーンは思ったが、ミラビリスの顔色を伺うと柔らかく苦笑されたので大人しくしておいた。
 机の上についさっき館から持ち出した剣を二本並べると、やはり中年男性は目を見張った。
「ユージーン・ウルフ」
 フルネームの後にスペルを一字づつ発音する。
「年齢は?」
「俺の記憶が確かなら、二十三」
 次いでに誕生日も答えておく。
「出身地は?」
「マクミラン州。産婆が誰かまではわからない」
「州以下の詳しい地名はわかりませんか?」
 解らなくもないのだが、果たして答えていいものか迷ってミラビリスを伺えば、彼は代わりに口を開いた。
「マクミラン家の家令の息子だ。身柄は俺が保証する」
「では、純粋なカーマ人ということですか?」
「そうだ」
 仕方がないと言えば仕方のない質問だ。ユージーンの体毛はカーマ人とは到底言えない。
「念のため血脈判定を行ってよろしいでしょうか?」
 聞きなれない単語に、ユージーンが眉をひそめれば、ミラビリスが溜息をついた。
「その必要があるのか?」
「裏付けにはなるかと。失礼ですがその髪の色では一概にカーマ人だと断定してしまう決定打に欠けるでしょう」
 男の言葉に、ミラビリスの瞳が一瞬悲しみに染まった。すぐに元に戻ったが、ユージーンは見逃さなかった。悲しむべき理由は何処にもないのに、泣きそうに思えたのは錯覚だろうか。
 一度深く瞼を閉じたミラビリスは、肩をすくめる。
「カーマは魔神の血を例外なく引いている。その濃さを調べるものだ。ギュスタロッサに選択された時点で、お前の純血は確かに保障されているのだが、家系図に登録される貴族でない場合はより確かな裏付けの為に検査を行う」
「まあ、俺の見た目じゃぁね」
「血を一滴貰えればそれで済む。悪いが提供してもらえないだろうか」
「ミラが望むなら、どうぞ。好きにしていいよ」
 そんな辛そうに口を引き結ばなくていいのに。言おうと思ったが、男がちらちらと様子を伺っているので迂闊なことは控えようとユージーンは曖昧に笑う。
「すまない」
 では、と改まった担当官は、小箱から水晶玉のような物を取り出した。大人の拳位の大きさで、傷も凹凸も無い。透き通った球体。透き通っているのに反対側が見通せない。
「この上に血を一滴乗せていただけますでしょうか」
 小さく息を吐いたユージーンは、袖に仕込んである小ナイフを取り出して親指に小さな傷をつけた。舐めればすぐに止まってしまう程度の。水晶の上にぽたりと一滴垂らす。
 それで何がわかるのかと半眼で指を舐めながら見つめていれば、血痕がみるみる水晶に吸収されていった。透明が臙脂色に変わり、黒い光が玉の内部で火花のように点滅する。珍しいが綺麗な光景ではない。
「これはこれは…。正統を含める二十二王家の内、十四の反応が出ました。庶子よりも高い値です。彼は間違いなく、それも中々に濃い血筋をお持ちのカーマ人だ」
 流石に血筋がどれだけだとは知らなかったミラビリスは目を見張っている。男は紙に結果を書き写し、一人頷いた。
「では、次にまいりましょう。ギュスタロッサの剣種と銘を」
 視線が卓上の剣へ移った。ユージーンは腕を組む。剣種はいい。それくらいは見たら解る。銘とは剣の名だろうか。手にとった瞬間頭に直接刻み付けるように単語が浮かんだことを思い出す。
 それにしても、とユージーンは自嘲めいた笑みを浮かべた。自分の戦闘スタイルすら見越していたのだとしたら、ギュスタロッサというのは中々食えない武器だ。くれるというのなら貰うが愛着が湧くかどうか疑問である。
「黒いほうはカッツバルゲル。銘はルー・ガルー」
 ユージーンはまず黒い剣を抜いた。装飾をそぎ落としたシンプルな柄、真正面から見ればS字を描いた鍔をしている。漆黒の刀身の付け根に狼の紋章がひとつ。
「白い短剣はソードブレイカー」
 次に白い短剣を抜く。それは鋼が奇妙な形をしていた。砥がれているほうの反対側が櫛のようになっている。初めて見る刀身に、ミラビリスの視線は自然と白銀の短剣へ向く。
「ソードブレイカーは相手の剣を折る事に特化した剣だ。勿論攻撃にも使えるけれど、防御にも使える」
 一度言葉を切ったユージーンは。白い鋼を見つめて言いよどんだ。
「銘は…、概念すぎて単語にならない」
「解らないのか…?」
「いいや、俺はきっと、正しく使えるよ。その時になれば」
 それ以上答える気が無いとでも言うように強い視線のまま黙る。
「銘を正確に名乗らないとは…、色も特異ですし。本当にギュスタロッサなのですか?マクミラン顧問官」
「それは間違いない。俺の杖が是と言っている。三千年の歴史を洗うしかないだろう。何かのきっかけで名乗るかもしれないし」
 ふむ、と顎を撫でた男は、紙面に何か書き込んで改めてユージーンに向き直った。
「では、ウルフ氏。どのように剣技を習得なさったのか、教えていただけますか?」
 カフェの店員並みの笑顔を浮かべる男を目の当たりにして、ユージーンは天を仰いだ。

「随分、のらりくらりと逃げたものだ」
 うんざりする詰問を思い出していたユージーンは、自前の短剣以外の全ての武器を外して溜息をついた。
 ベッドの上で小悪魔が大の字になって眠っていた。
「他人に言うことでもないしね。先に、ミラに聞いてほしかったから」
 満面の笑みを浮かべて振り返れば、ミラビリスが面食らったのかきょとんとしている。すぐに無表情に戻ったが簡単に視線は逸らされた。
「酒は飲めるか」
「ああ、うん。割と」
 備え付けの棚からワインボトルとグラスを二つ持ってきたミラビリスは、小さなテーブルの上に乗せた。コルクを抜こうとするのをユージーンが代わる。
「それくらい俺でも出来るが」
「だろうね。気にしない気にしない」
 どういう育ち方をしてきたのかお互いにまだ解らないが、ユージーンから見たミラビリスは、凡そ力仕事とは無縁に思えた。貴族に相応しい姿と立ち居振る舞い。従者が居ないことがいっそ不思議なくらい。
 ふいに見つめられていると感じたユージーンは視線の先を追う。
「その髪、シャプトゥースに戻させようか?」
 強い視線の割に弱々しい声だった。
「何故?」
「いや、色々と煩わしい思いをしたんじゃないかと…」
「あの時言った事を――」
 ワインを注いだユージーンはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あの時言った事を、覚えてる?俺はこの色を見る度にミラを思い出していた。目立つからね。きっと見間違えることはないだろう、って。十年もかかってしまったけど」
「しかし…」
「ミラがどうしても戻したいと言うのなら仕方の無いことだけれど、俺はこのままにしておきたい。大切な思い出だ」
 長めの前髪を弄りながら。
 もしミラビリスに罪悪感があって、その所為でずっと気にしていてくれるのなら、尚更だった。済まなそうに身を縮める身体を抱きしめたいと、ユージーンは胸中で思う。ミラビリスは、自分がどれだけ彼を想って生きてきたかなど、きっと解ってはいないだろう。伝える気も、今はない。枷になるならいい、と暗い喜びを持っている事を悟られるなど論外だ。
「本当にいいのか…?」
「勿論。俺に似合ってない?黒い方が好き?」
「い、いや。似合っていないというわけではなくて、な」
「そう?なら、このままで」
 一度ワインを口に含む。それに習ってミラビリスも口をつけた。
「ミラは、この十年どうしてたの」
「俺は…」
 一度口篭もったミラビリスは、もう一度ワインで唇を濡らした。
「お前にさよならを言う間もなく、姉と王都に――ここに連れてこられた。マクミラン家では魔力値が高いと例外なく初等部から師団附属の王立学舎へ入学する。ミニーも今では黄玉の騎士位を持っているが、覚えているか?当時は俺より魔力値が高かった。本当はミニーより後に入学でも良かったんだ。
 ただ、俺はシャプトゥースを召喚してしまったから…。魔導士として以上の価値がついた。召喚士というのは、稀少で、それは全世界を見てもそうだが、俺も例外なく魔について叩き込まれる事になった」
「…十歳にもなってなかったのに?」
「ああ。古代魔術を使うことの出来た人物もマクミラン家には居たからな。家のプライドというものもあっただろう。始めのうちは長い休暇すらもらえなくて、父や母にお前の行方を聞いたけれど返事はもらえなかった」
「まあ、大事な一人息子かどわかしたわけだしね」
「…そんな言い方はよせ、いくら子供でも分別はある。あれは同意だ」
 無意識というか、きっと深い意味は無いのだろうけれど。ミラビリスの発言はユージーンを喜ばせるに充分なものだった。
「やっと家に帰宅できるようになった時、お前の姿は屋敷に無かった。悪いがジーンの両親を問いただしたこともある。けれど、旅に出たまま戻っていないの一点張りで」
「…ごめん、あんまり手紙とか得意じゃなかったから親にも生存報告くらいしかしてなかった」
 もとより処罰は覚悟していたから、ユージーンはマクミラン家に手紙をしたためるような事をしなかった。親の職が切られなかっただけでも万歳だ。それ以上を求めるには、十二、三歳の当時としては達観していた。加えて最初の頃は旅に慣れることが精一杯でそれどころではなかった、というのが正直な感想だ。
「それは、仕方ないだろう。お前の所為であるはずが無い。俺もさっさと学位を取って地位を得てお前を探そうと準備をしていたら、なんの因果かギュスタロッサに選ばれた。王都を長く離れられなくなってしまった」
 紫色の瞳を伏せたミラビリスを、ユージーンは静かに見つめた。机の上においてある手に、自分の掌を重ねる。
「…何だ」
 一瞬びくりと反応したが、すぐに訝しげな顔でユージーンを睨みつけてくる。曖昧な笑顔でごまかして、首を横に振った。
「ギュスタロッサに選ばれると、どうなるの?」
「本来、剣聖かそれに次ぐ者が自然と行う事なのだが、ギュスタロッサは魔具を授けるときに介錯を行うのが通例だ。ただ、長く剣聖が存在しないと威が廃る。宣告は国王が代理するとして、相応しい者かどうか、また、紛れも無いギュスタロッサであるかどうか確認する者が必要だ。
 俺は杖を戴いたと同時にギュスタロッサの館に自由に入る許可と館の簡単な図面を授けられた。お陰で館の管理人に任命されてしまった。住み込むようなものではないから、研究するという名目で籍は軍にある」
「学者になったんだ」
「戦闘魔術及び補助魔術の実技に劣りはないが、な。魔力値だけで言えば、腐ってもマクミランだ。戦争なり自衛なりの役に立つくらいの自負はある。曲がりなりにも青玉だ」
 話し疲れたのか、ミラビリスが瞼を閉じた。小さく息を吐き出して、ユージーンの方へ向き直りながら瞼を開ける。
「…こんなに自分の事を話したのは、久しぶりだ」
「俺は聞けて楽しい。まだ足りないくらいだ」
「…少し休憩させてくれ。お前は…、お前は俺と離れてからどうしていたんだ?」
 きっと、ミラビリスが一番聞きたい事だろう。もったいぶっていた訳ではないが、意識と視線が緊張しているミラビリスを見ているのも悪くないと、ユージーンはひっそり笑った。
「あの頃、流しの剣士が学校で教えてた事があって、俺の処分を聞きつけたその先生が俺を連れて行きたいと申し出てくれたんだ」
「流しの剣士?」
 そんな事は知らなかった、と顔に出ている。あの頃はお互いの事は何でも話し合っていたとはいえ、四歳の差は大きい。年上だったユージーンはある程度思春期に足をつっこんでいたので、伝えてない事も少なくはなかった。
「この大陸から海を越えて北に、密林と砂漠が広がっている大陸があるだろう?」
「砂嵐の女王が当地するという、サチャ・ユガか」
「そう。師匠はそこの生まれらしくて、世界を旅して各地の剣技を研究していた。爺さんだったんだけど、相当な腕だったよ」
 日焼けとは違う浅黒い肌に銀髪、布と紐を多用した南国風の衣装に、幅が広く反り返ったシャムシールを振るっていた。
「弟子って言っていいのか迷うけど、学校で教えてくれていたときから俺に目をつけていたらしい。俺が放逐されるのは渡りに船って感じだった。
 ま、他国人で、しかも住所不定の男に子供を預けるというのを俺の両親は渋っていたけど、状況がどうしようもなかった。マクミランでは俺の見た目は有名になってたし、俺もね、これ以上両親に迷惑かけるわけにも、ミラの居ないマクミラン家に居座る意味も見つけられなかった。
 それに、爺さんに付いていけば、大人になったときにミラを護れるくらいの腕にはなるんじゃないかと期待してたからね」
 ワインを飲み干して、暫し過去を想う。懐かしいわけではないけれど、感慨深くはある。
「人が居て、剣士が居る国は全て回った。有翼領プルヤルピナ、獣ヶ都ラーハス、ああ、天空要塞にも一度だけ。あれは二度と行きたくないと思うけど。それに、この髪の色だからね、カーマと仲の悪いミネディエンスにも行っていた」
 カーマ王国の外から出た事の無いミラビリスにとって、ユージーンが上げる国名は本の中でしか知らない知識だ。 
「カーマには…?」
 戻った事はあったのか。戻っていたのなら会いたかった。けれどそんな事を言える立場ではないとミラビリスは自分を責めている。けれど、戻ったのなら自分に会いに来てくれてもいいだろう、とも思っている。
「カーマはあまり剣技が盛んじゃなかったからかな、小競り合いのある沿岸でも目立った剣士はいなかった。王都に来れば別かもしれないけれど、どうも師匠が王都に来るのをしぶっていてね」
「そうか…」
「それから、俺が師匠の腕と並んだ時には、傭兵家業に染まっていた。その時くらいかな、耳鳴りみたいなのが始まったのは。
 で、サチャ・ユガを転々としながら生活して。爺さんは身体悪くしてても戦場に出て、戦場で死んだ。二年前くらいになる。本望だったと思う」
「それは、残念だ。師の冥福を祈ろう」
「ありがとう。結局小競り合いの平定が付いたのが三ヶ月くらい前かな。爺さんの故郷に遺品届けて、その足でカーマに戻って、今の俺が居る」
 長年慣れ親しんだのは、師匠と同じ南国風の衣服だ。カーマに戻ってその寒さに驚いた。
 懐かしいとは思ったけれど、そこに自分の居場所は感じなかった。故郷という概念は無く、外国だと。ただ、ミラビリスがこの大地のどこかに居ると考えれば、心が浮ついた。
「義理と恩を返すまで、会いにこれなかった。待たせてごめん」
 漆黒の瞳を伏せて、ユージーンはミラビリスの手を握った。今度は振り払われなかった。
「…屋敷には戻ったのか?ご両親はまだマクミラン家に仕えてくれている筈だ」
「いいや。親よりミラに会いたかった」
「……ギュスタロッサが先だったろう」
 合わされた視線を外して、ミラビリスが小さく呟く。拗ねているのか、とユージーンは解釈した。
「だって、頭痛だか耳鳴りだかをそのままにして会いに行けば、ミラは心配するでしょ?」
 小首を傾げ、外された視線を捕らえる。ミラビリスが口を引き結んだ。
 嬉しいなら、素直に言えばいいのに。随分捻くれて育ったものだ。そんなユージーンの胸中を知る事も無く、ミラビリスは幾度かの躊躇いの後、微かな笑みを浮かべた。
「おかえり。会えてよかった」
 前言撤回だ。捻くれていて構わない。その顔が見れただけでも、カーマに戻ってきてよかたとユージーンは満足だった。

  

初出:【お嬢様の本棚】様
長くてすみません。切りどころが微妙で…!
2008/10/11

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