Koerakoonlased - 4 -

Koerakoonlased "Radid Canine"

「ねぇ、ミラ。M2って何?」
 食堂へと向かう、颯爽と前を歩む黒髪の後頭部に、ユージーンは話し掛けた。
「あだ名みたいなものかな。軍での家名というか。頭文字を取ってM2。軍部に所属しているマクミラン家の者は、代々そんな呼び方をされていたらしい」
 それはなんとも可愛げが無い呼び方だ。貴族だと隠しているわけでも無いだろうに。浮かんでは消える疑問を選別し、ユージーンは尋ねる。
「俺もそう呼んだほうがいい?」
 役職名は別として、今まで話したりすれ違ったりした者達の中で誰一人、ミラビリス本来の愛称を呼ぶ者は居ない。使い魔を除いて。
「……」
 ミラビリスが立ち止まった。横に並ぶのもどうかと思い、ユージーンは数歩後ろに留まる。
「好きに呼べばいい」
 なんだろう、口調が冷たい。ユージーンの漆黒の瞳が細くなる。怒っている。悲しんでいる。拗ねている。さあ、どれだ。
「拗ねてんじゃね?」
 助け舟を出したのはシャプトゥースだった。ユージーンは苦笑した。
 地雷は何処に埋まってるかわからないものだな、なんて胸中で呟く。
「じゃ、ミラで」
「別に、何でもいいんだぞ。お前が呼ぶなら」
「ミラでいいよ。ミラビリスでもいいけど。もしかして、俺だけでしょ、そうやって呼ぶの」
「オレ様も呼んでるだろうが!」
 使い魔の喚きは無視して、ユージーンは黒髪に手を伸ばした。ひと房捕まえて指に絡ませる。悪くない感触だ。
「別にお前だけというわけでは…」
 近寄って頭を撫でられそうになるところを避けたミラビリスは、歩みを戻す。その寸前。
「俺だけにしといて」
 妙に低くて掠れた声が、耳元を掠めた。
「…っ!?」
 勢いよく振り返れば、何事も無かったように朗らかに笑うユージーンが居た。使い魔は腹を抱えて笑いを堪え空中をふらふら。
 何か言おうとして言葉が出なかったミラビリスは、そのまま足早に食堂へ向かった。耳が熱いのは気のせいだ。髪で隠れて見られる筈がないと自分に言い聞かす。自分の感情の機微はこれほど顕著では無かったはずだ。
 朝食前にこれでは、今日一日が思いやられる。含み笑いを背後に聞きながら、ミラビリスは盛大な溜息をついた。

 朝食が済んで、ミラビリスは一度執務室へ向かった。漆黒の杖に共鳴する設計図が机の上にある。館の変動がぴたりと止まっていることを確認して、原因はやはりユージーンだったのかと隣を見れば、しっかり付いて来た彼は楽しそうに図面を眺めていて、溜息が漏れた。まあ、落ち着いたのだから、これでいい。
 好奇心に輝いた笑顔は、十数年前から変わらない。記憶に有るのは少女の笑みだが、今目の前に居るのは男だった。違和感を感じないわけではないが、今更口に出して言う事ではないけれどユージーンは整った顔をしていた。過去を考えれば予測できそうなものではある。女顔はなりを潜め、美丈夫とでも表現するべきだろうか、この美形は。さぞや女が放っておかなかっただろうと、ミラビリスは苛立つ。
 別にもてたいわけではないのだから、ユージーンを妬んでも仕方ないだろうと、自分を誤魔化した。嫉妬の方向性が違うという事は思い付きもしない。
 王城に呼ばれていることを騎士院へ報告し、昨日調べたユージーンの調書を受け取る。
 資料室に保管されている魔具のデータは、過去使われた事の有る剣かどうかを調べる事が出来る。銘で索引があるので、記録を引き出すのは容易い。調書には黒い剣の記録も貼付されていた。その場で速読して、ミラビリスはユージーンを見つめた。穴があいてもいいくらい、凝視。
「なに?ミラ」
 のほほんと笑う姿と記録がかけ離れている。ミラビリスは解釈でも間違えたかと、記録にもう一度目を通した。今度はちゃんと。
 要約すると、こうなる。
 ルー・ガルー。今まで四人のカーマ人が手にした。騎士位は様々だが、その殆どが上位。四人中三人は赤毛の女性。四人の共通点はひとつ。その暴力性だ。他者への容赦ない暴行で、幾度か逮捕されるような事態に陥っていたり、当時の剣聖に粛清を受けた者も居る。ギュスタロッサの中でも極端な個性を持った剣だ。
 ギュスタロッサは本質を見抜く。稀に両極端の性格を持つこともあるが、基本的には持ち主と同じような属性を有する。
 ルー・ガルーという銘を持った剣は、なかなか凶暴らしい。それが、ミラビリスにとってユージーンとは似ても似つかないと思う。ミラビリスは彼を草食動物のように思っていた。。
「ジーン、戦うことは好きか?」
 思わず、そう聞いてしまった。
「え?…うーん。戦って金貰ってた俺が言うのも何だけど、戦うよりダラダラしてたいよね」
「……そうか」
 砂漠の戦闘民族と同じ服装をしておいて、説得力がないと言えばないのだが、ユージーンの気配は凡そ荒事から正反対だった。
 書類一式を騎士院の紋章が焼き付けられた封筒に包み、軍を出た。シャプトゥースはひとしきり朝食を食い散らかした後、ミラビリスのマントについているフードの中に潜り込んで居眠りしたまま起きて来ない。いい身分だ。
 軍の正門で客待ちしている馬車を捕まえ、二人は素早く乗り込んだ。今日の気温はこの季節にしては肌寒い。ユージーンが腕を擦っているのを目ざとく見つけたミラビリスは、衣服の違いを実感した。
「その服じゃ、寒いだろう?」
「布薄いからね。俺は暑いより寒い方が平気なんだけど、砂漠で慣れてるからかな。なかなか順応しない。ここに居る間コートの一着くらい買っておいたほうがいいかもね」
「これから色々物入りになるだろう。後で服屋に連れて行く」
「よろしく」
 今の今まで服装に関して何も言わなかったのは、サチャ・ユガの衣服に愛着があるのだろうか。だったら、無理に着替えさせるのも悪いかもしれない。
 外の景色を見ながらそんな事を考えていれば、
「ヒューって、ミラの何?」
 ユージーンがぽつりと呟いた。
 視線を向かえに戻したミラビリスは、意図が読めなくて返答に一瞬詰まった。ユージーンは変わらない笑顔で笑っている。女性らしいと言えるかもしれない泣き黒子が目に留まり、ミラビリスは気が付いた。
 不穏な気配など微塵も感じさせず、むしろ親近感さえ沸きそうな笑顔を浮かべるユージーンだが、その目はまったく笑っていなかった。
「ヒューは、士官学校の先輩だ。貴族出と平民出ってのは壁が出来やすいんだが、先輩はその橋掛かりになってくれていた。どうも俺の性格は年上に嫌われるらしくて」
「俺も一応年上だけど、ミラのことは好きだよ?」
 ミラビリスは一瞬言葉に詰まった。こういう所は幼い時と変わっていなくて嬉しい。年上とは思えない。無意識に微笑んでしまう。
「ジーンだけは別格だ。お前は俺が貴族だからって、手加減したことも贔屓したこともないだろ?」
「まあね。…俺にとっては姫君だったけど」
 後半部分は殆ど吐息にまぎれて呟く。ハンモックよろしくフードの中で眠っている筈のシャプトゥースが破裂するような声で吹き出した。
「シャプトゥース?」
「聞こえませーん。オレ様寝てまーす」
「………」
 釈然としない表情を浮かべるミラビリスを眺めながら、使い魔は油断も隙もないものだとユージーンは苦笑する。
「彼は、結構スキンシップが多いひと?」
 今朝方、肩や背に触れていたことを脳裏に思い浮かべながら、出来るだけさりげない口調で尋ねる。
「特に意識したことは無かったが…。ああいうものじゃないのか?」
「そう」
 特に他意は無いと示すように笑顔を浮かべたユージーンは、ミラビリスについて考えを改めた。鈍い相手というのは落し応えが有る。その鈍さのお陰で一人身のなのだから、文句は無い。
「ジーンが居なくなって、唯一友人と呼べる相手かもしれない。歳はお前と同じようなものだから、困ったことがあれば聞くといい」
「そうだね。機会があれば」
 そんな機会は無いだろう。第一印象というものは馬鹿にできない。ミラビリスに接する態度がどうも気にくわない。一応注意は忘れないでおこうと、ユージーンは笑った。
 そうこうしているうちに馬車は王城に着いた。
 御者に代金を払い、馬車を降りれば日光に幾分温まった風が吹いていた。ユージーンがそれでも顰め面を浮かべているのが、どこか微笑ましい。
 軍関係者用の入口へ進んだミラビリスは、騎士院と今朝受け取った封筒を見せる。近衛兵が素早く出入者名簿に書き付けて、二人は王城内部へ入った。
 とりあえず黒天師団の本部へ歩みを向ける。廊下を進むに従って黒衣の軍服が増えてきた。少ないとはいえ剣士たちが支配する棟で、魔導士と外国人風の二人は嫌でも人目を引く。あからさまな視線を向ける者はいないけれど、興味を持たれている事は明白だった。
 カーマ城は軍部と融合した作りになっている。中心に城があり、城の左右に黒天師団及び赤天師団の本部が付属しており、その本部から数本の回廊が延びて各軍基地へ繋がっていた。基地には独身者用の寮も併設されている。
 魔天師団だけは城と正反対に位置してあり、王城には役職者のみ数人が常駐しているだけだ。だから魔天師団に勤める者が王城へ入城する場合は都市を横断しなければならない。大通りの両端なので、移動し易いが遠い。
「城の中で訓練してるんだね」
 廊下の窓から見えた光景に、ユージーンは呟いた。剣技を探して旅をしていたくらいだから、やはり興味はあるらしい。
「一部隊分程度なら、な。それ以上の規模になると基地か郊外で行うのが殆どだ。気になるなら見学できるように計らうが」
「あー…うん。邪魔にならない程度に、そのうち」
 答え方が煮え切らないのは、軍に押し込まれるのではないかという警戒だろうか。
 小さく笑いながら、ミラビリスは先頭を歩く。道を尋ねることがないのは、城の内部に慣れている所為だ。ギュスタロッサの館も製図単位で覚えているが、基本的に建物の内部を探索して覚えていくことが好きだった。
「なあなあ、ミラ。黒天に来るのはいいけどよ、あの女に用なのか?」
 フードから顔だけ出した状態で、シャプトゥースが囁く。
「…嫌なら外にでも居るか。構わんぞ」
「いやぁ…、外寒いしなぁ…、うぅ」
 語尾が小さくなりながら、悪魔はフードに逆戻りした。細長い尾がはみ出ている。
 女という単語に引っ掛かりを覚えたユージーンがミラビリスにそれを聞く直前、ミラビリスが兵士の一人に声をかけた。
「召喚状が届いたんだが、師団長殿は在室だろうか」
「ああ、お待ちしていました。よかった。うちの姫様の機嫌が悪くて…」
「らしいぞ、シャプトゥース。良かったな」
「オレ様は居ませんよ。居ませんからね!」
 内輪で盛り上がりながら階段を上がっていく。疎外された感のあるユージーンは、しかし何も反応しなかった。兵士がちらりとユージーンを見つめた視線が、剣士の目だった。魔導士連中の中に居た時は面倒くささが先に立っていたユージーンだが、やはり同じ剣士が集まる場に居ると心が躍る。
 どうせなら師匠も首都に来ればよかったのに。胸中でそんなことを思った。
 真中が通路で端に部屋があり、奥に行くほど地位が上の者が使用している。そんな構造をしていた。正面の階段を上りきった先に、一際大きな扉がある。
「師団長、M2様がお見えになりました」
 ノックの後扉を開けた兵士は、客人を先に室内へ通した。
「魔天師団騎士院、M2です。お招きにあずかり光栄で――」
「挨拶なんていらないわよ。悪魔ちゃん居るんでしょ?貸してちょうだい」
 応接セットの奥にある執務机には、女性が手招きしながら座っていた。
 ミラビリスより赤い黒髪に同じ色の瞳。釣り目に細い唇。肩でばっさり切りそろえられた髪が個性的な美人だ。
「貸してもいいが、用件を。『剣聖候補を連れて午後までに来ること』だけじゃ、判断材料が乏しい。根回しの早さには感服するけれど」
 腕を組んで話すミラビリスは何故かその場の誰より偉そうだった。『貸してもいいが』の部分で、フードが不自然に動いたことを、背後から見ていたユージーンは目敏く気付いた。先ほどの兵士は苦笑を浮かべながら違う部屋に入っていく。音を聞く分にはお茶の用意でもしているのだろう。
「『昼食は私の旦那と一緒に食べましょう』ってのも付け加えとくんだったわね」
 見目はミラビリスと同じくらいの年かさに見えるのだが、既婚者というだけでユージーンにとっては安全牌だった。目の前の女に対して、俄然興味が失せる。
「そちらが件の剣聖候補?」
 椅子から立ち上がり、机を回り込んだ。黒い軍衣は今まで通路ですれ違った誰よりも威圧的。
 ミラビリスが一歩横へ避けて、ユージーンを正面に進ませる。
「私はクラマス・クセルクス。黒天師団長を拝命している。騎士位は青玉。久方ぶりの金剛の誕生、いちカーマ国民として感謝と祝福を申し上げる」
「どうも、ウルフです。金剛とか興味無いからあまり期待しない方向でよろしく」
 差し出されたクラマスの手を握り返したユージーンは、曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「……M2」
 クラマスがユージーンを見る目つきは刃物より鋭い。口調の丁寧さを裏切るような剥き出しの敵対心すら隠さない。それがそのままミラビリスに向けられる。
「彼は、外国生活が長かったんだ。別に侮辱しているわけじゃないから、そんなに殺気立たないでくれ、クラマス。これ貸してやるから」
「ぎゃあああ」
 早口に捲くし立てたミラビリスは、マントのフードから使い魔を取り出した。そのままクラマスに放り投げる。
 危なげなくキャッチした師団長は、人形のように固まって動かないシャプトゥースを両手で持って目の高さまで掲げてにんまり笑った。殺気だった原因は、とりあえず一時忘れてくれた。
「詳しい事は、昼食会で話ましょ。それまでうちの副官かしてあげるから、見学でもなんでも好きにしてるといいわ。剣聖候補殿の前に全ての門は開かれるでしょう」
「おおおおお、オレ様を裏切ったなぁぁぁ!覚えてろぉおお」
 吊るされたままの使い間が涙目で喚いているが、この場の誰一人として取り合おうとはしなかった。
 お茶のセットを持ってきた兵士は、師団長から指示を受けて、トレイ片手に略式の敬礼を返した。トレイの上には大小ひとつづつのティーセットとケーキ。どうやら呼び出した者たちへの礼ではなかったようだ。
 冷たく高飛車な印象を受ける外見を持った彼女は、案外少女趣味なのだろうか。シャプトゥースを逃がさないように捕まえながら、嬉々としてティーセットを並べている。こうなると何を言っても聞きはしない。
 兵士――師団長の副官は、とりあえず部屋を出ようと先頭に立って二人を入口へ誘導する。
「ウルフとやら」
 師団長室を出る直前、クラマスがユージーンへ声をかけた。
「逃げんじゃないわよ」
 蛇のような笑みを浮かべた美女に、男達は蛙のように息が止まりかけた。逃げるように退出。

  

クラマスさんけっこういい歳。
2008/10/17

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