Koerakoonlased - 8 -

Koerakoonlased "Radid Canine"

「どうしたの?ミラ」
 図書室の隅で泣く幼子を見つけて、ユージーンは柔らかい声で尋ねた。いつも元気に遊びまわる子供が、この所落ち込んでいた事を気にかけていたので、驚きというよりは、確信に似た苦笑が漏れてしまう。
「ミニーが、新しい魔術を教えてもらったって…」
「そう…」
「おれはまだ覚えてないのに」
 膝を抱いて泣く姿が可愛らしくて、黒い髪を透いて背中を撫でてやる。ミラビリスは双子の姉が自分より強い魔力を扱うことに、劣等感を持っている。同じ日に一緒に生まれたけれど、その後は平等ではない。それが子供ながらに悔しいのだろう。
「じゃあ、ミラしか知らない魔術を覚えたらどう?」
 この屋敷の中で唯一同じ子供として、ユージーンは友人関係のようなものを築いていた。かたや貴族の嫡男、かたや使用人の子供。身分の差というものをユージーンは痛いほど知っていたが、せめて二人だけの時は等しく扱ってやりたい。それがミラビリスの望みでもあったし。
 ユージーンの提案に、ミラビリスは涙を止めて顔を上げた。微笑みを浮かべて濡れた顔を拭ってやり、手を取って立ち上がる。
 この屋敷の書庫には、子供向けの本が本当に少ない。その殆どは魔術やそれに類するものであり、それはマクミランという家名に相応しいと言える貴重なものばかりだった。
 子供が書庫に出入りすることは知識を深める面から歓迎されていて、この場所は屋敷の者であれば簡単に入ることができる。
 だがユージーンはこの間、書庫の奥に隠し部屋があることを見つけてしまった。書庫は屋敷の地下にあるので見取り図と照らし合わせたわけではないのだが、どうも何かがひっかかると好奇心を発揮して探っていたのだ。家人のひとりがそこへ入る姿を見かけ、いつかミラに教えてやろうと思っていた。それは今であるに丁度いい。
 握った手を引いて案内してやれば、ミラビリスは目の周りを赤くしたままきらきらと瞳を輝かせていた。隠し部屋や探検といったものに、子供は弱い。
「すごい!みたこともない本だらけだ!」
「本当だ。きっとミラだけの術になるよ」
 ただ、ミラビリスを喜ばせたかったのだ。気になった背表紙の本を片っ端から取り出しては戻す。自分の魔力レベルが足りなくて読めないものが大半だったが、いくつかはちゃんと判読することができた。
 そんな中目にとまった一冊の本。真っ白なページにがっかりしながら棚に戻そうとして二人一緒に触った。途端ページに文字が浮かび上がり、それが召還に関するものであることが所々わかった。
 文字は古く、公用語ではない部分が多くて、前後を読んだりなんとか意味を繋げあわせる程度だったが、どうやらミラビリスの興味を刺激したらしい。
 ユージーンはそれが古語であると、学校の授業で習ったので知っていたが、楽に読めるほど言語を扱うことはできなかった。だから二人で推測を混じらせて読んだ。
 一日では終わらず、こっそりと忍び込んでは二人で読み解く。秘密を共有することが何より楽しかった。
「だいたい、わかった。でもこれで魔族をほんとうに召還なんてできるかな」
「隠し部屋に置いておくくらいだもの。できるからこそ、じゃない?ミラならきっとできる」
「うん、ジーンが手伝ってくれたし、できるようなきがするんだ。どんな魔族が出てくるかな」
 満面の笑みを浮かべるミラビリスが愛おしい。
 結果的に魔族の召還は成功した。
 負荷を助けるためにユージーンも力を貸した。方陣から姿を見せた魔族は浅黒い肌をした黒い大人だと思った。異形の翼や角が確かに人間ではないと知らしめている。弧月のように唇をしならせて笑っている。
 ミラビリスが目をつむったたった一瞬の光景で、後から尋ねてみればそんなものは見ていないと言う。
 妖精のような小ささで小悪魔は、ミラビリスの肩にくっついてゲラゲラ笑うだけだった。

 

***

 

 ミラビリスはペンを置き、腕を上げて背を伸ばした。
 肌寒さが増したカーマの昼陽が、窓から差し込んでいる。魔天師団の執務室。大机の上にある館の図面には変化は無く、本来の仕事は一時休止中だ。
 執務机の上には、歴代の魔具についての報告書や辞典、紳士録などが乱雑に並べられている。
 室内には、ミラビリスとその使い魔だけだった。
 ユージーンとダウンタウンの宿で一晩明かしてから、一週間近く日が経っている。
 全てを一時保留にする事を上層部になんとか認めさせ、期限付きの自由を得た。その間、観光案内をするわけにもいかず、ミラビリスはユージーンの魔具について調べ上げることにした。
 魔具関連の書物は、王立図書館より多く所蔵しているのに、その全てをさらって見ても、あの白いソードブレイカーについての記述は無かった。これは、世に出てくる初めての剣なのだろうか。だとすれば、新しいページを作らねばならない。
「シャプトゥース」
「なんだよ」
「お前は、あの武器に何かを感じるか?」
 シャプトゥースは人間と似た姿をしているが、人間と相容れるものではない。ひとの輪の外に存在し、違う次元の理に縛られている。だから人間に感じ取れないことを感じている場合もあるのだ。
 和気藹々と仲良くしていても、親切とは程遠い。聞かなければ、知っていても答えないのが基本姿勢だ。
「ソードブレイカー?」
「そう」
「そんな必死になって調べなきゃならねぇもんかよ」
「未出自ならば、仕方ないけれど、剣聖の魔具が名無しというのは箔がつかないだろう」
「アイツが箔なんざ気にするとは思えねぇけどな。それに言葉になってないだけで、知ってるんだろ?いや、案外知ってるけど言いたくないのかもよ」
「…そんなことをする必要があるか?」
 だが隠す必要性がまったく無いとは言い切れなくて、ミラビリスは黙った。力なく項垂れて、長嘆する。
「駆け引きの材料にしそうじゃん、アイツなら」
「……」
 ユージーンはおそらく――いや、明確に告げていたが、性的な意味を含んでミラビリスのことが好きだと主張している。しかし、全面降伏するわけではなく、同じ気持ちを返せと要求していた。
 その駆け引きのために、自分の持てる全ての力で対応してくることは想像に難くない。きっと再会した最初から蜘蛛の巣のように策を巡らせていた。力も、情報も、感情ですらも。ミラビリスの研究材料をネタにするくらいわけないだろう。
「…どうしたら、いいんだ」
 応えるかどうか、ミラビリスはずっと悩んでいた。
 ユージーンはあの時以降何も言ってこない。それが逆に怖かった。視線が合えば、わかる。忘れていないと口で言うより確かな表情をしているから、この頃、ユージーンをまともに直視できないのだ。
「好きになれないなら、そう言っちまったほうがいいだろ。それがユージーンのためだろうし、オマエのためだ。オレ様は剣聖がいようといまいと関係ねーもん」
「最近生意気だ。使い魔のくせに」
「優柔不断って、見ててイライラすんだよ!オマエがオレ様の契約者じゃなけりゃ、頭から齧りついてんぞ。悩んでるなら一度抱かれてみりゃいいじゃねぇか」
「簡単に言うな…」
 しかし、ミラビリスは使い魔の苛立ちが自分の所為だけではないと薄々気付いていた。一週間前の、ちょうどあのときからだ。おかしいのは。
 加えて、頭が痛い問題はそれだけではない。師団内部の各所から、色々な形で圧力がかかってきている。気付いていない振りをして、やり過ごしてはいるのだが、何か手を打たねばならない。
 今のところユージーンを攻撃しようという動きではない事が救いではある。攻撃対象が自分であれば、対処は出来るだろう。権力争いならば、直系貴族であるお陰で身についた処世術が役立つだろうし、完全に勝利することは難しいかもしれないが、最低限負けずにユージーンを護る事はできるだろう。
 ミラビリスは魔導師として防御魔術には精通しているおかげで、対外的な攻撃に強い。だが、身内と認めてしまったような相手からの心理戦には弱かった。子供のころは自分が負け知らずの王様のように思っていたのだが、組織と貴族の波に随分揉まれてしまった。
 そんな中でユージーンだけは昔と変わらず接してくれている。愛情を寄越せと要求してきてはいるが、心遣いや優しさは忘れていない。ユージーンという男を再認識するには時間が足りないというのも確かではあるが、身を預けてしまうには信頼しきれないのも事実だった。軍で生きていく中で、ユージーンが側に居ればどれほど救われるだろう。
 カーマという国は祖先が魔族であるためか、性に対する価値観が固くはない。結婚し、子をもうけるには確かに男女でなくてはならないのだが、そもそも婚姻関係をとらない場合さえあるし、パートナーが同性だとしても差別や偏見は皆無だ。だからミラビリスはユージーンが男であることには驚きはしたものの、嫌悪感は無かった。
 けれど、――けれど、と考えてしまう時点で駄目なのだろうな、と思う。何かが足りない。嫌いではない、好きだけれど、…怖い。
 ミラビリスは深く息を吸い込み、天を見上げて吐き出した。

 一方ユージーンは、カーマ城に居た。
 王侯でなくば自由に出入りできないようなテラスで、剣帯を許されたまま佇んでいる。近衛や親衛隊ではない彼が、本来堂々と居座れる場所ではない。
 保留中とはいえ、ユージーンは剣聖だ。彼自身は認めたがらないが。国王に助言し、軍を動かす事が出来る地位にある筈の者だ。異例中の異例だが、彼には現剣聖と同じ位の通行許可が出ていた。
 しかし彼自身は、好きで城を闊歩する希望も願望も無い。出来ることなら王城や公官庁には近付きたく無いと思っている。
 それは傭兵という職業柄、法律無視すれすれの行為であったり、まったくの違反行為であったり、公から目を付けられやすい事を多々やってきているので、殆ど条件反射のようなものだ。
 ではなぜユージーンが、しかも彼一人で城に赴いているのかといえば、この国で一番影響力を持っているカーマ国王その人から呼び出されたからだった。いくらなんでも、国王の呼出を断るほど無知ではない。独りなら別だが、ツケはミラビリスに回る可能性を知っているから。
「カーマの生活には慣れたかな?」
 座り心地の良さそうなロッキングチェアで寛いだラフカディオ王は、立ったまま欄干に寄り掛かるユージーンに尋ねた。
「その国の文化と歴史さえ判れば、郷にいる事は易いんです」
「ほう。そういう物なのか。私はこの国以外を知らないしなぁ。では、君は、カーマの文化と歴史を調べたと?」
「ある程度は」
 ユージーンはただミラビリスの傍にしか居なかったわけではない。彼はミラビリスの執務室を漁り本に目を通し、周りの会話や態度などの様子を見た。幸いにもミラビリスは仕事柄、歴史に関する書物も多かった。小さいころ学校で習ったことを朧気に思い出しながらの読書は懐かしい。
「不都合の無い程度、に」
「いやいや、それで十分だ。足りない分は追々覚えていくだろうし」
「必要であれば」
 王は満足げに、ユージーンは穏やかに微笑んだ。だが、二人の瞳に笑みは無い。
「…頑なだな、君は」
 ロッキングチェアに深く背を預けて長嘆した国王は、しかし楽しそうだ。
「君にとって、ミラビリスの価値はどれだけの物なのかな。一度聞いてみたかったのだがね」
「好奇心は猫すらも殺すそうですが」
 表情を変えないままさらりと言い放ったユージーンにとって、目の前の人物が国王という地位に就いていようとも関係の無いものだった。不敬罪など、傭兵には関係ない。
「マクミランはただの分家ではないから、私としても気になるのだよ」
「その辺を教えていただけるのなら、俺も答えます」
「カーマ王相手に、本当にいい度胸だ。剣聖に向いているよ、やはり、君は」
 髭を撫でながら国王は苦笑する。
「マクミラン家は、過去に四度カルマヴィアと婚姻を結んでいる。一番最近で言えば、魔神がこの地へ戻られた時に婿となったマキシマ王かな。彼は古代魔法すら扱えたという異能者だ。
 まあ、あの当時はそれこそ激動の時代だったから、魔神出現の影響でね。ヴァマカーラ女王の千里眼とか、剣聖が三人も同時に国防を担っていたりした。…君には興味の無い話かな」
「いいえ」
 真逆の表情で、ユージーン。
「それ以前にも、マクミラン家出身で王族へ入った者達は、何かしらの異能を持っていた。個性とでも言うべきか、マクミランは代々、魔導の才覚が顕著に現れる。魔力の低い者は正妻の子だろうと、一族からは差別される程だ。
 今のカーマは剣術よりも魔術に特化してしまっているが、それでもマクミランという名は魔を扱うものにとって憧れと同時に畏怖の対象であり、マクミランの名を背負う者にとっては重責と孤独を味合わせる」
 自分が過去、子供時代に生活していた貴族の屋敷にそんな歴史があったとは、ユージーンには初めて知る事実だった。カーマの歴史書には、貴族の名は連ねてあったとしても、その特性まで詳しく書かれている物は無い。
「だから、ミラは師団でも浮いているのか」
 ぽつりと漏らした呟きを、国王は耳敏く捉えた。
「M2が?なぜそう思う?」
「ただ見ているだけじゃ、ないんで」
 ラフカディオ王が素早く反応した事に、自分の発言が引き金を引いたと知る。自分が不利になるのが嫌で、気付かない振りをしつつ曖昧に誤魔化した。
「M2が師団内部でどのような扱いを受けているか、私こそ詳しく知らないことで、興味がある。彼は、彼が望む望まぬに関わらず、妙な庇護欲を掻き立てさせる。それだけ血が濃いという事かもしれない。私のように純血に近くなるほど顕著だとすれば、彼はあの若さで随分と上層部へのコネを持っている、という事になるな」
 どういう事かわかるかね、と視線で問いかけて言葉を止めた王へ、ユージーンは視線を合わせた。
「カーマは血脈に乗る魔の強さに依って地位や役職が決まる。そうなれば国を動かす者程、血が濃い。すなわち、王侯や官吏だ。そんな者達が個人を贔屓すれば、嫌でも浮いてしまう、ですか?」
「そうだろうと私は想像している。本当はもう少し違う部署に移してやってもいいのだが、M2の能力ではそうはいかない。部署移動の案でも出してしまえば、各所から取り合いは必死だろうし」
 なるほど。ユージーンは黙った。
 ミラビリスの持つ魔物を召還する能力や、魔具を検閲出来る能力というものは、マクミラン家では遜色ない異能なのだろう。今現在、他に代行出来る者は居ないとなれば、希少価値は嫌でも上がる。だからこそ士官学校を卒業しても領地に帰らず、王都に残っていられる。
 特異能力に上層部の贔屓、では居心地が悪いだろうに。群れや集団といった要素では、異端が排除される。しかし人間は動物よりは知能が高いので、排除の方向性を変えているのだ。
 ユージーンが一週間黙って様子を見ていたミラビリスの生活圏は、酷く危うい物だった。彼には使い魔以外、気を許せる相手が居ないのではないだろうか。学校の同級、職場での同僚、寮で近い者、その誰もが一定の距離を置いてミラビリスに接していた。腫れ物では無いが、それに近い。
「ま、今まで害が無かったし、M2もマクミランだからね、その辺の神経は太い。けれど、君のお陰で綱渡りになりそうだ」
「……」
 自分が原因と言えば、剣聖云々しか無いだろう。ユージーンは顰め面を浮かべる。
「そう嫌な顔をしなくても。君が考える程不自由ではないよ。確かに全ての剣士を統括するような類のものではあるが、職種は強制ではない。しかし君の保留が長引けば長引くほどM2への反感は増えるだろう。もし辞退するなんて事になれば、M2の能力への信用は地に落ちる。それはギュスタロッサを持つ者に猜疑心を植え付け、師団ひいては国民の信頼も揺らいでしまう」
「大げさな」
「それがまかり通るんだ。カーマという国は」
 いつの間にか真剣な表情になっている王からの言葉に、ユージーンは再び黙る。少し間を置いてから、王は苦笑した。
「私は別にね、君がM2しか守りたくないと言っても構わないんだ。下手な正義感を振りかざされるより、よほどいい。君が率先して動かなければ、私はM2に嘆願すればいいだけの話なのだから」
「あなたは食えないひとですね」
「そりゃあね。婿じゃなくて、直系の王だからね、私は。本音を言えば、私の代で剣聖が出現すれば、私の名も後世にに残る」
 飴色の肘掛をなぞりながら、王は喉で笑う。ゆったりと椅子を揺すって、すっかり寛いだ姿だ。
「それで、君にとってミラビリスとは?長い年月を超えてでも忘れられないような相手なのか?」
 両腕を欄干に預け、ユージーンはテラスの下を眺める。別に言いたくないというわけではない。羞恥や照れは、論外だ。
 仕方がない。小さな溜息をこぼす。
「子供の刷り込みもありますが、人を好きになる理由は必要ですか?」
「恋愛なら、必要ないね。…まさか、君、恋愛だとでも言うのか」
「俺を何だと思ってるんでしょうか、それは。子供の頃から好きだった。その想いに付随する行動を実行できる能力と年齢になった、というだけ」
 顎に指を当てたカーマ王は、ユージーンの言葉に唸った。
「私はてっきり、君がミラビリスを手に入れることで何かしらの利益があるのかと思っていたのだが」
「利益はありますよ。ミラビリスに好きなことができる。俺のものだと所有権を主張できる」
「それは過激だな。国賊レベルの、過激さだ」
「別に監禁する気はありませんよ。浚って逃亡することには、一度失敗しているから。ミラが望む場の横に、俺の居場所があればいい」
 本当に、ユージーンの望みはそれだけだ。ただ、友人としての地位ではなくて、心も体も両方が欲しい。抱きたい、と思っている。抱いて自分のものだと主張したい。
 何故と問われても、好きだからとしか答えられない。人に言うのもはばかられるようなどす黒い欲望を、ミラビリスに感じてしまうのだから、しょうがない。
 だが、執着はそれだけでは、ない。
「錯覚でも、構わないんで」
「というと?」
「俺は、ミラがシャプトゥースを召還する場にいました。召還させたのも、原因は俺だと思いますよ。結果的に呪を受けましたが、それは利点であり欠点にはなり得なかった。罪悪感とは無縁なので、切り離して考えてください。
 俺はミラビリスよりも、魔を知っている」
 魔力のレベルが高い、というわけではない。魔力レベルでいえば、ユージーンはミラビリスに及びも付かない。だが、彼はシャプトゥースが何であるか、使い魔本人さえ主に述べていない事を知っている。
 口の端だけ上げて見せる笑いは、泣きぼくろと相まって、嘲笑とも微笑ともとれた。赤闇の瞳で、目の前の青年をじっと見据えた王は、
「君ならば、力ずくでM2を犯す事だって出来るだろうに」
 大凡国王に相応しくない発言を零した。
 それは出来る。ユージーンは一瞬想像して瞳を細めた。出来るが、今のところ、する気はない。
「俺はミラを支配したいわけじゃない。逆です。ミラに縛られたいんだ」
 自由に生きることこそ我の道だ。そんな傭兵生活を送っておきながら、ユージーンの胸中には矛盾のようにわだかまっていた。そんな感情を吐露することは、今を置いて無いだろう。
「生まれながらの王であるアナタには理解できないかもしれませんが、俺はミラという主ひとりに仕えたい。俺にとってはミラが唯一の王であり、護るべき君主だ。それを手中に収めることがどれほどの快絶か」
 言い切ったユージーンに、ラフカディオ王は長く息を吐き出した。
「やはり君は、傭兵ではないな。騎士としての素質は十分だと思うよ」
 それしか言葉が出てこなかった。勝敗は関係ないのだが、言い負かされたような気がしてならない。
 そんな王に、今度は本心から笑いかけ、ユージーンは呟いた。
「既に使い魔を介して繋がりがある。あともう一押しなんですよ?」
 あとは、ミラビリスの気持ちさえ転がって落ちてくればいい。
「そこまで執着する理由を、知りたかったのだが。これ以上答えてくれそうには、ないだろうね」
「機会があれば、ミラビリスが俺のものになったその後にでも。むしろ俺は、どうしてそこまで知りたがるのかが疑問ですけれど」
「それは、君が久方ぶりの剣聖だからだ」
 王の言葉に、ユージーンは今日何度目かわからない溜息をもらした。
「堂々巡り――」
 ニヒルに歪められた唇が次に言葉を発する前に、二人は弾かれたように同じ方向へ振り返った。
 チリ、と電流を流されたみたいな感触。肌が粟立ち、総毛立つ。
「これは…」
 カーマ王が眉間に皺をきざんだ。一瞬感じたそれに、確証がないにしろ覚えがあった。
「ミラビリス?」
「恐らく。M2の魔だ」
 ユージーンが咄嗟にテラスを乗り越えようとするが、王は短く諌めた。
「マクミラン家の魔力容量を知っているか?彼らの魔力は正統王家に匹敵する。場合によっては上回ることすらある。彼らは自分の持つ魔力が周囲を傷つけないよう、魔を封じ込める術を独自に学んでいる」
「それならば、今ここでミラの魔力を感じる事が異常であるとわかっているでしょう。俺を止めないでください」
 ミラビリスは今、城と反対側の魔天師団にいる筈だ。この距離で感知できるというのは、よほどの魔を解放したのだろう。
 今にも飛び降りそうなユージーンに、ラフカディオ王は立ち上がって詰め寄る。
「もしM2の魔力が暴走して君まで共倒れになったらどうするつもりだ!」
 王の激昂混じりの声に、ユージーンは高笑いを返したい衝動を堪えた。それでも押さえきれず零れた笑みは、王の背筋を凍らせるような冷笑だった。
 咄嗟に気付いたことは、彼は忠犬ではなく、狂犬の資質を持っているという事実。魔剣ルー・ガルーが彼を選んだ事は、異例ではなく当たり前の事だ。
「一緒に逝くだけです」
 たった一言そう残して、ユージーンはテラスから飛び降りた。

  

ぐるぐるするミラと、実はドMのジーン。
2008/10/26

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