別離方異域 2

The Majestic Tumult Era "If it separates here..."

「なぁ、カーシュ。お前先生嫌いなのかよ」
「……別に」
 その後大して面白くもなかった授業を終えて、カーシュは親友の言葉にやる気のない返事を返した。
「何で。今日の訓練のとき、すっげぇ睨みつけてたじゃん」
「そうかもな」
「そうかもな、って。俺いい人だと思うんだけどなぁ、あのひと」
 悪い人種じゃないことはカーシュラード自身解っている。だからこそ腹が立つことも事実だが。そう考えて、あの人がいい人だからといって自分が腹を立てる必要はない、と気が付いた。あの人のことを考えると、イライラする。
「すっげぇ綺麗だもんな。初めて見たときやたら驚いたぜ俺は」
「綺麗だからっていい人とは限らないだろ。…悪い人じゃないけどな」
 そろそろ雪が降り出しそうな空を見つめて、カーシュラードはマフラーに首を埋めた。カーマの冬は割と厳しい。雪は多くないのだが、寒さが堪える。
「カタナ、使ってみれば?」
 突然言われた言葉を、咄嗟に理解できなかった。
「カタナ。勧められただろ。あの人マジだったからさ。目が、教師のじゃなくて剣士の眼だった」
「剣士の眼、ね」
 そういえば授業中の彼は常に笑顔でいることが多いが、その赤闇の瞳が本当に弛んでいるわけではない。どこか冷酷そうな、容赦のなさが感じられた。
 家庭教師として自分の元にくるときには、その瞳も笑っていることは割と多い。もしかしなくても、彼は自分を剣士として見なしていないのではないだろうか。
「やっぱさ。お前、先生のこと嫌いだろ、本当は」
「別に、どうでもいい」
「嘘付け。じゃ、あれか、惚れてんの?」
「あり得ない」
「即答かよ」
 面白く無さそうにいう親友の非難を聞きながら、カーシュラードは今夜は何処に遊びに行こうかと考えた。
 明日はヴァリアンテと個人授業だ。それを考えると憂鬱になる。きっとストレスが貯まるのだ、先に発散しておこう。
 七歳も年上のあの人がどれだけ強くて、未だ何一つ勝てはしないとしても、自分はあの人に惚れたわけではない。好きでもないが、嫌いでもないのだ。いつか負かしてやろう。自分の方が強いのだ、と思い知らせてやりたい。
 なんでこんなにあの人のことを考えなくてはならないのだ。ラージャがあまりに触れてくるから、きっと触発されただけだ。
 惚れているだと、そんなこと有るはずがない。
「………あり得ない」
  囁くように、ぼそりと呟いた。

***

 クセルクス邸の庭で、金属の爆ぜる音がしきりに響いていた。卓上でできる魔術理論とちがい、剣術は実際に動かなければ覚えない。イメージトレーニングも重要だが、実際に剣を交じあわせる事が上達の第一歩である。慣れ、身体に染み込ませることが必要だ。
 殺し合うと言うよりは、どれだけ長い間せめぎ合えるか。そんな動きでお互いは剣を振るっていた。しかし、次第にヴァリアンテに苛立ちが募る。焦りではないから、切っ先がぶれることはないが、はがいなさに舌打ちをしたくなった。
 ヴァリアンテは手加減無く剣を打ち込んだ。カーシュラードのロングソードが、火花を散らして折れた。
「…だから言ったのに」
 ギュスタロッサの剣ではなく、ごく一般用のブロードソードを使っていた。それでも一瞬で威圧できるその実力。ロングソードの方が刃幅も広いのに、ヴァリアンテは苦もなくそれを破壊するだけの実力があった。
「頑固だよね、君…」
「アンタだって、大人げないじゃないですか」
 柄を投げ捨てて、カーシュラードは冷めた目で笑う。
 いつもはそれでも穏和になだめようとするヴァリアンテだが、今日だけは違った。真剣に、激情を隠しもせずに、少し背の高いカーシュラードの胸元を掴み上げた。
「私は君のことを子供だと思った事はないよ。少なくとも剣技において、君を試したりもしてはいない。常に本気で剣を合わせている。君の態度は、私を侮辱してるとしか思えない」
 自分が知る限り怒ったことなど見たことがなかったのに、今ヴァリアンテは自分が原因で怒っている。何故か、それが不思議と嬉しかった。
「どうやら私は買いかぶり過ぎていたみたいだね。残念だな」
 吐き捨てて、ヴァリアンテはブロードソードを地面に突き刺した。
「何処行くんですか……?」
「帰るんだよ。そんなんじゃ教える気も起きない。私を馬鹿にするのもいい加減にしなさい」
「…………家庭教師は?」
 止めるのか?とは何故か聞けなかった。明らかに動揺している自分を理性で何とか隠しながら、カーシュラードはヴァリアンテの背中を見つめた。
「君次第だね」
 素っ気なく、それだけ言って。
 ヴァリアンテは生徒を残して、さっさと邸を去ってしまった。 

***

 言い過ぎたかな。
 大通りをゆっくり歩きながら、ヴァリアンテは帰路につく。
 整った眉を寄せて困惑していたカーシュラードを思い出して、もう一度深い溜息を吐きだした。
 カーシュラードは自分より強くなるだろう。魔力の基本能力は私の方が上だけれど、きっと彼がカタナを操れば格段と強くなる。
 まだ成長を続けるバネの利いた体躯は、原石である。誰かが磨いてやらなければならない。自分は喜んでその役に付きたいけれど、当の本人に全くやる気がないのなら、いくら研磨しようとも無駄なのだ。
 まだ十六歳だけれど、立派な大人だ。むしろ剣士にとって一番大切な時間なのに。
 出し惜しみをしている。本気になっていない。あまりに勿体なくて、ヴァリアンテは悔しかった。少しでいいから素直になって欲しい。
 戦い方にまでそれが顕れていて、剣を交じえながら歯痒くてどうしようもなかった。
「………大人げ、…なかったけどさ」
 期待が大きく成りすぎて、半ば八つ当たりだったかもしれない。
 きっと嫌われてしまっただろう。
 才能を伸ばしてやるはずだったのに、これでは逆効果だ。
 しかし、だからと言って自分が謝ってはいけないことをヴァリアンテは理解していた。いくらでも拒否拒絶の意思表示が出来るのに、それを選択しないで自分に教わることを選んだのだ。もし本当に嫌だったのならば、何が何でも逃げればいいのに。そうしなかったのはカーシュラードだ。
 将来騎帝軍の士官になると決めている者が、剣士に対して本気を出すこともしないというのは、あからさまな侮辱である。やる気がないくせに、まさに『適度』な実力で剣を合わせられて、ヴァリアンテはあの時本気で怒った。
 この私相手に本気すら出そうとしないとは、いい度胸だ…。
 負けると解っているから、本気を出すだけ無駄と考えたのかも知れないが、そんな甘い考えは許されない。
 実の弟に辛く当たるのは心底嫌だったのだが。本当に、出来ることなら優しくしてやりたい。可愛くてしかたがないのに…。

 それでも、ヴァリアンテはカーシュラードが本気になるまで家庭教師は辞めることを決意した。

  

……カーシュ。丁寧語しゃべってない事に異常な違和感を感じます(笑)。
前回言い忘れましたが、「カタナ」って刀です!。なんか、そこだけ漢字にすると変な感じしたのでカタカナ。
2003/12/23

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