もう 後戻りは できない
***
本格的に雪が積もり、根雪となって、それが溶ける前に卒業と入軍が待ちかまえていた。 王立士官学校の卒業は易い。しかし、そこから入軍するための基準が馬鹿高かった。そのまま小隊の隊長になるのが普通であるが、如何せんその枠は多くない。だから嫌でも実力や学力のある者は妬まれがちである。
カーマの場合、力が実力を左右すると言っていい。どれだけ魔神の血が多く継承されているかによって、力の大きさが変わる。必然的に混血や血の薄い者はエリートとなれない、本人にはどうしようもできない問題があるのだった。
その中でも幸運な一人がカーシュラード・クセルクスだ。
士官学校に入学してからもうすぐ二年。その二年間という短い時間でいかに武力を付けたのか、本人を知る者が愕然とする程だった。
入学して半年が過ぎた頃、彼は得意だと言っていたロングソードから、刀に変えた。それがまさに劇的な変化をもたらした。
並の教師では、すでに彼を負かすことは出来ない。その格闘と剣技の類い希なセンスは、鬼気迫るものがある。
天才だ、と誰もが言う。
なのに、未だ彼は剣位を持ってはいなかった。
不思議なことに。
***
「おめでとうございます」
外の気温など微塵も考えさせないような晴れやかな表情で、カーシュラードはにこりと笑んだ。
「さっき聞きました。ついに“金剛”の仲間入りを果たしたそうじゃないですか。ついでに指南役見習いから宮廷魔剣指南役になった、と?」
「早いね。ありがと。その役職名、聞きように寄れば偉そうだけど、何のことはない、軍部も学部も魔学部も宮廷親衛隊も全部ひっくるめた指南役だって知ってる?」
「……うわ。ご愁傷様です」
いつまで苦労すれば気が済むのかこの人は。胸中で呟きながらカーシュラードは舌打ちをした。
その所為で自分と会う機会が減っては困る。大変困る。
「アンタ、そんなに忙しくて身体持ちます?」
「基礎体力は人よりあるし、結構丈夫だから。まぁ…何とかなる………と、思う」
「僕との時間、取って置いてくださいよ?」
「安心しなさい。卒業するまでちゃんと面倒見てあげるから」
自分を見つめ、ふわりと微笑んだヴァリアンテが愛おしくて、思わず手が伸びた。細い腰を引き寄せる。
「……カーシュ」
呆れを含んだ、咎める声も嫌いではない。
出会ってそろそろ一年半。大分身長に差が出てしまった。既に男性平均を軽く上回るカーシュはもう少年ではない。スレンダーな体躯にはバネの利いた筋肉が程良く付いているし、顔つきも精悍になった。成長期というものはめまぐるしい。
そして、年齢的にもあと数ヶ月もしない内に成人となる。
真冬に生まれたカーシュラードは、いわゆる早生まれだが、同年代と比較してもその体格に差違は見られなかった。
「アンタが忙しいって言うから、一応我慢はしてたんです」
「あのねぇ…。こーゆーことしていいって言ってないでしょう、私は。しかも玄関先で」
「ベッドの上ならいいんですか?」
「よくないよ。ほら、勉強するんだから早く居間に行く!」
猫のような敏捷さでするりとその腕から抜け出したヴァリアンテは、呆れながら暖かい居間へと足を向けた。
カーシュラードがヴァリアンテを好きだと言ってから、二人の関係は一向に進展も後退もしなかった。若さを逆手にとって常にアプローチを欠かさないカーシュラードに対し、ヴァリアンテは驚くほど上手くかわしてしまう。好意は受け取るが、身体を差し出すことは絶対にしない。どこか冗談だと、そう思っている。
冗談ではない、そう思っていたのはカーシュラード本人だけかも知れない。だが、明確な意志に含まれた確信のようなもので、彼は年上の教師を落としにかかっていた。絶対に冗談で終わらせる気などはないのだ。本気でなければ、一年以上を追い回すことはしないだろう。
ヴァリアンテはごく普通のコーヒーをいれて、ダイニングテーブルの隙間にカップをのせる。それだけなら一般的かも知れないが、カップを端へ押しやるほどの魔法書がテーブルに並べられていて、まるで研究室のようだった。
一般人では閲覧することも不可能な魔導書。高位魔導師が記した書物は、その魔導師と同等もしくはそれ以上の魔力がない限り本を開いたとしても文字を読むことが出来ない。
「ああ、そういえば。入軍試験の日程決まりましたよ」
「……知ってる。ついでに、今年は私も参加だから…」
宮仕えは辛いよ、と苦笑しながら。
「もしかしてゲストですか…?」
「そう。よろしく」
カーマ王国騎帝軍の武官は学力テスト以前に、入軍希望者同士の一対一の実践戦闘がトーナメント方式で決められていた。
勝ち残った者がより優位な職に就くことができる。普段の訓練とは違い、王国最大級の規模と結界を持つ訓練場を使い、容赦なくまた手加減もせずに魔術と剣技を併用して戦闘を行う。試験と銘打ってはいるが、その内容はじつにサバイバル要素が豊富だと言える。もちろん負傷者もでるのだが、北天赤天師団および魔闇師団、両師団のバックアップが付く。防護結界と医療を、この国最高峰の魔術師集団が請け負うのだから、重傷人などでるはずがない。
しかし、連戦ではないので、その日程は数日に別れる。
「最後まで勝ち残った者と、一騎打ちですか…」
トーナメントで勝ち残った者は、その年の最高技能者として、金剛位との試合が与えられる。今年の金剛位は、若干25歳のヴァリアンテが指名された。
「……楽しそうだね」
「そりゃあ、もう。やっとアンタと実力勝負ができるんですからね」
「…そう言いながら負けないようにね。私個人として応援するよ」
一見余裕そうに見えるその赤闇の瞳には、焦りの類は微塵もなくて、ただ生徒の好成績を望む教師の優しさがあった。
「…勝ちますよ僕は。アンタ以外に負けるわけがない」
***
カーシュラードは、断言したとおりに試合を勝ち残っていった。
いや、まともに相手をするには、カーシュラードの力の差が歴然としていた。だから、必然的に勝ち上がる。そして優勝が決まり、金剛位との試合を力ずくで浚い盗った。
その会場は、校舎と同じくらいの敷地面積があった。
王国屈指の魔導師達が、面を点々と囲み、両サイドと魔術を結合させて、大規模な結界を張る。
新金剛位の魔力は、魔闇師団長のそれよりもしかしたら莫大かもしれない。そして、選抜試験の最優秀者もそれに及ばないまでも、肩を並べるだけの驚異的な魔力を保持していた。
「私の合図と共に始め、私の合図によって終わりを宣言する。両者、潔く、ただ勝利を手にすることのみを考えて、戦うことをここに誓え」
審判役を務めるのは、騎帝軍最高顧問の金剛位イラーブルブ・ゼフォンである。
ヴァリアンテは左手でブロードソードを、カーシュラードは右手でカタナを鞘から抜いて、天に向け高く掲げた。
「我が信念と剣の誇りに懸けて」
息を合わせて、二人は告げた。そのままお互いの剣を触れ合わせ、鞘に戻す。
「両者、位置に着け」
逞しいイラーブルブは二人の剣士の中間に立ち、時を待った。
赤闇の瞳と、漆黒の瞳が寸分違わず相手を睨み付ける。
結界の外では、士官学校生以外の観戦者も数多くいた。稀代の剣士二人の真剣試合。こんなことは滅多にないのだ。
しんと静まりかえった会場で、きっと一番リラックスしていたのは当の本人達だけだろう。
イラーブルブが、深く息を吸い込んだ。
「始めっ!!」
その怒号と同時に、二人は呪文の詠唱に入った。
ヴァリアンテは両手で剣を抜きながら、カーシュラード目掛けて走り出す。4歩目には詠唱が完了し、素早さと瞬発力、諸々の補助効果を最大級に引き出して切迫する。
対するカーシュラードは走り寄ることはせず、肩幅より少し広いくらいに足を前後に開いて体制を整えた。ヴァリアンテより一歩遅れて詠唱を完了させる。
「……化け物かあいつら」
結界の外に戻ってきたイラーブルブの傍に来た、赤天師団長のクリストローゼ・オクサイドが呟いた。
「三っついっぺんに詠唱できる舌って、どんなもんなんですかね」
「四つだ。さすがはダークエルフと王族の血統ということだろう。鳥肌が立つ」
「…ええ。結界越しにすら、あいつらの魔力が伝わってきます。一般兵なんか竦み上がってますよ」
カーシュラードの補助魔術の内容もヴァリアンテと大差はない。補助魔術は詠唱の早さが勝敗を決すると言っても過言ではないから、この時点で言えばカーシュラードの負けは確実である。
しかし、ヴァリアンテの剣が届く前に、彼はカタナを抜いた。魔術で増幅された抜刀時の剣圧は、確実にヴァリアンテに定められていた。だが新金剛位がそれをまともに受ける訳もなく、実にあっさりと受け流してしまった。
鋼と鋼がぶつかり合って、悲鳴のような火花を散らす。これでは剣自体が保たない。しかし二人はどんな剱でも最後まで戦い抜くだけの技量があった。剣の耐久力を最大限に生かして、舞うようなそれはまさに舞闘。
「卑怯臭い戦い方は、変わらないんですね…!」
切り上げながら、カーシュラードは怒鳴った。
「吠えるなよ。力押しだけだから未だに剣位がとれないんだぜ」
切っ先一つ近寄らせずにかわしながら、ヴァリアンテは蔑むように笑った。本性をむき出した彼は、後ろ髪をなびかせながら素早く懐に飛び込んだ。
なのに。
「よそ見してると怪我するよ?」
「!!」
その笑みは、穏やかな微笑みだった。真剣勝負をするさいの鬼気迫る残虐性を持った笑みではなく、いつものおっとりとした優しい笑み。
カーシュラードが呆気にとられた直後、漆黒の光が膨れ上がった。黒い焔。闇の魔術の最高峰とも言えるような攻撃魔術が、近距離で発動された。
直撃すれば、確実に死ぬ。
咄嗟に最大防御呪文を唱え、カーシュラードはその炎をカタナで弾き返した。大部分が軌道を逸らされ、会場を覆う結界にぶち当たる。
地を這うような爆音を轟かせて炎が消滅した。結界が無事なことの方が驚くべき程の威力だった。
「頭きた…」
重傷ではないが無傷でもなかったカーシュラードは、ヴァリアンテに斬りかかりながら足を払った。避けたが、お陰で身体がすこしよろけてしまったヴァリアンテは、地面に剣を刺して重心を支え、もう一本の剣で薙いだ。衝撃波が広がったお陰で、とどめをさしには行けない。
そのかわり、放射状に広がった爆風に裂け目を入れるように切り込み、カーシュラードは短い詠唱を口走る。光る闇の錐が無数に出現し、寸分違わぬ動きでヴァリアンテを狙った。
「なんであんなに楽しそうに闘ってますかね、あの兄弟」
「あれほどの力を持つ者が、そうそう本気で戦えはしないだろう。戦争でしか発揮できない能力かもしれんな」
「羨ましいんだか、難儀なんだか……」
イラーブルブとクリストローゼは感慨深げに唸る。
外野の様々な思惑などまったく意に介さないヴァリアンテは、防御の盾を作り出して錐状の闇を霧散させた。
そこからの攻撃は早かった。
自分で作り出した防御の盾を剣の一撃で切り崩してカーシュラードに肉薄する。その素早い動きに、全ての瞳が向けられた。
右足を踏み込み、ヴァリアンテは右手に握るブロードソードをその首目掛けてひと薙ぎした。
すんでの所で首を後ろに倒して、カーシュラードそれを何とか避けた。
「そこまでっ!!」
イラーブルブの怒号が響き、ヴァリアンテは両手の剣を鞘に戻す。
「勝者、ヴァリアンテ!」
互いに礼をして、握手を求める。いつもの穏やかな笑みを浮かべたヴァリアンテは、苦笑するカーシュラードの肩を叩いた。
「わざと、ですか?」
「まぁね。可愛い生徒の首を胴から離すのは嫌だもの」
「避けられ――――」
「なかったでしょ?」
「…………はい」
薄皮一枚切られて、赤く細い線を首に残したカーシュラードは、それでもどこか楽しそうだった。
後半戦。一年半後になってます。 といっても、重大な事件があるわけでもなく、のらりくらりそのまーんま。
それにしても、時間を見つけてちょっとずつかいたから、何かかみ合ってなかったらどうしよ。
2003/12/31