別離方異域 5

The Majestic Tumult Era "If it separates here..."

 夕食も終えて養父の書斎に入り、ブランデーをひとくち。それから葉巻に火を付けた。
「………どう、思います?」
 琥珀色のブランデーを揺らしながら、ヴァリアンテは沈痛な面持ちで尋ねた。
「どう、とは?カーシュラードのことか?」
「ええ。イラー様から見て、あの子の実力をなんと見ますか?」
 兄弟の事情を知る数少ない一人でもあるイラーブルブは、ヴァリアンテが口にする『あの子』という言葉に、微笑ましい物を感じた。だがいつもに比べて幾分暗い。
「闘ったお前が一番理解しているだろう。わしに聞いても詮無いことだ」
「…………そう、ですが…」
 おっとりとした微笑みの欠片すらない。この養父は剣士として年上として父以上に頼れる存在であり、よき理解者だ。だから、弱みはきっとこの偉大な剣士にしか見せない。
「怖いか?」
「………はい」
「そうか。わしも同じだ、ヴァリアンテ。若さには勝てんよ。あの子もすぐにわしらに追いつくだろう」
 すっかり白の混じった髭を撫でながら。
「俺がこの地位に付けたのは、努力の成果です。人より違う血も混ざっていますが、それでも、ボロボロになるまで頑張ってきた結果が、今の俺です。ですが、カーシュは、…あの子は違う。………あの子は、天才の範疇だ」
「そうだな。剣技だけなら、あの坊やは天才だろう。努力などしなくても本能でのし上がって来る実力がある」
「生まれて初めて、悔しいと思いました。あの子は、きっと俺より強くなる。たった7歳分のブランクなんか、すぐに埋まるでしょう。魔力が俺より下だ、そういう小さな事で少しでも勝とうと考える自分が、酷く嫌になりますよ」
 ヴァリアンテは決して自分の実力を傲ったりなどしなかったが、それでも自らの力に誇りを持っていた。
 現最高剣士、目の前に座る初老の金剛位にすら、畏れなど感じた事はなかったのに、実の弟に、しかも七つも年下の教え子の潜在能力に恐怖を感じた。いつか絶対に負けるだろう。魔力を含めて五分だが、剣技と腕力ではきっと敵わなくなる。
 悔しい。
 今日の試合は圧勝だった。はっきり言って金剛位と肩を並べるのはまだ無理だろう。だが、自分相手にあそこまで闘った。手抜きなど無い本気だと解ってはいるが、カーシュラードは闘うことを楽しむ余裕があった。
 自分をこれ程焦らせる彼は、何度も好きだと告げてくる。
 さすがにそれを養父に相談出来ないが、考えずにはいられない。
 何度かわしても、しつこく食らいついてくる。この一年半傍にいて、カーシュラード自身を知ってしまった。弟という範疇を排除してしまったら、自分から見てもなかなか魅力的な逸材だ。他人であれば簡単に許可してしまっただろう。
 これだけ悩んでいることなんて、きっとだれ一人知りはしない。
「お前はまだ若い。そう簡単にあの坊やに追い付かれても堪るまい。なに、お前が心配するほど早く昇ってはこないだろうよ」
「…ですが」
「心、だ。お前と違い、あの坊やは未だギュスタロッサの剣に認められるほどの心を持ってはいない。ムラが有りすぎる。お前が、解らせてやれば納得するだろう。お互いに、な」
 葉巻の灰を落として、目許に皺を寄せて笑った。
「俺にはまだそんなこと、できませんよ。貴方程経験は無い」
「努力は美徳だ、ヴァリアンテ。経験ならば十二分にある。お前は25にしては随分と経験を積んでいる。わしが保証してやろう」
 養父は力強く頷き、ヴァリアンテの肩を叩いた。
「焦りは禁物だ。自分を信じることを忘れるなよ。しかし無理に流れを変えようとはするな。あるがままに、任せることだ」
 その言葉に、穏やかに微笑みを返した。

***

「お前、入軍決まった?」
「正式にはまだだ」
「随分遅くねぇ?」
 ラージャの言葉ももっともである。
 王立士官学校は、あと二週間もすれば卒業となってしまう。自習の少ない授業カリキュラムをこなすために律儀に学校に来ていた二人は、昼休みにテラスで微睡みながらお互いの針路の話をしていた。
「お前は、結局軍に行かないのか?」
「まあな、兄貴があれじゃしょうがないだろう」
 ラージャの兄はこの冬、落馬事故にあった。運悪く下半身が不随になり、何かと不便な生活を余儀なくされている。
「放蕩息子もそろそろ恩返ししねぇとな。親父と兄貴に迷惑かけまくった駄目息子のままじゃ恰好悪ぃだろ」
「そうか。まぁ、頑張れよ」
「俺はいいさ。家業だからな。お前の方が大変だろ、これから。軍隊の荒波に揉まれてこいや」
 一年半前より長くなった髪を掻き上げてラージャは笑う。その複雑そうな笑みの中に、家業と軍の将来に悩んだ翳りが少しだけ残っていた。
 正直、この親友の助けになったかどうか自分でも疑問だ。出来ることは全てやったが、もしかしたら何も出来ていなかったかもしれない。
 それくらい、自分の心の大半を占める想いがカーシュラードの中に合った。
「それよかさ、どうなってんの?」
「何が?」
「ヴァリアンテ先生と」
 ニヤニヤと下心一杯に。
「どうもこうも、一進一退」
「うわ。サイテー。お前、押しが強いの売りだろ?まだちんたらやってんのかよ」
「……本気になったの、あの人が初めてなんだ。勝手が解らない」
 最近自分でも本当に解らなかった。だからこれはまさしく本音だ。
 自分がどれだけアプローチをかけようが、ヴァリアンテは全く意に介さない。軽くあしらわれてしまう。自分はヴァリアンテに女の陰がある度に、柄にもなく嫉妬の炎を燃やしているというのに、あの人は取り合うどころかいつも笑ってはぐらかしている。
 嫌なら嫌だとはっきり言って欲しいのだが、いざ言われると怖くてそれを聞くことも出来ずにいる。幸いヴァリアンテは自分を嫌いではないと解るくらいだ。
 男で年下の自分には全く興味も魅力も無いのだろうか。
「報われねぇじゃん。女遊び止めたんだろ?がばっと告って、ずばっと散ってくれば?」
「………応援はしないのかお前。散ったら二度と立ち直れなさそうだ…」
「そうでもねぇって。俺今の彼女に二回も断られてそれでも粘り勝ちよ?諦めちゃいけねぇっていい見本だぜ」
 ラージャはさりげなくネックレスを取りだし、彼女の綺麗な黒髪が入れられたロケットにキスをした。
「お前の彼女と一緒にするな。女なら一日で落とせる自信があるけど、あの人は別だ。そんな簡単にはいかない」
「でもお前、一日で落ちるような女に、もう興味なんかねぇだろ」
 腐っても親友、痛いところを突いてきた。
 その通りだ。自分はもう、酒場で買えるような女に興味はない。ただ、あの人が欲しかった。心も、身体も。あの背中の霊印の如く強く綺麗なあの人が。
「駄目元で押してみろよ?」
「何だって?」
「だから、お前まだ17だろ?成人する前に、若気の至っちゃえば?」
 夏生まれのラージャは既に18歳であり、成人済みである。たった数ヶ月で未だ未成年のカーシュラードは、即席の大人にろくでもない提案をされた。
「出来る物なら至りたいがな。それが出来れば苦労はしない」
「若い内に苦労すんなよ。今やんないで何時やんの?腹くくれよ、カーシュ。がつんと、決めてこい」
 ぐっと拳を突き出して、ラージャは親友を煽った。カーシュラード並ではないにしろ、彼もこのやり取りに焦れていた。いつまで経っても進展すらしない、この駆け引きとまで言えないお遊びの決着が見たかった。
「腹をくくる、か」
 限界を先延ばしにし過ぎで、道を見失いそうだった。
 あと三週間弱で成人を迎えてしまう。そうならない前に、羽目を外してみてもいいかもしれない。
 その日の終業間近になって、カーシュラードは教官室に呼び出された。
 カーマ王国騎帝軍黒天師団部隊長補佐として、入軍が正式に告げられた。



***

 一度決めたらすぐに実行に移すことにしたカーシュラードは、学校帰りにヴァリアンテを尋ねる事にした。
 金剛位になってさらに忙しさが増したヴァリアンテを捕まえる事は容易ではない。今では週一に減った家庭教師の仕事ぐらいでしか会うことはままならなかった。騎帝軍内にある受付で行方を聞くと、珍しく仕事が空けたらしいと教えられた。
 入れ違いになっては大変だと、早足で城下町に下ってもう何度も来慣れた雑貨屋の二階に滑り込む。扉を二度叩く。しかし返答は無くて、もう一度叩いてみた。
「まだ、か…?」
 しんと静まりかえった室内に人の気配を感じることが出来なくて、カーシュラードは溜息を付いた。
 教科書ではなく魔術書しか入っていない鞄を床に下ろして、その長身を壁に預けた。捕まえるまで、帰る気はなかった。幸い扉は大通りに面してはいないので、しばらく待っていても訝しがられることもない。
 少しばかり寒いが、我慢ができない訳じゃない。その間、暫く真面目に考えてみよう。正直、軍の役職よりもこっちの方が大切だった。
 自分は本当にあの人が好きなのだ。あの人に初めて会ってから、気が付いたら誘う女にあの人の面影を求めていた。きっと、一目惚れなのだろう。理由なんて無い。ただ、がむしゃらに好きなのだ。
 ヴァリアンテが呆れるから、女遊びも控えた。ここ半年以上は、暇がなかったことも考慮にいれたとしても、随分誠実だったと自負している。
 真剣に言うのが怖くて、冗談を仕掛けるみたいに触れてみた。その度にかわされるが、どこかで安心している自分が居た。拒絶されていないことに安堵を覚え、でも本当は同じぐらいがっかりしていた。自分で気付かないようにしていたが。嫌われ、見捨てられることが怖かったのだ。
 その声や仕草や微笑み一つで、こんなに心臓が跳ねるのだ。それを恋だと言わずして何だというのだろう。
 やはりどう考えても、結局はあの人への想いに辿り着く。そうやって腹をくくったときに、男女の声が聞こえた。
「あれ?カーシュ!?」
 驚いて少し見開いた、その瞳も好きだ。
「話があるんですけど…」
 険を含んだ声色で睨み付ける理由があった。ヴァリアンテの傍にくっつく、赤毛の美女だ。琥珀色の瞳にグラマラスな肢体。
「あらン?もしかして、士官学校のエース君じゃないかしら?」
 するりとカーシュラード傍に近寄り、真っ赤な爪でくい、とその顎を掴んだ。
「間近で見るとますますいい男ねン。お姉さんと遊ばなぁい?」
「……学生に手出したら君でも謹慎くらうよ。あんまりからかわないように」
 赤毛の美女を脇へ押しやって、ヴァリアンテは扉の横に佇むカーシュラードの瞳を覗き込んだ。そして真剣な声で。
「ドナ、悪いけど今日の予定キャンセルして」
「マ。珍しいわネ。ベルモドレーのランチを奢って。それで手を打つわン」
 そう言うと聞き分けもよく、ひらひらと手を振って階段を下りていった。
「誰ですか?」
 鍵を開ける姿を横目に見ながら静かに聞いた。
「赤天師団の副部隊長。若き才女」
「へぇ…。彼女ですか」
「違うよ、友達。彼女作ってる暇なんて無いって」
 居間に入って荷物を置くと、ヴァリアンテが真面目な表情で振り返った。
「それで、どうしたの?何か、深刻な話?」
「僕にとっては、ね」
 一歩近付いても、避けない。その気丈さが好きだ。
「私で良ければ、いくらでも聞くよ」
 人を和ませるようなその笑みに心臓を鷲掴みにされてしまう。
「アンタじゃなきゃ、解決できませんよ」
「うん…?」
「……アンタが、好きです」
 その言葉を聞くなり、ヴァリアンテは眉を寄せた。
「冗談で流さないでください。僕はアンタが欲しい。勘違いでもないし、気の迷いでもない。この一年半、ずっとアンタを想ってきた」
 出来る限りの誠実さで告げると、ヴァリアンテは小さく息を呑んだ。そのちょっとした仕草にまで心揺さぶられることを、この人は知りはしないのだろう。
「本気なんです。もう、冗談で終わらせないでもらいたい。明確な答えを、ください。僕が嫌いならば、そう言ってくれて構いません」
「嫌いじゃ、ないよ」
「………でも、好きじゃない?」
「それも、違う」
 本気をぶつけられたヴァリアンテは、考え込むように俯いた。
「君を一人の人間をして見たら、君が好きだけど。でも……」
「でも?」
 言いにくそうに、一度言葉を切ってから。
「………君は、きっと、後悔する」
 実の兄だと知ってしまう前に、後戻り出来た方がいいだろう。そう言えはしないけれども。
 ああもう、目の前の本人のためを思って言わずにいたのに。これじゃあ何のために隠してきたかわからない。
「一体、何に?アンタが創主だろうと魔神だろうと親だろうと兄弟だろうと、きっと僕はアンタに惚れたと断言できますよ。もしこのままアンタを離してしまったら、アンタとはすれ違ってしまう」
 その漆黒の瞳が告げた際どい科白に、ヴァリアンテはどきりとした。揶揄だと解っている。解っているが、それでも驚かずにいられない。
「きっかけが足りないなら、これでどうですか?」
 言葉を詰めてしまったヴァリアンテに、鞄の中から一枚の紙を取りだして見せた。
「黒天師団、部隊長補佐……?」
「そう。卒業後すぐにそのポストは、なかなかスゴイでしょう?」
「すごいも何も…、異例だよ。信じられない…」
「アンタのおかげですよ、センセイ」
 にやりと笑って、ちゅ、と軽く口付けた。
「最後の我が儘です。ご褒美に、アンタをください」
「…カーシュ」
「止めるなら本気でお願いしますよ。僕だって本気なんですから。この間の試合の時みたいに、全力で僕を止めなさい」
 一遍の笑みすら浮かべずに真剣な顔で、カーシュラードはヴァリアンテを抱きしめた。きつく抱いて、それから唇を奪う。深く、深く貪って、確かめるように何度も舌を吸い上げた。
「………君には、敵わない」
 ヴァリアンテは自分の手で顔を覆って、苦笑混じりに呟く。
「それは……………許諾と受け取ります」
 そう解釈したって、誰も文句は言わないだろう。

  

次で終わるか?思ったより長くなってしまった。だれる前に終わりたい。妙なテンションですが、内容はビミョウですね。
ちなみに、イラー氏には美人の奥さんが居ます。熟年夫婦です。でも、子供に恵まれなく、ヴァリアンテを息子のように可愛がってくれています。
2004/1/4

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