血脈を守る者 4

The Majestic Tumult Era "Stand by BLOOD"

 逃亡した処刑者に忠誠を誓ったという、実しやかな噂――一部分では事実だ――が広がっているカーシュラードは、王族であり金剛位であることを主張した正装に身を包んだ今、城内で気安く声をかけて来る者はいない。
 しかし剣聖の鎧を包んだ壮年の騎士は全く意に介さずに彼を引き止めた。その深い目の色を見たカーシュラードは、会話を聞かれることを厭んで執務室へ案内した。
「危ない橋を渡ったな」
 扉が閉まり、防盗聴の魔術が施行されていることを確認したイラーブルブは開口一番そう告げた。
 国王に啖呵を切り、一瞬とはいえ殺気を放った行為を、若干咎めるような色が滲んでいる。
 ニヤリと笑ったカーシュラードは、手振りで飲み物を勧めたが剣聖は首を横に振る。
「そうでもありませんよ?」
 代わりに椅子を勧めて、剣人として尊敬する男に向き直る。年齢の差で言えば、父親よりも祖父に近いだろうか。偉大なその人の前であっても、怖じ気づくようなことはなく堂々としたものだった。それだけ、今のカーシュラードの決意は強い。
「僕をあの場で殺す事は内乱を誘発するに等しい」
 魔刀をすぐ側に立てかけ、一応の裏付けを語り始める。
「まず母がダークエルフの総力を上げる。ハーフだとは言え、魔神に忠誠を誓った氏族長の直系を殺されれば、黙っては居ないでしょうから。
 それに、有り難いことに実父も行動に出てくれるでしょうね。あんな父でも顔が広くて敵が少ないんです。二十一分家の半分と有権者の歴々が味方になる。
 加えて兄も侮れない。魔学部での友好範囲と社交界で誑し込んだご婦人方を巻き込めば、王に勝機は見込めない」
 僕自身の力というわけで無いのが心底悔しいですが。
 そう言って笑った後に、ですが今はどんな力だろうと使えるものは利用します、と言い切った。
 揺るぎない決意に長嘆したイラーブルブはしかし、誇りと命を賭ける今だからこそこれだけの決心に至ったのだろうし、力はあれども味方の居ないこの歳若き剣士が一国を相手に立ち向かおうとしている事に感心した。
「やはりあれは魔神の生まれ変わりか…」
「イラー様も解っておいででしょう。姫の御前にいらっしゃったのは他でもない貴男なのだから」
 その通りだった。剣聖と謳われしイラーブルブ・ゼフォンはヴァマカーラ姫が離別するその場に居てまったく手出しが出来なかった。
「わしらのような人間には太刀打ちできぬ力だな、あれは。伝承の姿そのままに、今までどうして押さえ込んで居たのか不思議なほどの魔力を肌で感じた。
 わしはこのかた、魂が歓喜するような魔力を感じたことは無かった。動くなと命じられて居た御陰で、お前のようには出来なかったが」
「無条件で忠誠を誓いたくなるでしょう?」
「そうだな…」
 一度瞼を下ろして顎髭をなでつけたイラーブルブは、重い口を開いた。
「これからどうする気だ」
 また解りきったことをきくものだと胸中でごちたカーシュラードは肩を竦める。
「どこまで証拠が残っているかわかりませんが、赤天師団を動かすことができたので、そろそろ何か上がってくる頃だと思います。本当はご本人に証言していただく方が幾分楽なんですが、査問しようにも一人は死亡しているし、もうひとりは怖れ多すぎる」
「お前は、暴くことに畏れは感じないのだな」
「畏れを感じるとするなら、僕は魔神から受諾した願いを叶えられないことの方が怖ろしい」
 漆黒の瞳に灯された炎を見てとったイラーブルブは、目の前の年若き剣士を見つめて笑みを漏らした。まだ学生の頃から知っていた子供は、生きるべき目標に出会った目をしていた。
「一人で国を変える気か」
「一人ではありませんよ。魔神の血をその身に宿した者は、やるべき事を知っている筈です。貴男も、然りでしょう?」
 悠然とした笑み。それはまるで信仰に似た狂気を想像させた。

***

「四半世紀も、貴男は人間の抑圧に耐えていたというの?」
エレボスに生まれ、この世界クローズドガーデンで過ごし、奈落アビスに沈んだ私にとって、四半世紀など時と言うにもおこがましい」
「人間が作った檻なんて、貴男にとっては無いも同じだからかしら」
「仮にも私の魔力の一部と血を受け継いだ民だ。可愛くないと言えば嘘になる。一滴でも私の『力』が混入していれば、それは私の駒になる。
 駒に自分の役割を教えてやる事は簡単だが、私とて『人間』のふりを楽しむ権利くらいはあるだろう。アイテールがこの世界を戦場へ変えるというのならまだしも、この世界に私の敵になりそうな存在は皆無なのだから」
「暇を潰す為に貴男は囚われ、この世界での肉体形成上の親を殺したというわけ?」
「私の情は深いのだよ。あの男の癇癪で殺された者達への復讐と、私を殺そうとした事への正当防衛。ただそれだけの事実だ」
「―――どうして、わたくしを攫ったの?」
「私を束縛するものは何もない。それは私が自分の力で檻を破る事が易いからだ。だが貴女は、檻に囚われたまま逃げ出す事は叶わなかっただろう。乙女のまま朽ちさせるには、貴女の魔力が惜しい」
「わたくしが千里眼で、カーマ一位の魔力を持っているのでは無かったら、貴男は攫ってくれなかったのかしら」
「貴女はカーマの女王になるひとだ。私がこの世界でのうのうと暮らしていく為に、貴女を利用し懐柔する為と言ったら傷付くかな?」
「いいえ。だったらわたくしは貴男と共犯者に成る道を選ぶでしょう」
「共犯者」
「ええ。カーマはこの血に還る事を思い出すべき。わたくしが貴男に学べば、わたくしに異を唱えようとする者を蹴散らす事ができる。わたくしは守られるべき者ではない。わたくしこそが守るべき者」
「頼もしい姫君だ」
「頼ってくださって良くってよ。―――でも本当は、貴男が国王に成ってくださったほうが良いのだけれど。貴男は否と言うのでしょうね」
「然り。

 ―――私は、混乱を招く者なのだから」

***

 瞼を開いた瞬間、身体が拘束されているように重く感じた。
 まず、感じたのは、身に馴染んだ魔力。
「カーシュ」
 声はひび割れて酷い物だった。掠れすぎて音に成ったのかさえ解らぬほど。
 光のない室内で天上を見上げ、混沌に沈む前の記憶を引き出す。ありったけの魔力を引き出して結界を敷いた。爆音の後からの光景は記憶になく、ただ弟と魔神を案じた事だけが鮮明に思い出された。
「カーシュラード」
 鈍い指先を何度か動かして感覚を戻し、手の甲で頭を小突いた。どうやら自分が寝かされている寝具に突っ伏す様にして眠っているらしい。
 触れた途端、弾けるように顔を上げたカーシュラードは漆黒の瞳を限界まで開いて、言葉を発しようとした唇を手の平で覆い、そのまま全身の力を抜くようにして俯いた。
 ヴァリアンテは苦笑を漏らした。脱力したその姿が、拗ねているように見えたから。
「君は無事だったんだ」
「…笑ってんじゃないですよ」
 意図して低く抑えられた声だった。微かに震えている様に感じるのは、気がつかないふりをする。
「ごめん、ね」
「僕が、どれだけ、心配したか」
「うん」
「アンタの霊印が殆ど消えかけてて、魔神もギラーメイアも魔力を分けてくれたけど安心なんて出来なかった」
「…うん」
 その身を削る程消費した魔力を戻すため、自分の物以外のそれが混ざっている事には気が付いていた。肉体の補修が完了している今、他人から与えられた魔力を自分の物に変換され吸収している。その中に目の前の弟の物が随分多く含まれている事を感じていた。
「この混乱の中、どれだけ僕が、…」
 ゆっくり起き上がるヴァリアンテに手を貸したカーシュラードは、未だ俯いたままで。
 グラスに水を注いで貰って、喉を潤したヴァリアンテはやはり苦笑するしかなかった。自分がどれだけ危ない橋を渡ったのか、解らないわけではない。やるだけやって後の処理を放り出すように成ってしまった事も理解できる。
「ありがとう、よく頑張っ―――」
「アンタを滅茶苦茶にしてやりたい」
「――ッええ!」
 喧嘩を吹っ掛けるに十分なドスの利いた声で発せられた言葉に、ヴァリアンテは一瞬理解が遅れた。感謝と共に誉めようとした言葉は喉の奥に引っ込む。
 顔を上げたカーシュラードは真面目な表情で実兄を射抜いた。
「僕の知らぬ所で生を縮める事は止めてください」
 それはきっと、彼個人の願望。義務をぎりぎりまでそぎ落とした言葉。
「私たちは魔神に命を捧げている」
 だからこそ、ヴァリアンテは真っ向から応えた。
「……」
 睨み合った時間は短いものだったが、悲痛な思いを抱くには十分だった。
 先に折れたのはカーシュラードだ。彼は自分の発言が、どんな矛盾を生むのか解っていた。
「…言ってみたかっただけです」
「善処は、するよ」
「その言葉だけで十分です」
 ようやく破顔したカーシュラードは喜びを隠さぬまま、伸び上がってヴァリアンテに口付けた。
 幼子をあやすように背中を抱いたヴァリアンテは、その身体が少しばかり細くなっている事に目敏く気が付く。
「カーシュ、ちゃんと食べてる?」
「僕の事より自分の身体を第一においてください」
「でも…。…よく考えたら、なんで君がここで突っ伏してたの。ちゃんと寝ないと、」
「アンタの側に居ないと眠れないんですよ」
 ここぞとばかりに甘えてくる弟に、返す言葉を失ってしまった。
 その言葉の意味に。喜んで良いのか悲しんでいいのか、わからない。
「もう、大丈夫…だよ」
「……ええ」
 呟いた声は、それでもやはり掠れていた。

 その夜、カーシュラードは腕の中に感じる温もりに、暫くぶりの安眠を貪った。

  

文化と宗教は紙一重という話
2006/7/25

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