血脈を守る者 5

The Majestic Tumult Era "Stand by BLOOD"

 結果的にニーガス公の行った行為は、すぐに国民へ知らされることは無かった。
 実の親による子殺し。その結果は逆の物となったが、しかし与える衝撃は変わりない。今もっとも恐るるべきことは、国民の猜疑心だ。
 カーマ人が魔神の血を否定することは、その存在意義を否定するに等しい。
 ニーガス公に牙を剥くことは、乃ち王に牙を剥くということだ。さらに少なからず自軍に手を掛けてしまったことは、嫌でも国民の反感を買うだろう。いずれは時期国王になるだろうと目されている姫君まで攫っていった。
 これでは悪になっても善には成り得ない。
 だが、罵られるべき行為を行った者は、もっとも敬まれて然るべき者だった。
 これで彼が残虐非道であったならば、まだ救いがあるかもしれない。しかし、父殺しは権利と主張したが、それ以外の者に対する慈悲は忘れなかった。それで死者が還ってくるわけではないのだが、それすらも超越してしまう、魂に揺さぶりをかけ根源すら絡め取って従わせることの出来る力が、彼にはあった。
 カーマ人にとっての、種族的本能とも言える最優先事項。

 それは、創世の祖である魔神に額づく事。
 紅蓮の魔神、レグナヴィーダ。
 魔神の魂と力を持つ者にして、王位継承に一番近い者、そして、血脈を手に掛けた者。

 全てを公開してしまえば、レグナヴィーダの行為はうやむやのうちにでも国民は納得するかもしれない。
 だが、彼を殺そうとした国王派の採択について、暴動が起こるだろう。
 現国王の退位は免れないまでも、次の王に推挙される者はすぐに出てこない。魔神と姫は王宮を出てしまっているのだから。

***

「墓を掘り起こしたワ」
「…なんだって?」
 ドナの冷淡なセリフに、ヴァリアンテは上着のボタンを留める手を止めて振り返った。
 医師から通常生活に戻って良いと許可を得たヴァリアンテは、すぐに情報を集め出した。弟であるカーシュラードから現状を聞き、赤天師団の調査状況を求めてドナを呼び出した。
「よく許可が下りましたね…」
 カーシュラードは病室の扉を目視で見張り、施した結界を侵そうとする物が一つでもないかと意識を集中させている。
「騎士位が上層に居ると話が早くて助かるわよネ。レグナヴィーダ様の家庭教師と乳母の遺体を徹底して調べさせてくれたワ」
「ああ…、クリストか。オクサイド家のあの人ならそれも納得できる。でも、赤天全員が魔神を黙認しているという訳ではないんだろう?」
「そうネ、国王派も居るから、選別するのが難しい所よ」
 上着のボタンを留め終え、剣帯を腰に巻いて愛剣を二本収めたヴァリアンテは、肩を軽く回してみた。眠っていたせいで、不快になるほどに鈍っている。これはカーシュラードを引っ張り出して手合わせをしなければならないだろう。
 非常時だからこそ、鈍った体では身を守れないかもしれない。もし追われる様なことがあっても、確実に逃げ切れる力が無くてはならないから。
「で、結果は?」
 放電すら起こしそうなほどの緊張感を孕んだカーシュラードは、ドナに尋ねた。その様子にヴァリアンテは溜息をつく。彼には全てが敵に見えるのか。
 ドナはしかし、カーシュラードの殺気立った気配に晒されていながらも眉ひとつ動かすことはなかった。いくら自分より魔力も剣技も上位の相手であろうと、感情一つ上手く制御出来ていないひよっこなど、彼女が諫める筋合いもない。
「結果から先に言うと、家庭教師は肩から腰まで、乳母は背中から心臓をひと突きにされてたワ。王子は剣の教養があったかしらン?」
「無いだろうね。彼に鋼など必要ない。身に纏う魔力だけで触れることすら叶わないんだから」
「状況証拠ネ。監察医が嫌な顔をしたけど脅して調べさせたわ。二人とも切り傷に魔力残留を認めたから、それを解析した。血の濃さっていうのは、意外と厳しいものね。ニーガス公は魔術師ではないけれど、血統だけは超一級だということを照明したのヨ」
 魔力を使うということは、何らかの形跡を残す。しかし魔力が強い者は、魔術や魔法を発動させなくてもその痕跡が残る事がある。訓練を受けて制御の仕方を学んだ者はそんなことは無いが、訓練を受けていない者はその方法を知らない。
「それでいける」
「家庭教師と乳母殺しの件については、王子の冤罪で済むワ。でもニーガス公の殺害と、処刑場広場での他の十一名はそうはいかない」
 それに、報復のために殺してもいいという法は今のカーマには無い。国王ですら、国民の支持を失えば罷免される。建国当時の古代ではないのだ。
「魔神が再来したのだから、その程度の犠牲はやむを得ない―――」
「カーシュ」
「…わかっています。そんなことは、言えないと言おうとしたんです。
 魔族にとっては無限であるからこそ、彼らに寿命という有限の物を尊ぶ概念はない。それでもあの方は、兵士達の命を悔い、非礼を述べられた。あの方は、事実を隠すつもりはない」
「…有りの侭を。それを告げられる力が、アタシ達にあるかしら」
 ドナの言葉に、カーシュラードは口を噤んだ。
 魔神の願いを叶えるならば、殆どの真実が日を浴びることになるだろう。正式にそれを発表出来るまで、どれほどの段階を踏まなければならないのか。一塊の軍人に何処まで出来るのか皆目検討がつかない。
 この国が国家として生きていく為には、王家、評議会、軍人、この三つが均等のバランスを保たなければならない。
「下調べを出来るだけ完璧に。証拠は全て正式な手続きを踏まなければいけない。次の議会は何時開かれる?」
 制服に着替え終えたヴァリアンテは、ドナに尋ねた。
「二日後の昼ヨ。証人喚問で国王を引っ張り出すことだけは、避けたい。赤天の意向は証拠の提示であって、国王の起訴ではない。そのスタンスを貫くでしょうネ」
「黒天は魔天の後押しで、魔神復活の主張に終始するだろうと思いますよ。こちらも、国王を罷免したいというわけではないのですから。
 それに今これだけの被害を被っているのに、さらに王位継承問題なんかで混乱に輪を掛けようものなら、ミネディアに良い隙を見せることになる」
 黒天と魔天が手を組むということが異例で、それを訝しんだヴァリアンテは死亡者リストを流し見た。そこには黒天師団長及び幾人かの名前が連ねてあった。現在黒天を取り仕切る役職に就ける者が居ない。すぐに後釜を据えるには上層部が混乱しすぎている。迂闊に名乗り上げれば、腹を探られるだけだろう。
 だからこそ魔天師団が後ろ盾でフォローをしているのだが、それにしてもよく無事に組織として生きていると胸に止める。
 組織の立て直しを行いつつ、敵対する隣国への牽制も忘れることは出来ない。
 カーシュラードの顔色の悪さは、ここからも来ているのか。部隊長としては日が浅いカーシュラードは、魔神に忠誠を誓ったことで只でさえ孤立寸前の矢面に居る。上司の居ない今だからこそ、己の主張を隠しもせずに爪を研ぐ。組織の維持、国の維持、地位の維持。思い至ったヴァリアンテは、唇を噛んだ。
 王家の一員であり、金剛位持ちの軍人。カーシュラードはこれを機に、いち早く魔神に賛同した者として組織を駆け上がっていけるだろう。彼の持つ権は馬鹿に出来ない。
 しかし、表向き金剛位の肩書きしか持たないヴァリアンテには何ができるだろうか。
「…『囁きの谷』に行ってくるよ」
『は?』
 ドナとカーシュラードの声が重なった。
「議会に間に合うように、帰ってくるけれど、それまでに出来るだけ魔神と姫に有利で、あまつさえ死者の魂を汚さない方法を模索しておいて」
 役職も権力もないヴァリアンテに唯一許されている物と言えば、捨て身の自由だ。
 カーシュラードから口伝で知った魔神の居城。王家の墓のさらに奥。鬱蒼と茂る森を入り口とする、山脈の麓。
 全速力で馬を走らせて、ダークエルフを一人でも発見出来れば、後はそのまま城へ案内してもらうだけ。谷に入ることができれば、向こうから見付けてくれるかもしれない。
 そのとき、室内に張った結界が一瞬震え、続いてノックの音が二度響いた。
「はい」
「おお…、もう起きているのか?ヴァリアンテ、わしだ」
「イラー様!?」
 思わぬ来客だ。剣聖と謳われるイラーブルブ・ゼフォンはヴァリアンテの養父ではあるのだが、なにぶん忙しい人だ。
 身嗜みを確かめたヴァリアンテが扉に近付く前に、カーシュラードが病室の扉を開いた。
 軽装の甲冑に身を包み、大きな体躯に剣を背負った壮年のイラーブルブが顔をのぞかせ笑顔のままに室内へ入る。その後ろから、長身の男が一緒についてきた。
「オクサイド師団長…?」
「や。ヴァリアンテ、案外元気そうだね」
 ひらひらと手を振りながら、濃紅のマントが翻る。
 二人が室内に入ると、カーシュラードは結界を再度閉じた。眉間に皺が寄っている。
「おや、うちの『女王様』の姿が見えないと思ったらこんな所に…」
「……お見舞いヨ。お見舞い」
「休憩時間が終わっている事には目を瞑ってあげるから、後で私とディナーをどうかな」
「奢りなら考えとくワ」
 幾分後ろめたい思いがあるのか、ドナは大人しく引き下がっていた。まさか赤天師団を纏める人物がやってくるとは思わなかった。彼はドナの上司である。
 カーシュラードは赤天師団の上司と部下の会話を聞きながら、折りたたみ式の椅子を勧めた。赤天師団長クリストローゼ・オクサイドは直属の上司ではないけれど、無関係ではない。
 だが、クリストローゼもイラーブルブも椅子の申し出を断った。逆にヴァリアンテを座る様に勧め、病み上がりの彼は大人しくベッドに腰掛けた。
「密談に病室か。結界に綻びも無い。クセルクスの末っ子は随分気が張っていると見える。―――安心しろ、我々に殺気は必要ない。結界の維持はオクサイドに任せて、気を緩めるといい」
 さすがに剣聖に諫められ、カーシュラードは少しばかり力を抜いた。殺気ととられてしまうほど、気配が漏れていたのかと内心舌打ちする。ヴァリアンテは苦笑を漏らした。
「さて、何処まで進んでいる?」
 唇の端に微かな笑みを浮かべた老人は、ぐるりと三人の若い男女に視線をやった。
 シラを切るべきか、正直に答えるべきか。まさかイラーブルブに嘘を突き通せるわけでもないのだが、開口一番に困る。
「…貴方は、何処まで知っておいでですか?」
 やわらかな声色で、漸くヴァリアンテが応えた。
「カーシュラードが魔神を推すために、赤天師団に調査を依頼した経緯と結果くらいなら、わしの耳にも入っている」
「口が軽い上官って、やーネ」
「剣聖に情報開示を拒むほど馬鹿じゃないつもりだよ、私は」
 穏やかにクリストローゼが苦笑を漏らす。剣聖は全ての師団を統括できる権を持っているのだ。
「処刑場広場での悲劇は変えようが無いが、魔神を退ける程の物ではない。黒天師団は被害を訴える事ができるだろうが、どうなっている?カーシュラード」
 イラーブルブに話の矛先を向けられたカーシュラードは、軍人らしく姿勢を正したまま答えた。
「死者に対してのみ遺族に補償を検討するとは思いますが、我が師団の被害だと訴えることは無いでしょう。脅威に対して身を守れなかったという甘さを露呈することになりますから。…恐らく、師団長が存命でもそうすると思います」
「罪人に対する然るべき危機管理が成っていなかったと認める事はできんだろうからな。まして相手は今まで姿を見ることもその名を知ることもなかったような王族だ。油断だと言われても返す言葉は無いだろう」
「痛み入ります」
「ニーガス卿に支持していた主だった士官達は、爆心地の中心に居たのが禍したな。良かったとは口が裂けても言えないが、今後少しは若い衆が動きやすくはなるだろう」
 一端言葉を途切れさせ、顎髭を撫でる。
「…お主は、魔神の願いを遂行することに変わりないわけだな」
「はい」
 改めて内情を理解したヴァリアンテは、瞳を伏せる。そして思い浮かんだことを胸の奥に一時沈めた。
「赤天は証拠集めのみ協力します。処刑を承認したのは国王ではありますが、それを訴え出るつもりは無いし、そこまでする理由はない。するとすれば評議会でしょう」
 クリストローゼの言葉は半ばドナに向けたものだった。これ以上の派手な行動は慎むよう暗に仄めかしている。
 数舜、沈黙が降りる。
 この場に集まる者は全て、ギュスタロッサの剱に選ばれ、魔神の使徒となるべき力を持った者達。カーマの民に仕えるという事については、平等だ。
「…ヴァリアンテ、お主はどう動く?」
 養父の言葉に、ヴァリアンテは向き直った。
 剣聖は軍を統括できる地位にあると同時に、全ての剣士に対する指南役でもある。同地位に居ないとはいえ金剛を持ったヴァリアンテは、主にアカデミーや騎士達の指南役を負っている。剣聖は直属の上司にあたる。
「私は…、『囁きの谷』へ出向こうと思います」
 その言葉に、剣聖は低く唸った。
「忠誠を誓いに行くのか」
「…過程としてそうなるだろうと思いますが、私は姫に議会の参加を求めるつもりです」
 ヴァリアンテの申し出に、他の四人は目を見張った。視線がそのまま向く。
「議場に戻れば魔神の元へ帰れる保障はない。あの姫が易々とそれを呑むとは思わんが」
「姫の身柄は私が責任を持って。牽制にダークエルフの護衛を頼んでもいい。転移術が使えれば一番簡単なのですが、どちらにせよ転移用の門はカーマ城にある」
「仕事が増えるわけだね」
 国内や城内の警備を主とする赤天師団長の長が口を挟んだ。ヴァリアンテは頷く。
「…その体で、やれるのか?」
 イラーブルブの鋭い視線はもっともだった。
「後遺症はないし、私は生きている。それ以上何が必要でしょうか。私の細胞は代謝し続け、劣化することはないのです。元に戻った魔力と、寝ていた間鍛錬が出来なかったとはいえ私の剣技力、これで不十分だと言われるのは些か傷付きますよ。
 …随分色々な方から魔力を分けていただいたようで、感謝してもしきれません」
 それに、と言葉を句切り、
「他の術師や剣士を連れて行くのは得策ではありません。私ならば、信用を得られる」
 ヴァリアンテが自信を持って言えるのは、その出自の御陰だ。加えて、そう遠くない未来に姫の親衛隊職への推薦話が持ち上がっていたのだ。カーシュラードよりはよほど姫の側に居た。
「僕も共に―――」
「カーシュ、君が動くのはまずい」
 すかさず遮る。勿論直に魔神へ忠誠を誓ったカーシュラードならば、適任かもしれない。しかし彼がこれ以上表だって魔神と接触することは良策だとは言えない。只でさえ現時点での反発は目に見えているし、限られた人物が魔神に接触しすぎると、今回の事件を仕組んだのではないかと疑われる可能性が出てくる。
 どれだけ小賢しく立ち回っても良い。次世代の芽を摘むことはできない。
「黒天を立て直さなければ成らない今、カーシュラードが抜ける事に価値は見出せんな」
 ふむ、ふむ、と何度か頷きながら顎髭をさするイラーブルブは、少年の様な表情で片目を瞑って見せた。
「どれ…、名目上私がヴァリアンテに一任させたことにしよう」
「しかし、それではイラー様にご迷惑が―――」
「剣聖の権力など、今のような事態に使わずに何時使えというんだ。責任を問われるならば、わしは誇りに思える事をしてやりたい」
 ヴァリアンテは眩しい物でも見るように養父を見つめた。直接手を出せなくなってしまったカーシュラードは、あからさまではないものの、何処かやはり不満そうだ。
「釈然とせんようだな、カーシュラード」
「…僭越にも言わせていただければ。もし僕の心配をしてくださっているのなら、無用です。犬と呼ばれようと、奴隷と言われようと、僕はそれを享受します。魔神を認めぬ者達の言葉に何の力が在りましょうか。僕は魔神という魔力に繋がれる事に誇りを抱きます」
 淡々と語る言葉に、イラーブルブは長嘆した。
「それは極論に過ぎるな」
「若いって、いいなぁ。羨ましいよ」
 クリストローゼの笑み混じりの言葉が、自分を馬鹿にしていると感じたカーシュラードは眉間に皺を寄せ眼光を細めた。
「誉めてンのヨ。躊躇が無いし容赦もない。アンタみたいに生きてみたいもンだわネ」
 ドナが高飛車に腕を組むが、その声色に棘はない。むしろ何処か暖かい。
 憮然とするカーシュラードに、イラーブルブが真剣な表情を向けた。
「民を棄てるのか?」
「…!」
 それは目を剥くのに十分な言葉だった。カーシュラードだけではなく、ヴァリアンテでさえも気付かされる。
 ダークエルフの血とカーマの血を両方併せ持つからこそ、陥りやすい矛盾。魔神に仕える事こそ本懐であるという本能が、魔神の血を継ぐカーマの民を切り捨てにかかる。魔神と民の価値は同じ物では無いが、限りなく同じに近い。それなのに、片方を優先させてしまうが為に、片方の価値を忘れてしまう。
「決着を見出す議会まではあと二日ある。盲目にはなるな。己の道を今一度見つめ直すのも、無駄にはなるまいよ」
 にやり。剣聖は重みのある笑みを浮かべた。

  

なかなか話が進まない…
2007/3/16

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