血脈を守る者 7

The Majestic Tumult Era "Stand by BLOOD"

 完全に出遅れたヴァリアンテはそれでも焦ってはいなかった。忠誠を誓うことは過程であって、目的ではない。それに、魔天師団の総意を知ることが出来たのは、悪い話ではなかった。
 言いたいことを言えて満足したのか、M3が椅子を要求したお陰で二人は魔神と姫の傍で談話の形と相成った。呆れ顔のギラーメイアを筆頭に、部屋の各所にダークエルフが立っている。もてなしてもらうつもりなどなかったのにと、この状況と想定のあまりの違い
に事件の重要性を忘れそうになる。
 ヴァリアンテは一口だけ含んでカップを戻し、きっかけを探った。
「貴方が無事で、安心いたしました」
 何処にいても高貴さと上品さを損なわないヴァマカーラ姫が微笑んだ。
「有り難きお言葉にございます、殿下。幾多の助力で、こうしてお会いすることが叶いました」
 姫を護る為の親衛隊の役職に就くことが遠くなってしまったけれど、想いは変わらない。ヴァリアンテは笑みを返し、略式の敬礼を贈る。
「そなたには私からも感謝を。縁者へ贈った言葉は正しく理解されているようだ」
「持てる力があればこそ、行うべきを行ったまで。私には過ぎたお言葉です」
「それで瀕死になってりゃ世話ないけどな」
 この場の誰よりも偉そうな態度で鼻を鳴らしたM3を、ヴァリアンテは無視した。
「そなたは私に何を伝えたい」
 レグナヴィーダの静かな問いかけに、姫が小首を傾げる。
「貴方たちは、わたくしを連れ戻しに来たわけではないのでしょう?」
「ええ、殿下」
 ヴァリアンテは言葉を切り、居住まいを正した。殿下と同じ場で着席することに慣れていないので、違和感を感じる。跪いたままのほうが、気分的には楽だろう。
「聞かせてちょうだい」
 どうやら、姫は魔神を相当敬っているようだ。太子は直接民と話す事はあまり無い。自ら質問や会話を希望する時は別として、本来ならば側仕えを介する。
 ここにはダークエルフが侍従として多くいるけれど、どうやら魔神の側仕えは姫が買って出ているのだろう。王女という地位にありながらのそれで、彼女がこの短い間に魔神への深い傾倒を読み取ることが出来た。
「査問会が、約30時間後に開かれます。二十一分家各代表と評議会のメンバーが参列します。軍三役は赤天のみ参加を把握しています。黒天上層部は殆ど壊滅状態です」
「魔天からは俺と団長が出席する」
 ヴァリアンテの報告にM3が補足した。
「王と王妃、各省庁の大臣も一部出席が決まっています。議題は先の処刑場広場での事件の全貌解明。赤天の証拠提示から始まり、故ニーガス卿の独断による断罪顛末を発表するでしょう。この際、王の関与は言明いたしません」
「レグノ様を処刑しようという証書に御璽を押したのは兄上ではなくて?」
「それが真実かもしれませんが、胸に留め置いてください。レグナヴィーダ殿下を国家反逆級の罪人として承認する事実はあってはならないし、王ひとりに責任を問うと国が破綻します。世論は王の味方、貴族及び軍の魔神派と平民含む国王派で分裂し、革命が起きてしまってはいけない」
「魔神派」
 姫の呟きに、ヴァリアンテは頷いた。
「ええ。今、王都は二勢力に分かれようとしている。完全に分断する前に、派閥を統合しなくてはなりません。それには、やはり査問会に出席していただくのが定石かと思われますが」
「何故」
 そこで漸く、魔神が口を開いた。
「私は二度と王城へ下ることは無いだろう」
 静かな、囁きに似た低音は、しかしはっきりとした意志が現れていた。カーマ人にとって残念な事だ。魔神はもう二度と彼の地を支配しない。
 ヴァリアンテは一瞬瞠目し、奥歯を咬んだ。これほどのひとを、カーマは見捨てさせたのだ。我らの始祖を、我らの根源を、我らの礎を。
「解っています。私は貴方の望むように働ければ僥倖。ひとつ提案をお持ちしいたしました。これが本題になります」
 剣聖と赤天師団長の参加した密談で、苦渋の選択を選び取ったのだ。
「レグナヴィーダ殿下、…カーマ王家を―――捨ててください」
 静かな声は、室内に響いて溶けた。M3が眉を顰め、ヴァマカーラ姫は細い指で口元を覆った。魔神とヴァリアンテだけが、無表情に見つめ合っていた。ヴァリアンテは自分の発言がどう吟味されているか、僅かな時間で見極めようと足掻くけれど、レグナヴィーダの赤闇色の瞳からは何も読み取ることは出来なかった。
「元より王位に興味は無かったが」
「貴方にそう言わせてしまうと言うことは、我々は国家的に惜しい事をしたのでしょう。ですが、貴方の望みを叶えるのならば、その悔恨を喜んで受け入れます。
 王位、乃ちカルマヴィア第二位継承ルクレヴァウス公殿下の返上と、全ての財産を国庫へ返上し、それをもって慰謝料とすることを、お認め願いたい」
「…そんな」
 姫の悲痛な呟きは、彼女も又王位継承者だからだ。正当王家に生まれた者にとって、その王位を奪われる事は己の血を否定されたことに等しい。純血で有るが故の統治権。カーマで王家を名乗る者達は、いつか国と民に殉ずることを理解している。
「慰謝料は王族以外へ支払われる事になるでしょう」
「黒天の警備不良だと認めるのか、ヴァリアンテ」
「いや、黒天はあくまで任務に忠実だった。兵が亡くなったのは事故だ。これは言わば天災。その補償としての慰謝料」
 元より貴族の補償は数に入っていない。貴族乃ち王族は国に殉じた場合の補償が一切鑑みられない。だからこそ支配階級に居られるし、民を守るからこそ税を徴収できる。
「私に殺された者は私より弱い者だった。圧倒的に、とても、弱かった。だから殺してはいけなかった。断罪は死者にしか行えない物だが、元より王位も財産にも興味はない。私が与えられる物で人間が満足するなら、望むだけ与えよう」
 魔神の言葉にM3が片眉を跳ね上げる。忠誠を誓った手前悪態は付かないけれど、かわりに鼻で笑った。
「王族がその王位を返還し、己の財産を全て慰謝料と国庫へ回す。カーマ史上そんなことを行った正当王家の者は居ないだろうな。今のカーマ人がいくら王に肩入れしているとはいえ、そもそも敬うべきである魔神の血統からの王位返上は慈悲と取るだろう。世論は恐らくそれで黙る」
 魔神がもし己の復活を宣言し、体現のための犠牲は仕方のないものだから認めろと言っても、カーマ人は恐らく異を唱えない。けれど魔神本人がその意志を持っていないし、それで納得させてしまえば国としての機能が変わってしまう。
「慈悲か。人の世は、やはり面白いな。魔界と違い、0と1の狭間がある」
「魔族である貴男には、不愉快な発言か?」
「鞭撻は尊い。私が殺したいから殺した実父という男の、不本意な犠牲となった民が納得するのならばなんとでも」
 殺したいから殺したのだと言う魔神の言葉に、ヴァリアンテは瞠目した。ヴァリアンテも端くれとはいえ軍人だから、人を殺したことが無いわけではない。けれど命を奪うという事に大小の差こそあれ罪悪は感じていた。
 レグナヴィーダは、父を殺したことを罪と認めていない。悪と感じていない。余波で犠牲になった者を、魔神は弱い者と括った。絶対的な強者から見れば、弱者は護るべきものなのだろうか。それならばネディエール公は、レグナヴィーダのの脅威となり、対等に殺し合う事ができる者だと認められたも同然だ。
 その事実を、彼は白日に照らせと希望しているのだ。事は簡単ではない。認めれば、ネディエール家の権威が失墜する。
 魔神復活の為に絶やすことなく血統を守り通してきた王家が、レグナヴィーダひとりの所為で断絶する可能性すらあるだろう。なんて繊細な問題だ。ヴァリアンテは思っていたよりも複雑な状況に頭痛を感じた。
「問題は、魔神が査問会へは出席しないことだ。そうだな?」
 咄嗟にヴァマカーラ姫は、M3を無礼者と罵りそうになった。この者は、魔神に忠誠を誓うと宣言しておきながら、敬意がない。少なくとも姫にはそう思えた。
 政にはあまり明るくない姫は、魔神を顧みた。やはり殆ど表情の無い顔つきで、魔神は黙っている。彼は本当に、二度と王城へは戻らないのだろう。ならば彼の言葉を誰が伝えるのか。昨晩の密談で、ヴァリアンテはヴァマカーラ殿下に代役を願い出ようと決めていた。それを承諾してもらうのが、目的だ。
 ヴァリアンテは親衛隊に入隊する筈だった人物だ。けれどいくら金剛位を保持していようと一介の兵士であって、王族ではない。M3は確かに家柄も魔力も見劣りしないだろうが、魔神派だと言い切っている。評議会に有無を言わせぬ程ではない。ダークエルフではそもそもカーマ人ですらない。
 ならば…、どれだけ経験が浅かろうと、姫に代行してもらうしかないのだ。
「わたくしが、一時的に代弁するのでは駄目かしら」
「ヴァマカーラ姫様…」
 誘導したわけではないが、当初の希望を述べる前に打診を貰え、ヴァリアンテは内心安堵した。
「今はまだ、城へ戻る機では無いと思うけれど、仕方がないわ。査問会の間だけ、わたくしを守ってくださる、ヴァリアンテ?会議の後、無事にわたくしをここへ戻してくれるかしら」
 姫は己を守られる者では無いと確信していた。けれどその大きな目標に近付くにはまだ遠い。最初の一歩は己の置かれる場を知ること。第一位継承太子として、己の剣と盾の使い方を学ばねばならない。
「元より私は姫を御護りするための任を、今生剣聖より賜っておりました。何が有ろうとも、私は姫を魔神の元へ無事に送り届けます」
 ヴァリアンテは椅子を除け、片膝を付いた。双振りの剣を一本に持ち、頭を垂れる。
「ギュスタロッサに創られしこの剣と、金剛位と、我が身に流れる二つの血に誓って、私の忠誠をお二方に捧げましょう」

***

「少し眠れ、ヴァリアンテ」
 養父である剣聖イラーブルブ・ゼフォンの元へ戻ったヴァリアンテは、報告もそこそこにそう促された。
「病み上がりで酷使するものではない」
 確かに、限界以上に魔力を使い果たして昏睡状態になり、目覚めてすぐに魔神のもとへ馳せ休憩もせずに戻ってきた。
 今は何より時間が惜しい。回せる手は全て回して置きたい。出来ることならば、全てを救いたいと思っている。どれだけ傲慢かもしれないが、ヴァリアンテはせめて自分の両手に治まる範囲内の者達を守りたいと思っていた。
「仮眠は、とるつもりですよ」
「そうしなさい。査問会で姫を護る事が出来るのはお前だけだ。転送門の使用はわしの許可で申請しておこう。それしか力になれん」
「十分過ぎます」
 剣聖は国を治める者をまず第一に護らなければならなかった。時に地位を越え正し、助言すら行える立場とはいえ、王を虐げ敵に回る事は絶対に許されない。
 それが解っているからこそ、ヴァリアンテは養父に感謝した。
「しかし…」
 イラーブルブは白い顎髭を撫で付けながら唸る。
「後悔なさっているとは驚いた」
「え?」
「レグナヴィーダ様は、ニーガス公を死亡させた事については己の欲求として認められたが、他の者についてはそうでは無いと言う。いっそ興味が無いと言われるのではないかと想像していたが、彼は後悔と罪の償いに納得した。
 カーマ人を捨ててはいない。魔神の血は我らの信仰で宗教に近い。それを解っているのだ。濃い血筋ほど己の一部なのだろう。それは守るものであって捨てるものではない。けれど彼の魔神は、それすらも超越する怒りを覚えたのだ。ニーガス公は盲目になっていたのだろうな」
「今となっては公の心情を推し量る術もないことが残念です。何故陛下は処刑の許可を下したのでしょう」
「あるいは、本当にレグナヴィーダ様が乳母と家庭教師を殺したと思っていたのだろう。いいや、そうでなくてはならないのだ。王に罪を置いてはいけない。感情論は排斥し、我らは次世代を見据えなければ」
 やがて来るヴァマカーラ女王の時代。その時にどんな傑物が権力の座に居るだろう。青写真が現実になるよう、賭けの結果を待つ心境は正直辛い。
「事実に気付いた我々のみの公言無用だ」
「わかりました」
 もっともカーシュラードは了承しなさそうだが、全て正論が通るものではない。妥協も覚えてもらわなくては。
「知っておかねばならぬことは、レグナヴィーダ様はカーマ人ではないということだ。引いては彼が人間ではないということ。それを正しく知る者が多ければいいが」
「そうですね。そう願います」
 養父の言葉に、ヴァリアンテはただ静かに頷いた。
 査問会まで、あと十数時間。

 昼過ぎのカーマ城付近は騒然としていた。至る所に赤い兵服を纏った赤天師団の警備兵達が警護に当たっている。これから査問会が開かれるのだ。
 評議会のメンバーは各州から二人ずつ選出された平民と、議長、副議長、それに商工ギルド代表者が五名からの五十人。
 加えて、王族二十一分家の当主またはその代理が二十一人。各軍の三役と、剣聖。そして国王と王妃に各省庁の大臣が集まっている。
 正式な代表者達百余名は全て、城に隣接した議場に集結していた。緊急の招集にもかかわらず大した混乱もないのは、彼らが慣れているからだ。馬車は所定の位置に停車し、秘書や執事、私設護衛は各々の控え室で待機している。
 彼らは主に王都で従事する者達であり、査問会の結果は須く各州の機関へ通達される。
 議長の宣言から始まった査問会は、まず今回の議題を述べ、それについての趣旨と事由を述べ、赤天師団三役が証拠を提出し、メンバーは皆事のあらましを知るだろう。
 この査問会には、カーシュラードは黒天師団席に座ることが許されたが、第四王家の子息である事も大きい。もし黒天師団長が生存していたら恐らくその席には座れなかった。不測の事態の責任をカーシュラードが負う事は軍内での目論見以外の何物でもない。
 ヴァリアンテが帰城後に養父である剣聖と話した内容は、密談の主立ったメンバーには告げてある。全会一致で不要な発言は慎むよう告げてあるが、ヴァリアンテは心配だった。
 今ヴァリアンテは、城の内部にある転送用の魔方陣が設置してある小部屋に待機していた。レグナヴィーダの助力により、魔術を使えない姫が城へ一時転送される。ダークエルフの護衛が二名の計三名を待っていた。
 剣聖の許可の元だがほとんど非公開の転送術使用であるから、ヴァリアンテ以外はその場に居ない。親衛隊の正装はまだ貰えていないので、金剛位の指南役としての正装を纏ったヴァリアンテはそれでも立派な騎士だった。腰の両サイドに留められた魔剣と金剛石の指輪が、国内最高位の剣士であることを示している。
 魔方陣が淡く輝いた。室内の明かりが一瞬消え、次の瞬間にはダークエルフを従えたヴァマカーラ姫が佇んでいた。ヴァリアンテは跪く。
「お待ちしておりました」
「時間は、どう?」
「問題有りません」
 若干の緊張を孕んだ可憐な声色に、安心させるよう微笑みを浮かべて顔を上げた。そしてそのまま言葉が詰まった。
「姫、そのお召し物は…」
「ダークエルフが用意してくれた。とても動きやすいのだけれど、寒そうに見えて?似合っていないかしら」
「…いいえ、よくお似合いです」
「そう、ありがとう」
 いつも城内で纏うドレスは、王妃以外では一番すばらしいものだったが、今の格好はその王女然としていた物からはかけ離れている。
 黒い革とレースを主体にした、体の線を露わにするマーメイド型の衣装。両腕を二の腕まである手袋で隠し、膝下から広がった優雅な布の動きは見事だが、霊印を露わにした胸元は、常のドレス姿からは想像が付かないものだった。
 スカート姿であるのに、どこか戦闘服を思わせる。赤天師団の名物にもなっているドナ・デヴァナ部隊長の露出度の高い軍服とはまた違った魅力的な格好だ。
 ヴァリアンテは査問会がすでに開会していることを述べ、姫の発言が済めばすぐに魔神の元へ戻れるようもう一度誓約した。
 城の転送門から議場まで距離があるので、城内で働く者にその姿が見られてしまうのは仕方ない事だが、彼らは唖然と一行を見つめるだけで呼び止める者は居なかった。そうさせない気迫が、主にヴァリアンテから漂っていた。
「見事な牽制だ。誼姫の子よ」
 ダークエルフの一人が笑いながら呟いた。

 正当王家用の貴賓室は、警備兵以外に閑散としていた。姫とお供をその場に残し、ヴァリアンテは議場内を窺う。こっそりと開いた扉の隙間からでも、緊張と熱気を感じた。
「では、当のレグナヴィーダ殿下は何処に居られるのだ!当人が逃げては話にならない。彼は魔神の再来なのだろう!?」
 飛び込んできた声が聞こえたヴァマカーラは、気丈にも微笑んだ。
「いいタイミングみたい。出るわ、ヴァリアンテ」
「宜しいのですか?」
「ええ。出来ることを、しにきたのですもの。わたくしはこの国の王女よ。やれるわ」
 その顔は、強い決意を秘め美しかった。
 国王の背後にある王族用の扉が突然開き、一同は何事かと視線を向ける。現れた王女の姿に、場内が騒然とした。そのざわめきを打ち消すように、一歩一歩力強くヴァマカーラが歩む。
「彼はこの国を護る神ではない」
 常とは違う姿に困惑気味の代表者達は、その魔力から彼女が正真正銘のヴァマカーラ王女であることを悟った。背後に控えるダークエルフが、静かに跪き、ヴァリアンテが背後を守る。
 眉間の皺を深めたに留まった国王は、側に控えた剣聖の耳打ちに仕方なく長嘆した。
「わたくしは継承第一位王太子、王女ヴァマカーラ・エルヴェス・ヘラ・マルシュヴァリーリ=カルマヴィア。魔神と共に歩む者。彼の者に代わり、わたくしが発言しよう」
 各所から驚愕の声が響く。ほとんどが、何故誘拐された筈の姫が此処に、というものだ。
「議長、発言の許可を」
 剣聖が朗々と告げた。ちらりと国王を見た壮年の議長は、王が何も言わないことを確認して、議場内を静まらせる為に小槌(ガヴェル)を打ち付けた。
「認めよう」
 静まった議場内、全ての代表者達の視線が今ヴァマカーラに注がれている。
 姫は小さく深呼吸し、両手前で組んだ。
「継承権二位、レグナヴィーダ・オヴェディタ・カイレーク・ルクレヴァウス=カルマヴィア殿下は、今生で魔神として復活なされた。それは剣聖及び国王の認めること。わたくしも彼にまみえ、彼こそ魔神であると確認した。
 彼は伝承の通り、『紅蓮の魔神』そのものの容姿を持ち、その魔力足るやこの世界の頂点に位置し、その本来は魔界と通じている」
 一度言葉を切り、唇を湿らせる。
「彼は始祖としてカーマをむざむざ滅ぼすようなことは認めはしないが、静観を望む。四半世紀にわたり彼を幽閉し、その上で民を護れと国が言うのか。この国を民を護る者は既に幾人も居るだろう。彼の者達を剣と盾にせず、古に頼るような血はカーマに非ず」
 待ち望んだ魔神の再来であるのに、姫の言葉に評者達が息を呑んだ。誰もが、魔神が復活したのならばカーマ王国は魔神が統治するものと思っていた。カーマを見捨てるのかと思っても仕方がない。
「彼は処刑場での惨劇を認めた。処刑を推し進めた第一分家ネディエール公ニーガス卿は、冤罪であると認知していたにもかかわらず、強行に出たのだ。魔神を滅ぼそうという暴虐こそ笑止。父王よ、貴方は冤罪の事実をお知りではなかったのでしょう?」
「…如何にも」
「ならば国是の処刑劇ではなかったのだ。ただ、ニーガス卿の死亡原因のみ、魔神ははっきりと意志を示した。その上で、彼は他の犠牲者達を悼み、王位を返上する」
 再び議場内が騒然とした。正当王家の王族がその位を捨てて市井に下るなど、この議場内にいる誰もが驚愕するに正しい事実だ。
「しかし、あやつ等はレグナヴィーダ殿下に忠誠を誓ったのですぞ!国王陛下や国に誓っているはずの剣で!」
 評議会の一人が、軍席を示した。それは赤天ではなく、黒天師団のカーシュラードや魔天師団の者達に向けたものだと誰もが解った。
 だがヴァマカーラ姫は全く動じることは無かった。喧噪を遮るような美しい声が響く。
「それは事実だが真実ではない。紅蓮の魔神に忠誠を誓うこと、それすなわち己が血に流れる連綿たる魔を受け継ぎし全ての民を護ること。魔神は護られる者ではない。混乱と破滅を招く魔族。煉獄の具現。
 カーマを覆さんとする意志は、彼らにない。魔具に選ばれし者達は、魔神を通し国に忠誠を誓ったも同じ。回帰であり、裏切りではない。」
「ですが…ッ!」
「己が血に耳を傾けよ。魔神に帰依する我らカーマの誇り高き血に」
「レグナヴィーダは王位を捨てた。父であるニーガスの強行すら最後まで付き合った。それでもなおカーマを見守ると言うのだろう。
 私が国民の為を思い、魔力に関係なく民を擁護した私を共謀者と非難すること無く」
 姫の言葉を、今まで静観していた国王が継いだ。まさか国王自らそんなことを言うとは思っていなかったヴァマカーラは一瞬面食らったが、気丈にも表情には出さなかった。これにはヴァマカーラ以下、ヴァリアンテやカーシュラードも驚いた。
「レグナヴィーダ殿下は王位の返上と共に、その財産の全てを被害者遺族へ支払う事と国庫への返還を申し出た。それ以上に評議会は何を望むか」
 そう締めくくったヴァマカーラの言に、評議会の議員達は黙るしかなかった。そもそもの罪人が誰だか解らなくなっているが、国王まで魔神を認めた以上レグナヴィーダを追求する事はできないし、主犯と思しきニーガス卿はすでに亡き人だ。分王族はそもそもこれに関して発言する理由がない。
 議長は紙面を確認しながら、横に座る副議長と短く何かを会話し頷く。小槌(ガヴェル)が打ち付けられる。一時休廷しなければならないのだと誰もが思ったその時、黒い軍服を纏った兵士が飛び込んできた。
 兵はすぐに黒天師団席に向かい、三役代理に報告する。黒天師団総代の顔色が瞬時に変わった。カーシュラードともう一人の代理が報告を聞き、同じように殺気立つ。
 遠く姫の側で窺っていたヴァリアンテは、何事かと訝しんだ。
「緊急の報告を申し上げる」
 立ち上がった黒天師団総代の男が立ち上がる。
「オベロアン沿い国境でミネディエンス側からの攻撃を受けた。数は百から二百。現在黒天師団駐留軍が応戦中。国旗及び神聖騎士団の紋章は無いが、まさかミネディエンスと無関係ではあるまい」
 苦虫を噛み潰したような声色に、議員達の数人が立ち上がって非難を叫ぶ。真っ先に席を蹴倒したのは、当のオベロアン家代行だった。これには国王及び剣聖も顔を顰める。
「今回の事件で駐留軍の一部も王都に招集されていた。直ぐにオベロアンへ向かわせたいが宜しいか。緊急を要するため、書面での申請は後手に回るが」
「使える兵士は居るのかい?」
 苦渋の黒天師団総代に、赤天師団のオクサイド師団長が飄々と野次を入れた。激高するかと思われた黒天師団総代は、しかし鼻で笑っただけだった。地位が足りてないこともそうだが、実際指摘された事が事実なだけあるので下手を打たないだけの分別はあった。
 黙って聞いていたM3がにやりと唇を吊り上げる。彼はオクサイド赤天師団長がただ黒天師団を貶したのではなく、その裏があることに目敏く気付いた。
 魔具である杖で机をコツコツと叩いて注目を寄せ、人を食った様な嫌な笑いを浮かべながら鷹揚に吐き捨てた。
「王よ、カーシュラード・クセルクスを貸せ。黒天がこれ以上疲弊すれば大事だろうが、国力を見せつけなくてどうする。奴の部隊をオベロアンへ回すんだ。バックアップに魔天の精鋭を付けよう」
 自国の王を王とも思わない発言に、国王派の筆頭である大臣連がいきり立つ。
「口がすぎるぞ!!」
「軍人風情が不敬である!」
「それこそ魔神が追い払えばいいのではないか!?」
 身勝手に擁護する大臣に、国王は辟易した。肘掛けに両腕を乗せた国王は長嘆する。
「黙れ化石が!」
 議長の小槌のように杖で静粛を強請するM3は、罵声に劣らぬ声色で場を舐めた。
「領地をやられて黙ってられる領主がいるかよ。なあ、オベロアンの。そもそもお前等が怯えてんのはレグナヴィーダが今すぐ王になる事だろう。侵略に怯えねばならんのは魔神か!?倒すべき敵は我らを、この血を滅ぼそうとする者だッ!
 それにな、もしクセルクス坊やが死んだら、思惑通りじゃねえか。金剛位持ちで魔神に忠誠を誓った分王家の軍人が邪魔なんだろ?お前等の気が晴れる」
 これにはヴァリアンテの高い筈の沸点にも火が付きかけた。ヴァマカーラ姫の視線がちらりと諫めたので手を引いたが、確かに剣の柄に指がかかった。
 クセルクス家代行の長子であるカレンツィードは、実の弟の言われように苦笑したのみだった。当人のカーシュラードに至っては完全に無表情だ。彼らは、カーシュラードでさえ、その実力を正しく知っていた。
 一同は皆、M3の発言に呆然とする。いくら分王家で特に上位にあるマクミラン家の代表とは言え一介の軍人なのに、年長者も地位も何もかも敬わず、彼はこの場の誰より尊大で悪辣だった。
「埒があかんな。剣聖イラーブルブ・ゼフォン、騎帝軍総帥として命を」
「いいだけ泥を塗りおって…」
「俺を誰だと思っている。俺ほどマクミラン足る男は居ないだろう。俺は戦争屋だが、為政者でもある。民を一番に考えている」
 剣聖は国王に耳打ちし、国王が頷く。
「皆よ、ヴァマカーラの訴えを思い出してもらおう。議長、査問会の一時休廷を。剣聖には防衛の全てを任せる」
 王の言葉に、議長は咄嗟の判断で小槌を振り上げた。が、振り下ろす前に剣聖が口を挟んだ。
「カーシュラード・クセルクス。異議はあるか」
 まるで眠れる獅子のような静謐さを保っていたカーシュラードは、このとき初めて口を開いた。第三剣位まで許されている武器を、魔剣を掲げる。その指には実兄や剣聖と同じ金剛位の指輪が輝いていた。
「ご命令、喜んで拝命いたします。カーマ人の血と誇りにおいて、我らが敵を討ち砕いてまいりましょう」
 それは静かな声だった。しかし、反対勢力を全て黙らせるだけの重みがあった。
 漸く議長が休廷の小槌を打った。

  

ヴァリアンテと姫様のターン。
なんかぐだぐだ過ぎるのと勢いで書いてしまったので、後日推敲しなおします…。時間あきまくったから矛盾してたらどうしよう。
2008/07/04

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