Liwyathan the Jet 2 RISE - 2 -

Liwyathan the Jet 2 RISE

 そろそろ夕方に差し掛かろうかという頃、漆黒の海賊船は獣が大陸首都であるラーハスの港へ着いた。
 到着するなり魅朧はカラスを抱え上げ、船の縁から飛び降りた。滅多に行われない暴挙に、カラスは勿論のこと船員達も唖然とする。大半がカラスに同情の視線を送っていた。
 魅朧は上陸する直前、
「後の指示は鷲に従え!好きに遊んでてもいいが、何時出港するかわかんねぇからな。置いていかれても泣くんじゃねぇぞ、手前ぇで戻って来い」
 と、通信管で船内の全員に命令を下した。
 基本的に船の外には出ることがないエルギーは、またかと諦めの溜息を漏らしていた。
 獣たちの都であるラーハスは、それなりに大規模な町ではあるが、その人相は些か異なっている。
 港部分は人間の姿もちらほら見つかるが、この大陸を征するのは獣人と呼ばれる種だ。彼らは獣と人の中間に位置しているが、有翼人とは異なりその外見は獣に近い。普段四足歩行をしている動物より、高度な発達をした種と言える。
 そう何度も此処へ来ることはないのだが、カラスはこの街が好きだった。獣人を見ると何故か心がわくわくする。猫や犬を見付けて触りたくてうずうずしている子供のような感覚なのだが、それを彼ら獣人に言ってしまうと明らかに非難されるだろうから黙って見ていた。
 魅朧に抱えられて船から下りた――というより落ちた――後、カラスはひたすら魅朧の後を追った。何も言わないのは、着いてきてもいいという事だ。一緒に下船した時点でそうなのだろうが、他の船員を差し置いて自分が、と思ってしまうのは仕方ない。
 と、いきなり額を小突かれた。
「馬ァ鹿。お前じゃねぇと、俺のこと止められねぇだろ」
「俺の攻撃を余裕で避けるお前に言われてもな…」
「…そのへんは、なんだ。愛で」
 真剣な魅朧の目に呆れた。
「……言ってろよ」
 じと目で返してはみたが、実際そうなのだ。
 魅朧が何かしでかしても、きっと俺は巻き込まない。むしろ、巻き込めないんだろう。俺の姿を確認してしまえば、どんなに切れていても冷静さが戻る。
「そういうこと」
「そんな事態に成らない方がいいけどな」
 いつか自分が魅朧の弱みにならないとも限らない。
 心を読まれないよう意識を閉じ、カラスは胸中でごちた。あまりそれを考えすぎるとドツボに嵌りそうなので、さっさと意識を他へ持っていき心壁を取り払う。
「ラーハスの何処に行くつもりなんだ?」
 早足で歩きながら尋ねた。
「中心地だ。住所は知らんが、奴の気配はそこにある。目的地はそこだ」
「中心地って山頂か。立ち入り禁止じゃないのか?俺なんて門前払いされた思い出がある」
「用がないのに入れる場所じゃねぇな。観光目当ての人間はまず入れん。中心地は居住区と神殿があるんだ」
「なるほど…。縄張りってことか」
「じゃねえのかな」
 その縄張りの中に、魅朧は行こうとしている。魅朧の事だから、きっとなんとかするのだろうけど。これからどんなやり取りが始まるのか、楽しみでもあり怖くもある。
 早足の魅朧に遅れないよう暫くついて行けば、石造りの小屋が見えてきた。警備兵の獣人は二人。鎧とマントを纏った獅子。門番はまるで最初から魅朧が来ることが解っていたみたいに、ずっとこちらを見ていた。魅朧が近付くと頭を垂れる。
「これは魅朧様、正門からのお出まし、歓迎いたす」
「…いつもお前等無視してるわけじゃねぇよ」
「帝都には既に上位の龍族がいらっしゃるようだが、それに関係あるご来訪か?」
 一応の礼儀として敬ってはいるみたいだが、皮肉られているところをみると、どうやら好印象を与えているわけではないらしい。
「わかってるなら話は早い。成るべく被害は出さんよう、大事になる前に海へ帰るから安心しろ」
 だから通せ。
 魅朧の琥珀色の瞳は、その唇と違って笑っていなかった。
「その人間は如何か?」
「俺のつがいだ」
「龍王ともあろう貴方が人間を?」
「俺の好みにケチ付けんじゃねぇよ。まさかこいつを入れないってこたぁねぇよな。この俺に向かって」
 獅子達は顔を見合わせた。唸り声でぼそぼそと会話をしている。只でさえ急いでいるところを足止めされ、魅朧は怒りを顕わに挑発した。
「俺に暴れられたくなかったら、さっさと通しな。子猫ちゃん」
「…な!?」
 獣人の中でも上位に位置する獅子に面と向かって『猫』呼ばわりをした魅朧は、獣人ひいてはこの世界の総ての生物の頂点に君臨する種族の王だ。
 結局はそうやって、魅朧とカラスは帝都の中心へと正面から入ったのだった。

***

 その家に入った途端、魅朧は男を殴りつけた。
「おい、家を壊すなよ」
「黙れ。お前も殴られなかっただけ有り難く思え」
 呆然とするカラスは、壁を壊す勢いで飛ばされた男から避難するようにドアの陰にいた男に気が付いた。
「…あれ」
 見たことがある顔だった。何時しか大陸を横断するのに、海賊船を足に使った男だ。確か錬金術師だったと記憶している。以前会った時も違和感を感じたが、今はその違和感がもっとはっきりしていた。
「揃いも揃って、何をしでかしたか理解しているか、お前ら」
 魅朧の声は冷気を帯びたようで、殺気すら滲んでいた。
 にも関わらず、殴られた男は端から血を流した唇で薄く笑った。
「…っ…、顔は止めて欲しかったな」
「殺されてぇのか」
「…殺してもらえるなら、殺して貰ってたさ」
 本気の混じった自嘲だった。
「カナリーナはどうした。……いや、カナリーナを、どうする気だ」
 魅朧の問いに、殴られた男は笑みを深くした。
 その男も、魅朧と同じく金髪に金色の瞳を持っていることに気がついた。上げた顔は殴られて血がついたとはいえ、息を飲むような美貌をしていた。髪の先に縫い込まれたガラスのビーズが音を立てている。
「生き返らせるんだ」
「……てめぇ」
 様々な生地と宝飾品で飾られた豪奢な服の胸ぐらを掴み上げ、魅朧は凄んだ。
「もう、遅いぜ、魅朧。後戻りは出来ないんだ。お前は、『あの』カナリーナを殺せるかい?」
「…殺すのは、些かもったいないな」
 割り込んだ声は、呟いただけだったかもしれないが、魅朧の怒りを増長するだけだった。
「てめぇもだ、流幽(リィウヨウ)。片っ端から頭つっこんで来んじゃねぇ。お前等が誰を殺そうが愛そうが憎もうがどうでもいいが、理を弁えろ」
 ああ、そうだ。セツだ。魅朧が唯一名前を贈って呪縛した人間だ。流幽(リィウヨウ)という名を贈る事で口止めとした、龍の秘密を知る人間。
「こんな面白そうな事を、俺が放っておく訳ないだろう。それに、お涙頂戴の話も聞かされたことだしな」
「精霊の次は悪魔に身売りしやがって。てめぇが情に流されるタマか」
「……聡いな。これだから龍は嫌だ」
 三つ巴だ。まるで修羅場の雰囲気に、カラスは極力息を潜めていた。紹介される雰囲気じゃあないけれど、きっとこの金髪の男が魅朧の探していたパヴォネだろう。殺し合いには未だなっていないから、止める必要もない。自分に出来るのは様子を窺う事と、話を盗み聞く事。
「それに、既に契約は履行している。結ぶ瞬間に止めに来なかった魅朧が出遅れだ」
「んなこたぁ、解ってんだよ、『流幽』」
「…っ…」
 ある種の力を込めて紡いだ言葉に、セツは顔をしかめる。
「お前がかけた呪はこの躯にも有効なのか…。ますます癪だな」
「俺は肉体じゃなくて魂に首輪をかけてんだよ。龍王がたかだか低級魔族如きに破られるものか」
「…解った。いいから我慢してくれ。この家を壊されでもしたら、それこそ惨事だ。俺は基本的にお前達のような完成された種族に興味は無いし、頼まれても組成を研究しようなんて思わない。
 例えお前が死んで呪が消えてもな」
「『魅朧』が消滅しねぇ限り解けねぇが、…まあいい。無駄話が過ぎたな」
 吐き捨てた魅朧は、パヴォネと思しき男の胸ぐらを掴んだまま表へ出た。扉を足で蹴り開けて、外へと放り投げる。カラスは一定の距離を保ってそれを覗き込む。セツはこのまま見学を決めこむようだ。
 魅朧は息を吸い込むと、宣告した。
「海へ還れ、『孔雀』」
「…ッ!!」
 男の目が見開かれた。
「ぐ、…がはッ…!」
 歯を食いしばって耐えようとするパヴォネが、次第にその形を変えてゆく。流線型のフォルム。二対の皮膜を張った翼。一角。黄金の鬣と漆黒の鱗。個体差なのか、以前見たことのある魅朧の姿とは何処か違ってはいるものの、それは紛れもない龍の姿だった。
 劈くような咆吼が空を裂く。
「釈明は海中で言うんだな」
「…ちょ…」
 カラスが止める前に、魅朧の姿は上空に消えていた。
 巻き起こる爆風を避ける為に腕で顔を覆って、ようやく見上げた時には黒い巨体が空の染みになっている。
「マジかよ」
 置き去りにされて、カラスは呆れ果てた。何が止めてくれだ。
「面白いモノを見たな。海龍が二匹で空を飛ぶなんてのは、早々無いぞ」
「他人はいいよな…」
 やさぐれたい気持ちがそのまま口を出た。セツはニヤリと口角を上げ、魅朧の所為で立て付けの悪くなった扉に手を触れ、元通りに組み替える。
「取り敢えず、知りたいのならば、茶ぐらいは出そう」
 セツは初めて見た錬金術に驚くカラスを促した。

「リディ、リディジェスター!龍は去った。客人に茶を頼む」
 倒れた椅子を直しながら、セツは家の奥へと呼びかけた。
「さて、数十年ぶりの再会だが、ただの人間にしては随分と代わり映えの無い」
「……アンタとサシで話すのは初めてだと思うんだが」
 椅子に腰掛けてすぐに切り出された言葉に、カラスは青磁色の瞳を細める。目の前の錬金術師についての知識は、その術と同じくらいに少ない。魅朧ですら気がつかない事を、この男に見破られるとは思わなかった。
「差し支え無かったら、尋ねたいのだが。――もちろん、魅朧が怒り狂った原因を教える交換条件で」
「…答えられることならば」
 カラスの応えに、セツはふむ、と模索する。
「では、率直に。君は何年生きている?」
「それに答えたら、どうなる」
「ひとつ助言をしてやれる」
 この男は魅朧の呪縛を受けているが、カラスとの間に信頼関係はない。どうしたものかと訝しんでいれば、セツが追い打ちを掛けてきた。
「特に、肉体に関する事柄は、十八番なんだが、錬金術師に相談してみる気はないか?」
 まるで悪魔の誘惑だと思った。
 そういえば、魅朧が先程この男に向かって悪魔だとか魔族だとか言っていた事を思い出した。
「甘言に乗って契約しろと迫られるのは大変困るんだけどな」
「君から得ることは情報だけで、俺も情報を支払うんだ。契約なんて面倒くさい手順は踏まない」
 どうしたものかとセツを窺っていたとき、奥の扉が開いた。
「あ。カラスだ」
 真っ白な髪に左右色違いの瞳。一度見たら忘れられないような配色。手にはカップの乗ったトレイを持っていた。
「…久しぶり」
「こちらこそ。けっこう時間が経ってた気がしたけど、カラスはあんまり変わりないね」
「違う、リディ。魔導師だと言っても、老けてなさ過ぎる。龍の影響で大分押さえられてはいるが、それにしてもな」
 カップを受け取ったセツは、カラスから視線を外さなかった。彼は何としてでも聞き出すつもりだ。礼を言って同じようにカップを受け取ったカラスは、長嘆する。
 リディジェスターにまで追い打ちをかけられた。
 当時のこの二人はあまり仲が良くないように思えたのだが、そうではないらしい。というより、決して短くない年月にもかかわらず、この二人は未だ離れてはいないのかと思った。
 自分と魅朧もそうだが。
「わかった。教えるよ。正確な年齢は知らないが、40は越えていないと思う」
「にしちゃあ、若いね」
「高位魔力保持者は大概細胞の老化が遅いが、それにしても未だ20代半ばかそれ以前に見えるのは、一体どんな手を使った」
 セツの目は学者の輝きを放っている。
「…補助魔術の中に、相手の動きを止めるものがあるだろう?」
「肉体だけを止める『拘束』と、意識ごと止める『硬化』の二種類ある、あれか」
「そう」
 肉体だけを止める魔術は、足止めなどによく使われている。ただ身体を動かなくしてしまうものだ。
 また、意識ごと止めてしまうものは、その術をかけられた本人が解術されるまで気がつけない類のものだった。被術者の時間を止めてしまうに等しいが、止まるのは被術者であって周囲も止まっているわけではない。強請睡眠と違う点は、成長も老化も代謝もしない点だ。仮死に似ているかもしれないが、『死なない』という点で違う。
 仮死は殺せばそのまま死ぬが、この術の場合被術下にいる間は死ぬことがない。動くことも出来ないが。
 前者は割と簡単な部類に入るが、後者は魔導師位ではないと発動すら難しい。ちなみにどちらも有効時間を最大限まで伸ばしても半日がいいところだ。
「『硬化』の効果範囲を『拘束』のそれに変換して、肉体の老化を一時的に止めているんだ」
「しかしそれにしては…」
「効果が切れる度にかけ直してる」
「この数十年ずっと…?」
「術が完成してからは、ずっと」
 これは、魅朧が聖霊魔法の専門家ではないからやってこれた芸当だった。
 魔力の強い者ほど老化が遅いという知識くらいはあるだろうが、龍族は基本的に外見をあまり変えないから、カラスが変わらぬ外見をしていようと気にならなかったのだろう。
「術が切れれば肉体の老化は通常に戻るだろうが、もともと確立された術ではないから、どういう作用が揺り返してくるかわからんだろう。その術を使えるような高位魔導師も限られているし、研究しているという話も聞かない」
「不老不死じゃないからな。上っ面だけそのままで、中身も寿命も死へ向かっている事には変わらない。俺は不死には成りたくないし」
 セツは一度カラスを上から下まで眺め、その興味を再確認した。
 この世界の人種は体毛に出ることが殆どだ。カーマ人は黒から赤にかけての色合いだし、ミネディエンスは金や黄色。アマディシエナのように統一性のない、また染色が盛んな地方も在ることにはあるが、大体は髪の色を見ればその人種がわかった。
 カラスはそれで言うと、人種を特定することがまったくできない。銀でもなく白でもない、灰色の髪。様々な人種が混ざり合った色をしている。これだけしっかりと灰色になるには、何世代前に遡って様々な人種が混ざり込んだのだろう。それだけでも希有だ。
 混血故のエキゾチックな美貌に本人は気がついていないのか、美醜に関して疎いのか、カラス自身はあまり自分のことを意識していないのだが、老いだけは例外だったのか。
 なんにせよ、一度調べて通常の人間と比べてみたくはある。
 セツはそんなことを思っていた。
「魅朧は君の外見に惚れたわけではないんだろう?そこまでしなくても良かったんじゃないのか?」
「俺の見た目誉めてどうこう言うのは聞いたことがないから、そうだろうけど。だからこれは、俺の見栄」
 そう言って笑うカラスはいっそ清々しい程だった。
「で、種明かしはしたんだ。助言と、魅朧が怒った原因ってのを教えてもらおう」
 カラスの言葉にセツは頷いて立ち上がった。リディジェスターに片付けと来客を追い払うよう言付け、カラスを伴って家の奥へと案内する。どうやら目的地は地下にあるらしい。
 途中、ランプに明かりを入れながら、一度老化を止めているその術を解いて欲しいと頼んだ。
「何故」
「検体への影響は最小限にしたいからだ。継続途中とはいえ微力の聖霊魔術が常に垂れ流しの状態だろう。なに、そう長い時間案内するわけでもない。出てきたら掛け直せばいい。嫌なら見せられないというだけだ」
「……わかったよ」
 解術の言葉は長いものではない。総ての補助魔法の効果を打ち消せるような物であれば問題ないようだった。
 術を解き終わっても特に変化の見られないカラスだが、数分とはいえ老いを感じる事に落ち着かなかった。老いを意識せず老いていく、通常の人々ならば気にしたこともないだろう。少しずつの積み重ねなのだから。
 しかし、一度魔力を使えない状況下に置かれた事件を考えると、平時に保険を掛けておきたいことには変わりない。
「助言と、…そうだな、提案もできる」
 セツは笑った。ランプの明かりに照らされて、その笑みはひどく邪悪に見えた。
「この部屋の中身をみたら、きっと今の君は魅朧のように怒れないだろうな」

  

次回「怪獣大決戦〜ジョーズは出ません〜」ぜったい見てくれよなッ!うそです。
2006 .10 .9

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