Liwyathan the Jet 2 RISE - 4 -

Liwyathan the Jet 2 RISE

 魅朧とは違うドラゴンの手の平の中で、カラスは指の隙間から眼下を覗いてその光景を忘れようとした。
『怖いのかい』
「この速度と高さで落ちたらどうなるかって考える程度には怖いだろう、普通」
『安心おしよ。アタシが落とすわきゃないだろ、移動中に』
 ノクラフに読まれてしまうほど感情が駄々漏れだったのかと、カラスは気を引き締める。本体に戻っている龍は感覚が鋭くなるものなのだが、そんなことは知りもしない。
「で、ノクラフがそんなんなって来るくらいだから、一体何があった?」
『アタシも全貌知ってるってわけじゃないの。ただ、身内が起こしたトラブルってのが相当ヤバイもんだったらしくて、族長の指示を仰がなきゃいけない』
「なんか、立て続けだな」
『そうだね。パヴォネが絡むと何かしら頻発すんのよね。それなのに魅朧は地形変えちゃうくらい焼き入れるのに張り切ってるし…。エルギーが呼んでもシカトこいてんだから、信じられないわ』
 俺が呼び止めても止まらなかったからな、とはカラスは言わなかった。どうにも魅朧の怒りは針が振り切れたままらしい。
「それで、俺にどうしろっつーんだよ」
『何もしなくていいわよ。するのはアタシなんだから。アンタは大人しくしてれば問題ないわ』
「……?」
 曖昧な返答。まさか海上から呼びかけろというわけでもないだろうし。眉根を寄せたカラスは、遠い地平線を見つめて長嘆した。
 それから暫くもしないうちに、黙っていたノクラフが口を開いた。
『そろそろ、着くわ』
「ああ、ホントだ、船が見える……けど」
 漆黒の船体に漆黒の帆を張った海賊船が、波間に揺れている。時折光るのは、帆に描かれた金糸の龍の文様だろう。
 嵐が来ているわけではない。海面が異常なほど波打っていたり、水柱が上ったりしているのが、事の面倒さを表しているようだった。
『勘弁してほしいわ。あんまり離れているわけにもいかないけど、船に穴でもあかないようにエルギーもみんなも必死よ…』
「そんな魅朧、俺にゃ止められんだろう」
『止めてもらわなきゃ困るんだよ。大丈夫。アタシが保障する。魅朧は絶対アンタを助けに来る』
「……は?」
 助けに来る。
 その意図がよくわからなくて聞き返すが、ノクラフが応えることはなかった。
 魅朧が船長である海賊船の船員であり、魅朧の支配下に置かれているという証の腕輪を撫でて、カラスは考える。確かに魅朧は俺を大事にしてくれているが、だからといって自分の信念を曲げることは無い。
 今だってきっと、理由があって暴れているに違いない。それを止めることなんて出来ないと微かに思っていた。それとも、強く強く呼びかければ応えてくれるだろうか…。

 その海賊船がすぐ側に見えた頃、ノクラフはホバリングで中空に留まった。相変わらず波は高いし、低い地鳴りのような音も聞こえてくる。
 カラスは困った。単純に呼んでも、効果は無いのではないかと。
『もっと簡単さ』
 海面を見つめながら、ノクラフが穏やかな声で言った。どんな案があるのだろうと気を抜いたその一瞬。
「…え?」
 鳥かごのように手の平で足場を作ってくれていたノクラフの指が、消えた。
 視界いっぱいに広がる一面の空と海。
「ぎゃあああああああああああ!」
 自分の悲鳴を第三者のような気分で聞いた。安心しきっていたのに、いきなり放り投げられて、これ以上どう反応すればいいというのだろう。
 浮遊感は直ぐに落下感に代わり、小柄なドラゴンが目の前から遠ざかっていく。いや、カラスが海面へ落ちて行ってるのだ。
 あとで覚えてろ、ノクラフッ!!
 あまり泳ぎが得意ではないカラスは、短い落下時間の中で胸中に刻みつけた。こんな荒れ狂う海面にたかだか人間を放り込もうなんて、きっとタダでは済まない。
 衝撃に備えて身体を丸め、空気を少しでも取り込もうと息を吸えただけ上出来だと思った。
「!!」
 盛大な水しぶきを上げて、カラスは荒れ狂う海中に落ちた。高さから抵抗を考えた分だけ沈み込み、なんとか海面に逃げ上がろうと藻掻くも、有り得ない潮流に巻き込まれて水中に引き込まれる。
 こんな中で、そう長い時間息も体力も続かないぞ!
 必死に焦ったカラスは、誰でもいいから助けてくれと胸中で叫んだ。きっと、海賊船のクルー達にだって聞こえているだろう。本気で苦しい。身体が千切れそうな早さと重さの海水が襲い、塩分濃度の所為で水を口に入れることも瞳を開けることも憚られる。
 そんな中にどうして冷静で居られるだろう。まとわりつく衣服に動きを制限され、与えられない空気に藻掻いた。
 魅朧、魅朧…!
 あとは必死だった。こんなに危機感を味わうのは近年希に見ると断言できる。ただひたすらに魅朧を呼びかけ、自分ではどうにか出来ない状況から救ってくれと願う。この海のすぐ近くに彼がいるのに、どうして自分は絶体絶命の気分を味合わなくてはならないのか。
 肺の中の空気を吐き出して、振り上げた手の平に衣類とは違う感触を得た時、カラスは漸く安堵した。しっかりと鬣を握りしめ、上昇されるがままに任せる。呼吸が苦しくて、苦しくて、早くしてくれ、魅朧。
 ざばぁ、と水音激しく海面に浮き上がった時には、カラスは息も絶え絶えになっていた。長い首を器用に曲げて、魅朧が自分の背を覗き込む。仰向けでぐったりとしているが、生きていることに一安心し、何故彼がこんな状況に置かれたのか原因を探ろうと周囲を見回す。
 スケイリー・ジェット号の甲板で、ノクラフが鬼の形相をしているのが見えた。見なかったことにしよう。
『大丈夫か』
 心をぶち破る勢いで刺さった叫びに心配を隠すことが出来ない魅朧が、低音で呟く。
 酸素を求めて胸を上下させたカラスは、ぐったりと俯せのまま腕を振り上げて宝石のような鱗を纏う魅朧を殴りつけた。
『…カ、カラス?』
「……アンタの所為だからな!!」
『何で俺の所為でお前が海ん中落ちてんだよ』
 もとより、どうやって此処まで来たというのか。とりあえず逃げようとはせず、大人しく浮上してくるパヴォネの気配を読み取りながら、魅朧はカラスを宥めにかかった。
「アンタが!人の話も聞かないで暴れ回ってるから、俺がノクラフに突き落とされる目にあうんだよ!マジで死ぬかとおもった…!!」
『……』
 怒濤のように流れ込んでくる感情を何とかつなぎ合わせて把握した魅朧は、いくら自分を止めるためだとはいえ、ノクラフの行った行為に翼を震わせる。もう一度甲板を仰ぎ見た時には、ノクラフの横でエルギーが静かな怒りを顕わにしていた。…見なかったことにしよう。
 どうやって機嫌を取ろうかと考えている時、海面に黒い影が浮き上がって来た。パヴォネだ。所々傷で汚れた姿になっている。彼はそのまま翼を拡げて海面に浮き上がり、羽ばたき一つでスケイリー・ジェット号の甲板に向かった。
 承諾も無しに他人の海賊船へ乗り込む度胸は見上げたものだが、魅朧の心もそうそう広いものではない。魅朧はカラスを背に乗せたままパヴォネを追い、変体して甲板に降りたパヴォネをそのまま足蹴にした。
「…ッ、ぐ」
「ちょ、魅朧!?」
 その暴虐さにノクラフが慌てて声を掛ける。制止を聞くようだったら、カラスの出番すら無かっただろうが、生憎魅朧の怒りは覚めては居なかった。
 人の身体に戻り、抱えたカラスを側に下ろしても、その足はパヴォネを踏みつけたまま。丁度首を踏まれるような形になったパヴォネが、力と恐怖の塊でもあるようなその足を退かせようと爪を立てるが魅朧は全く動じる事さえない。ゆっくりと身体を屈め、支配者の威圧を緩める気配もなく嬲る姿に、他の龍族が目を反らす。見ていられなかった。自分たちより力の強い者同士の戦い、いや、戦いと言うより一方的な嬲り方に。
「これが『差』だ。お前はこれだけ劣っている」
「んな、こたぁ…ッ…、わか…ってる!」
「てめぇが殺されないのは、単に運が良かっただけなんだぜ」
「知る…か!俺は、…アイツの、ためだったら…っなんだって、するんだよっ!」
 お前がその人間のために何だってしてやるように、俺は生きてアイツの側にいられるなら、出来る可能性に全て賭けてやるッ!!
 パヴォネは魅朧にだけ聞かせるように、盛大に睨み付けて思考を飛ばした。お互いの金眼が殺気を散らすこと暫し。
「魅朧」
 漸く身体が本調子にもどったカラスが、魅朧の濡れた上着を引きながら呼びかけた。
「黙ってろ、カラス」
「止めろと言ったのはアンタだ。魅朧、緊急事態なんだ。この人を虐めるは一端中止して欲しい」
 強い意志が滲み出る言葉と本気のカラスに、魅朧は振り返った。そもそも、止めてくれなんて殊勝に出ながらカラスを置き去りにしたのは紛れもない魅朧本人だから、このまま無下に扱うことも出来ない。カラスに対してそんな事をする気もなかったが。
「俺はアンタ達の生き方に口出しするつもりはないけど、止めてくれと頼まれた手前、それはきっちり守らせてもらうよ。だから魅朧、休憩だ」
 魅朧の澱んだ気配に怯むことなく、カラスは言いたいことを言い切った。頭一つ分は低いカラスを見下ろし、魅朧は数舜してから長い吐息を吐き出した。
「げほっ、…ッ」
 漸く首が自由になったパヴォネは、空気を肺に入れて咳き込む。
「…助かったぜ、子猫ちゃん(ミチーノ)
 のそりと起き上がり、首をさすりながら身繕いをするパヴォネは、カラスに視線を向けて礼を言った。だが、呼びかけられた固有名詞はカラスを煽る事にしか成らない。
「…俺も踏みますよ」
「残念。乗ってくれる方が嬉しいぜ?」
「黙れ孔雀」
 まったく懲りてない軽口に、魅朧のこめかみが引きつる。
「何だよ魅朧、可愛い子ちゃん口説く社交辞令みたいなもんだろ?」
「いいから、てめぇは黙ってろ。俺の船の上で堂々としてんじゃねぇよ。俺はまだ許した覚えもねぇし、お前の乗船許可も出してねぇ。いいか、重傷負いたくねぇなら、無駄ばっか吐き出すその口を縫いつけときな」
「……」
 パヴォネは黙って肩を竦めた。絡まった髪飾りを解いたり付け直したり、とりあえず静かにしていようと。
 天を仰いで長嘆してから、魅朧は漸く周りに視線を向けた。数人のクルー達が甲板に集まって来ている。そのまま残って様子を窺う者や、興味を失って自分の仕事に戻る者など様々だ。
 すぐ側にいたエルギーが一枚の封筒を持っている。それが黒い事を目敏く見つけて、魅朧は夫婦の方へ向き直った。
「緊急事態だって?」
「ああ。飛竜便で届いたお前宛の緊急通知だ」
 あまり艦橋から出ないエルギーの真剣な表情に、これ以上面倒臭いことは増やすなよと、魅朧は胸中で悪態を零した。
「読んだか?」
「魅朧宛ての物を読めるわけがなかろう。しかし、『龍族が人間を殺した』という伝言だけは確かに聞いた」
「……それがどうしたっつーんだよ」
 そんなこと日常茶飯事ではないか、と言いたい。だが、黒い通知が来る位だから、それだけで済まないんだろう。うんざりだと、唇を歪ませる。
 エルギーから通知を受け取った魅朧は、封蝋を剥がして中身を開いた。他方からの視線を感じながらもざっと内容を読んでいくうちに、整った柳眉がどんどんと険しく寄る。その気配も剣呑な物に変わっていき、最期には手紙を握りつぶした。
「孔雀…てめぇッ!」
「あぁ?…―――ぐあッ!!」
「魅朧!?」
 顔を上げたパヴォネの眼前には魅朧の足が迫っていて、避ける間もなく腹を蹴り上げられた。そのまま飛ばされるように甲板を滑って、樽の一つにぶちあたって動きを止める。起き上がる気配はない。
「その首千切って船首にぶら下げてやろうか!?」
「ちょ、魅朧、多分気絶してるから、落ち着け、ほんと落ち着け」
 焦ったカラスが魅朧の服やら腕やらを掴んで宥める。ノクラフは両目を見開いてエルギーにしがみついていた。様子を窺っていたクルー達も、何事かと唖然としたまま動かない。
 それ以上暴れる様なことはなかったが、ぐるぐると喉で唸った魅朧は、片手で髪を掻き上げてそのまま指を握り込む。
「…魅朧」
 とりあえず自分の身に起こった事を暫し忘れて、カラスは必死に魅朧を宥めようとその背を撫でた。本当に、こんな魅朧を見るのは初めてだ。
 そして思った。
 何か良くないことが起きたのだろう、と。

  

LTJ1から比べるとテンション高いな、魅朧…
拗ねてイチャイチャは次回持ち越しになるのかならないのか…
2006 .11.28

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