Liwyathan the Jet 2 RISE - 7 - recess

Liwyathan the Jet 2 RISE

 段々と人に近付いていく物を見下ろしながら、錬金術師は嗤った。
 声もなく。
 実験室の卓上に、開かれたままの分厚い本が置いてある。この世界で完璧と呼ぶに相応しい生き物の、雄と雌の記録が記されていた。
 全てにおいて、完璧な種族。
 自分の生み出す力以外からは、害される事はない。
 そのものが望まなければ、影響を受けることすらない。
 在る意味上位魔族と同じ存在だ。
 コレクションとして龍族の組成を記録してはいるが、完璧な物に興味は無かった。
 錬金術師は己の術が過不足無く行使されていく様子をその目で見つめ、不安定な存在ではないからこそ、これ程作りやすいものは無いと嗤う。
「セツ?」
 閉めた扉の向こうからの呼びかけ。
「今行く」
 明かりを全て落として短く答えた。
 扉を開ければ、側にいることが馴染んでしまった使い魔が一匹。殆ど白に近い桃色の髪と左右の色が違う瞳をした半人半魔の獣。
「楽しそうだな」
 半魔が階段を昇りながら尋ねた。
「順調に進んでいるからな」
 錬金術師は答えた。
 錆び付いた笑みを浮かべる男をちらりと横目で見つめたリディジェスターは、つまらなそうだった。そんな拗ねた様子を簡単に感じ取ったセツは、唇の端を歪めたまま、目の前の頭を乱暴に撫でる。
「俺の理論は完璧だ。このまま行けば予定通り甦生できるだろう。…だから、お前とじゃれ合う時間は十分あるぞ」
「…そんなことは心配していないけど」
 居間に戻った二人は、昇る朝日に部屋を閉め切った。遮光カーテンで明かりの入らない寝室で、束の間の休息と愛を語らう。
「人形は、つまらないな」
 冷たいシーツを暖めながら、セツは呟いた。
「人間の方が、研究のし甲斐があるんだろ?不完全だから」
「ああ。それも、混血だと尚良い」
 この世界の人種は、その色により区別することが出来る。全ての色にはパターンがあって、その全てのデータはセツの記録に納められていた。
 しかし、唯一持っていないデータがあった。
「カラス、か」
 言い当てたリディジェスターの声は、冷たい。同衾する相手が、他の名前を紡ぐなど、たとえその言葉に情愛が隠っていなくても嬉しくはない。
 飼い犬をあやすような仕草で、セツはリディジェスターを抱き寄せた。
「あれほど無色の遺伝子は、珍しい。魔力と人種を調べるには貴重なサンプルだ」
 錬金術師にとっては、件の人物について被検体としてしか興味は無い。その身体に魂が在ろうと感情が在ろうと、興味は無かった。
 物のように言うから、リディジェスターはその姿を思い浮かべる。灰色の髪と青磁色の瞳。肌は白いわけでも、黒いわけでもない。何人かと問われれば言葉に詰まる、種族的特徴は無いけれど、それ故に整った貌。
「確かに、延々と魔術をかけ続けてるってのは興味深いけど」
「常人ならば難しい事だ。殆ど全ての人間は、魔力を貯めて一瞬で吐き出すような使い方をする。補助にばかり特化し、その効果時間をそれだけ永続できるというのは希有と言うほか無い」
 リディジェスターは瞼を閉じて主に擦り寄りながら、聞いていた。
「よく身体が保つよなぁ」
 呟いた言葉に、セツは喉を鳴らす。
「だからこそ、だ。それだけの長い間魔術に耐えうる肉体とは、一体どうすれば培う事ができるのか知りたい。龍族の影響すら受け入れられる、人種を特定できない無色の人間。
 受け入れる事に特化し、染まりながら止める事すら可能。退化だろうか、進化だろうか、想像するだけで笑いが止まらない」
「あんたの誘いに、乗るといいけど」
 その姿を保持してやろうかと、セツは告げていた。
 肉体の酸化を止めてやろうか、と。細胞の老いを止める事など、造作も無い。その寿命を延ばせといわれてしまえば、代償は確かに高いが。ただ姿をそのままで止めておく事くらい、一瞬で行える事だった。
 もちろん、献体を保存する事にも繋がるから、より繊細で高度な不老術を施してやるつもりだった。
 錬金術師は、薄暗い天井を見つめて、嗤った。
「乗らない筈はない」

 

***

 

「カラス」
 魅朧は卓上の小箱を見つめたまま動きを止めてしまった青年を呼んだ。
 長方形の箱に収められているそれは、深紅のダイアモンドで作られた、上品でいて豪華なネックレスだった。これ一つで小さな国すら買えるだろう。希少性の高い宝石を加工した、血色のディアマンテ。
「お前、宝石とか好きだったのか?」
 唖然と見つめたままのカラスの横に並び、魅朧はその顔を覗き込む。
「いや、別に好きじゃないけど。…あんまり凄すぎて吃驚した」
 パヴォネは光り物が好きだ。そのパヴォネが自分で選りすぐった宝石達の中でも最高峰のこのネックレスは、しかし結局倉庫の肥やしになっていた品だ。
「これで騒ぎが治まるなんて思ってねぇけど、無いよりマシだろうさ」
「カーマか…」
 カーマ王国。この世界でも一位二位を争う軍事国家だ。その末裔は創世の魔神だと言われ、国民の身体には魔の血が流れている。
 カラスの出身地は、カーマの隣国、大陸を二つに分ける程の大きな湖越しに接する神聖ミネディエンスという国だ。両国は冷戦化にあり、その所為でミネディエンスではあまりカーマの情報を得ることは出来なかった。だから、カラスは余りその国を知らない。
「タイミング悪いったらねぇな」
「なんで?」
 苦い物を噛み潰したみたいな顔をした魅朧に、カラスは首をかしげる。タイミングや事件の重大さなんかは、これ以上どう悪くできるのかと思うのに。
「カーマは、微妙なんだ」
 その答えのほうが微妙だと、カラスは胸の内で呟いた。
「表だって公表してるわけじゃあねぇが、魔神が復活してるんだよ、今のカーマは」
「……は?」
「ミネディエンス生まれのお前なら知ってるだろ?創主と喧嘩して勝った魔神、『紅蓮の魔神』だ」
「いや、知ってるけど、だってあれ伝説とかだろう?」
 ミネディエンスの聖書には、魔神が悪し様に書かれている。敵を虐殺して勝利を収めた魔族だと。
 信じていたわけでもなく、カラスにとってはどうでもいい説教のひとつだった。戦争はどちらも虐殺を行うものだと思うし、そんな古い時代のことよりも今日をどう生きるかの方が大切だったから。聖書で飯は食えない。
「事実だ。カーマ人には、魔神の血が混ざってる。人間っつうより魔物寄りなんだよ、あいつらは」
 だからこそ、敵ではないと魅朧は思っていた。
 聖霊魔法や魔力が高いなんて、龍にとっては全く関係のない事だ。魔力を自負しているからこそ、それが通用しないと解った途端、隙が生じて攻め込みやすい。
 ただ、その親玉はやはり一筋縄ではいかない生き物だ。世界を生み出した大元に中る連中を相手にすれば、総力戦でも厳しいと感じている。
 カーマの祖は、魔物の癖に情に厚い。しかし、傍観を決め込んで支配者の地位から逃れているから、この程度では報復に出ないこともまた事実だ。もし報復されているなら、パヴォネの模造品が害意を示した段階で何らかの行動に出る筈。
 魅朧が無言で考え込んでいると、その思考の片隅にカラスの感情が紛れ込んできた。
「…心配ねぇよ。派手に乗り込んで、有無を言わさず用件を済ませて、さっさと帰ってくるだけだ」
 できるだけ優しい声色を使い、灰色の髪を掻き混ぜてやる。
「お前も連れてってやるから、その目開いてしっかり見張ってな」
「…俺も?」
「鷲は船を下りられない。孔雀が顔見せたら本末転倒。俺独りで行ってもいいけどな。…お前も行きたいだろうと思ったんだが」
「本当言うと、行きたい。俺の魔力でどれだけカバー出来るかわからないけど、邪魔にはならないと思う」
「カーマ人の動きを見張っててくれ」
「そういうことなら、全力であんたを護るよ」
 攻撃魔術の最先端を行くカーマの、しかも王宮へ乗り込もうというのに、カラスの力では太刀打ちできないだろう。しかし、その魔力を感知する事や、補助や攪乱ならば引けを取らないと自負している。
 世界最強と謳われる龍族の長を護ると言い切ったカラスは、得意げに微笑んだ。その人間を伴侶に選んだ魅朧は、束の間の幸せに浸った。

 

***

 

「メーベルの次男坊、具合はどうなの?」
 王座ではなく執務室の椅子に座り、午後のお茶を口に含んだカーマの女王は従事に尋ねた。
 大きな窓のむこうには季節の花が咲き誇るベランダが見える。蔦にまかれながらも目に美しいそれは、女王のお気に入りの一つだった。
「回復術に上手く順応しているので、数日後には変わりなく行動することができるかと」
 答えた従僕は、臙脂色を基調とした品の良い制服を身に纏っている。派手さをそぎ落とした華美な親衛隊長の服。腰には二本の剱を差し、甘栗色の髪が日の光に輝いていた。
 華奢な身体ではあり、女王と同じくらいの年かさに見えるが、青年は歴とした女王の親衛隊長だった。
「そう。腐っても王族、回復力だって高いんだから、問題無さそうね」
 紫がかった黒のドレスに、暗赤色の髪が垂れ下がる。若干釣り上がった山吹色の瞳が細められ、彼女は卓上の書類を眺めた。
「ねぇ、ヴァリアンテ。あのドラゴン、何かおかしいと思わない?」
 女王は報告書を玩ぶ。
 機密用に魔術を練り込んだ文字で記されたその紙には、先日捕獲した物について、尋問官が調べられた事柄の全てが書き込んであった。
 曰く、その人物は人間ではないこと。曰く、ドラゴンではあるが、知りうるドラゴンの生態に反していること。曰く、物理的な力で押さえ込めてしまったこと。
 その他にも細々と記されてあるが、如何せん捕虜が口を聞かないため調査は難航していた。
「私はドラゴンを知識としてしか存じておりません。何処が違うか指摘することが出来るわけではありませんが、そうですね、確かに何かおかしい」
「どんな事をしても、言っても、反応を返さないなんて。ドラゴンにも白雉ってあるのかしら」
「…お口が過ぎますよ」
 そろそろ青年の域を出ようとするのに、全く衰えぬエルフの美貌を持った親衛隊長は、唇に微笑を乗せながら咎めた。
「嫌ね。いくら貴方の弟より歳が下だからって、わたくしを子供扱いしないで、ヴァリアンテ」
 つんとあごを上げた女王は、茶目っ気たっぷりに、側に控える親衛隊長を睨み付ける。
 女王と親衛隊長は、恋愛感情というより親類に対する愛情のような繋がりがあった。常時側でその身を守るため、一緒にいる時間が長いこともある。だが、彼女が女王になる経緯にヴァリアンテは深く関わって居るため、他の従僕に比べて信用も信頼も深かった。
 ヴァリアンテは何より、その本能の中にカーマ人を護るという義務が植え付けられている。最たる女王に親しみと敬意を覚えるのは当然だった。
「貴女の千里眼は何か写しましたか?」
 ポットにお湯を注ぎながら、ヴァリアンテは女王に尋ねた。
「この目は魔力しか遠見できないらしいのよ。自分の持っているものだけど、未だに使いこなせているとは言えない。不便だわ」
 カーマの血を持つ人間は、保有する魔力が高ければ高いほどその証が身体の一部に現れる。最たる物が皮膚の上に浮き上がる霊印だ。しかしその血が濃いと希に特殊な現れ方をする事があった。
 女王は鎖骨と胸の間に霊印が現れている。
 魔力にしては小さな範囲での霊印だが、彼女には常人と異なる瞳があった。魔族を彷彿とさせる縦長の瞳孔を持った、橙色の瞳。黄金に血を流したようなその色は、遠くの魔力を視る力をもっている。それだけではない。例えば補助魔術で姿を変えていたとしたら、それさえ見破ってしまうし、全ての遮蔽術に関しても同じだった。
 彼女はその瞳で彼方を見渡し、しかし期待に添えず長嘆した。
「ドラゴンに魔力は無い。だから、彼らを知ることはできない。元より我らは海事に明るくはないでしょう?」
「ええ。暫く様子を見るというのは癪ですが、そうせざるを得ません。赤天の調べでもあまり多くは解っていませんし、黒天は警戒レベルとひとつ上げるに留まっています。
 ……何より、レグナヴィーダ様が全く動きを見せない」
 密やかに漏らされた低音は、それでも女王の耳にはちゃんと届いていた。
「彼は魔神のひと。この地を灰にするのでは無い限り静観を望んでいる。それに、きっともう彼はこの国に関与はしない…」
 女王の言葉は、しっかりとした声色の割には哀愁を含んでいた。
「カーラ様…」
 彼女は一時期魔神の生まれ変わりでいて王位継承者のレグナヴィーダと共に別の城に住んでいた。当時国を混乱させたその事件に関わってはいたものの、女王と魔神の間に何があったのか知るところではないヴァリアンテは声を掛けることしかできなかった。
 あの事件から、既に数十年の月日が流れている。それでもまだ、思い起こせばすぐに甦る記憶は生々しい。
「神話の時代を懐かしんでも意味はない。わたくし達はわたくし達の道を歩むだけ。魔天師団にドラゴンの資料をありったけ集めて報告させて頂戴」
「御意に」
 何事もなかったように普段の冷静さを全面に押し出した女王は、側に控える親衛隊長へ命令を下した。
「ドラゴンは国を持たない。故に国を襲わない。だからこれは侵略ではないけれど、黙って見過ごすわけにもいかない。公開処刑が出来るのならば手っ取り早いけれど、もう暫くは我慢といきましょう」
 見えるはずのない海原を地平の果てに見据え、カーマ女王は厚めの唇に微笑みを乗せた。

  

閑話
2007.2.11

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