Liwyathan the Jet 2 RISE - 8 -

Liwyathan the Jet 2 RISE

『…結界か』
 だんだんと太くなる街道。道が街に到達しているのが、上空から伺えた。
 カラスの姿消しの術をかけ、外部からの視認を遮っている。宵闇に隠れているとは言え、普通の姿ではない。その言葉は人のものだったが、姿は巨大だった。
 漆黒の鱗に燃える様な金の鬣。
 魅朧は本来の姿で上空を飛翔していた。天の竜と違い速度は速くはないが、馬車よりも遥かに俊足だ。
 カーマの最寄へ入港してから、忍び寄るように偵察任務でカーマ国内に滞在していたピピから詳しい情報を得て、その足で首都を目指した。人気の無い場所で本体に戻り、その背に親愛なる伴侶を乗せる。
 姿消しの術をかけたのはカラスだ。人間二人分より設定範囲が広いので、その分魔力を消費する。もともと補助系統の魔術は消費する魔力が少なくない。大規模攻撃魔術までの消費量ではないが、通常人では連発して使えない程度には消費が高い。魔術師としては破格の魔力を持っているとはいえ、これから起きる事を考えると節約するに限る。
「結界?」
 魅朧の呟きに、カラスは問い返した。カラスにはそれが見えない。
『ああ。古代魔法のひとつだ。カーマ人以外の者が進入しようとすると警邏に報告が行くようになってる。魔力が利かねぇ俺達にも有効だ。厳密にはもっと細かい指定がされてるんだが、…小賢しい。
 滅多に首都なんて来ねぇから忘れてたな』
「古代魔法…?」
 魔術を使うカラスではあるが、初めて聞く魔法の種類だった。
『精霊魔法が定着する前に使われてた。闇とか光とかの属性は比較的新しいと言われてるだろ?実際は創世紀に使われてたんだが、昔は強力すぎて人間には扱えなかったらしいぜ。古代魔法はその当時の魔導だ』
「へぇ…」
 初耳だった。
 闇と光の属性は、魔創戦争後に生まれた属性だと言われている。今の闇と光が精霊に依存しているとすれば、古代魔法のそれは魔神と創主の影響力由来だ。
『興味があるなら国立図書館にでも行ければいいんだがな。あらゆる魔法・魔術・魔導のグリモールが揃ってる。そんな悠長な暇が無くて悪い』
「いや、いいんだ。むしろ、あんたが詳しいほうが驚いた」
『いくら害がなくても、この世界で生きて行く為には知識くらいは知らんとな』
 カラスが感心していれば、魅朧が進路をずらした。森の中に微かに空いた隙間を目指している。
『降りるぞ』
「了解」
 一度ホバリングをした黒い龍は、鱗を暗く光らせた。地面に着いたとき、その足は人のものに変わっていた。全身を覆う、光沢のある黒い衣服。燃えるような金髪と適度に焼けた肌が見事なコントラストを描いている。長身と引き締まった体躯。
その腕にはたった今まで背に乗せていたカラスが収まっていた。ゆっくりと地に下ろしてやれば、小さな礼を返された。
「やっぱり、闘いにくい」
 形は違うが、龍を象徴するような黒い衣服を整えてカラスは呟いた」
「孔雀みたいにあえて着飾ってるなら別だが、俺らの装束はそのまま鱗みたいなもんだからな。人間の機能性は考慮にねぇ。ハッタリかますと思って堂々としてろ」
「…戦闘にならないことを祈るよ」
 カラスの服装は、いつもの軽装とは違っていた。黒曜石のバングルと、双短剣は同じだが、細身を覆うような漆黒の衣装は戦闘用という寄り社交用。加えてマントというには短いが、貴族のような長衣まで羽織っている。
 暗闇に潜むなら最適かもしれないが、装飾品がところどころ音を立てているのが気になって仕方なかった。いまだに隠密戦闘の癖が抜けない。
「あの結界はな。許可されている者以外の術を強制排除する。ついでに、龍族が動くことくらい察知してるだろうから、正面から堂々と案内してもらおう」
カラスは獣が大陸首都でのやり取りを思い出した。出来ればもっと穏便に通過することが出来ればいいのだが。
 すると、そんな心情を読みとったのか、魅朧が笑った。伸びてきた腕が、カラスの灰色の髪をぐしゃりとまぜる。
「あのときとはまた、状況が違う」
「出来るだけ穏便に頼む」
「おう」
 そうして、二人は夜も明け切らないうちにカーマ首都へと向かった。

***

 宵闇を引き裂く如く、二人はシーツを剥ぎ取った。
「……」
 お互いに顔を見合わせ、頷くと同時に服を着込んだ。
「黒天を非常戦闘配備に付けます。貴方は陛下の側へ」
「解った。彼らに魔術は効かない。気を付けるんだよ、カーシュ」
「貴方も、親衛隊長。…本調子じゃないなら回復魔法でも何でも使っておいてくださいね」
 漆黒の軍服と同じ色のマントを羽織った黒天師団長は、その精悍な顔にニヒルな笑みを浮かべた。深紅の髪を掻き上げ、愛刀を握る。
 慣れた素早さで親衛隊長の制服を身につけたヴァリアンテは、涼しい顔で二本の剣を手に取った。その美貌には冷たい微笑が浮かんでいる。
 一瞬の動作で、お互い剱を抜いた。
 同じタイミングで、漆黒の鋼が交差する。
「魔神の血統に栄光あれ」
 擦れ合う鋼が硝子のように啼き、流れるように鞘に収めた二人は、同時に部屋を出た。義務を全うする為に。

 大っぴらにするわけにはいかないから、拡声術を使って他の隊員を起こすことは出来ない。ヴァリアンテはその足で親衛隊控え室へむかい当直の隊員に警戒体制を報告した。一礼の後に隊員が召集をかけに行った事を確かめ、その足で女王の寝所へ早足で歩む。緊急を悟られるような歩き方も気配もさせず、しかし常より厳しく光る赤闇色の瞳が悠然と前を向く。
 そのとき、
『エボニー及びスカーレットへ告ぐ。サー・カノープスからレディ・ツヴァイク。繰り返す。サー・カノープスからレディ・ツヴァイク。晩餐会に制限は無し』
 冷静な声が響いた。
 その内容に、ヴァリアンテは眉を顰める。
 軍用通信だ。黒天師団と赤天師団へ向けた暗号文。
 コードは警戒度から五つある。アビシニア、バーソロミュー、カノープス、ドロシー、ツヴァイク。アビシニアからドロシーは一級から四級までの警戒態勢である。サーは実践を意味し、レディは訓練を意味する。そして、ツヴァイクは緊急特別警戒態勢、突発的な危機に対する警戒体制であり、対テロ戦に近い扱いをされているものだ。
 第三級警戒態勢から、緊急特別警戒訓練へ。期間は無期限。
 指示を出したのは黒天師団を取り仕切る者、カーシュラード・クセルクス将軍だろう。姫は国家侵略ではないとは言ったが、それで納得する男ではない。一応訓練という名目にはしているが、心情的には実戦配備だ。
 それだけ、龍族というものに対して、未曾有の危機感を感じていた。魔力の影響を全く受けず、その力のみで国一つ灰燼に帰す事ができる生き物が侵入したという事実。魔族より厄介だ。
 きっと、捕らえている仲間を救いに来たのだろう。ただで返すには矜持が傷付く。目的への過程で、カーマの被害を最小限で抑えることが大切だ。
 黒天師団は国防を司る。その者が敵対行動を行っていなくても、予防措置としてテロル活動を行うと判断したのだろう。
 ヴァリアンテは足を速めた。親衛隊の詰め所から女王の各部屋までの距離は短い。警護対象なのだから近距離であるのは当然なのだが。
 寝所を見張る女性の近衛兵が扉の前で眉を潜めていた。
「ご苦労様です!」
「君たちも。ツヴァイク婦人がいらっしゃるようだから、他の親衛隊が到着しだい師団に戻るように」
「了解いたしました」
 敬礼を見届けてから、ヴァリアンテは扉を叩いた。
「陛下、ヴァリアンテです。入りますよ」
 許可の返答がおりる前に扉を開けた。隙間に体を滑り込ませて薄暗い室内へ入り込む。すぐ側のテーブルからランプを取り、小さな炎を点す。浮かび上がった室内は女王の私室にしては質素なものだった。彼女は華美を求めはしない。だがそれでも品質のよい物を選りすぐって置いてあった。
「さっき寝たばかりよ」
「…また夜更かしなさってたんですか」
「詰め込む知識が多いのは困りものね。まあ、そんなあなたも夜更かししていたんじゃないかしら?」
 琥珀色の瞳を細めた女王は、親衛隊長へむけてうっそりとした笑みを浮かべた。肩眉を歪めるにとどめたヴァリアンテは、埒が明かなくなりそうな予感に反論を収めた。
「状況を説明します」
 静かに告げると、女王は頷いた。寝台から起き上がった肩にガウンをかける。
「都覆結界にドラゴンの反応を確認。攻撃は受けていません。黒天及び赤天師団が緊急特別警戒態勢に移行しました。それ以外は事前決定されていた通りに実行します」
「特別警戒、ね。今捕らえている者なんて霞むほど、侵入者の気配は強大だわ。クセルクス将軍の気持ちもわかる」
 立ち上がったヴァマカーラ女王は、その足で鏡台へむかった。
「ダークエルフから贈られたドレスを出して頂戴。用意が出来次第謁見の間へ。捕虜の警備は万全ね?
 では異例ではあるけれど、文官は二階席へ。広間には騎士位以外入れないようにして頂戴」
「御意」
 親衛隊長は跪いた。

***

 魅朧とカラスが入都門をくぐった時、旅人によく使われているような軽装のマントを纏っていた。カーマ人ではないことはその外見から明らかなので簡単な質問を受けた。
 何処から来たのか、目的は何なのか。船を使って王都の観光に来た、時間を予測しまちがえてこんな時間になってしまった、等と魅朧が無難な応えをし、カラスが心配していたような事態は起こらずにすんなりと門を通過した。
 拍子抜けだと呟けば、魅朧が渋面を作った。
「下っ端の警備兵だ。何も知らされちゃいねぇ」
「…読んだのか」
「そりゃ、読むさ。俺に読めるうちは大したことは無い。感情を読めない奴等が出てきたら警戒しなきゃならん」
「感情制御が出来るってことは、高位の魔術師?」
「ああ。魔導の聖地みたいなもんだ。そんな奴等は御万と居るぞ。王族貴族の腹の探りあいで、重要人物はそれくらいの芸当朝飯前だろうさ」
 薄暗い街路を足音も立てずに忍び歩きながら、二人は呟く様に会話をしていた。針路は王城。簡単な市外図しか船にはなかったが、カラスはそれを頭に叩き込んでいる。いざという時のためだった。
「んー…。逃げなきゃならんような事態になったら、お前銜えてひとっ飛びしちまったほうが早いな。最終的に素性がばれてもかまわねぇ」
「でも、知らないよりいいだろ?」
「観光に回る余裕はねぇが、な」
 それは解っている。第一、魅朧が目指している針路が王城であるという事が解ったのは地図を見ていた為だが、肝心の魅朧はパヴォネの模造品である物の気配を辿っているのだ。目的はそれだけだから、地図は要らない。
 しかし、地図を覚えたりするような事は既にカラスにとっては職業病に近かった。魅朧と出会う前に行っていた暗殺という職業より、いつのまにか海賊船に乗っている時間の方が長くなってはいるのだが。
 カラスが足下へ視線を下げた丁度その時、魅朧が立ち止まった。
「魅…」
 呼びかけて口を噤む。蹄鉄が街路を踏む音が、微かに響く。
「お出ましだ」
 方を竦めて見せた魅朧は、それでも何処か楽しそうに映った。
「ああ。忘れてた。これを飲んでおけ」
 振り返った黄金の瞳が闇に煌めいた。何だと問う前に、するりと唇を撫でられた。瞠目した隙をついて滑り込まされた物は、硬くて小さな錠剤のように感じる。魅朧が飲めというのだから、と疑う事をしないカラスは、喉に引っかからないよう器用に飲み下した。
 効果は何だろうと疑問に思うことは、飲み下した後に思い出した。
「半日も保たねぇが、その間魔導師共に読心術を仕掛けられることは無くなるだろうよ」
 唇の端を吊り上げて笑んだ魅朧は、そのまま蹄鉄の音へと向き直った。殆ど時間を要せずに、三頭の馬が姿を現した。騎乗の者は赤みがかった服を着ている。先頭で近寄って来たのは深紅の髪を靡かせた女だった。
「人でも魔でも無い者に相違ないな?」
 女の瞳は橙色。果実のような色だ。
 魅朧は問いに答えない。すると女は馬上のままうっすらと笑った。
「沈黙は肯定と見なすワ。この王都に何用で来たのか」
「俺はあまり、上から物を言われる事に慣れていない。俺の正体に検討がついているのなら、遊んで居る場合じゃねぇだろ?」
 品定めをするように魅朧の天辺から爪先までぐるりと見つめた女は、楽しそうに歪めた瞳のまま鼻で笑った。嫌味なそれではなくて、奔放なイメージを受ける。そのまま、ひらりと馬から下りた。
「た、隊長!?」
「……黒か」
 女より背後にいた者達が声を上げるのと、魅朧が呟くのは同時だった。恐らくカラスにしか聞こえていないし、それが何を意味するのかも解らないだろうが。
 馬にはスカートで跨るものではない。
「黙んなさい。ハルはアタシの馬を連れて黒騎士へ報告。トリスタンは馬車の用意。変更は何もない。アタシは彼らを連行する」
 手綱を放した女は、魅朧とカラスに近寄った。それ以上反論の無い二人は、小さな敬礼の後に指示に従った。どうやらこの女はそこそこの地位にいるらしい。
 高いヒールが響き、珍しくて足下に視線をやったカラスは、目の前の女の太ももに気が付いた。短いスカートから伸びる蠱惑的な太ももはストッキングなど履いていない。流線が豊かな、刺青だった。海賊でも刺青を入れている者は多いが、彼女のそれは何処か違うような気がする。魔の匂いが、した。
「連行、ね」
「任意でご同行いただけるわよネ。それが貴方の目的にも近いのではなくて?」
「全くだ。目的さえ果たせれば、多少は酌量してやろう」
 芝居がかった優雅な手つきで箱馬車を示した女に、魅朧は鷹揚と答えた。女の後に続いて馬車へ向かう。背後を取られる事になっている女は、一分の隙も見せない。舞踏会を横断するような美しい歩みを見せながら、しかしその指は何時でも剣に届くのだろう。
 魅朧が先に、続いてカラス、最期に女が乗り込んだ。
「出して頂戴」
 御者に合図を送り、船揺れとは違う揺れを感じ始めてから、カラスは微かな不安に駆られた。このまま連れていかれるということは袋の鼠になるのではないか、と。目的地は城であるから、入城した時点で状況は同じなのだが、自分から進んで敵陣に乗り込むのと、敵からの招待で敵陣に入り込むのでは訳が違う。
 その時ふと感じた視線に、カラスは横をむいた。魅朧が余裕溢れた表情で見ている。きっと心情を読んだのだろう。ただそれだけの行動なのに、酷く安心する。
「何処に連れてってくれるのかくらい、聞かせてくれんかな、美脚の姉ぇちゃん」
「あら、アリガト。あなた方が行動を起こしてくれるのを、首を長くして待っていたのよ。イイトコに連れていってあげるから、もう少し大人しくしてて頂戴な」
 これ見よがしに足を組んだ女は、流し目で、窓の隙間から時折見える城門を見つめた。

  

ドナ姐さんもでてきました。美貌は衰えていないようです。いいとしこいてもパンチラ。
ちなみに通常の警戒態勢はドロシーです。アルファベット頭文字ABCDZ。
2007.4.28

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