Liwyathan the Jet 2 RISE - 10 -

Liwyathan the Jet 2 RISE

「美人だが人形みてぇな野郎だな」
 囚人を連行する兵士の一人、殿を務める男がぽつりと呟いた。制服の色は黒だが、カーマ人と言うには人種が違っている。その他数人の兵士達の制服は、赤と黒が半々。
「口を慎め」
 先頭を歩くクセルクス将軍が、短く諌めた。
 注意を受けた男は肩を竦め、それっきり黙り込んだ。だが、警戒だけは怠らず、その目は列の全体を眺めていた。
 女王と海賊の間でどんな遣り取りが行われたのか本人達以外誰一人判ることは無かったが、女王の決定に否を唱える者は居なかった。
 カーマ王国側の要求は二つ。罪人の処刑と謝罪。
 海賊側の要求は一つ。処刑の執行方法の委任。慰謝料は相当額以上の物を提示された。
 敵陣のど真ん中に居る所為か、はたまた陸に上がっている所為か、噂に聞くような極悪非道な要求より至極まっとうなもので、高官達は面食らっていた。
 カーマ商船の完全護衛を要求してはどうかという意見もあったが、これで我慢しておくべきだと将軍は思った。
 この海賊はチンピラではない。そもそも魔力や武術で対抗出来る次元を越えた生き物だ。甘く見ない方が無難であるし、何よりカーマの守護神である魔神が何の反応すら寄越さない。
 それに処刑自体、お互いの面子を立てるためのものだ。国防措置で緘口令を敷いていたが、このまま表ざたにならず処理出来るのならばそれが好ましい。
 自国民を害された事に怒りは沸くが、世論が対海賊思想に流れるのは問題だ。カーマの海事戦闘技術では、謁見の間で女王と対等に話す海賊王に勝利する事は厳しい。数十年前、隣国ミネディエンスの艦隊が数分で撃沈させられたという情報は海賊王に対する認識を革めるに十分な効果だった。
 ドラゴンという種。
 この世界で唯一魔力を持たぬ種。
 人型ではあるが、人ではない。
 たった今連行している者とは根本から異なるとさえ感じる。
 謁見の間へ入る直前、将軍は微かに笑った。

***

 カーマ王国側が言うところの罪人である、パヴォネの模造物が連行されて来るのを待つ間、魅朧はカラスを近くへ呼んだ。声を抑え、耳元へ唇を近づけて話す。
「ヤツが来たら俺は本体に戻る。巻き込まれねぇように除けろよ」
「本体って…、何をする気だ」
 小声ではあるが、魔術を使えば幾らでも聞き取ることが出来るだろう。それでも平気そうに魅朧が口を開くのは、彼が自分の方角へ向けて放たれる全ての魔を拒絶しているお陰だ。盗聴はされない。
「人間に調べさせるわけにいかねぇから、死体は残せねぇ。消滅させるにはブレスが必要だが、ここじゃはけねぇ。微々たるもんだが、孔雀の野郎の力が一部残っているから、どうせなら回収していきてぇ。
 …そうなりゃ、やる事はひとつだ」
 にやりと口角を上げた魅朧に、いまいち理解の追いつかないカラスが下から睨みつける。
「孔雀の野郎だって事が終われば飲み込んで回収する気だったしな。喰っちまうのが一番早ぇんだよ」
「それ、共食い?」
「…広義で言えば、そうなるかもな。雌の柔らかい肉ならまだしも、俺だってあんなマズそうな肉は勘弁してぇ」
「……腹壊すなよ」
 やや本気で、カラスは茶化した。それに苦笑を返す魅朧は、地下からこの場へ移動する龍の微弱な気配を感じていた。粗悪品と言っていい程、龍としては不純な気配。龍は自分の中に力場を持っているのだが、その気配には力場など感じ取ることすら出来ない。
「さっきみたいな不意打ちは、勘弁だからな」
「さっき?」
 カラスの不貞腐れたような口調に、魅朧は何のことかと思案を巡らせた。
「声が聞こえた」
「ああ…」
 女王との心的会話を聞いた事実を思い出す。心理会話はそう簡単に出来るものではない。カラスは会話に参加出来たわけではないが、聞く事は出来た。
「お前に飲ませた絶対魔防の薬があるだろう?あれは龍角を削りだして作ったものだ。そうそう数のある代物じゃねぇから、普段は滅多に使わない。人間の血が混ざってて、純血より無魔効能力が低いやつに使ったりする。全ての魔を忌避する。
 ちなみにお前が飲んだ龍角は俺の角を削ったやつだ。一時的にリンクしてもおかしくはない」
 雄の象徴である角を削る行為は、激痛を伴う。それに耐えられる雄が生涯に数度作り出すので、絶対数が少ない貴重な薬品だ。
「そうじゃなくてもお前は俺の影響受けまくってるからな」
「ちょっと、待て。『全ての魔を忌避する』?俺も魔術を使えなくなるのか?」
 何気ない魅朧の言葉に、カラスは言い知れぬ恐怖を覚えた。カラスが秘密裏に己へかけた術は体感することが出来ない。もしかして今、その術が打ち消されてしまっているのではないかという危惧を覚える。
 若干青ざめたカラスの困惑顔を、魅朧は魔術が使えなくなっていることに対する単純な恐怖だと認識した。その裏を読むことは無理だ。
「使い難くなってるかもしれねぇが、正確なとこは俺もわからんな。人間を実験台に調査したわけじゃねぇし。オフェンス向きだからディフェンスは考えもしなかった。まぁ、本来龍族専用だから、思考閉鎖以外の効果が顕著に出るとは思えんが」
 魅朧の言葉に、カラスは試しに魔術を発動したい衝動に駆られる。魔の聖都であるカーマ王城の中で魔術を織るという行為がどれだけ危険であるかわかっているし、今の状況でそれを行うことが拮抗を崩すことになると予測できるので必死に思いとどまっているが、流れる思考が止まることは無い。
「そんなに辛いか」
「…え?」
 黄金色の瞳を細めた魅朧が、カラスを覗き込んでいた。
「悪いな、いつも事後報告で…。何かあったら俺がお前を護るつもりで居たんだが…」
 心配そうな表情を浮かべ、その長い指がカラスの頬をなぞった。考えが纏まらず言葉が出てこないカラスは、何でもないと伝える為、とりあえず首を横に振る。
 ふいに視線を感じてその方向へ顔を向ければ、カーマ女王がじっとこちらを見ていた。カラスは慌てて魅朧の側を離れる。
 女王の視線が怖かった。全て見透かされているように感じる。魅朧は気にならないのか、女王に見向きもしない。関係を勘ぐられているなどの、下世話な視線ではない。魔術を探るような、研究対象を検分するようなものだ。錬金術師の視線に似ているかもしれないと、カラスは気付いたが、止めさせる術は無い。お互いの視線が合わないように逸らすことが精一杯だった。
 カラスが背筋に冷たいものを感じ、その正体に困惑し始めた時、漸く広間の扉が開いた。

 将軍を筆頭に数人の兵士が連れてきた男は、格好は違えどもパヴォネそのものだとカラスは思った。龍族の象徴である黒い衣装を身に纏っている。けれど、本人を見知った後では、まるで別人だった。全体的に覇気がない。過大なまでに主張するパヴォネ独特のオーラが全く感じられなかった。
「…ぞっとするな」
 ぽつりと漏らした感想は、魅朧にしか聞き取れない。本当は気持ちが悪いと言ってやりたかったが、控えめに表現した。
「ヤツがやろうとしている事はこういう事だ」
 魅朧の声は堅い。
 カーマの将軍は元居た女王の側へ戻り、兵士が正面へ誘導する。距離を開けて六方を固め、女王へ敬礼を返した。
 パヴォネにそっくりなその男は微動だにしなかった。
「海賊王、魅朧。我々は執行をその眼で見届けねばならない」
 凛とした女王の声が響いた。
「最悪柱にヒビ入れるくらいで収まるんじゃねぇかな」
「魅朧…」
 肩を竦めておどける魅朧に、カラスが呆れ声でたしなめた。
「お前らが動かなけりゃ、何も破壊せずに済む。精々大人しく見てな」
「……」
 女王は何か言いたそうな素振りを見せたが黙っている。側に控える茶髪の男が何事かを囁いて伝えるが、女王は首を横に振った。
 魅朧がぐるりと唸る。
「この程度の封魔結界なんざ、龍に効果はねぇぞ。復元魔法も然りだ。諦めな」
「聞こえてんのかよ」
 カラスの呟きに、魅朧は片目を瞑って笑う。
「俺の耳は性能がいい」
 呟いて、魅朧は一歩踏み出す。
「カラス、壁際に寄れ」
 その命令に、意図を察知したカラスは了解と小さく答えて側を離れた。
 何を行うのかと、この場に居るカーマ人の視線が飛び交う。ある者は魅朧が何をするのか一挙一動を凝視し、またある者は護衛として側に居たカラスが離れた事で事態がどう推移するのか見極めようとしていた。
 一歩一歩ゆっくりと近寄る魅朧は、兵士の前で立ち止まる。
「邪魔だ。一緒に喰われたくなけりゃ、退きな」
「…そ、それは出来ない」
 一番前にいた兵士が微かに震える声で答えた。
「六芒の捕縛術だろう?その必要はねぇ。――ったく、埒が明かねぇな。おい、女王、こいつらを退かせ」
 魅朧の言葉使いに、兵士達の顔に激昂が走る。剣に手をかける者はいなかったが、不遜すぎる態度に対する怒りは隠しきれないようだった。
「安全を確認出来ない」
「こいつらが陣取ってるほうが危険だ、と言っている。それにこの時点で安全を保障する義務は俺に無いし、お前らが俺の行動を制約する必要性は皆無だ。どうしても時間稼ぎをしたいって駄々こねるなら、こいつらが怪我するだけだぜ?」
「これ以上国民に危害を加えるのは、条約違反に当たると思わない?」
 女王の持って含んだような口調に、魅朧は腰に両手をあてて盛大な溜息を付いた。
「だから、それを避けるために退けつってんだよ…。こいつら巻き込んで暴れようってんじゃない。端まで避けろとは言わねぇから、首飛ばすのに巻き込まれない程度に離れてくれや」
 いい加減説明するのもだるくなってきたのか、魅朧が苛々した口調になっている事にカラスは気付き、大人しくしてくれと胸中で祈った。
 暫く面白そうに様子を見ていた女王は、魅朧が次に口を開く前に漸く兵士を退けるように指示を出した。
 やれやれと肩を竦めた魅朧は、立ちすくむパヴォネとそっくりな男に向き直った。
「俺が誰だか解るな」
「海龍王。魅朧」
 反射のように返って来た声は、パヴォネのそれと同じだった。
 今まで全く口を開かなかった男の変化に、場がざわつく。けれどその会話を聞き漏らすまいと、すぐに静寂が戻った。
「自分が何者だか解るか?」
 魅朧の声は、ぞっとするほど冷たい。けれど決して無機質ではない。それは答えるパヴォネそっくりの男の声を聞けば瞭然だった。
「わからない。死にたくない」
 何を原動力にしているのかわからない、そんな声色だった。木々のざわめきですら、この声より生命力を感じるだろう。
 異質な響きに、カラスは眉根を寄せた。生命として、同じ命ではないと拒絶したくなるような声質だった。
 場の人間達にも感じ取る事ができるのか、所々で囁くような声が聞こえてくる。魅朧は周囲を完全に無視して話を進めていた。
「それが逃げた理由か」
「死にたくない」
「お前は龍の誇りが無いな」
「わからない。死にたくない」
「……言いたいことはそれだけか」
「死にたくない」
 会話になっているようで、まるでなっていない。インターフェースがずれている。
「怨むなら、お前を生んだ者達を怨めばいい」
 冷淡に告げた魅朧は、黄金色の瞳で男を見据えたまま淡い光に包まれた。仄かな、黒い霞のような光。
「!!?」
 カラスは広間内が騒然とするのを黙って見ていた。兵士達の顔色が変わり、一様に武器へ手を伸ばす。二階席のカーテンを剥ぎ取ってテラスから顔を出す者さえ居た。男を連行していた兵士達の一人が尻餅を付いている。
 魅朧が立っていた場所には、金髪の美丈夫ではなく、黒い鱗を持った巨大な龍が居た。
 二対の翼をたたみ、手足を合わせて鎮座する姿は、自然界のどの動物よりも掛け離れている。威風堂々とした体躯に、黄金色の鬣と瞳。その長い尾が一度揺らめいたのが、ざわめきに対する文句のようだった。
 なるほど、と女王は胸中で嘆息した。言われてみれば、海賊王と名乗った男の姿は、今の巨体と通じるものがある。配色然り、オーラ然り。これでは側に居た者達が避けなければ踏み潰されていたかもしれない。だからあの護衛も離れたのか、と。
 今は長い首が曲げられ、罪人の男のすぐ側にあるが、きっとそれを伸ばせば天井まで届くのではないかと思われた。海賊達の一部の一族がなぜ龍という種を名乗っているのか、この姿を見てしまえば一目瞭然だ。ドラゴンという存在は知っていたとしても、その姿を見ることは殆ど無い。人間と同じ姿などまやかしだ。
 これが、龍という種か。
 驚きの差はどうあれ、その場に居た全てのカーマ人が初めて見る生物に瞳を奪われていた。そしてその行動を伺う。
『最後通告は行わない』
 人型の声より幾分低く深い音で、魅朧は告げた。
「死にたく、ない」
『生きる事とは何かを知っているか?』
「わからない」
 どの問いにも、男は同じ言葉しか使わない。まるでそれしか知らぬように。
『…だろうな』
 溜息のような囁きを零して、漆黒の龍は立ち上がった。翼はたたんだまま、長い尾が柱を傷付けないように器用にくねる。
 首を下ろし、男の真正面に顔が近付く。小さな咆哮。それだけでも建物が微かに震えた。
 男は金縛りにでもあったように動かない。いや、射竦められて動けない。
 鋭い牙が生えた唇が開いた。男が最後に見た光景は、閉じられて生まれた闇だった。

***

 兵士が尻餅をついたまま、微動だにせず固まっている。龍の本体の姿そのままに、黄金色の瞳で目の前の人間達をひと睨みした魅朧は、ぐるりと唸ってその眉間に皺を寄せた。
 全て静かに見守っていたカラスは、魅朧の様子に気付いて、小走りに側へ近寄った。カラスの行動を、警備兵の一人が止めようとしたが、一瞥で黙らせる。人間から見れば、人ひとり飲み込んだ生き物の側へ近付くなど正気の沙汰ではないのだろう。
 前足の側まで来たカラスは、その滑らかな鱗に纏われた肌を撫でた。
 大丈夫か?とは聞いてはいけない。
 龍が心配されるような状態であるなど、人間に知らせてはならないのだ。だからカラスは必死に表情を押さえ込み、ゆっくりと撫でた。
 膝を付いてゆっくりと座った魅朧は、首をぐるりと回してカラスの方へ巡らせた。鼻先を細い身体に押し付けて、犬のように甘える仕種を見せる。大っぴらに甘やかすことも出来ず、カラスは顰め面で鼻先を優しくはたいた。
『…水母より喰い応えの無ぇわりに、消化がしにくい』
「戻れるか」
 元の姿に。
『ああ…。だが少し、このままで』
「……了解」
 鼻先を撫で、首の付け根をさする。瞼を閉じた魅朧は、時折気持ち良さそうに溜息を付いた。
 兵士達は漸く落ち着きを取り戻し本来の任を思い出したのか直立護衛の姿勢をとった。広間に居る人間達はどう判断していいのか解らず、口々に意見を述べ合っている。
 この処刑方法は、今まで見知ってきた物のどれとも違っていて、どれよりも理解できなかった。罪人を喰う、というその方法。
 死にたくないと願う男を無慈悲にも食い殺すなんて、龍は野蛮以上の生き物だ。内容は違えど、そんな言葉が時折聞こえてくる。
 ざわめきの中、愉快そうな女王の声が響いた。
「逆鱗というのは、迷信だったのかしら」
『アンタが触れたら暴れるからな』
「興味はあるけれど、止めておくわ」
 一度口を噤んだ女王は、優雅な仕種で足を組んだ。
「その大きな身体の中に、男一人分くらい匿う余裕はあるかしら?」
 殺してないのでは、と遠まわしに疑っている。魅朧は深い溜息を付いてから、鼻先を使ってカラスを少し押しのけた。
 足を伸ばし、立ち上がる。その姿がだんだんとぼやけていき、輪郭が消えたときには最初に訪れた時と全く同じ人間の姿に戻っていた。
「これで満足か?」
 両腕を組んで偉そうに吐き捨てた魅朧へ、女王は肩を竦めてみせた。
 視覚で確認したからか、再びざわめきだすいくつかの声を聞いて、魅朧は嘲りを込めた笑い声を上げた。
「同情を感じた人間共よ、自国民を殺した者への報復を一瞬でも躊躇った者共よ、それが賊の手段だ。騙されんじゃねぇ。んな顔してみろ、俺らのいいカモだ。
 上っ面の情を見せて見ろ。俺達はそこにつけ込んで、お前達の財産から命まで奪い喰らうだろうさ」
 処刑を望む者が罪人を同情してはいけない。その点、女王の姿勢は正しかった。男が消えて満足を表したとしても、一切の同情や悲哀を浮かべることは無い。
 壇上の女王を一瞥した魅朧は口の端を吊り上げたまま言い放つ。
「取引は成立だ。これ以上俺達がここに留まる理由は無い」
 言い終わり次第背を向け、帰るぞ、と短くカラスへ告げた。カラスは頷き返し、その後ろを護るように付き従う。
 女王からの停止を求める声は無かった。ただ呆れの含まれた溜息だけが微かに聞こえた。

 謁見の間の扉を開けて廊下へ出ると、今まで女王の側に居た黒衣の将軍が既に待機していた。どうやって先にたどり着いたのかと、カラスは瞠目する。
「一本道だろう?帰りの案内はいらねぇよ」
「貴様を安全に城外へ排出するのが私の役目だ。付いてきてもらう」
「…ほんっと、頭かてぇ国」
 これ以上長居をする気は無いから、魅朧は黙って後に付いていった。会話は無い。来た時の逆順でタペストリーが遠ざかり、扉まで戻る。衛兵が数名、同じ位置に立っていた。
 だが、一行が扉に近付いても開かれることは無かった。一人の男が、両扉の合わせ目に背を預け、腕を組んで陣取っている。軍人は飽きるだけ見ていたので、その男が軍服でないことが明らかで、それなのに兵士達は誰も咎めようとしない。
 体格は平均的。明かりが少ないので定かではないが、黒に近い髪の色。暗い臙脂のローブ姿は、お世辞にも剣士には見えない。どちらかと言えば絵に描いたような魔術師だ。
「人間のほうの海賊、ちょっと待ちな」
「…?」
 顔の造形が確認できる距離まで近付いた時、男は唐突に口を開いた。呼ばれたカラスは自分のことだと検討付け、返事はしないまでも視線を向けた。
 男は、赤紫の瞳と、左顔面に刺青があった。額から顎まで、首は見えないがおそらく首もだろう、幾何学模様が走っている。
「補助特化型か。新規魔法術(オリジン)開発及び実行能力(アクションアビリティ)有り。継続発動の魔力消費は安定。スパイするのに持ってこいみたいな野郎だな。海賊辞めて公僕になる気は無いか?」
「は?」
「それだけの魔力を持っているのに、持ち腐れだ。魔の効かない海賊なんて自分を生かす場じゃないぞ」
 勝手に話を進められて、付いていけない。
「M3、どうして貴方がここに居るんですか]
「俺が俺の城に居て何が悪い」
「……まだ貴方の城ではないでしょう」
「今か十年後かなんて些細な時間だ。ヘッドハントの邪魔をするな、小僧」
 クセルクス将軍と彼は旧知であるのか、部外者にはわからない会話を続けている。だが、M3と呼ばれた男はそれ以上将軍と話を続ける気は無いのか、周りを無視してカラスの前へと歩み寄った。
「微弱で感知しにくいが、何か理由があるんだろう?延齢か?不老か?お前は何をしたい?」
 そこまで言われて、カラスは漸くこの男が何を言おうとしているのか理解した。警戒心と殺気を剥き出しにして睨み付ける。意味を知られてはいけない。他の誰でもない、魅朧にだけは、知られたくない。
 普通の人間なら、それだけで青ざめるような気を放っているのに、男は笑っただけだった。そして突然、仕返しのような魔力の解放を行った。
「…ッ!?」
「M3!」
 クセルクス将軍が慌てて声をかけるが、男は片手で制する。
「解るか?解るだろう。抑えておかねば害悪になるほどの魔とはこういう物だ。羨ましいだろう。もっと深く知識を得たい筈だ。俺の元に来れば魔を飼いならす事を教えてやろう。魔天師団に入る気はないか?」
 言い切った男は魔力を抑えることも無くカラスの側へ寄る。カラスは唐突に、この男は女王と同じような気配をしていることに気が付いた。人よりも魔に近く、それゆえにコミュニケーション手段にずれがある。相互理解までの道のりが遠い。
 初めに黒いクセルクス将軍を見た時、武人以上の魔力を感じた。それはやはり要職に就くに十分なものであったが、この男はそれ以上の物を持っていた。カラスの生まれ故郷も魔法大国ではあるが、これほどあからさまな魔の気配を感じることなど無かった。流石はカーマと言うことか。
 驚愕に値する、人に外れた魔力を持つ者がごろごろしている。これでは迂闊に喧嘩を売れないし、買えないだろうと今は遠い祖国の実情を痛感した。
 皮膚がぴりぴりとするようなM3の魔力を遮るように、カラスの前に魅朧が立ちはだかった。
「黙って聞いてりゃ煩ぇ野郎だな。人の物横取りする気なら、容赦しないぜ?」
「これは龍王殿は気が短い。護衛官の雇い主は部下の進路にまで口出しするのか。母親かお前は」
「人間にしてはいい度胸だな。表出ろよ。てめぇの右ツラを青あざで飾りつけてやろうか」
「腕力勝負なら断る。俺は杖以外の重いものを持ったことがない。古代魔法(エンシェント)でよければお相手するが」
 最初はどうなる事かと思ったのだが、言葉の内容があまりに子供の喧嘩で、当事者である筈のカラスは馬鹿らしさに呆れた。長嘆とともに殺気すら消失する。
 誰か止める者はいないのかと見回せば、地位が高いはずの将軍は呆れ顔で遠くを見ていた。止めるつもりはないらしい。
 カラスはもう一度溜息を付いた。仕方なく、あくまで仕方なく、止める為に。今回の一連の事件では、魅朧を止めるという約束をしている。それは守らなくてはならない。馬鹿らしくとも。
「行くぞ、魅朧」
 カラスは睨み合いを続ける魅朧の腕を取って出口へと引っ張った。実力で止める気は無いのか、M3は動かない。
「俺はまだ返事を聞いていない。保留するということは、良い方向だと解釈するぞ」
「女王といいアンタといい、自己中心的なヤツが多いなこの国は。いいか、俺は人間であっても魅朧と同じ海賊だ。それを止める気は皆無だ」
 脅すように言い放って、門番へ開門を促す。
「いいのか?後悔すると思うぜ、お前は。こちらにはダークエルフの情報だってある。魔で肉体の酸化を研究するならもってこいだ」
「M3」
「黙れカーシュラード。お前は国家資産の一部だ」
 将軍の棘のある呼び声に、男は間髪入れず命令する。しかし、それに答えたのは魅朧だった。
「男は引き際が肝心だろう。こいつは俺の所有物だ。手放すなんて有り得ねぇ。諦めな」
 M3はチンピラのような舌打ちをしたが、それ以上追っては来なかった。隙を逃す気はなく、魅朧とカラスは城を抜けた。

***

 異変は、首都の境界壁を抜けて少ししてから起きた。
 龍に変体して来たときと同じように船へ戻るのかと思っていたカラスだが、森に入った途端魅朧の身体が徐々に傾いで来たあたりで様子がおかしいことに気が付く。
「魅朧?」
 呼べば魅朧は口元を抑えて木の幹へ手をついていた。吐き気を押さえ込む様。唸るような悪態を付いて、くずおれる。
「魅朧!?」
 カラスは焦って膝を突いた。顔を覗き込んでも、この暗さでは顔色など解らない。ただ眉間に皺を寄せたまま苦しそうな表情だけは鮮明に見てとれた。カラスを安心させるためか、必死に笑みを浮かべようとしている姿が痛々しい。
 口元にあった指を曲げ、鳥を呼ぶような指笛を放つ。そしてそのまま、魅朧はカラスの胸へ倒れ込んだ。

  

カーマ編終了
ちなみにM3(エムスリー)ですが、後のヴァマカーラ女王の婿です。Maxim MacMillan(マキシマ マクミラン) 第三王家長男 魔天師団長 杖はギュスタロッサ製
2007.7.30

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