5 Day Dream「催眠」

Liwyathan the JET 1

 身体が動かなかった。
 おかしいな、とせめて首を巡らせようとする。
 自分は寝台のような物に縛り付けられていた。刃物を研ぐ耳障りな音が聞こえるが、人間の姿は見えない。
 しかし、唐突に。
 首筋に鉈が当てられた。
「……っ…!!」
 やめてくれ!
 声を出す間もなく。

「………っ!!」
 首を落とされて、目が覚めた。

*****

「どうしたカラス」
 魅朧が、カラスの髪に触れながら聞いてくる。
「うるさい」
 その指を払いのけて、カラスは背を向けた。
 雲一つない空から差し込む光を浴びていたカラスは、不快な何かを飲み込みながら、船内に入ろうとした。
「顔色が悪い。船酔いならそう言え」
「………違う」
 どんなに素っ気なくあしらっても、魅朧はカラスの傍について歩いた。
「俺が心配なんだよ。お前の感情ってな、俺にとっちゃすげぇ重要なんだぜ?」
「知らない。気になるなら傍にくるな」
「……つれねぇなぁ、ホントに」
 苦笑と共に、魅朧はカラスの肩に手を乗せた。
「……っ…!!」
 その瞬間、カラスは荒い息を付きながら、がくりと膝をついた。
 魅朧はたった一瞬流れ込んできた、その感情を視た。
「…おい」
 壁に手を付いて呼吸を整えるカラスは、今し方フラッシュバックした物の所為で返答を返すことすらできなかった。
「何だよ、今の」
 魅朧の声は固い。これ程鮮明に感情が読めたことはない。それぐらい、リアルな。まるで白昼夢を視たような気分だった。
「本当に夢か……?」
「…うるさい」
「初めてだぜ、こんなこと」
 一度言葉を止めて、
「………お前、実際に体験してるな、これを」 
 カラスは何も言わずに、ゆっくり瞳を閉じた。全てを拒絶しようとするその感情に素早く気づいて、魅朧はカラスを抱きしめた。
 閉じようとする心を無理矢理こじ開けて、なだめるように、落ち着かせるように。
「大丈夫だ。…大丈夫。俺はそんなこと絶対しねぇから」
 放せ、とは言われなかった。

*****

「実際にあんなことされたら…、今俺は生きてないことになるだろ」
 弱々しい声で、カラスは述べた。
 二人は船長室に戻っていた。抵抗しないカラスを守るように自分の腕の中に収めて、魅朧は軽く頷いた。
 その手で触れながら、魅朧はドラゴンの感覚を全て使ってカラスの内面を探っていた。
「………お前、何かしてるのか?」
 くすぐったいような、身体の内側を羽根で撫でられるような、ぞくりとする不思議な感覚に、カラスは肩をすくめた。
 魅朧は答えずに、カラスの心を感じ取ってゆく。
 ドラゴンの精密な感覚といえ、他人の心情を明確に視ることはできない。どんな感情なのかを知るのが精一杯である。
 魅朧は海龍の長であり、その能力も飛び抜けているといえ、それでも目で見るような捉え方はできない。しかし、カラスの心に『何か』異質な物が引っ掛けられている事だけはわかった。
「お前………催眠暗示をかけられた経験はあるか?」
 沈痛な声色で、魅朧。
「…催眠暗示?」
 何の事事かわからずに、カラスは尋ね返した。
「現実に起こったみてぇな程、リアルな夢だ。お前の感情の増減によって、突然思いだしたみたいに悪夢が沸き上がる。じゃなけりゃ、周期的な時限爆弾みたいなもんか」
 一度言葉を切って。
「確実に言えることは、お前はアレを体感させられているってことだ。現実ではなく、夢か幻で。そう仕掛けた奴は、よっぽどお前を放し飼いにしたくなかったみたいだな」
 魅朧の言葉に、カラスは考えさせられた。孤児院から連れ出されて、生きるために教えられた技術。時を同じくして、外へ関心を向けると見てしまう夢。何故自分が逃げられなかったのか。
 なんとなく、わかった気がした。
「どうにか…できないのか?」
 一縷の望みを魅朧に託す。金髪の海賊は、肉食獣のように唸って、重い口を開いた。
「天の竜はそういうのが得意なんだけどよ。あいつらは絶滅しちまったからなぁ。お前に術をかけた人間を殺すか、その術を解かせるか、だ。面倒くせぇから、殺しちまうか」
「俺は、誰が術をかけたのかわからない…」
「その辺の心配はいらねぇ。お前の中身を視たときに、術の波長も覚えた。聖霊魔法ってのは、使う人間の属性で微妙な波長変化を持ってるんだ。個体差が出るから、全く同じって事は無い。…ま、ドラゴン的感覚を持ってないと感じ取ることすらできんがな」
 幾分自信ありげに、魅朧は言う。
「俺だけがお前を救える」
 その断言に、カラスは目を見張った。青磁色の瞳が、戸惑うように揺れる。未だ、自分を救おうとした者などいない。そんな価値がないと思っていた。もし救われることがあったとしても、それにはきっと大きな代償があると。
 それなのに、魅朧は何の代価も要求することが無く、まるで負い目でも何でもないように笑う。
 魅朧はカラスが生きてきた中で、決して手に入れることの出来なかった物を次々差し出してくれる。自分にはそんな価値はないと思う、海洋民族の王者が、こんなちっぽけな人間のために何故そこまで心動かすのか。
「だから…なんで俺に、そこまでするんだよ」
 答えが知りたいけれど、知るのが恐い。そんな気持ちで聞いてみた。
 不用意に感情を読まれたくはなくて、カラスは魅朧の腕から逃れる。向かい合うように座って、その金色の瞳を真っ直ぐ見つめた。
 細い瞳孔が、やっぱり人間とは違って見えた。
「……なんでってなぁ…」
 答えに窮するような、照れ笑いに似た表情で魅朧は言葉を紡いだ。
「俺に傷つけたのって、お前が初めてだったんだぜ?」
「…は?」
「他の海龍は俺を主と認めているから、縄張り争いもしねぇし。人間はスケイリー・ジェット号をみたらとりあえず逃げるだろ?たまに喧嘩ふっかけてきやがる阿呆もいるが、んな雑魚にやられる程海龍の爪は弱くねぇ。滅多に陸に上がらねぇから、陸の人間と諍い起こしたことも殆どねぇし。俺の鱗は殆どの聖霊魔法による攻撃を防いじまうしな」
 たてがみのような金髪を掻き上げて、右頬の傷をなぞった。
「面と向かって俺に傷つけられたのはお前だけだ」
 にやり、と。まるで肉食獣みたいな野性的な笑みを浮かべる。
「……それって…逆だろ?」
「なんで?」
「だって、初めて傷つけられたら、そいつが憎くないか?」
「ああ。なるほど。人間はそう考えるのか?俺は逆に嬉しかったんだがな。しかも、俺に手出した人間が、あんまり生の感情ぶつけてきやがるし。なによりその目が気に入った。思わず俺は、お前を捕まえるのを一瞬忘れたね」
 探すの手間かかったんだぜ?と、ふんぞり返って。
「たった…それだけ?」
「それだけ…って、重要だろうよ。お前自分の感情に気付いてないのか?お前が俺にぶつけてきたのは『恐い』『死にたくない』極めつけに『助けてくれ』だぜ。俺だって鬼じゃねぇから、お前を助け出してやろうか、ってことになるだろ?」
 まるで不思議な理屈だ。どうして自分の敵かもしれない人間をご親切に救ってやろうなどと言う結論に達するのだろう。
「まぁ、さらってきたらさらってきたで、俺の所有物になるわけだから、真っ先に食っちまうのは勘弁しろよ。俺達ドラゴンは所有欲が人一倍強い。自分で手に入れたら、誰の物でもない自分の物にする権利が出来る。そのかわりにそれを守る義務が発生する。俺じゃなかったら、お前、輪姦(まわ)されてたぜ?海賊ってのは荒っぽいからよ」
「………そんなこと…あまり自慢できないだろう」
 幾分呆れながら、カラスは肩の力を抜いた。魅朧に抱かれたことを考えないようにしているが、その行為自体が忌むべき物ではなく、むしろ安心感を産むのだからカラスは複雑だった。
「ドラゴンってのは綺麗な物が特に好きだから、お前は恰好の餌食だ。綺麗な顔に綺麗な身体に、剥き出しの感情。感情は一番重要だ。お前は特に顕著だしな。やってるときに一番それが下半身にクル。それ知ってながら、日々我慢してる俺様ってスゴイと思うぜ」
「なっ……!」
 くつくつと笑いながら、飢えたような目つきでカラスを見つめた。金色の瞳の力は強い。意識的にその視線を送られて、カラスは頬に朱を走らせた。
 逃げようとする腕を捕らえられて、魅朧の胸に倒れ込む。身をよじるのも易々と封じて、魅朧はカラスの耳に唇を当てた。耳朶を軽く噛んで、そのまま舌を這わせる。
「…ゃっ…」
 濡れた音を直に聞かされて、さらに力任せに吸い上げられて、カラスは肩をすくめることしかできなかった。寒気に似た震えが背筋を駆け上がる。なんとか、拒絶を表すために顔をしかめて見せた。
「ほら、な?顔で隠せても、感情に嘘は付けんだろ」
 啄むようなキスを繰り返しながら、魅朧は笑った。
 反論しようと唇を開くカラスの言葉をいちいち奪って、魅朧は口付けで封じていく。快楽を知ることが殆どなかったカラスにとって、それは痛みより慣れにくい。我慢することができる痛みに比べ、快感を耐えることなどできない。ともすれば貪欲に求めそうになりそうで、カラスはそれだけは必死で押さえた。
「……可愛いな。抑えが効かなくなる…」
 ぐるぐると唸りながら、魅朧はカラスの服の隙間に手を差し入れ、直に肌の感触を楽しむ。
「止め…っ…」
「嘘だな。もっと、だろ?」
「違っ…ん…!」
「違わねぇだろうが」
 至福そうに、しかし卑猥に魅朧は笑う。
「いいんだぜ、正直に欲しがって。お前が満足するまでな。滅茶苦茶に揺さぶって、俺しか考えられないくらいに、感情ごと塗りつぶしてやる。あんな夢見てる暇なんざ与えてやらねぇよ。迷いなんか捨てちまえ。お前はただ俺だけを見て、俺だけを求めればいい」
 その爬虫類のような龍の瞳に見据えられて、カラスはひくりと肩を揺らした。飲み込まれそうな恐怖を感じて唾を呑む。
 だが、魅朧のその野性的な感情の中に優しさを知っているので、カラスは極力身体の力を抜いた。
 これだけ必要とされるなら。流されてもいい。
 虚勢を張る必要などないのなら。信じてみてもいい。
 俺を助けてくれるのなら…。 

 ……………壊されても、いい。
 
 腕輪に付いたオニキスが、きらりと光に反射した。

  

2003/11/08

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