7 Night,Flight,Fight

Liwyathan the JET 1

 スケイリー・ジェット号は、ミネディエンス沖近くを漂っていた。闇雲にそこにいるのではなく、何か目的を持ってこの海域をぐるぐると回る。深夜の黒い空の色を吸収した海に、狼煙のように帆に描かれた金色のドラゴンが淡く輝く。
 船の中は、ぴりぴりとした空気を孕んでいた。
 船員達は帯剣し各自持ち場についている。いつもの日常生活とは全く違った、全く隙のない動きだった。
 これから、戦闘が始まる。
「お前はこの艦橋から出るな」
 自信に満ちあふれた魅朧の言葉を聞いても、カラスはどことなく不安だった。
「大丈夫。何かあっても鷲(チィオ)がいる。つうか、俺が負けるはずがない。驕りじゃねぇぞ。人間が俺に勝てる訳がないんだ」
 カラスの不安を溶かすように、魅朧がその頭を抱く。エルギーの傍にいたノクラフが、声を上げて笑った。
「お前もだ、ノクラフ。次の『魅朧』を孕むまで大人しくしていやがれ」
「でっかいお世話だよ!」
 全く悪びれた様子もない。
 その時、水平線に幾つか明かりが見えた。
「戦艦三隻、直線距離を高速で接近中。来ましたぜ、キャプテン」
「船籍不明。だがどう見たってあれはミネディエンスの船だ。雑魚が餌に食い付いたみてぇだな。さっさと釣り上げて捌いちまおう」
「間合いぎりぎりまで惹き付けながら後退しろ」
「アイアイ、サー」
「鷲(チィオ)、ウォルク、ネヴァルはカラスとノクラフを守れ。傷一つ付けるなよ。戦闘に突中したら、横波にやられる前に一時待避。俺が帰ってくるまで黙って見てろ」
「アイアイ、サー!」
 薄い笑みを浮かべながら、男達は魅朧の言葉を了承した。
「………帰ってくるって、どこかに行くのか?」
 カラスが、魅朧を覗き込んだ。
「おうよ。面倒臭ぇから、俺があの船沈めてくる」
「沈めて…って、丸腰で何ができるんだよ」
 その通り、魅朧は武器の類を何一つ持っていない。
「心配してくれんのか?可愛いな、お前は。大丈夫だって。俺を誰だと思っている」
 魅朧はカラスのこめかみにキスを落として、その長いコートを脱いだ。洋服掛けの代わりにカラスの肩にコートを掛けると、この船の船長は艦橋の外へ足を向けた。
 呼び止めようとしたカラスに噛み付くようなキスをして、後ろ手のまま手を振る。
 やはり、ノクラフが声を立てて笑った。

*****

 いつものシャツとズボンより、もっと光沢のある革のつなぎのような物を身につけた魅朧は、くるりと首を回した。運動の前の動作の様だったが、それにしては身軽い。
 覗いた胸元には、この船の帆と同じドラゴンが彫ってある。
 金のたてがみを風に任せながら、軽く腕を組んで薄く笑った。
 だだっ広い甲板の真ん中で、自信にあふれた堂々とした態度で戦艦を見据える。
 そうしているうちにも三隻は隊列を組んで近付いてくる。海賊船を取り囲もうとしているのは目に見えているが、この巨船は物の見事に素早く逃げていた。
 しばらく陣地争いをしていたが、限度の切れたミネディエンス戦闘艦が一斉に紅い光を点滅させる。
 艦橋に籠もるカラスは、窓に張り付きながらそれが魔術であることを感じ取った。狙いは完璧に定められていて、あんな物をくらったらこの船がいくら大きくても沈没してしまうだろう。
 しかし全く動じない魅朧は、さらに笑みを深くした。
 三つの戦艦から三つの大きな火の玉が、空気に悲鳴を上げさせながら漆黒の海賊船へと突撃してきた。
 舵を握るエルギーは、回避する意思もないらしく黙ってキャプテンを見つめている。一人暴れ出したい衝動に駆られながら、カラスはじっとしていた。黙って魅朧を凝視し、火の玉が目前まで迫ってきたときには一瞬死を覚悟しそうになった。
 衝撃が駆け抜けた。かたく目を瞑る。
 爆音が辺りをひとなめし、窓ガラスに振動が伝わった。水蒸気が凄まじい音を立てながら、船の周りを取り囲む。三隻の戦艦からでは、きっと歓声が上がったに違いない。
 ぎゅっと瞳を閉じたカラスが、その衝撃から素早く視線を戻すと、甲板に人影がなかった。
「な………」
 唖然とした。
 そこに人の姿はないが、そのかわりに巨大な生物が翼を広げていた。微かな光に反射する漆黒の鱗に覆われた、異形の生き物。長い尾がしなって、甲板に鋭い音を立てた。
 初めて見たその美しい生き物に、カラスは言葉を失った。
 火の玉は海賊船に傷を付けることさえ出来ていなかった。焦げ跡ひとつ残さずに。戦艦からの魔術を回避してしまった生き物が悠然と甲板に立っている。
 背中から伸びる薄い皮膜の様な翼は計4枚。蟒蛇のような身体に鋭い爪を伴った両手と両足。美しい流線を描くその頭部から、長い角が伸びている。黒一色の身体に、にじみ出したような金のたてがみ。
 これが、海龍だった。海原の王者と謳われる、漆黒のドラゴン。
 船体の帆に描かれた龍、魅朧の刺青とおなじそれ。
 知らず合点がいった。感嘆に溜息さえ出た。
 そして、金色の爬虫類じみた瞳は、確かに魅朧の物だった。
 重力を感じさせない動きで、ドラゴンが羽ばたいた。
「カラス、耳を塞ぎな」
 カラスの傍に寄ったノクラフが、素早く耳打ちした。考えるよりも先に、カラスが言われたとおり耳を塞ぐ。
 その直後、漆黒の竜が咆吼を上げた。
 先程の爆音の比ではない。ガラスというガラスがびりびりと悲鳴を上げる。割れないことがいっそ不思議だった。
 低音と高音の混ざり合った凄まじい咆吼が止むと、その身体がするりと海に飲み込まれてゆく。4枚のはねが重なり合い、頭から海へ潜った。しぶきは殆ど上がらなくて、まるで溶け込むかのようだった。
 爆発の衝撃に荒れた波が、いきなり凪いだ。それを利用して海賊船が戦線を離脱する。そうするうちに潮が引くみたいな音がして、次の瞬間端にいた戦艦が裂けた。船の真ん中を食いちぎられて、左右に分かれた船が奇妙な踊りを踊る。途端にぶり返した波が大きな波紋を広げて荒れ狂う。咄嗟に応戦にでたミネディエンス戦闘艦が放った魔術も、その漆黒の鱗に跳ね返された。
 敵艦の困惑と悲鳴を、カラスは聞いた気がした。
 聖霊や魔獣など滅多に見ることがない。エルフでさえ見かけない人間達が、ドラゴンの姿をわかるはずがないだろう。
 その圧倒的な力と神秘的な姿に、ただ呆然と畏怖を抱く。
 物の見事に次々と船を沈めていく漆黒の海龍は、悲鳴と残骸を生産して、海から姿を現した。
 何度か羽ばたきを繰り返し、海面の上をホバリングしながら、その金色の瞳で戦艦の残骸を睨み付けた。
 超音波のような咆吼を再度上げると、その鋭い牙を持った口から、黒い炎が吐き出される。首を振りながら、辺り一面を舐めるように炎が踊った。聖霊の力を借りた炎ではなく、どこか硬質なそれによって船の破片に至るまで全て藻屑と消えていく。
「たった三隻で海龍をしとめられる筈がない」
 誇らしげな口調でノクラフが胸を張った。
 海龍はしばらく炎を見つめていたが、ちらりと海賊船に振り返ると再度海へ潜ってしまった。
「一回りしてくるそうだ」
 舵を持ったまま、エルギーが呟いた。

*****

 船内の緊張は未だ解かれていない。キャプテン不在のまま、スケイリー・ジェット号は海原を翔ていた。
「驚いた?」
 初めから緊張など見せていないノクラフは、鷹揚に尋ねてくる。
 何のことを聞かれたのか見当が付いたカラスは、頷きで応えた。
「我らが漆黒の海竜(レヴィアタン・ザ・ジェット)。あれがあたしらの長、魅朧さ」
「………まさか、あんな姿になるとは思わなかった」
「あれが本当なのよ。ドラゴンはみんなそう。人型になっておくとなにかと便利だから、普段は人間に擬態してるけれど、本来はあの姿なのさ」
 カラスの驚きを察しているノクラフは、肩をすくめてみせた。
 魅朧と対峙していても、カラスは彼があんな姿だとは想像することが出来なかった。むろん人間と違う瞳はあったが、肌のぬくもりは人間よりもらしく思えていたから。
 しかし、潜在意識に働きかけるような恐怖の原因が、魅朧の姿を見てわかった気がした。
 あの美しく強靱な生き物を前にすると、人間は誰しも畏怖することだろう。それくらい、ドラゴンという生き物は凄まじかった。
「怖いかい?」
「……そうでもない」
 今は、そう言えた。最初に出会った頃と比べると、驚くほど。確かに本能は恐怖を感じるが、それが畏敬とか畏怖だとわかってしまえば、『怖い』わけではない。
「そりゃよかった。振られちゃ可哀想だと思ってたとこだよ」
「………ノクラフ」
 笑う妻に、エルギーはたしなめるような声で名を呼んだ。
「あたしらドラゴンってね、有り体に言ってしつこいのさ。だから、人間に構うと必ず呆れられちまうんだ。難儀な性分だよ。気に入った人間に拒絶されたら、それを気遣って後は追えないんだからね」
 でもね、と形良い唇を釣り上げて。
「あんたが心から拒絶しない限り、魅朧はあんたを守り通すだろうよ。どんな願いだって叶えてくれる。魅朧が守る物は、あたしらも守りたい」
 まるで子供を見つめるような柔らかい瞳で。親の愛情を知らないカラスだったが、母親ってもしかしてこういうのかもしれない、と漠然と考えた。
 すると笑みを深くしたノクラフがカラスを胸に抱き込んだ。そのまま頬に口付ける。
 嬉しいのか恥ずかしいのかよくわからない感情を持て余して困惑に眉を寄せると、ノクラフは背を軽く叩きながら、どうしたの、と聞いてきた。
「女は嫌かい?」
「………いや、そうじゃない。…………胸の感触が…」
 ぼそりと呟くと、艦橋のメンバーが声を立てて笑い出した。
「なんだ!触りたいならいつでも言いな。魅朧のよりよっぽど柔らかいからね」
 笑いながらさらにきつく抱きしめられて、自分の胸に当たる感触を意識しないように必死に視線を彷徨わせる。
 笑う船員に紛れて、ノクラフの夫だけは無表情だった。魅朧と似た金色の瞳と合えば、すっと細められる。
 生の嫉妬を向けられて、カラスはいたたまれなくなった。どうか早く放して欲しい。
 と、舵を握っていたエルギーが何かに気が付いたように海上を見た。
「帰ってきたようです。………カラス、甲板に出てみなさい」
 誰が、とは言わずに。
 


 微かに軋む扉を開けて、カラスは艦橋から外へ出た。
 さすがミネディエンスに近いので、気温は幾分暖かい。荒波一つ立っていない海原を見つめて、カラスは黙って甲板に立つ。
 魅朧のコートを肩にかけたまま。それが風になびいて、それから波の音が聞こえだした。 ざざざざ、と潮が引くような音の後に、船の前から黒い塊が浮き上がってくる。
 皮膜のような4枚の翼が一度はためいて、低い唸り声と共に、黒いドラゴンが甲板に着地した。
 何故この船の甲板は広いのかと思っていたが、これだけ大きな生き物が離着陸するなら頷ける。
 一度長身を伸ばしたドラゴンは、カラスの姿を目に留めて、その長い首を下ろした。カラスはおずおずと近付いてみる。
 金色の大きな瞳が嬉しそうに細められた。角で傷を付けないようにゆっくりと首を巡らせて、魅朧はカラスに擦り寄った。
「魅…朧……?」
 黒曜石の肌を撫でながら、カラスが尋ねる。
 ぐるぐると喉を鳴らす音が聞こえて、黒龍が鼻を擦り寄せた。低くくぐもった声が牙の隙間から漏れる。
『いい子にしてたか?』
 普段より幾分低音だが、それは間違いなく魅朧の物だった。
 頭から首にかけてゆっくりとさすって、カラスはふわりと微笑んだ。それを見据える金色の瞳の黒い瞳孔が一瞬開いて細められる。
 嬉しそうにドラゴンが喉を鳴らした。

  

変身してみました。洋服は鱗の一部です。着脱うんぬんは突っ込んじゃだめ!
2003/11/28

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