8 Intercepter「横取り」

Liwyathan the JET 1

 その黒い小舟は、漁船に紛れて入港した。
 最小の魔力で最大の効果を発揮しているカラスの魔術のお陰で、四聖騎士団海洋船に停船を求められることすらなかった。
 小舟には魅朧とカラス、それにネヴァルとウォルクの兄弟が乗っている。外見だけ見ると、その小舟は小さな漁船にしか見えない。兄弟二人が一日の暮らしのために魚をとっている、ごく平凡な小舟という風に映る。
 魅朧とカラスの姿は巧妙に消えていた。
 そうやってこっそりと、二人は聖都に上陸したのだった。

 

 ミネディエンス人は信仰深い。各区画には必ず聖堂や礼拝堂があった。
 首都ミネディアの大礼拝堂(カテドラル)には、毎朝信心深い住人がやってくる。早朝の礼拝は欠かさない。
 ミネディエンスで生きてきたカラスも、いくら仕事の為とはいえ毎日礼拝に行っていた。しかし、長年聞いてきた説法を信じることはできなくて、いつもその時間は教主像の後ろにある壁画やステンドグラスを眺めていたのだった。
 伝説の時代に存在していた創主など、今の生活にはひとつとして関係はないし、宗教にすがっても毎日の生活が変わるわけではない。心の支えなど、必要とすらしなかったのだ。
 それでも習慣になっていた行為を長い間止めてしまったことに、不思議と罪悪感を感じてしまった。
 何となく嫌な気分だ。少し緊張しているのかもしれない。
 すると、カラスの気配を敏感に察知した魅朧が、その背中を優しく叩いた。姿を消しているので視覚的には見えていないのだが、ドラゴンの感覚にそれは関係ないらしい。
 後ろを守るその力強い暖かさにカラスは緊張を緩めた。
 姿を消したままのカラスと魅朧は、住人達に紛れて大礼拝堂の扉をくぐった。

*****

 座席は8割程埋まっている。カラスは席には座らずに、柱の陰になる背後の壁に寄りかかった。
 しばらくするとざわついた声が途絶え、教主が教壇の真ん中に現れた。その教主から死角になるような場所に移動して、カラスは自分にかけた魔術を解除した。
 漆黒のシャツとズボンに、最初に着ていた古ぼけたマントを羽織っている。警戒心だけは表情の下に隠して、無表情で腕を組んだ。
 教主が創主の素晴らしさを語りはじめて少したったとき、聖職者のローブに身を包んだ男がカラスに近付いてきた。
 遠からず近からず微妙な間を空け、男はじっとカラスを見据えて小声で告げた
「釈明を聞こう」
 そのままくるりと背を向ける。
 カラスはそれに従って、礼拝堂の奥へと連れて行かれた。この男もこの道もよく知っている。自分は確実に依頼主の元へ近付いている。
 朝日が入り込む廊下を奥に進んで行くと、突き当たりに古ぼけた何の装飾もない扉があった。男はそれを開けると、カラスに向けて顎で入室を指図した。
 朝にも関わらず暗い室内に躊躇うかのように、カラスはそうっとドアをくぐった。魅朧がしっかり付いてこれるように、だが不審に思われない程度にゆっくりと。
 カラスが部屋の中央に進むと、案内の男が扉を閉めた。そのまま扉に寄りかかる。
 この部屋は窓がない。
 部屋の奥にある執務机に、年齢のよくわからない男が座っていた。ローブを纏ってはいるが、聖職者には決して見えない。どこか殺伐とした瞳が、眼鏡の奥で暗く光った。いつも目深にローブを被られていたので顔なんて見れなかったが、今日に限っては違っていた。
 魅朧の濃い金髪と違い、薄い金髪に澄んだ青い瞳。典型的なミネディエンス人だ。
 ああ、顔を見せるってことは、俺を生かして帰す気はないんだ。と、漠然と思った。
「カラス……」
 溜息混じりのその声に、カラスは無意識にぴくりと肩を揺らした。
「自分が何をしたか、わかっているかな?」
 恐怖心を抑えようと思うのだが、この声がいけない。高くもないし、極端に低くもないのに、この声に命令されると拒否できなかった。
「………」
「私の命令に従えないのなら、それ相応の罰を受けなくてはならない」
 かた、と椅子を軋ませて男が立ち上がる。身動きをしないカラスに近づいて、その男はぴたりと動きを止めた。
 嬲るような視線でカラスを見つめる。頭の先からつま先まで。
「行方不明になっている間に一体何をしたのかと思えば……」
 逃げ出したいのに、足が動かない。カラスは心の中に溢れる恐怖を何とか押さえつけようと頑張った。
「ずいぶん下卑たものを覚え込んできたな…」
 ぐい、とカラスの顎を掴んで仰向かせる。嫌悪と恐怖で微かな震えが走り、カラスは眉根を寄せた。
「なんだ、そうか。お前は男が欲しかっただけか。つくづく異端の血を引いているな。それならそうと、とっとと犯してしまえばよかった。そういう罰の与え方もあったんだ。……まぁ、お前にとってそれはもう罰ではないようだが」
 ランプの明かりに照らされたなかなか整った顔に、どこか残虐な笑みを浮かべて男はカラスの後頭部に手のひらを滑らせた。そのまま灰色の髪を力任せに握りしめる。
「……っ…」
 痛みに、小さく呻くことしかできない。
「魔術の才が無かったら混血のお前など、とっくに売り飛ばされているということを、まだ理解していないようだな」
「ぃ…ッ…!」
「その顔と身体しか取り柄がないんだろう。男の味はどうだった?」
 あからさまな侮辱なのに、反論すら出来なかった。この手を振り払おうと考えているのに、いざ行動に移そうとすると恐怖心が身をかける。
 ランプの光に反射する鉈の刃。執務机。何度も見ている悪夢を思い出して、背中に冷たい汗が滑った。
 すぐ近くに魅朧がいることすら思い出せなかった。
 怖い。
 まだ死にたくない。
 お願い、誰か助けて。
 殺しの依頼は失敗することが許されなかった。失敗すれば最後、自分は遠からず消されてしまう。
 あのとき魅朧を殺せなくて、一度死んでいたはずだった。この男の気まぐれで生かされていたような物だ。魅朧がカラスをさらうまでの半年間、どれだけの恐怖を味わい、どれだけの痛みに耐えたか。精神と肉体を痛めつけられて。
「お前は私に跪くしか、生きる道がないのだよ」
 カラスの心情を察知した男が、冷酷に笑った。
「よそ見などせずに、可愛い私の犬になっていれば、何も不自由することはなかったのに」
 残念だ。カラスの耳元で低く唸って、この男は剣帯からダガーを抜き取った。決して傷を付けないように頬を舐めるようになぞって、ゆっくりと首筋に近づける。
 カラスは不意に、首を落とされた夢を思い出した。鉈が喉にあたる冷たさと、今添えられたダガーの冷たさが全く同じで。青磁色の瞳をきつく閉じる。ミネディエンスでは決して涙すら見せなかったのに、その目尻が微かに濡れていた。
 魅朧。祈るような気持ちで、カラスは最後に思った。
 ぱしん、という乾いた音が聞こえた。男の呻きと金属が床に落ちる音が室内に響いた。
「いい加減にしてくれ」
 カラスのかけた魔術を自ら打ち消した魅朧が、うんざりした声で吐き捨てた。カラスを守るように後ろから抱いて、床に膝をついた男を見下す。
「………金髪に、…その瞳…」
「龍族の容姿を知ってるってのは誉めてやるぜ、人間」
 にやりと残忍に笑う。口の端だけつり上げて、しかしその瞳だけは容赦すら存在しないような冷たさだった。
「寝返ったか、カラス」
「せいぜい惜しむんだな。上に立つ姿勢としちゃ、お前は三流だ。そんなんだから部下に裏切られる。自業自得だろ」
「………人のことが言えるのか?」
 魅朧に向けて言われたその言葉はどこか意味ありげだった。それを気にする風でもなく、魅朧は嘲りを込めて笑う。
「カラスにかけた催眠暗示を解く意思はあるか?」
 金色の瞳の中で唯一黒い瞳孔が、見透かすように細められた。
「………何の事だかわからんな」
「いい答えだ。許すより殺した方が楽なんでな」
 嬉しそうに低められた声が、カラスの耳朶をうつ。自分で制御できない震えは、きっと魅朧に伝わっているだろう。
「この聖都で殺しだと?出来るはずがない。創主の守ったこの地でなど…!!」
「守った?荒らした、だろうが。まあ、御託を聞きに来たわけじゃない。せいぜい苦しまないように殺してやるよ」
 獣のように舌なめずりをした魅朧は、すっと片腕を男へ向けた。
「お前等が蔓延るその大地を丸ごと無くすくらい、俺達には造作ないんだぜ。お前等人間は、この世界にとっちゃ無用の物だ。理に消されたいと思わせる前に、大人しく地味に生きていけ」
 あからさまに見下して、海龍の長は薄く笑った。
 屈辱にカッと瞳を開いた男は、しかし魅朧ではなくカラスを睨み付けた。強く噛んだ歯の音が聞こえてきそうだった。
「親不孝者め……」
「………え?」
 一瞬、耳を疑った。
 その隙をついて、男は投げナイフをカラスに目掛けてとばす。片手で3本、計6本のナイフが一直線に襲いかかった。
 魅朧に抱かれている体勢が禍した。避けることが出来ない。ただぎゅっと目を瞑ったカラスに、しかし衝撃は無かった。
 金属が床に落ちる音と、男の呻き。
 鉄錆びた臭いに瞳を開けると、虫の標本のように石の壁に貼り付けられた男の姿が見えた。壁に縫いつけるそれは、滑らかな黒い錐のようで。一体どこから伸びているのかと辿っていくと、それは魅朧の手のひら――黒い鱗を纏ったまるでドラゴンその物の爪だった。五本の爪が、頭部、両肩、心臓と腹に突き刺さっている。
「………あ……」
 無意識に出た声は、凄惨な光景からくるものではない。死体は見慣れている。
 今までこの男の前にいるとき常に感じていた絶望的な恐怖が消えていた。驚愕か混乱か恐怖かごちゃごちゃになった頭の中が、一気に晴れた。
「大丈夫か?」
「………あ、ああ。平気」
 こくりと頷くと、魅朧が微かに笑った。ずるりと音が聞こえて、爪が引き抜かれる。死体が壁に汚れを残して崩れ落ちた。
 その手を人間のそれに戻した魅朧は、血に染まった指先をぺろりと舐める。
「魅朧?」
 眉間にしわを寄せて苦い顔をした魅朧に、カラスが訝しんだ。
「……………キャプテン魅朧」
 沈黙を破ったのは、カラスをこの部屋まで案内した男。
 その存在をすっかり忘れていたカラスは、びくりと肩を揺らした。
「まさか貴方が来るとは思いませんでした」
 恐怖に身体を震わせて、聖職者のローブが床を引きずる。
「戦艦相手じゃ足止めにすらなんねぇよ、このタコ。モロクはどうした。いつまでもそんな姿でいるな気色悪い」
「遅蒔きながら、裏切り者は始末しておきました」
「気付くの遅ぇよ。何の為にお前を置いてると思ってやがる」
「申し訳ない……」
 頭を下げた男は、ローブを後ろに下ろした。
「え……?」
 そこには、いつもカラスを案内していた男ではなくて。姿替えの魔術をここまで巧妙にやってのけるとは。それでは、今までカラスを案内していたあの男はどうしたのだろう。
 案内になりすましていた男は、無骨な中指にはめたオニキスの指輪を見せながら笑った。
「あ…!」
「聖水師団のハロクだ。お見知り置きを願おうか」
 訳が分からなくて、カラスはただ二人の顔を見合わせた。

  

ちなみにハロクはホーンタブレットにもちょこっと登場してます。地味にですが。どうでもいいが魅朧、腕だけ龍の爪に戻したら気持ち悪そう。
なんかこの回、やたら書きにくかった記憶があります。
2003/12/04

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