9 in one piece「填った破片」

Liwyathan the JET 1

 たった今人を殺して来たなんて微塵も感じさせない表情で魅朧はジョッキを呷った。
 魅朧とカラスはスケイリー・ジェット号に戻らずに、ミネディアのジャンクタウン――柄の悪い者達が集う酒場の片隅に陣取っていた。
「呑まないのか?」
 騎士団の一員には全く見えないハロクが、ジョッキ片手にカラスに聞いた。
「いい、いらない」
「なんだ、酒弱いのか」
「そんな気分じゃないだけだ」
 酒に強いというわけでも無かったが、こんな昼間からエールを開ける気にはなれなかった。
「それより、事情を説明してくれるんじゃなかったのか…?」
 さすがに苛立たしくなってきた。
 礼拝堂から脱出するために、カラスは再度魅朧に魔術を施した。カラスのそれよりは劣るが、ハロクも自分に防視をかけて三人は誰に呼び止められるわけでもなく外に出ることが出来た。そのままジャンクタウンになだれ込んで今に至る。
 路上で事情を説明するには内容が内容だし、なにより魅朧の黒衣はいささか目立つ。だからといって大通りに面したカフェテラスなんかさらに場違いで、結局ゴロツキがあつまる場所に落ち着いたのだった。
「どっから聞きたい?」
 悪戯をしかけるような視線で微笑んで、魅朧はカラスの頬に微かについた返り血をぬぐい取ってやった。
「最初から、全部」
 冷たく言い放つと、魅朧とハロクはお互い視線を合わせてから苦笑した。最初に口を開いたのは魅朧だった。
「俺達海龍は、ミネディエンス人の外見に近い。首都が漁港ってこともあって、結構重宝してるんだが、警備が意外と厳しいんでな。騎士団と教会に間諜をおいてる」
「騎士団が私、教会はモロクという男だった。お前さんをハガイ司教の元へ連れて行っていた男だ」
「ハガイ…司教?」
 聞き慣れない名前を、カラスが鸚鵡返しに呟いた。
「なんだ、ハガイの名前を知らなかったのか。あの若い外見ですでに五十を越えているんだから、随分悪魔的な男だ。人一倍信仰深いくせに、人一倍陰気くさい」
 と、ハロク。
 カラスは、蝋燭の明かりで煌々と輝く青い瞳を思い出した。
「お前が俺を狙った時間と場所は、一緒に上陸した奴らか間諜の二人しか知らない事実だ。偶然俺を見つけることができるはずがねぇ。俺を殺そうと仕向けた裏切り者は、必然的にこの中の誰かってことになる。
 お前より俺の方が詳しいってのは皮肉だが、お前が所属していた組織は、名目上は騎士団の一部隊だが、実質運営しているのは教会なんだ。俺に手を出そうとしたことを止めないのだから、鼠はモロクかととりあえず検討を付けた。かりにも龍族の血を引いた人間だ。あんまり信じたくはなかったけどな」
 苦虫を噛み潰したような顔で、魅朧はジョッキを空ける。度数の低いエールでは、まったく酔えないだろうが。
「お前を捜すために、お前のことを調べた。モロクじゃなくハロクに調べさせたら、モロクが不審だって情報もくっついてきた。お前が、俺が上陸したときの時間と場所が正確だったって言っただろ。あれで確実にモロクだって確信したわけだがな。
 気付かない振りをしてもう一度ミネディエンスに寄ると手紙を送ったら、案の定戦艦を出してきやがった」
「ハロクが裏切ってる可能性は考えなかったのか?」
 カラスが真面目に尋ねると、魅朧とハロクは示し合わせたように笑った。
「ドラゴンは群と、特に血筋を重要視する。私は純粋なドラゴンじゃないけれど、それは変わらない」
 ハロクが真面目に言うと、魅朧が勿体ぶってカラスを見つめた。
「……ハロクはな、ノクラフの腹違いの兄だ」
「は…?」
「可愛い妹がキャプテン魅朧の傍にいて、誰が裏切りなんか考えられようか」
 実質上、彼女は人質だとでも言うのだろうか。豪快だが優しい美人の彼女を思いだして、カラスは渋面を作る。
 と、それを見越したように、
「ノクラフは鷲(チィオ)の嫁だ。俺の群の一員を人質に取った覚えはねぇな」
 何処か誇らしげに鼻を鳴らした。
「じゃあ、最初から殆ど解ってたわけだ……」
 なんだ。拍子抜けしたカラスは、力を抜いて椅子にもたれた。
「………疲れた」
 それが、率直な感想だった。

*****

 魅朧は、しばらくミネディエンスには帰らないことを告げて立ち上がった。人混みに器用に隠れながら、ウォルクとネヴァルの待つ小舟へと足を向ける。ハロクは途中で分かれた。あまり長く一緒にいると、もし誰かに問いつめられたときにボロが出やすくなってしまう。
「しばらくここには戻って来ねぇけど。何か用はあるか?」
 歩きながら魅朧が尋ねた。
 もとより、自分の持ち物は殆どなかった。幾つかの隠れ家を転々としていたから、持ち歩く物でさえ少ない。
 気付けば、魅朧の部屋にある物の方が愛着を感じた。
「ないと…思う」
 文句も言わず後ろを付いてくるカラスに微笑んで、魅朧はその頭を引き寄せた。何するんだ、と文句を聞きながら。
「船に戻りたくない、とは言わねぇんだな」
「……え…」
「俺の元に来るってことがどういうことかわかるか?」
 耳の近くで囁く声は、からかいが含まれている。
「お前がどうしても陸で暮らしたいっつうなら、俺に止める権利はねぇんだぜ」
 何時だかノクラフが言っていた。独占欲が強く、しつこいほどなのに、完全な拒絶をされると相手を気遣って追うことが出来ない。それを思い出したカラスは、しかし憤然と言い放つ。
「今更…」
「ああ?」
「今更お前が俺を手放すのか……?」
 何も知らなかった自分に、今まで知ることがなかった様々なことを教えた。体内の奥にまで痕跡を残して置いて、今更どうやって離れていけるのだ。
 微かに震えるカラスの声を聞いて、魅朧はからかうのを止めた。引き寄せた灰色の頭にキスを落とす。大通りから外れていたので凝視する人間はいなかったが、往来で触れ合うことをカラスは許可しなかった。
「なぁ、カラス。……笑えよ」
「何で」
「お前が笑った顔が好きなんだ」
「なっ……!」
 青磁色の瞳を大きく見開いて、驚愕とよべるほど驚いた。
 可愛いとか、欲しいとか、そんな言葉は何度も聞かされたが、初めて好きだと言われた。見るからに照れて耳まで赤くしたカラスが心底珍しくて、魅朧は金色の瞳を見開く。
「いきなりっ…何言い出してんだ…っ…」
「俺がお前のことを好きだって知らなかったのか?何度も欲しいっつってたじゃねぇか」
 くつくつと笑いながら、魅朧はその腕から逃れようと藻掻くカラスをさらに引き寄せた。
「放せっ…!」
「嫌だね。放して欲しくないって思ってるくせに。感情垂れ流しだぜ?」
 嘘じゃないので、反論も出来ない。
「いいか、カラス。船に戻ったら、思う存分わからせてやるよ」
 その耳朶に噛み付いて、重低音で囁いた。突然の刺激に、カラスが総毛立った。心地いいと感じてしまって、一瞬後にはその感情が魅朧に伝わる。にやりと笑われて言葉を失ったが、これ以上からかわれる前にカラスは照れ隠しの罵詈雑言を喚くことしかできなかった。

 港に近付いてくるカラスと魅朧を、小舟の上からその痴話喧嘩を見つめていたウォルクとネヴァルは、呆れることすら忘れて生暖かく笑っていた。

*****

 漆黒の海賊船に着くなり、魅朧はカラスを船長室に押し込んだ。
 器用にマントを剥いでしまうと、そのままベッドに転がされる。性急で強引なその行為に、カラスはいくらなんでも非難を口にしようとする。
 しかし、罵詈雑言が口をつく前に、魅朧のそれによって塞がれてしまった。黒いコートを引っ張って押し退けようと藻掻いても、丹念で濃厚な口付けに図らずも抵抗さえ奪われた。
「……は…っ…」
 濡れた音を立てて唇を離すと、カラスは瞳を閉じたまま荒くなった呼吸で喘いだ。
 朱に染まった目尻にキスを落とし、魅朧は真剣な表情でカラスを見た。
「もしかしたら、謝らなくちゃならんかもしれん」
「………な…に?」
 余韻の残る痺れた舌で。
「確かなことは言えないが、俺はお前の父親を殺したことになる」
「………は…?」
 意味が解りかねて、カラスは不思議そうな顔をして魅朧を見つめた。
「父…親?」
「ああ。お前に催眠暗示をかけていた本人、今朝方俺が殺したあの男と、お前の遺伝子の半分が同じだった」
「……なんで、そんなこと」
「何となくひっかかって、あいつの血を舐めてみた。まさかと思ったが、俺が間違う筈もねぇ。お前のことは、遺伝子レベルまで把握してるからな、俺は」
 最後の科白に渋面を作り、カラスは起きあがる。
「ドラゴンは血筋を大事にする。俺はあいつを殺したことに後悔も罪悪も感じてないが、もしお前が悲しむなら辛い」
 これは紛れもない魅朧の本心だった。
 しかし、カラスにとって今更父親が出てこようと母親が出てこようと関係はなかった。ハガイというあの司教が誰であっても、何の感情もわいてこない。だが不思議なことに、なぜか憎いとは思え無かった。酷い仕打ちしか受けた事が無かったはずなのに。
「カラス…?」
「きっと……礼を言わなきゃいけないんだろうな、俺」
「何だって?」
「お前に会えて、よかったよ、魅朧」
 モロクが裏切らなければ、ハガイが魅朧を殺そうとしなければ、俺が教会に雇われてなかったら、きっと魅朧と出会えなかっただろうから。
 いつのまにか、こんなにも依存している。力強い腕の暖かみを知ってしまったから。
 もう悪夢さえ見ないだろう爽快感に感謝したい。
 だから、今くらい素直になってもいいかもしれない。
「もう帰るところはここしかない。俺を、お前の側に置いてくれないか…?」
 初めて手放したくないと思った。それが彼の傍だった。言い慣れない言葉を使うのに、やはり羞恥が先に立つ。なんとか金色の瞳を見ることができたが、どこか決まり悪げに上目で見上げて。上気した頬と相まって、その仕草は媚びを含んで見える。誘っていると勘違いしてしまいそうだ。
「俺が手放す筈がないだろう……?」
 抵抗の少ないカラスにのしかかりながら、魅朧は耳元で唸るようにそう囁いた。
 安心したカラスの腕が背に回るまで、そう時間はかからないだろう。

  

幾分説明くさい回ですが、ご容赦下さい。
2003/12/06

◆絶対本編じゃ出てこない設定秘話◆
 カラスの母はジプシーのような生活を送っていました。運悪くミネディアでハガイに出会い、魔女狩りの如く糾弾され、ハガイに個人的な拷問を受けました。そうとう悪趣味な性癖を持ったハガイに辱められてカラスを身籠もった彼女は、辛い生活の中で出産し、その後命からがら逃げました。望んだ子供でもない事に加え、逃亡の妨げになるので、しかしせめてもの慈悲で孤児院に置いていきました。
 それを探し出したハガイは、カラスが物心つく頃から催眠暗示をかけて逃げられないようにし、暗殺者に仕立て上げたのでした。
 ちなみに、この話はHT「束縛の騎士団」に出てきたハギア(ダイク)とも関連していて、彼が姿を変えなくてはいけなかった要因がこのハガイです。ハギアが殺した騎士団長は、ハガイとも通じるような狂信者で、それを殺した結果自分は確実にカラスに狙われると自覚していたハギアは、セツに容姿の変容を頼みました。国を出ればいいのですが、愛した女を守りたかったための行為です。

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