砂漠の蜥蜴*2

***聖霊奇譚*"Sand Lizard "***© 3a.m.AtomicBird/KISAICHI***

 

 

 四大聖霊が何故人の身にやつしているのか、その理由は人間達の肉体構造の魔術的見解にある。
 炎水地風は四大元素とも呼ばれている。水は血液であり、地は肉体であり、風は呼吸する息吹。この三つはどれが欠けても成り立たない。最後に一番必要とされる炎は、魂の情熱である。活力とも呼べるこの聖霊が事実上四大聖霊一の実力を持っていて然るべきだった。何故なら、最終的に人間を突き動かすものが、血でも肉体でも呼吸でもなく情熱だからだ。
 人間の身にやつしているからといって、彼らはやはり人間ではなく不死不滅の存在である。しかし世代交代が無いわけではない。

 その昔は聖霊も神も人も魔獣も、全てに肉体がありお互いに近い存在だった。だがこの世界を築いた『創主』と『魔神』、その兄姉である『創主』が狂いだした。その時に、その暴走を止めたのは『魔神』と十聖霊――炎、水、地、風、天、海、月、太陽、雷、樹――である。両者痛み分け、いや、創造神達は力つき倒れ、四大聖霊を除く六つの聖霊はその姿を世界に混ぜて崩壊を救った。俗に『魔創戦争』と呼ばれる神々と聖霊の戦いである。

 当時の四大聖霊達もかなりの力を消耗し、その姿を保てなくなった。彼らは疲れ果てた自分たちを再生し、全く同じ姿をした肉体を作り替え、新たな自意識とともに生まれ変わった。そうやって彼らは世代交代をすることになったのだ。
 魔創戦争以後の四大聖霊は、誰一人として戦時の経験は無かったが、その記憶はしっかりと覚えていた。過去の自分の記憶を持ったままに新たな輪廻を繰り返すのだ。魔創戦争時の初代聖霊であり、聖霊とは何であるかという『古代の記憶』と、自分自身の自我意識である『進行の記憶』として。性別も容姿も全て同じく受け継いでゆく。

 この世代交代の対局に位置する聖霊がいる。
 何より厳格で節制を重んじる聖炎霊は、初代が生まれ変わったそのままに、世代交代をすることがなく、十数世紀をひっそりと生きてきた。同じように冷静であり慈愛深い聖土霊も、世代を変えていない。
 対する聖水霊と聖風霊は自由奔放であり、何より人の間に交じることを好んだために、その世代を何度も変えている。特に顕著なのが聖水霊だった。

 聖霊は例外なく清い生き物である。直接的な殺しを特に嫌悪する。また、完璧な菜食主義で、血肉を口にすることはない。
 そうでなければ、彼らの力を持ってすれば、人間など一溜まりもなく紙屑のように倒されてしまうからだ。だからといって彼らは人間に危害を加えられないわけではなく、間接的にならいくらでもその抜け道はあるのだが。
 もし直接的に殺しができてしまうほどに穢れてしまったとするならば、それを救える者は同じ聖霊かそれ以上の力ある者で無ければいけない。理由は何にせよ、ほぼ恐らくその聖霊に悪意はないのだ。 

***

 サチャ・ユガの宿曜師は、その砂漠の都より遥か西にある熱帯雨林の渓谷ディガムバーラにいた。太陽が昇っていた。到底人にはあり得ない移動の仕方だった。人ならば、騎獣を使っても早くて二日はかかる距離である。
 都で捕らえた青銀髪の美人を抱え、崖下にある平屋の中に入ってゆく。そこは宿曜師の自宅であり、到底人の入り込めない 森の中にあった。

 扉には鍵がかけられていず、短めの廊下の奥に広い居間があった。居間は殺風景で必要最低限の物しか置かれていない。入って右手には、大きめのダイニングキッチンがあったが、使われてはいるものの殺風景には変わりなかった。
 居間に面して扉は四つあり、扉は一つだけ閉まっていた。二つは何の変哲もなく部屋へ続いて見えたが、一つはビーズで編まれた暖簾が掛けられ部屋の向こうにさらに部屋があるように伺える。閉まった扉の向こうは判らないが、全ての部屋の扉よりそれだけ作りが違っていた。

「一体、何をされたんですか」

 穏やかな重低音はぼそりと呟いた。

「聞きたいことは山ほどありますが、今はただ眠りなさい。ジーベルス」

 青白く精気のない顔に呼びかけても、反応は無かった。
 その華奢な身体を居間にあるソファの上に横たえて、彼はすぐ側にある何もない部屋に入った。物置程度の機能しかさせていなかったが、その部屋は人が一人生活するのに苦労しないだけの広さはあったし、適度な大きさの窓が風を運んでくれていたお陰で日当たりと通気性が良かった。
 赤毛の宿曜師は申し訳程度にほっとかれていたがらくたをどけて、床に手をつけた。眼帯のない方の紅い瞳が伏せられ、ついた手がぐっと床を押す。ごうっという微かな音と共に、一瞬部屋に熱風が溢れてすぐにそれは冷めた。部屋の至る所につもっていた、未使用独特の埃が全て消え、高温消毒された清潔な部屋へと変わった。
 彼はそれから部屋を出ると、さらに違う部屋から浴槽のような物を引っ張り出してきた。それを部屋の中で一番日光があたりやすいところに置いた。
 位置を確かめて頷くと、今度は暖簾のある部屋へ行って小箱や棚から様々な物を集めてきた。その部屋はサチャ・ユガに出していた店によく似て、数百種類の小瓶や薬草、どこか呪術的な印象を与えている。
 浴槽の傍に小卓をおいて、その上に集めてきた物を載せる。そうしてから、今度は大きめのバケツを両手に持って、家のすぐ近くにある湧き水から水を汲んできた。浴槽の七分目ほどになるまで、涼しい顔で何往復も繰り返す。人の体力ならばとうにばてているにもかかわらず、また隻眼の苦もなくやってのけた。
 凛と冷えた清水に、小卓に載った小瓶の中身を注ぐ。真緑色の液体は、水の中に濁らずに消える。少し大きめの瓶をとりだし――その中には、青白い燐光と琥珀色の燐光を生き物の様にうごめかす燃える石が入っていた。瓶の中に手を入れる。じゅ、と音と共に肌が焼けるかに見えたが、彼は何も変わらずにその石を一掴みし、そして浴槽の中にゆっくりとはなした。ばちばちと光を放ちながら、石は水の中を駆けめぐりやがて消えた。
 袖を捲り上げた手で浴槽の水をひと掻きし、彼は立ち上がって居間へ向かった。
 深くそして怖ろしく間隔の長い呼吸を繰り返しているジーベルスのもとへ行き、丁寧に靴を脱がせ、その服の緩められる部分は全て緩める。

「……………」

 とりたて女性的な服というわけではないが、彼はその胸にふくらみがないことに違和感を感じた。
 今の今まで女性だと思って疑わなかったが、どうやらそうではないようだった。その眠る表情は絶世の美女でも言い表せないような美貌であり、確かに昔何度も見つめたときと変わらないのに。
 しばし考え込んでしまったが、自分が考えてどうなるものでもないので、彼はその疑問を保留した。
 眠るジーベルスを抱き上げて、彼は浴槽を置いた部屋に向かう。その顔をまるで宝石のように愛でて、苦笑と共に額に口付けた。そして、ゆっくりと浴槽の中にその身体を沈めた。
 一度だけ吸った空気が肺から送り出され、空気の泡が口から漏れた。だがそれ以降は何事もなかったように、深い呼吸を繰り返す。まるで、エラのない魚のようだった。
 呼吸を確認した赤毛の宿曜師は、いたたまれないように片方の瞳を細めてそれを眺めると、懐から小さなナイフを取り出した。
 瞳を閉じ、深呼吸を繰り返し、心の中を空っぽにする。なんの意識も浮かび上がらせないようにして、彼は自分の左手首を引き裂いた。途端に瞳を開けて、ナイフを小卓に置く。切られた手首からはある程度の勢いを持って鮮血がしたたり落ちた。深紅のそれを浴槽の上にかざし、まんべんなく行き通るように水に垂らした。ぴちゃ、と血液が水に吸い込まれてゆくたび、じゅっと蒸発するような音がする。
 裂けた傷跡が、だんだんと塞がってくる。人間なら致死する傷ですら、ゆっくりとだが癒えていた。彼は眉間にしわを寄せていたが、それは痛みではなく治癒力を意図的に遅めていたからだった。
 完全に傷が癒えてしまうと、手首に残ったわずかな鮮血を自分で舐め取り、今度は小卓に置かれた数種の薬草を手にした。真っ白な細長い花弁をちぎり、その水の上におとす。赤紫の丸い花は葉がついたそのままで。それらはしばらく浮いていたが、水面に落ちた順に沈んでいった。
 ジーベルスの身体の所々に花が沈む。それは非常に神聖な儀式がかった柩か、そうでなければ棺桶に見えた。
 宿曜師は満足したようにそれを眺め、しばらく水の中で眠るジーベルスの顔を複雑な思いで見つめると、静かに部屋を後にした。浴槽には窓から日光がやわらかくそそがれている。夜になればそこを月光が照らすだろう。
 そして、音もなく扉が閉められ、その部屋は静まりかえった。

***

 その日の夕刻、宿曜師はサチャ・ユガに戻っていた。目立つ赤毛を隠すようにターバンを巻き、いつものように顔を半分覆うように布でかくしている。
 時折やってくる客の相手をしている合間に、置くの部屋をかたづけた。もともと何もない。寝泊まりするだけの部屋なので、簡易用のベットとテーブルと椅子。その他に幾つかの棚と、雑貨の入った箱が置かれているだけだ。
 その机の上に、大きめのボストンバックがひとつ置かれている。まるで旅支度の様だったが、その通りである。
 夜半前、まだ月が天の中央より手前にいる頃、ぞんざいな仕草で帳を開ける客が現れた。昨日尋ねてきた、女性の『砂漠の焔(デザートブレイズ)』である。

「昨日は有難う。礼を支払いに来た」

 眉間にしわを寄せた彼女は、その瞳に疲れを滲ませて、懐から麻袋を取り出した。その袋の中から銀貨を一枚、机の上に置いた。

「多すぎますよ」
「貴殿の確かな腕に対する正当な評価だと思ってくれ」
「では、捕まえたんですか?」

 宿曜師はにやりと口を歪めた。だが、その隠された瞳は軽薄そうに笑んでいた。

「いいや……」
「おや、それは残念でしたね」

 さも残念そうに、いけしゃあしゃあと長嘆する。

「もういちど、見てもらえるか?…………いや、やはり辞めておこう」

 椅子にどかりと腰を下ろしたこの女性は、深く息を吐きながら、腕に描かれた蜥蜴の紋を大事そうに撫でた。

「何か見たのですか?」
「………誰も信じてはくれんさ。唯一確かなことは、私が獲物を取り逃がしたという事実だけだ」

 皮肉げに吐き捨てると、自嘲気味な笑いを残したまま、それでも潔く彼女は店を後にした。
 その後ろ姿を哀れみ深く見送り、宿曜師は起きざられた銀貨を手にとって親指で弾き上げた。くるくると垂直に回転しながら、それは重力に従って落下する。手のひらに落ちた瞬間、まるで手品のように消えていた。

「お土産にでもしますか」

 一人愉快に鼻で笑うと、彼は部屋に散らばる幾種類物小瓶の中から、必要な物を持てるだけ持って奥の部屋に置いてあったボストンバックの中に詰め込んだ。鞄を店の机の上に置いて、あらかじめ決まっている順を追うように瓶や薬草をその中に押し込んでゆく。鞄がずっしりと重くなる頃には、店の棚からほとんどの瓶類が消えていた。
 忘れ物を確認するようにぐるりと広くはない店内を見渡し、納得すると鞄を閉じる。到底片手では運べない重さの鞄をひょい、と持ち上げて、宿曜師は二言三言何事かを呟いた。それは何の変哲もない結界であったが、普段人が使う『鍵』に比べれば十分に強力だった。
 彼はそうやって長い間留守にする店の安全を図っていた。確かにそこに店があるのだが、人々はそれに気付くことができなくなる。封印に近い形だ。
 魔術が性格に発動していることを確認して、宿曜師は店の帳をくぐって、そのまま街から姿を消した。


 

  

設定を吐き出したような回ですね(汗)。
次回、眠り姫がやっと起きます。そこからはラブロマンス(まだいうか)になるか!?
自傷行為できないはずなのにできてる言い訳も。

20030806