砂漠の蜥蜴*4

***聖霊奇譚*"Sand Lizard "***© 3a.m.AtomicBird/KISAICHI***

 

 

 レギアノーマとジーベルスは、明らかに別人だが似ていると言えば非常に似ている。
 それがサラマンダーの見解だった。
 水の聖霊らしく妖艶で傲慢な仕草をすると思えば、親にはぐれた子供のように心許なげで儚げな視線で目を伏せる。
 ただ日に日につのってゆくのは、サラマンダーに寄せる信頼の重さだ。しかし全身で安心を現しているのに、ふと時折すまなそうに眉根を寄せる。戸惑い、混乱、迷い。それは、欲しい物に手を出したのにそれに触れる前に諦めて傷ついた、そんな雰囲気だった。
 全幅の信頼を寄せられないのは、明らかにサラマンダーの硬派な態度が問題だ。本人もそれを自覚しているし、実際サラマンダー自身も初めて見る男性のウンディーネの対処を保留しているのが現状だった。
 嫌い、というわけではない。むしろその逆である。清純なその空色の瞳で見上げられると、何も考えずに抱き寄せて組み敷いてしまいたくなる。その衝動に流されないだけの、自分の理性の堅固さは称賛に値するだろう、とサラマンダーは一人ごちた。
 その衝動が、男に対して感じてしまうことに違和感を覚えたが、不思議と嫌悪は無かった。彼がウンディーネであるからこそ嫌悪を感じないだけかもしれないが。
 本来ウンディーネは誰よりも女性らしいはずなのだが、とりたてて女性らしいとは感じない。思わず見惚れてしまう程の颯爽とした性格をしていた。だからといってウンディーネらしくないというわけではなく、むしろそれだからこそウンディーネだと感じるのだった。

「しばらく、私の家に滞在するのがいいでしょう。せめて『砂漠の焔』達が殺人鬼を忘れてしまうくらいには、ね。この森には人間 はいませんが、得られる物は多いでしょうから。それに知識を増やせるような書物もあります」

 サラマンダーの申し出に、ジーベルスは素直に感謝を表した。一度だけ、迷惑をかけることに対して謝ったが、後は全て感謝の言葉だ。

「じゃあ、せめて料理は俺が作るよ」

 断ろうかと思ったが、ただで居座るのに気が咎めるのだろう。では、お願いします、とサラマンダーは承諾した。

「………あ…、あのさ…」

 少し首を傾げて、窺うような仕草でウンディーネは尋ねる。

「何ですか」
「名前…何て呼べばいい?」

 遠慮しているのか、語尾はあまりに心許ない。方眉を跳ね上げたサラマンダーは、暫し考えてから名乗った。

「……そうですね、『ペルシャ』で結構ですよ」

 ジーベルスは、小さく口の中でペルシャ、と囁いた。直感でそれが真名ではないことを悟る。

「よろしく、ペルシャ」
「こちらこそ」

 ジーベルスが改めて差し出した右手を、ペルシャはゆっくりと握り返した。ほっそりとした冷たい肌のジーベルスの手と違い、ペルシャのそれは乾いていて暖かかった。
 二人は、思いのほか早く打ち解けていった。ジーベルスにとって自分の本性を隠すことなくつきあえる相手というのは、今までを考えると何者にも変え難いものだった。

 一週間も経過した頃には、お互いに気兼ねはしなくなった。
 水槽が置かれていた部屋は綺麗に片づけられ、新しい家具を入れてジーベルスの部屋になった。家具はもともとこの家にあった物を使用したが、ジーベルスの洋服はペルシャが街で買ってきた物か、レギアノーマや何代か前のウンディーネが置いていった物だったりする。一反の布があれば、ジーベルスが自分で作ることもできた。
 一緒に住んでみると、お互いの生活がわかってくる。
 ジーベルスは家事全般をこなし―――ペルシャが嫌な顔をしないので、ジーベルスは自分のできる範囲で家事を担った。いわずもがな、料理はプロ並みの腕である。ペルシャ自身も長年生きた経験で人より上手い物を作れるが、ジーベルスのそれはどこか懐かしいような味で不思議と飽きることがない。
 掃除や洗濯や料理。自分のできることで役立つしかなかった。金を持っているわけではない。ただ飯食いのせめてものお返しである。いくら傲慢な性を持っているとはいえ、他人の家でまで何もしないほど不遜ではない。高慢な気質であることと不遜であることは同じではないのだ。

 だが、ジーベルスは一人部屋で休むときに少しだけ悲しくなった。
 自分の真名は、相手に伝えられている。真名を知る者は、その者を束縛できる。ペルシャはジーベルスを束縛するために真名を知っていた訳ではないが。ジーベルスに教えられたペルシャの名前は愛称だ。何故真名を教えてくれないのか、等とは聞けない。
 真名の交換は、大袈裟に言うと婚約や結婚のような制約に似ている。お互いにお互いを心底信じているか愛していない限り絶対にあかすものではないのだ。
 自分が純粋なウンディーネであれば、真名を聞けたかも知れないと思うと、ほんの少し胸が痛む。ジーベルスは自分でが男であることを恨んだことは一度もないが、めんどくさいと思ったことは何度もあった。
 どこか冷酷さを持った炎の聖霊は、優しい反面残酷だった。
 書斎のようであり実験室のようであるペルシャの私室に入ることは許されているが、寝室にはなるべく入らないように、と最初に言われた。絶対な拒絶ではないが、限りなく10割に近い9割がた確かな拒絶である。

「嫌われたくは、ないよな」

 柔らかいベットに寝ころびながら、ジーベルスは呟く。
 腰まである青銀の髪をもてあそび、髪を切ろうかと考えた。だが、ペルシャが面影に歴代ウンディーネを投影していることを知っているだけに、すぐにその考えを諦めた。
 ウンディーネには先読みの能力や、ある一定の感情を読みとる能力があった。寿命の存在しない聖霊の未来を読むことはさすがにできなかったが、ジーベルスが見るペルシャは穏やかな炎ではなく、爆ぜるような劫火のような炎だった。
 そして、唐突に気付く。
 ただの同族よりも親密な好意を持っている事に。漠然としていたが、その手の感情には人一倍敏感なのだ。
 自分がどうしてこれ程までに気を遣うのか。ペルシャの一挙一動に怯えるまでの敏感さで関心が働いてしまう。決して態度には出さなかったが、自然と気になって仕方がなかった。
 どうしよう、と迷う。
 レギアのように長くは付き合っていないし、同じ美貌とはいえ自分は男だ。それを気にかける様子もなく優しく接するペルシャは、ごくたまに愛でるような瞳をする。なんとなくずるいと思いながら、ジーベルスはその思いを胸の中に閉まった。

***

 数週間がすぎると、その想いは確信に変わった。
 ペルシャは、ジーベルスに惹き付けられていた。一人で過ごしていたときより、格段と楽しいと感じてしまい愕然とする。
 ちょっとした仕草や、その微笑み、声に翻弄されそうになる。手放したくなるいろいろな理性を必死に押しとどめて、ペルシャは冷静に対処した。
 ジーベルスがペルシャに好意を持っていることは明らかだった。嫌がるような素振りは一度もない。むしろ見上げてくるその瞳の色が、親兄弟にたいするような愛情だと感じて少しばかりがっかりした。
 抱きしめて口付けたい。その白磁の肌に触れてみたい。下卑た感情が戸を叩く。久しぶりに遊郭を歩こうかと思ったが、なんとなしにそれも冷めてしまった。
 こんこん、と書斎の壁を叩く音が聞こえ、ペルシャは薬草を摺り下ろす手を止めた。

「月見酒でも、飲まないか?」

 小首を傾げた独特の尋ね方で誘う。大輪の花のようなその微笑みに、ペルシャもつられて笑みを返す。
 家の出入り口の傍に、蔦で編まれた長椅子があった。椅子の中央におぼんを起き、つまみになる小料理ときんと冷えた冷酒を用意し、二人は両端に座る。
 空を見上げると、鬱蒼とした樹木の隙間から濃紺の空が見えた。大きな満月が影を落とすほどの光を放っている。

「和む〜……」

 深く息を吐いてのびをする。月光に照らされた青銀の髪が、柔らかく輝いている。眩しい物でも見るように瞳を細めてそれを眺めていたペルシャの視線に気付き、ジーベルスは笑みを返した。

「何の調合してるんだ?」
「………?」
「俺が呼びに行った時に、何か作っていただろ?」
「……ああ。出血を抑える粉薬です。残りが少なくなっていたので補充していたんですよ」

 ふーん、と返事を返しながら六角形のおちょこを舐める。アルコールで暖まるとはいえ、ジーベルスには夜風が冷たくて羽織ったストールの上から腕をさすった。

「こちらへいらっしゃい」

 促されるままにジーベルスはペルシャの傍に座った。ジーベルスに比べペルシャの体温は随分高い。遠慮がちに開けた隙間を埋めるように、ペルシャは肩を引き寄せる。小さく驚いたジーベルスは、ペルシャを見上げた。布越しに伝わる熱が心地よく感じる。
 ウンディーネは愛憎を感知することに長けている。
 触れた体温越しに伝わる物は紛れもない愛情だった。最近感じるその視線。少なくとも、彼は自分のことを嫌ってはいない。大事そうに愛でるくせに、それ以上の大胆さでは決して触れてこない。女だったら違ったかな、と考えたが、きっとペルシャは相手が誰であろうとそうなのだろう。煮え切らない。
 今だって、肩を引き寄せるだけではなくそのまま口付けてもおかしくはない状況なのに。ペルシャバルは頑なにそれ以上触れてきたりはしなかった。
 ジーベルスは視線を外し気付かれないように溜息を落とした。本当は嬉しいはずの肌のぬくもりが、今だけはとても痛かった。
 甘えたい。甘えさせたい。でも、そうしない。
 表面上どんなに仲が良くても、根底で彼らはすれ違っている。 

 体重を少しだけ預けながら、ジーベルスは考える。
 『魔創戦争』の当時、全ての聖霊は創主を裏切って魔神を援護した。弑虐に最後まで反対した聖炎霊は、魔神との一騎打ちの末、左顔にその爪痕を受けた。本当は勝負など戦う前から決まっている。世界の理が創主の存在を許していなかったのだ。
 だが、自他共に認める程頭の固い聖炎霊を組み込むためには大切な儀式だった。魔神に負かされれば、しぶしぶながらも傘下に下ろう。それがわかっていて、あえて聖炎霊も傷を受けた。自分がこれから行うことに対しての戒めのために。
 魔神は負の闇の生き物である。聖なる者達とは反対の世界から生まれし神だ。その爪から放たれるものは、聖霊とは逆の力。あまりに大きな魔力の奔流がこごっている。最初の聖炎霊は左目が失明だった。二代目に当たるペルシャバルは失明こそ免れたものの、その瞳は不浄なる邪眼と変わってしまった。ペルシャが常に眼帯をしているのは、邪眼の魔力が外に漏れぬためである。
 邪眼はしかし、利点も与えてくれていた。周りの人間には悪影響だが、本人にとってはなかなか便利なこともある。魔神の魔力の残滓を受けたその瞳は、上手く利用すれば通常より多くの物を見ることができる。それは透視だったり遠視だったりするが。
 そしてもう一つだけ利点があるとすれば、その負の魔力のお陰で、聖霊としての制約が一部緩く作用している事だ。本来聖霊は、正常であれば生き物を進んで殺すことや自傷ができない生き物だ。だが聖炎霊の場合、その例外を行く。左目で見ている場合、人を殺すことができた。少しの血に穢れることもない。また、心を空にして、聖霊の部分を落ち着かせると、自らを傷つけることさえ可能だった。
 だからといって聖炎霊はそれを多用することはなかった。だからこそ彼にその不浄な邪眼があったとしても世の理は物言わない。

 不思議なことに、聖風霊や聖土霊がその邪眼で気を悪くするのに対し、聖水霊はその気に当てられることは無かった。何故なのか、と考えて記憶を手繰っても、その古代の記憶の中の答えの部分は霞がかかってわからなかった。
 あまりに深くまで記憶を辿ったので、ジーベルスは半ば眠りに落ちていた。預けられた体重の重みが増していることに気付いたペルシャは、彼の顔を覗き込む。銀糸の長い睫毛は降ろされて、夜空の色を投影していた美しい瞳を目にすることはできない。
 無邪気と言うよりどこか大人びた凄艶な寝顔に笑みを漏らし、ペルシャはその頭を撫でた。しばらく月を眺めて徳利を空けてしまうと、ペルシャはジーベルスを抱き上げた。そのままジーベルスの部屋に連れて行き、ベットに寝かせる。顔にかかった髪 を退けてやる。

「……ん……」

 鼻にかかったような甘い吐息を漏らし、熱を求めるようにジーベルスはその手に頬を寄せた。甘えるようなその仕草に、ペルシャは目を細める。長い指で頬を撫で、そのまま顎を軽くつまんで口付けた。
 最初は触れるだけの軽いもの。次は少しだけ深く、開いた唇に舌を差し入れて、眠りを妨げない程度に丹念貪ってから、名残惜しそうに唇を舐め取った。
 それでもジーベルスが目覚めなかったことに安堵して、ペルシャは素早く部屋を出た。音も立てずに扉を閉じる。そしてそのままにしていたおぼんを取りに外へ出た。無意識に溜息が漏れる。
 扉が閉ざされた室内で、ジーベルスが身動ぎもせずにゆっくりと瞳を開けた。残っている唇の感触を追うように指でなぞる。そのまま腕で瞳を隠した。
 二人別の場所にいるのに、丁度同じタイミングで同じ言葉を呟いた。


「卑怯者」 


 

  

すれ違ってます。はよくっつかんかい、とどつきたくなります。
4回分も書いてるのに心情描写がほとんどだったので、次回は会話が増えれば良いなと。
進展することは間違いないはず…。

20030813