砂漠の蜥蜴*5

***聖霊奇譚*"Sand Lizard "***© 3a.m.AtomicBird/KISAICHI***

 

 


 材料は全て野菜だが、まるで見事な家庭料理。
 ジーベルスは人並みに食べるが、ペルシャは大食いである。成長期の男性の如く二人分は平気で平らげる。早食いなわけでもがっついているわけでもないが、黙々と箸を動かして皿を空にしていくのを見るのが、ジーベルスの最近の楽しみである。
 堅物そうな彼を見ていると、燃費が悪いのか、と妙な疑問が浮かんできて胸中で吹きだした。手放しで誉めたりお世辞を行ったりはしないが、出した物は残さず黙って平らげてしまうあたり、可愛いところもあるものだ。
 対するペルシャバルは、隙のない上品さで箸を使うジーベルスが始終笑顔を浮かべていることにやっとなれてきた。食事の時は普段にもましてよく微笑む。何故か子供扱いされている気がしないでもなかったが、彼が幸せそうなら良しとする事にした。
 しかし時々、本当に時々だが、ジーベルスの仕草に食事中にもかかわらず理性を揺さぶられる。鮮明に覚えている、メニューはクリーム煮。貴婦人のような優雅さで箸をはこぶ彼が、自分の口の端についてしまったクリームを指ですくって舐め取る。決して上品とは言えないが、緩慢なその動きとちらりと覗くあかい舌が掬う白いクリーム。全くの無意識だろうけれど、その扇情的なまでの色香に背筋があわだったことは忘れられない。
 そんなことにまで意識してしまう自分を、最近は嫌悪し始めている。

「どっちがいい?」

 唐突に現実に引き戻されて、ペルシャは瞳を一度しばたいた。

「………はい?」
「だから、カーマ産の冷酒とミネディエンス産の貴腐ワイン、どっちがいい?エールもあるけど」
「では貴腐ワインを」

 りょーかい、と軽口ををたたいて、ジーベルスは席を立った。途中、あ、と口の中で呟いて、

「ついてる」

 悪戯を仕掛けた子供のような顔で、自分の口を指さした。ペルシャは盛大に顔をしかめて、口の左端を親指で拭った。

「違う、逆」

 さらに眉をひそめたペルシャに、ジーベルスは笑いながら顔を近づけた。ペルシャバルが制止する間もなく、ぺろりと、どこか淫靡にその舌でペルシャの口の端を舐めた。ほんの一瞬のことだったが、ペルシャバルは眉をひそめたまま動きを止めてしまった。

「あ……れ?」

 自分のやったことを改めて意識したジーベルスは、勢いよく背を向けて力無く怒鳴る。

「ご、ごめんっ!つい!………ワイン取ってくる」

 意識して冷静に振る舞ったかに見えるジーベルスだが、髪からのぞくその両耳がほんのり紅く染まっていたことを、ペルシャは目敏く見つけていた。
 地下への扉をいつも通りに開けていつも通りにしめる。閉めた途端に、だだだだ、と階段を駆け下りる音が聞こえてきて、ペルシャバルは堪らずに吹きだした。
 可愛いな、と思う。今までのウンディーネの何処を探しても、ジーベルスのような恥じらいは持っていない。もしレギアノーラなら、さっきの行動も計算ずくなのだ。追い上げるだけ追い上げて、自分では一言も欲しいとは言わずに誘うだろう。そのくせに決して心は渡さない。

「いけないな。はまりそうだ」

 ぼそりと呟いて、箸で料理をつついた。

「…どうしたものかな」

 すでに同族としての範疇を越えた好意を抱いている。しかしそれでもそこから先に進めない。自分があまりに愚かでペルシャバルは喉の奥で笑った。
 ペルシャバルがそんなこと考えているとは知らないジーベルスは、地下にあるワイン庫(広い一角におまけのように作られた棚だが)の壁に良し掛かって、そのままずるずると腰を下ろした。

「やばいやばいやばいやばいやばいよ俺…………」

 膝を丸めてその間に頭を埋め、両腕で隠れるように頭を隠す。

「露骨だ。あからさまだ。あんな事する奴があるか!」

 思い出してもまだ火を噴きそうだった。元々白い肌だ、今戻れば照れて赤面したことがすぐにばれるだろう。

「俺は…………阿呆だ」

 何故か泣きそうになるのをぐっと堪えて、ジーベルスは何度も深呼吸を繰り返した。ワイン一本に時間をかけるのはおかしい。だがすぐに出て行くにはまだ恥ずかしい。
 目当てのワインを頬に当てて熱を冷ます。
 恋人や夫婦なら問題はない。だが彼らはそうではない。ジーベルスはペルシャに想いを打ち明けてはいなかったし、もちろんペルシャも同じだ。
 自分の度胸のなさに泣きたくなる。

「もう…、一人になるのは………嫌なんだ」

 女々しくて狡い。自分が一番わかっている。髪の毛をぐちゃぐちゃに掻き回して、立ち上がった。

「ちくしょぅ…」

 扉の前で乱れた髪をなおして、もう一度深呼吸を繰り返した。
 何事もなかったように振る舞おう。何か聞かれたらその時考えよう。でも、絶対に嘘だけは付くものか。
 変な気合いを入れて、ジーベルスは居間に戻った。
 食卓の上は綺麗にかたされていた。ワイングラスが二つ。何故か楽しげに食器を洗うペルシャに、彼はワインを持ったまま呆れた。それから笑った。
 いつもと同じだが、それでもどこか違った幸せな日。

***

「貴方の愛情は私を束縛しすぎるわ」

 自由に生きたいの。
 何代前の聖水霊の言葉だったか。ジーベルスは唐突に浮かんできた言葉に首を傾げた。
 今日は一日蒸し暑く、ほとんど無風に近かった。じっとりとしたそれ自体は平気だが――ペルシャは辟易していた――日が沈んで突然風が流れ出した。暖簾をはためかせるような涼しげなそよ風が家に侵入し我が物顔で出ていく。吹きだしたときと同じように突然止まった風に、ジーベルスは空を見上げた。

「やっぱり」

先程まで晴れていた空は、突然の黒雲によって閉ざされていた。うるさい楽器のように雨粒が地面を叩き付ける。ジーベルスは何故かその雨を不快に感じた。

「謀ったような雨だ。不気味だな」

 呟いて、しばらく玄関の外を眺めていた。次第に遠ざかっていった雨音は、柔らかい小粒の雨に姿を変えた。
 ふいに、自分がこの家にいる意味が分からなくなり呆然とする。このまま平行線を辿るくらいならば、そんな不毛な関係を忘れて他の国でも見に行こうかと突然思う。捨てられたくない、求めて欲しい。そう思うのに、これ以上苦しい思いをするくらいなら逃げ出してしまいたかった。張り詰めていた糸が、ぷつんと切れた。
 それでもジーベルスはその雨をじっと見つめていた。

 雨が熱せられた地面を冷やし、風が冷たい流れを送る。ペルシャは足下に這いずってきた冷気にも似た空気を感じて羽ペンを持った手を休めた。湿気の密度を振り払うように自分の気を少し強めてやると、その室内だけがからりとした空気に変わる。
 そして唐突に、室内にジーベルスがいないことに気付く。外に出るときはたいていペルシャに一言いっている。だが今日に限ってそれはなく、何故か心配になってしまう。
 年齢的にはもう子供ではないのだから、外に出るくらいは何でもないのだが。過保護かもしれないが、ペルシャはジーベルスを保護下に置きたかった。言い換えれば支配にもなるが。
 眉根を寄せて、立ち上がった。外の雨はまだ止んでいない。属性上雨に打たれることは好きではないが、今はそれはどうでもいい。油を張った紙で作られた傘をさして、ペルシャはジーベルスの気配を追って外に出た。
 家から少し歩いたところに小さな湖がある。水鳥が休み、魚も多い澄んだ湖だが、意外にも深度は深かった。
 雨が湖面を叩き、他の生き物が息を潜めているその湖の端に、ジーベルスは足を踏み入れる。傘も差さずに鉛色の空を見つめて濡れるままに。
 透明度の高いその水は、ジーベルスがここに居座るようになって汚れが全て消えていた。彼が好んで浄化したのだ。その湖に腰まで浸かって、一度だけちらりとペルシャを顧みた。暗い、自嘲気味な瞳に、ペルシャはぴくりと眉間にしわを寄せる。
 一瞬、彼は既視感を感じた。

『貴方の愛情は私を束縛しすぎるわ。でもあまりそのことを見せてはくれない。私がそれを望んでいるとしても、貴方は想うだけで、その腕で閉じこめてはくれないのね』

 最初の聖水霊が、ちょうど今のジーベルスと同じ瞳でそう告げた。ペルシャの『親』は器用ではなかったようだ。だがそれは彼も同じである。
 ジーベルスはそのまま湖の中に消えた。服も着たままで溺れる様なことはない。世界中の誰より泳ぎが上手く、呼吸さえ必要としない。ペルシャにそれは真似できないので、彼はただ黙って雨の中待つことしかできなかった。もしかしたら自分がいる間は上がってこないのかも知れないかと考えたが、雨が霧に変わる頃にジーベルスは湖面に顔を出した。ざばざばと音を立てて陸に近づき、ペルシャバルに向けて笑みを向けた。笑いたくもないのに笑っている、そんな笑みだった。

「わざわざ待ってたのか……」
「嫌でしたか?それより、こんな雨の日にどうしたんです」
「………………気分転換」

 張り付いた髪を退けてやろうと肌に手が触れる瞬間、ジーベルスが怯えるようにびくりと肩を揺らした。

「……ジーベルス?」
「…ッ…。何でも、無い」

 無理に笑って首を振る彼を、ペルシャは瞳を細めて見つめた。まるで責めるようなその視線に、ジーベルスは下唇を噛む。

「あんまり……優しくすんなよ…」
「我が儘くらい言っていいんですよ?」

 子供をあやすような優しさで、俯くジーベルスを撫でてやる。その手をやんわりと振り払って、瞳を閉じて首を左右に振る。

「何のために甘やかすんだよ。何もないのに我が儘なんか言えない」
「ジーベルス」
「俺はウンディーネだ。アンタの気持ちがわからないわけがない。でも………今のままそれに耐えられるような強さもない」

 濡れたままの身体が小刻みに震えている。抱き寄せて暖めてやりたいと思って、ペルシャバルは手を伸ばした。ジーベルスはそれを拒絶する。

「やめてくれ。このまま甘えることなんか、できない…。アンタといると…、泣きたくなるんだ。急に言い出して悪いと思うけど、…さすがに、限界」
「…………」

 やっと顔を上げたジーベルスは、ぐっと手のひらを握って微かに笑った。それはしかし泣き顔に近い。頬をつたうそれは雨の所為なのかそれとも本当の涙なのかペルシャにはわからなかった。眉一つ動かさないペルシャに、無理に笑ったジーベルスは彼を見上げて啄むようなキスをする。

「ごめん。ありがとう。……………さよなら」

 そのまま、背を向けた。動かないペルシャを振り返りもせず、ジーベルスは早足で家に戻る。数少ない持ち物を小さな鞄に詰め込んで、自分の痕跡を消してゆく。不意に流れ落ちた涙をぬぐった。自分の服が未だ濡れていることに気付いたが、どうせまた外に出るのだから構いはしない。
 ぐい、と瞳をぬぐったときに、部屋の前で腕を組むペルシャバルと目があった。いつの間にか戻ってきていたらしい。もやもやとした気持ちと鋭い痛みの所為でいつからそこにいたのかさえわからなかった。責めるような怒っているようなその深紅の瞳から逃げるように、ジーベルスはその前を通り過ぎようとした。濡れて冷えた腕を、暖かいが力強い手のひらが掴んだ。振り解こうにも力がかなわない。

「行かせませんよ」
「そんな義理は…ないだろ?」

 今にも泣きそうになるのを意地で我慢して。

「いいえ。貴方が嫌がろうと放しはしませんから。私も素直ではないが、貴方も大概頑固ですね…」
「なっ……」
「欲しい答えをあげますよ」

 吐き捨てるように言うと、彼はジーベルスの手を引いて私室に向かった。居間のソファに荷物を纏めた鞄を放り投げる。

「何なんだよ!!」

 あまりにも理不尽な扱いに、ジーベルスは戸惑った。書斎に入り、ペルシャは寝室の扉を開ける。そこに入る前、ジーベルスは動きを止めた。寝室には入らないようにしていたのだ。呼びに行くのに覗いたことはあるが、足を踏み入れたことは一度としてない。引かれた腕を戻すようにたじろいだ。

「お入りなさい」

 急かすように腕を引く。困惑よりも恐怖が先攻するジーベルスは不安そうに見上げた。時化た海のような瞳をを受け止めるペルシャは、安心させるように微笑む。いささか強引に事を運ぼうとしている自分に気付き、幾分優しくジーベルスの腰を引き寄せて額にキスを落とす。

「私の名は、ペルシャバル」
「…………ペルシャ…バル…?」
「そう。私のものになってくれますか、ジーベルス」

 

 

 

  

次回はなんだかエロの予感(笑)。
ちなみにペルシャの家は平屋です。かなり大きめの地下があります。

20030818