UNICORN - 3 -

sep krimo [ TheAnger ]

 その夜のことだった。
  パムレードにとっては『不本意』ながら、ロゼリ地区にあるジアンカーナ・トラフィカンテが経営する高級レストラン『クレメンザ』に来ていた。VIP専用席で待っていたトラフィカンテはワインを傾けながら部下との話を切り上げた。
「遅れたかしら?」
「遅れてくるのは女性の特権だよ、ミス・グライアイ」
  手振りで席を促すと、トラフィカンテの部下が席を引いた。堂々とそこに座って軽く相手を睨み付けた。一緒に来ていたミストは、背後に設えてあるソファで室内をくまなく警戒する。両ファミリーの幹部も数名ソファに陣取り、ボスの話し合いが終わるまで酒か煙草で時間を潰すのだ。
「それで、話は何」
  バトラーがワインをついだ。トラフィカンテが指を鳴らすと、前菜が運ばれてきた。
「食事中は仕事の話は無しだ」
「ドン・トラフィカンテ、嘘はよくないわね。貴方、目が怖いわよ?」
  腕と足を組んで、彼女は目の前の男を見据えた。彼がどんなに外見を美しく繕おうと、その烈火のごとき本質を押さえつけることは出来なかった。
「ローデリアの件でしょう」
「あれは僕の弟の嫁でな、度胸と胸のでかい女だ。失礼、『だった』だな。そちらのストリップバーに用がある女だとは思えんのだがね」
「職探しだったんじゃないかしら…?」
  パムレードの軽口に、トラフィカンテが笑った。冷淡な笑みは、冗談に笑ったのではないことを物語っている。
「………謝るわ」
「家庭を大切にしない奴は男じゃない。そうしてくれると嬉しいよ。犯人を捕まえてみたら困ったことに、モラゴットの女―――君のトコの女だ」
「あらホントに困ったわね」
  全く困っていなかったのはパムレードだ。彼女はスーゼラフに犯人を洗わせていたし、それを泳がせてもいた。手打ちのためにトラフィカンテに渡したのだ。
  食事には手を付けず、彼女は煙草に火を付けた。
「貴方の弟さんの気がそれで済めばいいのだけれど」
「そうだな。どっちが仕掛けたのか今となっては謎だが、幸いにしてモラゴットはあの世にいる。それで何とか落ち着かせよう」
  トラフィカンテは底意地の悪い笑みを浮かべて頷いた。そこで漸くフォークを手にとって、綺麗に盛りつけられたマリネを摘んだ。
「パムレード、君は些か過激だね」
  どんな女でも騙せそうな甘い上目遣いで見抜く彼は、殺しの話など忘れたかのようだった。
「この世界で穏健なのはモグリでしょう。私たちの周りは常に過激で血の臭いに溢れている」
「……幸いにも僕は過激なのが好きでね。今度君―――」
  言葉は室内に飛び込んできた男によって遮られた。慌てた様子で扉を開けて、その中に二人のボスが居ることに気が付いて姿勢を正す。
「何だ」
「は…は、い。あの、『例の男が』今…」
  混乱しているのか男は口ごもった。
  パムレードとトラフィカンテはお互いに瞳を合わせる。
「せっかくのディナーが台無しだな。どうするパムレード、見学していくか?」
  帰るなら裏口を教えるが?顎で背後のドアを示したが、パムレードは勿論見学することを選択した。

 二回の踊り場、パムレードの背後から下階を覗いてみたミストは動きを止めた。
  純粋な驚きが殆どだが、ほんの少しだけ確信していた部分があったことも否めない。奥の席に陣取った『例の男』は、両手に女を抱えていた。ナイトドレスで身体を覆った美女を。幸いかな、客の数はあまり多くない。
  黒いコートと、シルバーストライプの入ったダークスーツ。やはり髪は漆黒で瞳も同色だ。歳は若い部類にはいるだろう。少なくとも、トラフィカンテより上には見えないが、ミストより下にも見えない。ようするに不詳なのだ。
  トラフィカンテは部下を引き連れて階段を下り、その男の前に向かった。店内が静まり、男は自分が注目されていることを今更知ったというような態度をとった。

 ―――嘘だ。あの人は解っていてやっている。

 ミストは動揺を隠せずに瞳を逸らす。その姿を男はちらりと見ていた。
「ミスト、知り合いか…?」
  パムレードの言葉に、答えることは出来なかった。何と答えたらいいのか、思いつかなかった。
「お食事中失礼、ミスター。最近この界隈をお騒がせだと、気付いているかな?」
「初対面の相手には名乗るのが筋だろう?」
  男は恐怖など微塵も見せず、何処か傲慢な態度でトラフィカンテを睨め付けた。
「……この店で私を知らない者がいることに慣れていなくてね。ジアンカーナ・トラフィカンテだ」
「ああ、トラフィカンテファミリーのドンか。良い店だな。俺はサイファーだ。お見知り置きでも願おうか?」
  芝居がかった派手な挨拶。まるで馬鹿にしているような演技だが、誰一人笑う者は居ない。サイファーは気にもせずにシガレットケースから細い葉巻を取りだして、火を付けた。
「ミスターサイファー、我々の流儀を試しているのだったら、それは賢明ではない。釈明があるならばこの場で聞こうか?」
「吹くんじゃねえよ、若造が。たかだか身体を取り替えたぐらいで俺を殺せるとは思わんほうがいい」
  ふう、と煙を吐き出して言葉を切った。それにな、と呟いて二回の踊り場に目をやる。
「漸く探し物を見つけたからな、他に興味はねぇよ」
  探し物、一体それは何だと振り返れば、パムレードと目があった。彼女と目の前の男はどうやら人種が同じなのか。そんな疑問を胸に秘めたところで、男は低音で名を呼んだ。
「―――アルヴィティエル」
  葉巻を銜えたまま、椅子の背もたれに両腕を置いた彼は、左腕を少しだけ上げて指で招いた。その姿があまりに様になっていて、半数は男を見つめていた。 
「聞こえないのか?そんなわけはないだろう。何をしている」
  まるで使用人か奴隷を呼ぶような口調だった。場違いにもその表情が穏やかそうに笑んでいるのが逆に不気味だった。
  パムレードは俯いたミストを見つめた。アルヴィティエル。確か彼のファーストネームはアルヴィトだ。
「ミスト…?」
  肩に手をかけると、怯えたようにびくりと跳ねた。これ程までに動揺する彼を見たのは初めてだと思った。
  このまま黙っていて事態が進む訳じゃない。本気で逃げ回るのでなければ、いつかこうなることは解っていたのだ。そうやって自分に言い聞かせて、ミストはゆっくりと顔を上げた。
  二十年など、自分にとって瞬きの間も同じだ。
「アルヴィティエル」
  落胆したような声と供に、サイファーはテーブルを蹴り上げた。食器やグラス、テーブルクロスが宙を舞って脇に落ちる。すっきりした、とでも言うように、彼は堂々と足を組んだ。両側の女達は悲鳴を上げて逃げ出した。
  客としてはあまりな態度に、トラフィカンテの部下達が懐から銃を取り出そうとした。その銃口がサイファーに突きつけられる前に、彼の周囲に不可解な重力がかかり、彼らは膝を折った。
  あまり騒ぎを広めたくなくて、ミストは足早に階段を下りてサイファーの前で歩みを止めた。
「お前を捜すのに何人犠牲になったか知れんな。そろそろ戻って来たらどうだ。いい加減頭も冷えただろう?」
「…嫌です」
「実力行使に出ても良いんだぞ?…ああ、それともあの女を喰おうか?」
  サイファーは底冷えするような瞳でパムレードを見つめる。彼はミストが彼女と交わした、他愛ない契約を知っているようだった。
「いくら貴方でも、それだけは許しません」
  自分の背後を守るように、ミストは片腕を上げた。忘れようとしても忘れられない胸の痛みを無理に押さえつけた。
「なら、どうすればいいか解っているだろう…?」
  長身が立ち上がり、ゆっくりとミストの傍へ近付いた。憎しみすら込めて睨み返す藍色の瞳が若干動揺に揺れている。
「人を物のように扱わないでいただけますか」
「今更。お前は俺の物になることを許諾しているし、そう望んだだろう」
「貴方はッ…何も解っていないくせに」
  図星を突かれて苛立ちが募った。
「……では、お前は俺の何を解っている?」
  ぐい、と腰を引き寄せられて唇が触れ合いそうなところで凄まれた。上目遣いの瞳が、ミストを捉えた。その色は闇の底を思わせた。
「会いたかった」
  一瞬それが幻聴かと思った。あまりに呆気にとられていて、警戒することなく半分開いた唇は、疑問を告げる前に塞がれてしまう。
  ちゅ、と音を立てて唇を舐め取られ、より深く貪られた。顎を捕まえられ、乱暴になるぎりぎりのところで舌を絡められる。快感でざわりと鳥肌がたって、あいた手がサイファーのスーツの裾を握った。
  久しぶりと感じるほどの時間が経っていたわけではないと思ったのに、20年という時間差には夢中になっていた。
  漸く唇が離されて、目尻を紅く染め、潤んだ瞳でサイファーを見つめた。にやりと笑った男は、ミストの濡れた唇を指で拭った。
「…そう言われたかったんだろう?」
  耳朶を噛まれて告げられた言葉に、ミストは正気に戻った。腰に回された腕を振り払って、一歩背後に下がった。
  その背に何かがぶつかって、ミストは瞳だけで背後を見た。パムレードが立っていた。
「誰だか知らんが、私のコンシリエーレに手を出さないで貰おうか」
「……いい度胸だな、誉めてやる」
  驚いたことにミストでさえ怯えるようなサイファーの視線に、パムレードは悠然と立ち向かっていた。腕を組んで、顎をつんと上げた。
「伊達にこの都市でボスをやってるわけじゃない。お前のような輩が怖くて勤まるか」
「パム…、いけない」
「黙れアルヴィティエル」
  漆黒の瞳同士が睨み合った。爆心地のような危険さで、迂闊に手を出そうとする者は誰一人としてこの場には居なかったのだが、プレッシャーから解放されたトラフィカンテが地面へと銃弾を撃ち込んだ。物音に気が削がれたのか、パムレードとサイファーがトラフィカンテを睨み付ける。
「僕の店とシマでこれ以上の騒ぎは勘弁願いたいな。痴話喧嘩は自分のシマでやってくれ、ミス・アレクト」
  目前で全てを見てしまったトラフィカンテファミリーのボスは呆れ顔で出口を指さした。
「ミスターサイファー、異論は無いだろうな。合っても聞く耳は持たないが。殺し合いは他でやれ。―――ついでに、修理費は置いていけ」
  場違いに楽しそうな雰囲気を醸し出すサイファーは、その言葉に鼻を鳴らした。懐から財布を取り出して、金色のカードを一枚抜き出す。指に挟んで投げつけると、人にあるまじき反射神経でトラフィカンテがそれを掴んだ。
「好きに使え」
  レカノブレバスで一位にある銀行のカードだった。特別顧客用のそのカードに度肝を抜かれながら、トラフィカンテはスーツのポケットにカードを滑り込ませた。
「近いうちに会合を開いてくれよ、パムレード!」

***

 黒塗りの車の後部で、ミストとパムレードは無言だった。ミストは組んだ指を額に当てて、項垂れるように座っていたし、パムレードは足を組んでふんぞり返っていた。
  針路はグライアイファミリーの邸宅だ。
  レストラン『クレメンザ』で騒ぎを起こした例の男は、背後のスポーツカーで大人しくついてきている。一緒の車でも良かったのだが、パムレードは得体の知れないあの男を乗せる気にはなれなかった。
「ミスト、あれは誰だ」
  明らかな命令だ。
「お前に行った所行はもとより、あいつの態度如何によっては命はないかもしれんぞ」
「パム…」
  ミストは追求を遮った。この少女と出会ってから、人間の擬態をしてきた。しかし今、揺さぶられた感情の所為で本性が垣間見えそうになっていた。
  これ以上誰かに不当な命令を受けたら、制約をかなぐり捨てて抵抗したくなる。
「私が『何』なのかを解らせるために実力行使はしたくない。私の可愛いパムレードのままで居てください」
  長嘆と供に苦い物を吐き出すような苦しそうな声だった。
「貴方が人間じゃないことなんて、知っているわ。何度助けられたか、その度に私は貴方が特別なんだと思っていた。―――それでも、今まで私は貴方のことを何一つ聞かなかったでしょう?」
  ミストの手を取って、握りしめた。
「貴方を守るためなら、他のファミリーと戦うことになっても構わないわ…」
  ミストはそれを聞いてかぶりを振った。せっかく彼女を此処まで育てたのだ。そんなことを、ただの私情のために掻き回してはならない。
「あの男は、私の―――、私の…王であり、主です。私など及びもつかない力を持ち、私を従わせる権利を持っています。主従関係の差でいえば、失礼ですが貴女などお呼びも付かないでしょう」
「それは見ていれば解ったわ。同じ人間には思えないもの」
「力関係でも私は彼の直属になります」
「じゃあ、何故貴方はここにいるの…」
「………」
  言葉に窮した。
  堂々と言える内容でもなく、また聞かせたくないのが本心である。出来れば誰にも知られたくはない。
「…それに関しては、酷く私情問題です」
「…………………やだ。本当に痴話喧嘩なの…………?」
  パムレードのあまりの台詞に、ミストは非難する視線を向けた。

 グライアイ邸。エニューオ地区で最も警戒態勢の厳しい地区にその館はあった。正門から館までは車で数分。月明かりに照らされる砂利道を三台の車がゆっくりと走っている。噴水をぐるりと回って、一台目からこの館の当主とその相談役が下りた。二台目のスポーツカーからは、黒スーツの男だ。三台目は数人の男女を下ろして走り去った。
  黒い男は玄関で待ちかまえていた執事に車のキーを投げてよこした。
  パムレードは無言で男に振り返り、顎で入室を促して屋敷に入った。階段を昇り、執務室に向かう。部下達はそれぞれの持ち場に戻っていく。ミストが傍にいる限り、パムレードに傷が付くことはないと理解しているのだ。
  パムレードは執務室に入ると、飾り棚からグラスを三つ取ってブランデーをそそいだ。琥珀色のそれをゆっくり喉に流し込んで二杯目をつぐ。
「酒でも呑んだらどう?」
「有り難いね」
  方眉を上げてサイファーが大袈裟に肩を竦めた。ミストは相変わらず無言だった。
「今更かしら?私はパムレード・グライアイ」
「うちの天使がお世話になったようだな。俺のことは好きに呼べ。ルイス・サイファーってのが最近の通り名だが」
  相変わらず笑みが絶えなくて、ミストはそれで漸くいつもと違うことに気が付いた。無表情というわけではないが、彼は元からこれほど軽薄だったわけではない。何故こんなに笑顔なのか。あまり良い兆候では無いだろう。
  ちらりとサイファーを盗み見れば、解りきっていたのか黒曜石の瞳がミストを捉えた。瞳の奥に篝火のような怒りを見て、ああやはり、と確信する。
  だがこの胸の痛みを思えば、彼が自分に対して怒ろうとどうでも良かった。私だとて、耐え難い怒りを抱いている。冷酷な怒りを宿した宵闇色の瞳が睨み返す。
「ねぇ、だから何よ。痴話喧嘩なら貴方の部屋へ行きなさい、ミスト。一晩他のファミリーを押さえつけて置くくらいはできるわよ」
「一晩じゃ足りねぇかもな」
「黙ってください、私は貴方と話し合う気はない」
  切り裂くような口調に、サイファーの瞳がすっと細くなる。
「話し合うだと?お前の口を割るのに、もっといい方法があるだろう?」
「放してください!私にその気はないッ」
  背後からミストを羽交い締めにして、サイファーは楽しそうにその首筋に顔を埋めた。ゆっくりと息を吸い込んで、懐かしむように鼻先で肌を探った。
「いい匂いだ。やはりお前がいいな。人間は一度で死んでしまってつまらない」
「ミスターサイファー、私の愛しい天使を傷付けないと約束するなら部屋の場所をお教えするけれど?」
「パム…!!」
  がしがしと髪を乱して、うんざりとした表情で自分の相談役を売り渡そうとしたボスに、ミストは悲鳴に似た声色で名を呼んだ。
「確約しかねるが、努力くらいはしてやってもいい。それに元々、これは俺のものでな」
「あら、でも今は私の大事な人よ?…少なからず、私は怒っているわ。私のミストを困惑させている貴方を 、ナイフダーツの的にしてやりたいくらいには」
「それは痛そうだ」
  サイファーは声を立てて笑ったが、ミストを放すことはしなかった。
「上の階に上がって左の突き当たりよ。盗聴器なんか仕掛けないから、仲直りして頂戴」

 ミストは売り渡された。

  

「家族を大切にしない奴は男じゃない。」 ゴッドファザー、ドン・コルレオーネ
ようやく出てきたノイズフェラー。例の如く次回はエロですょ。
2004/09/12

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