4.貴婦人の晩餐

Starved+Mortal

 廊下が長い。

 メリアドラスの加護を受けたことだし、寝て過ごすのもいい加減あきた。アグライアにいたときでもこれだけの建築物を拝んだことはない。無尽蔵に延びる通路と階段に、子供のような好奇心が湧いたが、いくつも角を曲がらないうちにめげた。
「迷った……」
 ちょっとしたホールのような場所、左右に扉、正面に廊下は続く。
 立ち止まってため息をつき、思い切りネクタイ(メフィストに締められた)を緩めた。
 と、とりあえず今日は帰ろう……。回れ右して肩を落とす。……ちゃんと帰れるかな、俺。
「やっと見つけましたわ!」
 いきなり声を掛けられて、飛び上がるぐらい驚いた。後ろから足音が聞こえる。振り返ると三人の女が小走りでやって来た。
「ほらごらんなさい、あたくしの言ったとうりでしょう?」
「噂を聞いてからずっと探してましたのに、やっと出てきてくれましたのね」
「放されてるということは、好きにして可ってことですわ」
 行動を起こす前に囲まれた。か、かしましい!!
 だがそれも気にならないくらい、三人がそろって美女揃いだった。惜しいことに三人とも吸血鬼だが。
「あの〜、道聞きたいんだけど、教えてくれない?」
 会話に割って入ると、三人がいっせいに俺を見つめた。よく見ると、三人ともきわどい服装だ。
 身体のラインがはっきりあらわれていて胸元も広い。肌が透けて見えそうな薄布だったり、黒光りするボンテージファッションだったりする。見えそうで見えない微妙なところが男心を非常にくすぐるニクイ演出だ。
「まあ、かわいそう!迷ってしまわれたのね」
 あま栗色の髪で革のドレスを着た女が瞳を潤ませて言った。そのまま俺の腕に抱きついて、身体をすり寄せる。
「この城は広いから疲れたのじゃないかしら?」
 おっとりした口調は右から聞こえた。薄い緑の髪と眼が神秘的な美女が俺の手を取って、自分の胸元へ押しつける。
「少し休憩なさったらどう?」
 上目使いで黒髪の女が聞いた。彼女は俺の返事も待たず、ネクタイをつかんで引っ張る。
 手近な部屋に連れ込まれて室内のベットに誘導された。
 俺、すごい貴重な経験してるんではないだろうか。ハーレム万歳!!
「いいのか?気が早くない?」
 俺としては受け入れ態勢万全だが、念のために聞いてみる。
 いや、断られても困るが。最近ちょっとたまってたしな。今夜は寝かせないぜ子猫ちゃんってかんじだ。
「遅いくらいですわ」
 俺の下心をどう取ったのか、三人は邪悪とも映る妖艶な表情で俺を押さえつけた。
「ご心配なく。私たちに任せればすぐに気持ちよくなるでしょう」
「あなたは横になっているだけでいいんですの」
 茶髪と黒髪ボンテージが、俺の指をあま噛みしながら言った。
「この国でこれだけ極上な獲物が頂けるなんて、感謝しなくてはいけませんわね」
「は?なんか言った?」
 萌葱色の吸血鬼が俺に馬乗りになって笑う。清楚な雰囲気の女性が、ベットの中で淫らになるのは社交界の常だった。それはここでも当てはまるらしい。
 人差し指で頬を、首筋をたどり、素早い動きで俺のネクタイを抜き取ると、俺の両腕をベットにくくりつけた。
「縛られるより縛る方が好きなんだけどなー、俺」
 ってゆうか、縛る方専門なんだけどな。まあ、いいか。新鮮で。
 期待に胸躍らせながら待っていたが、おいしい話はそうそう上手くいかないものだ。ボタンを外され、地肌があらわになった途端に彼女の表情が驚愕に変わった。
「純血(ロードブラッド)の二重印章(ヘキサペンデュラム)!?」
「は?」
 何?何語?
 俺が疑問符を飛ばしてる間に、三人が一歩下がって俺を見下げる。まるで汚いモノでも見るような目つきだ。三人の目線は俺の胸元。ちょうどメリアドラスが血をなすりつけたあたり。
「なんですの!売却済みなんですのっ!?」
「こんな姑息なマネをしやがりますのは卑怯ですわ!!」
「そんなに大切なら泳がせないで飾っておけばよろしいのよ!!」
 口々にわめき立てるが、はっきり言って俺には内容が理解できない。

「これじゃあ、わたくしたち、おいしくお食事できませんことよ!!」

 ちょっと待て、いまなんつった!?楽しくみんなでエッチするんじゃないのか?
「あんたたち俺を騙したのか?」
「何のことですの?!騙されたのはこっちですわ!てっきり判ってて餌食になるのかと思いきや、ちゃっかり吸血王の加護下にあるなんて!!」
「こんな憎たらしい人間なんて興醒めですこと!」
 ふん、と鼻で笑うと、足音も盛大に三人は部屋を出ていった。俺を残して木製の扉が大きな音を立てる。
「…………」
 何だったのよ……。まるで嵐のような猛攻の後、放置されちゃってる俺って一体…。
「それより、このまんまかい俺?」
 静寂につっこみを入れるが、こだますら返って来ない室内で、ベットが虚しく軋んだ音を立てた。
 くくりつけられた手首はびくともしない。
「ちょーかっこわりー……」
 まるで変態さんのようでわないか!!嬲っていたぶるのは俺の趣味だが、縛られて喜ぶのは俺の趣旨に反する。
 くそっ!せっかく四人でウハウハ(死語四半世紀)だと思ったのに!俺のみなぎる若さをどうしろってゆうんだ!
 無性に腹を立てながら手首を動かすが、布が擦れて痛いだけで解けそうな雰囲気はいっこうに伺えない。
「………メリーちゃんの所為か」
 ご立腹倍増だぜ。加護だか何だか知らねえが、おかげでいい女を三人も逃した。まあ、多少の血を吸われるかもしんねーけど、ただでエッチできたかもしれなかったのにぃ!!ってことは、もしかして三ヶ月間女無しか?……ずーん(凹)。
「……メリアドラス!!」
 力任せに怒鳴る。嘘つかねーなら来てみやがれ!!
 期待はないが、あいつの言葉を信じてみよう。なによりこのまま緊縛されたままってのは、あまり笑える状況ではない。
 突然ドアが開いた。黒い影のようにメリアドラスがそこにいる。………早っ。
 彼は扉を閉めて無表情で俺を見つめてこう言った。
「趣味か?」
「アホ!!開口一番それかっ!!はたくぞ!」
「その両手でか?」
「マジ殺す」
 ほんとどうしてやろうかなこいつ……。
「そう怒るな。だいたいの予想はつく。アーテュアラス三姉妹にやられたのだろう?」
「名前は知らねーが、茶髪黒髪緑の髪の三人だ。お前のおかげでチャンスがパーだぜ」
「水を差して悪いが、あの姉妹は性欲より食欲が先に立つ。食材にされた時点で生きる望みは無い」
 それもどうだろう。結果的にまた助けて貰ったワケか?ムカツクな。
「まあ、いいわ。これ外してくれ」
 はたくのも蹴飛ばすのもどつくのも後だ。とりあえずこの状況を脱しなければ。
 しかしメリアドラスは簡単に望みを叶えてくれなかった。
「据え膳食わぬは恥だろう?」
「いや、据えてないから、俺」
 聞こえなかったとでもいうように、メリアドラスは俺にのしかかった。シャツの間から忍び込んだ手が、ゆっくりと肌を撫で上げる。ゆっくりと何かを探るような指使いが、身体の奥に灯をともす。声を上げそうになって慌ててそれを嚥下した。
「…卑怯だぞ…、メリー」
 絞り出すような抗議も、くつくつとした低音の笑いで答えられる。首筋に啄むようなキスをされ、その何度かは思い切りきつく吸われた。
「……ん…ぁっ……」
「いい声だ」
「ざ……けんな!」
 耳朶を甘噛みしながら、重低音が囁く。
「せっかくその気になったのに残念だが、私はここで最後までする気はない」
 顔に似合わず老けた笑い声を聞いて頭に来た。さっきから人を小馬鹿にしたように笑いやがって、性格悪いぞ、お前!
「誰がその気になるか!」
 憤慨して怒鳴るが、馬鹿にしたような笑いが消えることなはい。造作もなくネクタイを解かれて、やっと自由になった手首をさする。肌に紅い跡が残っていた。
「やれやれだな」
 ベットを降りて身体をほぐすついでに伸びをすると、後ろからメリアドラスに抱きしめられた。悔しいが、こいつは俺よりひとまわり程でかい。顔は俺より若いくせに。
「……オイ」
 油断も隙もねーな、ほんとに。
「私は思ったほど我慢強く無いようだ」
「顔も理性もガキと一緒か…」
 やさぐれて呟いた途端、視界が揺れた。地面から足が離れ、俺はメリアドラスに抱き上げられていた。そのまま窓まで連れて行かれる。ガラスの向こうに満ち欠けの異なる三つの月が爛々と輝いていた。
「ちょっと待て!早まるな!!俺が少し悪かった!」
 慌てて挽回するも聞き入れて貰い無い。
「私を子供扱いできなくさせてやろう」
 無機質に言うとメリアドラスは窓を開け放った。吹き抜ける風に髪がなびく。メリアドラスの長い黒髪が夜空の闇にとけ込んだ。
「捕まっていろ。落ちるぞ」
 窓の下を覗き込んであまりの高さに抵抗を諦めて素直に従った。服の端を掴んだのだが、メリアドラスが異を発する。
「首に回せ」
 なんでよ。どこでもいいじゃんよ。胸中で文句を言いつつ渋々両腕をメリアドラスの首に回した。
 それを確認した途端、メリアドラスはいきなり跳躍した。
「うわっ!!」
 急激にかかった重力に頭痛がする。とん、という足音が聞こえてさらに跳躍感が増す。首に抱きつくようにしていたが、恐る恐る目を開けると眼下に広がる風景は絶世だ。
 だが景色に感動する間もなく、見慣れないテラスに着地した。
 メフィストとお茶をするいつものテラスとは違う。ここはもっと生活感がある。
 座りやすそうな読書チェアーのサイドテーブルには、読みかけらしい分厚い本が広げてあった。
「どこだよ、ここ」
 両腕を放して問う。地面に降りたのにメリアドラスはまだ解放してはくれない。
「この城の最上階。私の部屋だ」
「……は?」
 部屋?考えてみれば、メリアドラスもメフィストもウィラメットも、ちょくちょく顔を合わせるがどこから来てどこへ帰っていくのか知らない。
 抱きかかえられたまま室内へ入ると、俺は言葉を失った。
 乱雑に整頓された室内のあちこちに本が積み上げられている。適度の間隔を開けて椅子とテーブルがあり、その上にはやりかけのチェスや書きかけの本など様々な物がのっていた。
 室内は広い。キングサイズのベッドの先、ドアの扉は開けられたままで隣の部屋が少しだけ垣間見える。ひとの気配がある、生活感の漂う部屋。
 地に降ろされて、室内を散策していると、壁に掛けられたあるものに目が引き寄せられた。足早に近づいて確信する。それはよく見覚えのあるものだった。
「……『銃』?」
「ほう、銃を知っているのか?」
 感心しているような試すような目で俺を見る。
 知っているも何も、これは……。
「なんでお前がこれを持っているんだ!?」
「それの主が私だからだ」
「……だって……これはソロモンの『青炎銃(ビフロンズ)』……」
 青白く光る円柱の筒、見間違うはずはない。俺の知る限り『銃』を持っていた人間は一人だけだ。
「やはり、お前はソレイモルンの血を引いているのか」
「なっ!!叔父貴を知ってるのか!?」
 驚愕と疑問と怒りが一気に身体を駆けめぐった。
 ソレイモルン――ソロモンは、俺の叔父だ。育ての親であり、退魔の師匠でもある。実の両親に放り出された俺を文句も言わずに育ててくれた。俺の認める愛すべき肉親。ただ一人心を許した、俺の休息地のような存在。
 彼がいつも身につけていた『銃』は仕事の時しか使われなかった。三都市のどこを探しても『銃』と呼ばれる武器は存在しない。皆これが何だか判らないだろう。だが、ソロモンはいつも俺に、これは友人に貰った大切な物だ、と話して聞かせた。幼かった俺はいつも羨望の眼差しを向けたものだ。
 その叔父は、十年前に旅に出て、それから消息を絶った。
「叔父貴は……ソロモンはどこにいるんだ?!」
 メリアドラスに必死に詰め寄る。俺はずっと待っていた。必ず帰ってくると言った言葉を信じて、あの人が帰ってくるのをずっとずっと待っていたんだ。
「私は知らない。だがあいつはもう生きてはいない」
「なっ……!!」
 なんでそんなことが判るんだ。思いは言葉に成ること無く、俺の中に怒りが生まれた。
「嘘だ!」
「嘘ではない。事実だ」
 返すメリアドラスはあまりに素っ気ない。
「人間は脆い。あきらめろ」
 事も無げの口調が頭に来て、無意識に腕が動いた。乾いた音が室内に響く。俺はメリアドラスを平手で打っていた。   
「………」
 打たれた頬は変化無かった。人間のように鬱血しない。痛みを感じないのか、まったく表情を変えず、メリアドラスは俺を見つめる。
「泣くな……」
 泣いてない。流す涙などとっくに枯れた。
「お前の感情は私に響く。……お前は一人ではない。私を信用しろ。お前が使いたいように、私を使え。お前には私がいる」
 低い囁きが一言一言耳に響く。メリアドラスは俺の手を取り何度も口付けて、頬に重ねた。
「お前の望みは、何だ?」

 知りたいことが、ただひとつ。

  

我慢強くないのは、メリーではなくて私です。

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