6.其か在らぬか

Starved+Mortal

止めようにも止まらなかった悲鳴が室内に響いた。呼吸は荒い。動悸も、荒い。
 肌をつたう指が、しなやかでひどく淫らで。
「……お前……サイ…ッテー…」
 息継ぎで途切れがちに言った。開放感と、軽い倦怠感。ちくしょう。意識、飛ぶかと思ったぜ。
「遺憾だ。良く、なかったか?」
「…知る……かっ!」
 様々な感情が胸中で渦巻いている。息が、荒い。

 キスから始まる、お決まりのパターンで押さえつけられた。おれはメリアドラスをなめていた。そのツケは大きい。
 挑戦的な目で、きちんと着こなしたネクタイを片手で取り去り、前のボタンをいくつか外す、手慣れたそれでいて凄艶なまでの仕草に、憑かれたように見取れた。
 薄く笑う口元と情欲に飢えた瞳が、いかに本気だかダイレクトに判る。一瞬あまりの豹変ぶりに、抵抗することさえ忘れた。

 ……こいつ、誰?

 本心から思う。俺は騙されてた。絶対騙されてた。今までの絡みは、何だったんだろう。ガキ扱いを後悔する。もう何人の女とやったか忘れたが、凄腕の娼婦でさえこいつの笑みには敵うまい。
 耳、首筋、鎖骨、胸へとゆっくりとした舌の愛撫は、想像を絶する熱を呼び覚まし、後が残るか残らないかの微妙な爪の軌跡は、俺でさえ知らなかった敏感な箇所を的確に見つけていった。
「んんっ……!」
 漏れる、喘ぎ。なま暖かい舌で直に加えられる刺激に、鳥肌が立つほど震える。悔しさと羞恥とそれに勝る快楽。
 メリアドラスが笑ったその微かな息づかいでさえ肌を焦がす。
「…はっ、……あ…ぁあっ……」
 指と舌で容赦なく、手加減さえ一切無く追い上げられる。聞き慣れない自分の喘ぎが嫌で力の入らない手で口を覆うが、抑えきれない声が漏れた。
 考えまいとしても、メリアドラスが何処を舐めているのかが、手に取るように判って辛い。上手い女は何人かいた。だが、これに比べたら遊びだ。舐めて咥えるだけ。そんな行為に、これだけ翻弄される。
「どこ…で、覚えん……だよ、…こんなっ…ぁ…あああっ!」
 鈴口を舌で割られて、目の前が白くなる。そのまま口内で弄ばれ、堪らなくなってシーツを握りしめた。嚥下する喉の音が聞こえる。……も、信じらんねー。
 何度目か、数えられる思考能力はもう無い。
「限界か?」
 人を食ったように聞く、その言い方に頭に来た。
「……この色魔め」
「後悔しても知らんぞ」
 口調とは裏腹にその瞳は楽しそうだ。
 体を起こして俺の脇に手をつき、顎を捕まれて指を二、三本。無理矢理咥えさせられて舌を絡め取られる。意外に、苦しい。
「そそるな、そんな顔も」
 どんな顔だ!言い返すこともできないので、せめてもの抵抗にひと睨みするも、逆にメリアドラスを喜ばせただけだった。こいつ、絶対サドっ気あるな!俺と好みが一緒か!?
 指はそのままに、耳朶を甘噛みされる。舐められる。舌に爪が刺さって、それさえも刺激になる。閉じられぬ口から飲み込めぬ唾液が、自分の顎とメリアドラスの手首を伝う。漆黒の髪が、静かな音で俺の身体をくすぐった。
 快楽の余韻を残して、指がゆっくりと引き抜かれた。
「……は……」
 甘くため息をもらした束の間、その衝撃はやってきた。
「……っ……!」
 唾液の滑りを利用して、メリアドラスの指が体内に入ってくる。思わず堅く目を閉じた。
「やっ…っ……はぅ」
 痛くは、ない。だが、押し開かれるような奇妙な感覚が馴染めない。知識としては知っている。男相手は一度もないから、経験はない。ましてや自分が犯される方だと、思うはずもない。
「…んんっ……」
 何のための行為か、理解かるけど、それにしてもこれは…。普通指でならすのは、自分が辛いから八分、相手が辛いから二分ってとこなのに(持論)、メリアドラスは相手を悦ばす為に指を動かしている。後ろでよくても、俺的にショックなんだけど。男としてプライド捨てろっつってるようなもんじゃねーか。
「カグラ、辛いなら言え」
 腰に響く重低音。聞き入れるのも癪なので返答を拒否すると、メリアドラスはそれをどうとったのか、太股の付け根に歯を立てて指を増やした。甘く噛まれたほうに意識が偏って、そっちに注意を払えなかった不意の刺激。指が奥に進むのが、判る。爪のリーチ分もあるが、こいつは指が長い。馬鹿みたいに意識すると、頭から振り払うことができなくなって赤面した。
 意図的にゆっくりと進められる指が、意地の悪さを表している。突然不意打ちのごとき刺激で、思考まで一時中断させられた。
「んあ、…ぁ……あっ…はっ……あああっ!」    
 いきなりの快楽。メリアドラスの指がそこに触れただけで、断続的に声が漏れた。突然のことに沸く混乱と恐怖。理性が飛びそうになる。自分の思考をまったく無視した、暴力ともとれる快感が全身を支配した。
「ここ、か?」
 オヤジかこいつ!!卑猥ともとれる笑んだ声で聞きながら、容赦なく体奥を指が探る。バラバラに動く指と、時折ひっかくようにえぐる爪が、俺を焦がし疼かせる。
「馬…鹿、ヤロっ!……男なら……んっ…誰…で、も……あっ!」
 文章が言えない。男性特有の一番の性感帯を直に弄られて、反応を返さないような奴は男じゃない!ビョーキだ!心の中で叫ぶも、実際口から漏れるのは母音の喘ぎだけで、情け無くなる。
 それでもせめて耐えようと、快楽を欲しがる身体をなけなしの理性で押さえつける。だが気付かぬうちに増やされた指が、どうしようもない程に俺を煽り、理性など紙のように破れ、勘弁してくれと懇願しそうになった時、メリアドラスは耳元で紳士的にこう聞いた。
「『食事』っても、いいか?」
 言葉の意味なんて、深く考える余裕はない。熱い霧のかかった頭で思うことはただ、この中途半端な状態から抜けることだけ。
「も…好きに……すれば…」
「……後悔はさせん」
 獣のような低い唸りに、諦めと同じくらいの期待、そして少しの恐怖。
「…うんっ……」
 いきなり引き抜かれた指でさえ刺激になる。さらに足を開かされ次に来た衝撃は、指の比などではない。押し開かれる痛みと、確かに混ざる快感に甘い悲鳴があがった。苦痛で浅くなった呼吸をメリアドラスに捉えられ、ろくに応えもできぬままに口唇を蹂躙される。
 息苦しさに鼻で呼吸をしたその時、鼻腔をくすぐった甘い匂い。身体の奥が痺れるような、甘ったるい芳香が痛覚神経を麻痺させる。身体から、何か亡くすような、感覚。
 後に残ったのは、痛みではない確かな快絶。  
 押さえつけられた背中の感触が消える、目眩を伴う浮遊感が、一瞬だけ身体をよぎった。だがそれは本当に一瞬で、それを疑問に思う間もなく打ち付けられた淫らな感情が全身を支配した。
「…ん、…んっ……んんっ……!」
 指よりもっと激しい、指よりもっと熱い。想像していたよりずっと大きく硬いものが、幾度も引かれ幾度も最奥を突かれる。
 口を塞がれていて上手く呼吸ができないのに、苦しくならない。ともすれば絡まれる舌の方が熱い。下肢からの粘着音と唾液が絡む卑猥な音が耳にうるさく、自分ではどうしようもない悦楽で、メリアドラスの背に腕を回した。汗ひとつかかないと思った白い肌は熱く濡れていて、俺は張り付いた髪事背中に爪を立てる。
「はっ、あっ……ん、んんっ……やぁっ…!!」
 やっと解放された口唇からは、揺さぶられた振動に呼応するように喘ぎが漏れる。前立腺を乱暴に押される、指とはまったく比較にならない重質な突き上げが意識さえも灼いていく。
「…メリ…ぁ…!」
「ちゃんと呼べ」
 それは強制に近かった。
「メリ…ア、ド……っ…ラスっ…」
 魔物が、笑う。

 もう、何処へでも、堕として。


***


 刹那的になっていたのかもしれない。そうとしか思えない。
 身体使って楽になるなら、幾らでも寝る。好きにさせてやる。
 でも、それとは違うだろ。
 「愛してる」って、何?
 すぐに死んでしまう生き物と、老い死ぬことのない生き物の違いは何。
 信じたら、俺は抜けられない。溺れてしまう。
 誰よりも、何よりも、あいつは優しすぎる。俺の望むものを全てあたえてくれる。
 物ではない、揺るぎない、確かな………。


 裸足で、泥道を駆けている。泥濘が酷すぎて、何度も何度も転ぶ。それでも、立ち上がって泥道を泣きながら走る。
 荷物が、重い。あまりに、重い。それでも、泣きながら走る。
 翼は使えない。所々折れて、羽根もなくて、短くなって、もう飛べない。
 朝露に光る緑の向こうに、美しい虹が見えた。俺は、虹を越えていかなくてはならない。 泣きながら走って、息ができなくなるほど走って、崖から、落ちた。
 これで、楽になれる?もう、走らなくていい?荷物、捨てていい?
 天にむかって手を伸ばす。意味もなく、空が高くて、目が眩んだ。
 がくんと、肩が外れそうになる。
 激痛に目を見開いたら、俺を引き上げる腕があった。顔は、見えない。
 地に足がついたとき、小鳥のさえずりが聞こえた。
 そこは、均された道。
 背中が軽くて振り返ると、後ろには美しい虹。
 押される、促される優しい手。辺りにあふれる、鳥の羽根。俺は礼も言わずに歩き出す。
 強いか弱いか、確かではないが。

「変な……ゆめ…」
 うっすら目を開けるとそこは闇の中。瞼が重い。
「目が覚めたか?」
 誰かが、何か言っている。よく、聞こえない。
「…羽根…治って…」

 意識が、薄れた。

  

そかあらぬか、そうであるかそうでないか。何が?

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