7.獅子が囀(さえず)る甘い声

Starved+Mortal

 抜けられなくなるじゃないか。
 溺れてしまうじゃないか。
 せっかく忘れてしまったのに、思い出させるなんて酷い話だ。
 できることも、返せるものも少ないのに、欲しがることだけは人一倍強くて。
 だから、だめなんだよ、俺は。
 あんたを、もっと欲しがるから。


***


「ご機嫌いかが?などと、聞くまでもないのぅ、ラス様?」
 楽しんでいるのと呆れたのが半々、そんな顔でメフィストがにやついている。
「肩と背中の爪痕、わざわざ残してないで消したらどうですか?」
 隠そうにも隠しきれていない笑みを口端に残し、ウィラメットが口に手を当てる。
「何しに来た」
 ベットの下に放ってあった上着を拾って羽織り、うんざりしながら尋ねる。答えは聞かずとも判っているが、言葉の中には暗に「帰れ」という意味合いも含まれていた。命令ではないが。
「やだなあ、そんなに邪険にしないでくださいよ。ただ僕たちは、嫌味なくらい『食事』の気配が伺えたので、カグリエルマさんのために」
「わらわがリリムベリーのジュースをこしらえたのじゃ」
 いらぬお節介と野次馬根性が適度に混ざり合った二人組は、息もぴったりに言う。
「……あまり大きな声をだすな。これが起きる」
 いつもの三つ編みは解けて少し波打つ橙色の髪が、白いシーツにアクセントを添えている。ボタンも留めずに着ているシャツはメリアドラスの物で、首筋に残る紅い痕と相まって事後の色香を残していた。
 メリアドラスは脇に座り、髪を梳く。
「『これ』とな!?厭らしい男よのっ」
 メフィストが馬鹿笑いしながらメリアドラスを指さした。
「そんな、メフィスト、メリアドラス様は厭らしいの権化みたいなヒトじゃないですか」
 朗らかに笑いながらウィラメットは嫌味を言う。
「人のことが言えるかの、ウィラメット。そちもたいした物好きじゃろ」
「言えますよぉ。僕、メリアドラス様から吸血貰ってますから。親に似るんじゃないですか?体力とテクニックは及びませんけどねぇ。あっはっはっ」
「それもそうよの!わらわもラス様より賜っておるが、男じゃないから、そう頻繁に性欲は沸かないがの。ほっほっほっ」
 二人が笑う。『これ』が起きる気配を感じて、メリアドラスはそれを無視した。


「…ぅ…ん……?」 
 笑い声が聞こえた。高い、少女の笑い声。メフィストが起こしにきたのか?濁る頭では、ろくに思考が働かない。おれ、ここまで寝汚かったか?
 瞼をあげることさえ億劫で、顔を枕にすり寄せる。その時頬に触れた暖かさに覚えがあった。
「……?」
 不思議に思って目を開けると、細い瞳孔を持った紅玉の双眸と視線が合う。愛おしそうに目を細め、髪を梳いて頬をなでる仕草。眠る前と同じ仕草。
 恋しくなって、無意識に口唇を重ねた。自分から。
 触れるような軽いものだが、一瞬で目が覚めた。何やってんだよ、俺!ちょっとまて、成り行きだ!ついうっかりだ!深い意味はないんだ!寝ぼけてたんだ!
「か…っ…げほ、ごほっ…」
 勘違いするなよ!と、言いたかった。だが、裂けるような喉の痛みに言葉すら発せない。何度か咳をして、涙目になりながらメリアドラスを睨み付ける。
「…っ……」
「叫びすぎだ」
 判りきったようにしれっとほざく。してやったりといった、勝ち誇った笑みで俺を見下ろしていた。
「〜〜〜〜〜。」
 てめぇ…。原因誰だか判ってていってんのか、この野郎。  
「ほっほっほ。そう思ってわらわがこれを作ったのじゃー」
 恥じらい無く爆笑しながら、メフィストが銀のトレイを差し出した。真紅の液体が、モザイクガラスのグラスに注いであった。
 てゆうか、なんでいるの。いや、エッチした手前、メリアドラスと翌朝二人っきりも、そこはかとなくイヤだが、事情知ってますって顔した美少女に起き抜けにおちょくられるのもなんかイヤ。
「リリムベリーのジュースじゃ。喉にいいのもあるが、事後の疲労回復にいいぞ。半分飲んだら蜂蜜を入れるがよろしかろう」
「……………。」
 事後って……。疲労回復って……。お願いだから可愛い顔してさらっと言わないで。
 差し出されたグラスを受け取ろうと身体を起こしたとき、下半身に響いた鈍痛の所為でベッドに沈んだ。
 ………腰、たたねえ(怒)。
 メフィストが大爆笑した。後ろに控えていたウィラメットでさえ口元を覆いながら笑っている。なんでそこまで笑われなきゃいけないのだろうか。
「睨むなカグラ。おぬしの言いたいことは判っておる。人間の身であれは辛かろう、特に相手がラス様であればなおさらのぅ。うふふふふふ」
 同情の欠片もこもらない声で、メフィストが笑う。
「いやぁ、いいですねぇ。これを見るためにわざわざ来たんですからねぇ。新鮮ですねぇ」
 趣味悪ぃぞ、お前ら!!
「二人とも、いい加減に下がれ」
 呆れた声でメリアドラスが命令する。不平を述べるかと思われた二人は、優雅に一礼しそれでも笑いながらテラスの向こうに消えた。   
 途端に静かになった室内で、俺の動く衣擦れの音だけが響く。急に動くと鈍痛が走るので、そろそろと芋虫のように上半身を起こした。首筋をほぐすようにもんで、自分がシャツを着ていることに気づく。
 最後の方の記憶はあやしいが、二人とも何も着ていなかったような…。それにこれ、俺のシャツじゃねぇし。腕が長すぎるし。……うーん。今初めて、処女を捨てた女の気持ちが判った気がする。は、儚い……。
「飲んだ方がいい」
 自分の世界で悲しみに浸っていたとき、メリアドラスにグラスを差し出された。
 大人しく受け取ったグラスは水滴が付いているほど冷やされていて、真っ赤な小さな果実がいくつか液体の中に浮いている。これがリリムベリーというのだろう。一口含む。
「……ぅあっ。酸っぱ!」
 あ、声出た。ひび割れて掠れているが、痛みはない。二口三口飲んで、サイドボードに置かれた蜂蜜の瓶に手を伸ばす。
「……っ…」
 下半身に鈍痛が走る。だー、こっちの回復はしないのかよ。
「大丈夫か?」
 黙って見ていたメリアドラスは無表情に言い、トレイを側に置いてくれた。
「てめぇのおかげで元気だよ」
 礼の代わりに嫌味を返して、グラスの中に蜂蜜を注いだ。スプーンでかき混ぜながらすする。
「そう、毛を逆立てるな。傷つくだろう?」
「けっ、誰がだよっ!」
 睨み返したその顔は、真っ直ぐに俺を見つめ微かに苦笑する。…可愛いとこあんじゃねーか。
 文句を飲み込んで、小さくため息を付いた。あんな顔されて言及できるものではない。レイプされたわけでもないから責める気も無いが、俺の性格上素直に認めることはできないから。
 それよりも、さっきからずっと頭が重い。昨日(朝と夜の区はよく判らないが)の所為でだるいのとは違う。貧血のようにも思えるが、やはりそうとも違う。
「私に抱かれて、何か判ったか?」
「ストレートだな、お前……」
 呆れて言い返す。
 メリアドラスはにやりと笑い、長い足を優雅に組んだ。光すら吸い込むような漆黒の髪が広い背中を伝い、真っ白なシーツに影を落とす。ほんと、無駄に長い髪だよな。三つ編みしてやれ。
「カグラ、判ったことは無いか?」
「……判ったことねぇ。お前が絶倫だってこととか?」
「カグリエルマ」
「あー。男も女も相当くってるってことか」
「何故話題を逸らす?」
 そらしてるワケじゃないんだ。聞かれてる本意が判らないでもないが。
「まあいい。待つことには慣れている」
 ため息と共に吐き出し、メリアドラスは俺に近寄った。トレイをテーブルに戻し、耳元で低くうなる。
「判るまで繰り返す忍耐もある」
 思わず息を飲む。


***


 だらだらとベットに転がりながら、壁に掛かる銀色の銃を眺めている。
 うだるような疲労感が身体から離れず、指先さえ動かしたくない。目を閉じては眠れず、仕方なく目を開けてまたぼーっと壁を見る。
 メリアドラスは俺から離れず、ベットの背もたれに身体を預けながら分厚い本を読んでいた。何度か中身を覗いたが、書かれている文字さえ読めなかった。角張った記号やのたくった線が様々に組み合わさって頁を埋めている。
 …ああ、怠い。
「どうした?」
 穏やかな重低音の声。甘く囁くようなそれは嫌いではない。ソロモンも俺にはこういう話し方をした。
「……だるいー」
 二十歳過ぎた成人男性の言う台詞じゃねえな…。言ったそばから後悔する。
 それを聞いてメリアドラスは嬉しそうに苦笑し、肩を竦めて俺の髪を梳く。
 …相思相愛のピロートークじゃねえか、これじゃあ!!
「そうか…。久しぶりに腹が減っていたから、お前には負担かもしれん」
「何の話?昨日のことか?」
「そうだが、そうでもない」
「うん?」
「食ってもいいか?と、聞いただろう?」
「ああ?覚えてねえわ」
 言われたような気もするが、あの状況で覚えている可能性は薄い。
「不死族の食事は、高位になるほど多様になる。生命の宿る物質であれば、どれを摂取しようと、食物として扱うことができる。私たちの種族は吸血を方法としているが、なにも血液だけを主としているわけではない。血液に多く宿る生気を摂取しているに過ぎないからだ」
 『吸血』鬼なのに血液を摂取しなくていいとは、矛盾しているんじゃないのか。
「食物の生気を喰う不死族もいる。吸血鬼はどちらかといえば『人食い』の部類だ」
「で?」
「私は人間にそれと気付かれないように生気を吸うことができる。眠っているときに喰い殺すことなど造作もない」
「……俺が寝てる間にちゃっかり空腹を満たしたわけか」
「いいや。だから聞いただろう?喰っていいか、と。あの時喰った」
 ……何て奴だ!!まさに文字通りってやつじゃねえか!!
 半ば呆れて見返すと、奴は何事もなかった様子で読書に戻った。それにしても、今朝からこっち、メリアドラスは俺の側を離れない。いや、ここがメリアドラスの自室なんだからそれもしょうがないが、俺はこの部屋を出て何処に行けばいいんだ?
「体力が十分なときはさして重大ではないが、不調の時は行動に障害がでる程度だ。倦怠感、虚脱感…そういったものらしい」
「何で『らしい』んだよ!」
「私は捕食者側だから、被食者の身体影響を感じたことはない。それ以前に、不快な感覚などこの身体には持ち合わせていないな」
 虚脱を感じる吸血鬼というのも情けないものだが、下半身はしっかり人間のようなのに、中身が違うと言い切られると、やはり竦む。そういえば、中に出され……。
「どうした?耳まで赤いぞ」
「………このケダモノ!」
「カグラ?何だ、いきなり話が飛躍するな」
 そんな不思議そうな顔されてもな…。うう、止めた。よそう。思い出さなかったことにしよう。
「いや、もおいいわ。それより風呂」
 ぶっきらぼうな俺の要求にさえ、嬉しそうに微笑むこいつの顔を見ると何も言えなくなる。
 ダメだな、俺。この顔に弱い。今更ながら、警戒していない自分に気づいて驚く。初めて会った時から、こいつには本能の警戒をしたことがない。
 底辺で似ているから。コアな部分で、こいつは叔父貴に似ているから。嫌いになる要素が見つからないんだよな。愛とか恋とかそんな感情、もうとっくに枯れたと思ってたのに、引きずり出したのはメリアドラス。でも、俺は返すものはない。何も持ってないのに、独占欲だけは、人一倍強いんだよ…。
「カグリエルマ?」
「俺がここに来てどれくらい経った?」
「……一月弱といった所だろうが、突然、何だ?」
「メリー、お前のことは嫌いじゃない」
「………?」
「だけど愛しているかと問われれば、まだ俺は答えられない。そのへんの感情、忘れて何年も経ってるから。ただ、俺は、好きでもない奴に抱かれてやるほどお人好しでもないし、飢えてもいない。どちらかといえば男は抱くのも抱かれるのも勘弁な方だ」
 淡々と語り出す俺に静かに耳を傾けて、メリアドラスは頷く。
「知っている」
「……何で知ってるのかあえて聞かないが。まあ…うん、それだけ」
「心しておこう」 


***


「いつまでほうっておく気なんですか?」
 抑揚のない声でウィラメットが問う。蝋燭の光と柱だらけの小さな空間に、遠慮がちにそよ風が吹いた。
「わらわは今まで干渉したことはない」
「そうですけど……。カグリエルマは気に入ってるんじゃないんですか?」
 巻いたプラチナブロンドが、深緑のドレスに揺れている。メフィストは軽く腕を組み、ゆっくりとウィラメットの方に振り返った。
「それはお主であろ。…ラス様の後ろだと敬称も無しか?」
「僕は性格悪いんです」
「………知っておる」
 メフィストはため息を付く。それを横目にウィラメットは窓に歩みより、淡い発光を返す三つの月を眺めた。
「今回は、結構長いですから、僕も期待してるんですよ。……どうしてあの方は、判っていて何度も繰り返すんでしょうね」
 冷めた口調でぽつりと漏らす。
「それを言ったらお主も同じじゃ。学習が足りん。今回もまたわざと裂け目を築くのじゃろ?」
「ええ。でも、あなたもおあいこでしょう?毎回毎回その度に僕を助けますよね」
 笑みを含んで話すウィラメットに、メフィストは非難混じりに憤慨する。
「高位の魔物が減っては困るからじゃ!!今回は判らんからな!……魔人が関与したのは初めてだからの」
「気付いてましたか。……でも、だからこそ僕は手を出します。かわいそうなあの方のためにもね……」
 告げる瞳には、老獪な同情が込められていた。

  

企むウィラメット。ちなみにウィラメットはペンティアム4の開発コード名
私の吸血鬼達は、きっと刺激物に弱いのだろう。エスプレッソとか唐辛子とか。

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