8.風雲、急を…

Starved+Mortal

 月の光と、煌々と爆ぜる篝火が、曇り空を灼く。歩くのに困難ではないが、ぽつりぽつりではない混み方で、往来は溢れていた。獣の臭さと死臭と独特の魔臭で、慣れない目眩に口元を覆う。
「大丈夫か?」
 心配そうに聞くメリアドラスを遮り、路地に抜けた。
 城を背に、俺は城下町に出た。例のごとくメリアドラスは後を付いてきたが、ガイドがてらに大いに役立っている。
 いきなり城下に出てきたのはもちろん意図があってのことだ。考え事のための気分転換も兼ねているが。
「自分で来たいって言ったから、我慢するけど、結構クルのね…」
 我ながら情けない声で呟きながら、幾分ましになった空気を深く肺に入れる。
「それにしても、城下町ってすごいな。魔物で……」
「当たり前だ。ここを何処だと思っている」
 メリアドラスは呆れながら、肩を竦めた。灰色の長いファーがマントを羽根のように覆っている。見たこともないような、不思議な毛皮だ。
「魔物の国……」
 イヤそうに呟くと、メリアドラスが眉根を寄せた。
「『夜国(ニュクス)』と言うんだがな……。お前達が『常闇の国』と呼ぶものだ」
「名前なんて在ったのか」
 そういえば、階層世界がどうとか言っていたが、俺は初耳だ。ソロモンからでさえその事実を知らされていない。
 俺は自分の都市以外の…故郷を含めた三つの都市以外の世界を知らない。それを疑問に思ったこともなかった。疑問に思う人間もいなかった。
「第一世界ってやつか?じゃあ、俺の国もそういう分類に入ってるのか?」
「そうだ。お前はソロモンに何も教えられていないのか」
「………まあな」
 くそ叔父貴め。自分だけの世界に入り込みやがって、なんでそう肝心なところで俺を閉め出すんだ。しっかり血を継いでるんだから、無関係ってわけじゃないだろう。俺が知っていることなんて、一族に閉め出されたおかげで、爺さんが変人だったってことだけだぞ。
 ……いや、ソロモンも閉め出されてたか。爺さんもそうだし。
「お前の世界は『ヘレメ』第二世界だ。昼と意味されているが、……まあ、そうだな、私の国でも階層世界を知っている者は少ない。語弊があるか…ほとんどの者が知らないな」
「そのさ、階層ってところが理解できないんだけど。同じ空間じゃないのかよ?」
「同じ空間ではない。第零世界『暗黒界(エレボス)』、『夜国(ニュクス)』、『昼(ヘレメ)』、第三世界――ここは名前が決まっていない。その都度変わるからだ。そして第四世界『高天界(アイテール)』、他にも在るが省こう。これらの世界は大きさも規模の性質も全てその世界独特の法則に則って独自に存在している。どこかに世界への入り口はあるが、この国のように目立った存在の仕方はしていない」
「う…。え」
「同じ空間に存在していないが、時空連続体であるからこそ他世界に干渉できるのだ。だが空間連続とまでは言えないから、広大なまでに影響を及ぼすことはない。それには魔力や魔術も関係してくるが―――」
「いい!!もう止せ!!ストップだ!判った。聞いた俺が結構悪かった!」
 あまりに早口で捲し立てるので、じっくり考える余裕もない。
「そうだ。この物話には関係のない事柄だ。ところで城下に下りた本題はなんだ?」
 投げかけられた疑問に、返答か否かしばし迷う。
「気分転換ってのもあるんだけどさ。武器も持たずに丸腰で出歩いて平気か確かめてみたかった。それにしても、オークとかそのへんの魔物がお前を見ても敬わないのな」
 ましてや、俺を見ても興味なさそうに目を反らす。これは俺の興味であって目的ではないが。
「位のない者は、有位者には関わろうとしない。気まぐれで殺されたくはないからだ。有位者同士なら挨拶ぐらいはするがな」
「王様の権威ってそんなものなの……」
 せっかく一番偉いのに、勿体なくはないのだろうか。
「私が他人に干渉しないだけであって、権威をかざしていないわけではない。力無い者は私を怖れているから、権威などかざすまでもないが。…お前には私の加護が在る。それだけで奴らには怖ろしい」
「実力至上主義国ってことか」
「正確には違うが、解釈としては間違っていない」
 ……ふむ。
 謎は解けたが、こんな話を聞きたかったわけじゃない。そろそろ動くか。
 路地の奥に目をやると、石畳に点々と篝火が焚いてあった。人(魔物だが…)通りは多くない。これなら勘が働きそうだ。
 今まで吸血鬼の中で暮らしていて、奴らの発する魔力の識別がだいたいできるようになった。それに俺が追って来た奴の感じを合わせて視れば、獲物の枠が少しは狭まるだろう。とりあえずはそこら辺を歩いてそれらしい館を探そう。
「何故城にいる吸血鬼を探さない?」
「お前の城にはいない。いるわけ無いとも思うんだがね。自分が狙われてるのに、王の加護まで受けちゃってる敵の下にわざわざ隠れるか?俺ならそれは最後の手段だ」
「ほう」
 灯台下暗しって手もあるが、視覚も聴力も人のそれとはまったく異なった知覚器官を持っていながら、わざわざ危険な橋を渡るより、十分に罠を張れる場所で身体を回復しながら待ちかまえる方が……。
「……なんだよ。バレてんのかよ」
「城を出る目的はひとつしかないだろう、お前には」
「まあ、そうですね。そうですよ……」
 情けない…。
「獲物を見つけてどうする?」
「そうだな。話でもしてみるよ。どうせ依頼不達成で後金貰えないだろうからさ」
 俺の答えに納得したのかメリアドラスは答えない。
 道の奥に進むにつれ、俺でも倒せる魔物の姿は少なくなり、吸血鬼や見たこともない魔物が増えてきた。
「話して話せない生き物じゃないって事が判ったしな。打開策が見つかればいいんじゃない?……どうせ丸腰だからどうしようもないんだけどよ」
 ボソボソ言いながら空を仰ぐ。……転職でもするかなあ。
 いつもより多く警戒していた耳が、馬車の車輪音を鋭く捉えた。馬がいるとは珍しい。城からここまで馬車はおろか馬の存在さえ見なかったというのに。
 車輪音は後ろから聞こえる。振り返って馬車を眺めていると、小さな影がだんだんとはっきりしてきた。二頭引きの馬に二人乗り用の屋根無しベンチシートに御者しか乗っていないが、物腰から察するにかなり礼儀が正しそうだ。
 通り過ぎるかに見られた馬車は俺達の前でぴたりと止まった。御者を見て、俺は言葉を失った。
「これはこれは吸血王、珍しいところでお会いしますな。ご機嫌いかがか?」
「自宅を離れて貴殿を見たのは久しいな、フラウロス卿」
「なに、野暮用ですよ」
 猫である。
 メリアドラスと親しげに話す御者は、体つきは人間だが、首から上はしっかり猫科の生き物だった。
 ピンと立ったみみと、ひげ。黄色い大きな瞳もやはり猫のそれ。なのに、飄々とした風体でパイプをふかしていた。きっちり着こなした黒のタキシードがお世辞じゃなく似合っている。
「おや、あなたの加護を受けた人間がいるとは何百年ぶりでしょう。珍しいことは重なるものです」
 俺を見てにやりと笑った。
「パンサノイドを見るのは初めてですかな?これは失敬」
 大きな瞳を見開くと、馬車からひらりと飛び降りて、ステッキを片手に優雅な礼をした。
「私はフラウロス・ゼオロック。吸血王から公爵の位を戴いている魔物です。以後お見知り置きを」
 公爵…。メフィとウィラメットと同じか。吸血鬼以外の貴族を初めて見た。彼女達には多大に失礼だが、彼の方がよっぽど公爵らしい。
「カグリエルマ・ベルフォリストだ。よろしく、フラウロス卿」
 驚きも去って握手を求める。俺の期待とは裏腹に、指は五本で肉球はなかった。質感はビロードの毛皮のそれだが。
「ふむ。吸血王、今回はかなりの上物を見つけましたね」
 と、一人納得する。疑問符を浮かべて見返す俺に、フラウロスは肩を竦めた。
「これは失礼、カグリエルマ。決して値踏みをしたわけではないのです。吸血王もそんな風に、取り殺しそうな目で見ないでいただきたい。悪意はないのです」
「値踏みしようが何だろうが、俺に直接手を出さなければどう見たっていいけど。それより、この馬は何処で手に入れたんだ?」
 俺の前でいななく二頭の馬は、しっかりと訓練された去勢馬と雌馬で、丁寧にブラッシングされた粕毛がとても美しかった。
「私が掛け合わせた、ファランクス種と云う馬です。右がハムレット、左がオフィーリア。この馬に興味があるとは…。気に入りましたよ、カグリエルマ!」
 そう言ってフラウロスは嬉しそうに俺の手を握った。アーモンド型の瞳がにやりと笑う。
「私の屋敷にいらっしゃい、あなたとは話が合いそうだ」
「フラウロス卿」
 今まで黙っていたメリアドラスが、ドスの利いた声で言った。だがフラウロスは長いしっぽを揺らしただけで、堪えた様子は微塵もない。
「宜しいでしょう、王?」
「すごく魅力的な話なんだけど、先にやらなきゃいけない事があってさ。それが済んだら行ってもいいか?」
 なるべく穏便に断る。メリアドラスが不穏だったこともあるが、それよりも当初の目的を達成しなければ、元も子もない気がしたからだ。何せ一ヶ月の後れをとっている。もしかしたら、あの吸血鬼は完全回復しているかもしれない。
「そうですか、残念だ。ではその用事が済んだらいらっしゃい。私はいつでも屋敷にいます」
 伏せた大きな耳が触りたくなるほど可愛かった。……ああああ、猫にしか見えない!
「では、お邪魔のようだから、そろそろお暇しよう」
 ひらりと裾をはためかせ、フラウロスは馬車に乗った。手綱を引いて出発しようとしたとき、急にメリアドラスの方を向いた。
「過ぎたことかも知れないが、ジョウサイアス伯が荒れています。あまり近づかないが宜しいかと。では、失礼」
 言うが早いか、砂ぼこりも立てずにフラウロスは走り去った。
「………」
 つむじ風に吹かれたような、そんな唐突さが俺の中で何かを勘付かせた。
「なあ、メリアドラス…」
「なんだ」
「ジョウサイアス伯の家ってどこ?」
「………何故聞く。行きたいのか?」
 すぐに返答は返さずに、瞳を細めて間を含む。
「行けと囁くんだ、俺の勘が」
 推測が確信に変わるまで、そう時間はかからない。企んだように口元に笑みをのせ、俺はメリアドラスに啖呵を切った。


***


 大きくはない、だからといって小さいわけではない。ごく普通の貴族の屋敷。
 この程度の屋敷なら、俺のいた地区にもいくつか在ったし、俺の実家はこれよりも遙かにでかい。
 さて。
「なあ、メリー」
「………」
 尋ねようとして含み在る口調でメリアドラスを呼んだが、彼はそっぽを向いた。
「態度悪ぃぞ、お前。さっきも言ったように、俺は狩りにきたんじゃない。話し合いにきたんだっての。……まぁ、手放しで信用しろとは言わないけどさー」
 呆れ半分に文句を言うと、メリアドラスは溜息を付いた。
「そのことで心配はしていない。私は別の意味で伯爵に会わせたくないだけだ」
「別の意味って何だよ」
 訝しげに聞き返す。だが返ってきたのは返事ではなく、啄むようなキスだった。
 瞳を開けたままの不意打ちに近いそれが、柄にもなく俺の頬に朱を昇らせる。中身は相当老けているメリアドラスが、一瞬だけ少年のように見えた。
「な…何でゴザイマスカ?」
 内心戸惑う俺を横目に、何事もなかったように格子を開けて先に行ってしまった。メリアドラスの行動を理解できないまま、俺は遅れないようについていった。

 急に積極的に動き出した彼の後について行きながら、俺は辺りを見回した。と言っても、館内には蝋燭さえもなくて、月明かり越しにしか見ることはできないが。だが階段を下りて地下に下ると視界は零になった。俺が不平を言う前に、気を使ったのかメリアドラスが明かりを造りだした。青白い鬼火のような光が、薄暗さに輪を掛ける。あまりにも暗いところにとても小さな光があっても、闇をより引き立てるだけで明るくは感じない。
 カツカツと足音が響く廊下の突きあたりに近づいた辺りで、俺は気配を察知した。
 この奥にいる。やはり俺の勘は狂っていない。
 音も立てずに扉が開き、部屋の途中でメリアドラスが止まった。先へ進もうとした俺の腕をつかんで、引き戻される。
「何?」
「奴は手負いだ、話しかけるなら私の側にいろ」
 その口調は提案でもなく、はっきりとした強制だ。言い訳をしても埒があかないので、俺は言われた通りにメリアドラスの側に留まる。
 気配はあるが、姿は見えず。
「ジョウサイアス伯?」
 とりあえず暗闇に問いかけた。
 俺が声を発した途端、室内に殺気が漂う。
「………」
 交渉、難しいかもしんない……。
 半分諦めかけたとき、メリアドラスが水を打ったような口調で高慢に言った。
「誰の御前か判っていての狼藉か、ジョウサイアス?返答次第では次の満月は拝めないと思え」
 高飛車だがぞっとするような音質に、俺は総毛立つ。
 途端に殺気が霧散し、替わりにしわがれた低い声が響いた。
「……恩赦を、私は決して王に礼を欠いたのではございません」
 マッチをする音が聞こえ、いくつかの蝋燭に灯がともった。
「私が憎むのは、その人間でございます」

  

フラウロスも72の魔人の名前。豹なんです。彼は魔力が高いので人の姿にもなれます。ホームズをイメージしていたのに見事に挫折。
パンサノイドの他にレオノイド(獅子)もいるけど出てこない。

copyright(C)2003-2008 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.