9.闇夜の錦の如きなり

Starved+Mortal

 光に浮き上がった人物は、俺がこの国へ追ってきた奴だった。間違いはない。
 光沢ある黒髪はセミロングで、その瞳は赤かった。いや、赤と言うには茶が強い。メリアドラスの瞳を見てしまえば、彼の瞳は茶色の部類に入ると判る。
 初老と言うには若いが中年と言うには老けている。そんな微妙な年頃の、品のある紳士がジョウサイアスだった。今は肌も青白く、頬も痩けているが、普段ならさぞかし女にもてるだろう容姿をしている。
 憎いと言われたが、俺は微塵も腹が立たなかった。そんなことよりも、この魅力的な紳士に、無意識に叔父を重ねていた。
 生きていたら、これくらいの姿だっただろう。
 ……俺、叔父コンなんだなぁ……。内心溜息を付く。でも、まぁ、好きなものはどうしようもないし。
「私を殺しに来たのか、人間よ」
 メリアドラスとは違う、重低音の声。
「アンタを殺す気はないよ。もっとも、今の俺には魔物を殺す力もないけどな」
 ジョウサイアスは眉根を寄せた。
「俺は、打開策を見つけに来たんだ」
「打開だと……馬鹿な」
「嘘じゃない。俺の誇りに掛けて誓う」
 訝しがるジョウサイアスに、できるだけ真摯に応える。
「ふん、ハンター風情の誇りなど知ったことか」
 が、鼻を鳴らして否定された。
 うーん、骨折れそうだな。
「じゃあさぁ…、アンタはどうしたい?俺を憎くて殺したくても、まず絶対にアンタは俺を殺せない。自惚れるようで悪いが、アンタがむける殺意の向こうにはメリアドラスがいる。メリアドラスの加護が、手負いの伯爵位の吸血鬼より弱いなら話は別かも知れないけど」
「…………」
「傷を負わせたことを謝れってんなら謝ってもいい。だが、その礼に誠意はない。俺は魔物を狩るのが仕事だったからな」
 言いたいことを言って、俺は少しだけ黙る。ジョウサイアスが何かを話す気配がしたから。
「王よ、なぜ斯様な人間に加護を与えなさったか」
 俺の言葉をあっさり無視し、メリアドラスの方に問いかけた。
 ああ、この問いは俺も思う。いや、それより、やはりこいつは俺のことを侮辱してないか?
「………お前が三月に一度、その人間の元へ通った理由と同じだ」
 答えた声は、珍しく優しい声だった。俺が知る限り、はっきり優しいと判る声で話す他人はいない。……って、まるで俺だけに優しいみたいじゃないか!
 この頃、俺はメリアドラスが結構好きだ。年甲斐もなくドキドキしちゃってる自分が憤死しそうにはずかしい。恋愛に発展してもいいことはいいが、俺の中で何かが境界を越えないように歯止めを掛ける。禁忌、とかじゃないんだけどなぁ。
「私が知らぬと思ったか、ジョウサイアス」
 深い声色に引き戻される。
 食事のために、彼女を狙ったのではないとすれば、その理由とは一体何か。
「伯爵、それを詳しく聞きたい。嫌じゃなければ、でいいけどさ」
「…………」
 答えはない。ジョウサイアスは眉間にしわを寄せ、憎悪の眼差しで俺を見つめたまま、しばらくして荒い溜息を付いた。考えるように視線をさまよわせる。そして伺いを立てるようにメリアドラスをちらりと見、それからぽつりぽつりと話し出す。
「彼女は、私の光だ」
 悲しげな、低い声で。


***


「肉体といえば若いとは言えぬ私でさえ、愛することの甘い悦びを忘れることはできなかった。求めるものは生き血ばかりの私が、彼女に出会ったことは神の慈悲にも勝るだろう。彼女――ルーシンダは春の華のように可憐で清々しい娘だ。そう、彼女はまだ18になったばかりの瑞々しく愛らしい娘だ。私が人間であったのなら、きっと彼女のような歳の娘がいることだろう。

 それでも私は、彼女を単なる餌としてではなく、一人の女として愛してしまったのだ。彼女もまた私を怖れることはなく、ただ私自身を愛してくれた。固く頑固な氷が音を立てて溶けていくような出会いだった。

 出会って以来、私は三月事に彼女に会いに行った。これほどまでに三ヶ月を長く思ったことはない。彼女に会えないその間は、まるで拷問のように辛いものだった。

 食物をあさる魔物の視点が、彼女に会っただけで角度を変えた。世界には色が満ちあふれ、私は彼女の側にいられれば、彼女に愛を語ることができれば、ただそれだけで満足だったのだ。

 だが私たちの密会が、彼女の周囲にばれるのに、そう時間はかからなかったようだ。会うたびにやつれゆく彼女を見て、私の胸は杭に打たれたように痛んだ。その時、もう彼女に会いに行かなければ良かったのかも知れない。しかし、それを止められる理性は私には到底なかった。ただ私は、どんなに短い間だけでも、彼女に会いたかっただけなのだ。彼女もそれを望んでいた。

 お前の前に二人のハンターが彼女を守ったが、そのどちらも私が喰い殺してしまった。次に邪魔をする者がいたら、今度は彼女をさらっていこうと思った。

 だが、お前に阻まれてそれはできなかった。私が矢で射られたとき、側にいたルーシンダがどんな顔をしたかお前には想像ができるか?私は、…私は彼女があれほどに悲痛な表情をしたところを見たことはない。見たくもなかった。させたくもなかった。

 私は後悔した。彼女にあのような思いをさせてしまったことに。力無い自分が憎い。だが、それと同じくらいお前のことも憎く思う。

 愛する者の側に行きたくても、この身体ではすぐには会いに行けないだろう。それまで彼女がどんな思いをするのか、私がこれほどまでに辛いのだ、彼女も同じ思いを味わっているだろう。

 私は……それを思うと、今にも気が狂いそうだ」

 淡々と、だが熱のこもった声で言う。
 何て声を掛けようか。たいした感想もない、と言えばきっと怒るだろう。この行き過ぎのような想いの名は、何というのだろう。
  他人の愛など、所詮俺は理解できない。 他でどんなに熱く燃えようとも、その炎は俺に移ることはない。沸点を超えて、焦げつくような激しい熱は、今は小さく消えそうで、油を注がれるのを待っている。
「話が聞けて満足か、人間」
 さっきとはうって変わった冷めた声で、ジョウサイアス伯は俺に吐き捨てた。
 俺を倒せなかったからって吠えるなよ、負け犬が。言ってやろうと思ったが、茶色の瞳が哀れそうだったので止めた。替わりに口から出た言葉は、自分でも少し意外だった。やっぱり叔父と少し似ていて、思わず助力してやりたくなっただけかもしれないが。
「俺の血、少しやろうか?」
「駄目だ」
 俺の思惑をよそに、メリアドラスが断固として遮った。
「……メリーちゃん…」
「お前の身体のどの一部であろうとも、私以外の者の手に渡ることは許さない」
 拒否を許さぬきつい口調で、俺に詰め寄る。
「私も同意する。しかも王の加護まで受けている人間の血液など、怖ろしくて私には手も出せないだろう」
 まあ、伯爵はいらないと言いそうだったから驚きはしないが。
「……俺の意思でなんだから、別にいいだ――――」
「駄目だ」
「拒否する」
 ……そんなに俺はまずそうか?二人にハモられて、心なし落ち込んでしまった。
「カグリエルマ、自分が好意を寄せている者が、他の者に奉仕しようとしたら、お前は腹立たしくならないか?」
 少ししわを寄せたメリアドラスが、不満そうに俺を見下ろす。
「……もしかして、メリー、妬く?」
 恐る恐る聞き返す。
「当たり前だろう」
 さも当然だと憤慨するメリアドラス。
 うわ、こいつ、マジで俺が好きなのか。そうか。ホントに俺は好かれてるのか。そうか、そうなのか。
「あ、…そう…」
 何故嬉しいのか判らないが、妙に恥ずかしくてから笑いしながら、俺は視線を逸らす。まともに見返すと……照れる。
「イチャつくのなら、余所でやってくれ。不愉快だ」
 ジョウサイアスがドスを利かせて不平を述べた。
「ついてねえって!」
 とっさに言い訳も、逆効果かもしれない。自分でも不思議なほど慌ててしまった。
「……まぁ、その、なんだ。とりあえず、話が聞けて良かった」
 これで俺の仕事は終わりだ。最初から殺すつもりもなかったし、殺せる力もなかったが。
「それに、恋愛で悲劇は好まない。適当に言い訳しておくから、その気があるなら口裏合わせようぜ?」
 こいつが元気になって、その後どうするかは俺の仕事じゃない。
 うう、何て言おうかな。ギルドの報告書もウソ書かなきゃならんし、依頼人にもバックレなきゃなんねーし。ああ、俺のスバラシイ経歴に傷が…。
「次の満月まで二ヶ月はある。それまでに何か連絡をくれ。俺、メリーの城に居候してるからさ」
 俺が喋るのを黙って聞いていたジョウサイアス伯は、それから長い間黙っていたが、最後に低く小さく、
「………判った」
 そう、一言だけ口にした。
「よし。じゃあ、邪魔したな。ガンバッテ回復しろよ」
 冷やかしともとれるセリフを残し、俺は部屋を後にした。


***


「伯の話を信用したのか?」
 屋敷を出るまで無言だったメリアドラスが、ぽつりと言った。
「まぁ、そこそこ。仮にも王様の前で、あれだけ熱のこもった大嘘をカマせるような男には、見えなかったからな」
「外見と中身には必ず差が生じる」
 お前とか、ね。
「それでも、別にいいんだ。裏切られるのとか、結構慣れてるし」
 気負いもなく、あっけらかんと言い放つ。屋敷の前には魔物はまばらだが、遠くに見える大通りには、さらに魔物が増えていた。この通りにいる魔物は思い思いの方向へ歩むが、俺達の方を振り返る者は誰一人いない。
「……二ヶ月後、この国を出るのか?」
 突然、話が変わった。
「…そりゃあ、まぁね。一応家もあるし、住んどかないと。それに、ギルドと依頼人に報告もある。俺がいなくなって心配する奴なんていないが、依頼人とギルドは金と信頼を待っている。仕事は仕事だからさ…」
 そうだ、ここに来たのはバカンスだと思えばいいんだ(日差しないけど)。金掛かんねえし、生活苦しくないし、食い物豪華だし。おー、俺ってらっきー。
 ……そうでもないか(泣)。
「私が止めても、帰るのか?」
「ああ?当たり前だろ。ずっとここにいれるわけねーじゃん。俺、人間だし」
 ここは居心地はいい。だが、俺の居場所はない。
「それに――――」
 言いかけたその時、俺は急に腕を引かれて裏路地に連れ込まれた。カツアゲでもされそうな勢いで。
「何だよ!痛いって、腕!……ぃって…」
 壁に突き飛ばされ、軽く背を打つ。メリアドラスはそんな俺を気にしたふうもなく、俺の耳元に両手をおいて囲むように目の前に立った。
「いきなり、何よ」
 態度の急変に困惑する。どうしたというのだ、俺は何か気に障るようなことでも言っただろうか。
「裏切られることに慣れていると言ったな」
 声は、怒っていた。
「お前は、裏切ることにも慣れているのか?」
 本気で、怒っていた。
「な……に?」
 だが、眉間にしわを寄せたその表情は、どこか痛みを堪えているようでもあった。
「私は、待つことには慣れていると言ったが、手放す気は更々ない」
 紅い瞳が、その色が象徴するような強い感情に燃えていた。
「……メ…リー……?」
 彼の怒りを初めて見た。いや、怒りというのか、これは。
「………覚悟しておけ」
 その重低音に総毛立った。気配を探ることさえ難しい強大な魔性が、一気に両肩に落ちたように感じた。
 彼は何に怒っている?
「……な、ちょっ……おい!」
 俺の三つ編みの付け根を掴んで引き、露わになった首元にメリアドラスは牙を立てた。
「………!!」
 声にならない悲鳴が口をついて出た。尖った犬歯が皮膚を食い破り、なま暖かい舌が傷口を捕らえる。獲物の恐怖を、初めて味わった。急な失血に、息が上がる。
 彼は、何を怒っている?
「…ぅ……っ…」
 呻きは痛みの所為ではない。牙を立てられたにもかかわらず、背筋を駆け上がるのは震えるような快絶。すがる指さえ自分の物ではないように感じた。
「……メ…リー…、がっつくなよ…」
 意に反して喘ぎそうになる声を押さえつけて、彼をなだめるように言う。
「別に…お前から逃げるわけじゃ…ない。戻って来いと言うなら、戻って来てもいい…」
 広い背中がぴくりと揺れた。
「何で、俺が…抵抗しないか……、考えて見ろよ…」
 お前じゃなかったら、自殺してでも男に言い寄らせないってのに。
 そう思わせる何かが、確かに俺の中にあった。
 やっぱり、メリーのこと好きなんだろうな、俺。まだ、『ガキの好き』と同じ部類の気もするが。メリーの態度は、手練れのようでどこか幼い。俺の庇護欲を妙に掻き立てる。
「そろそろ放して。貧血で目眩するわ」
 笑って解放を願うと、未練もないようにすっと離れた。月光に光る牙と口唇が、俺の血に濡れて禍々しいほど紅かった。
 だが、メリアドラスは何も言わない。

 何も、言わない。

  

カグラは年上に弱い。有閑マダムとかロマンスグレーとか。 叔父コンだし。
ジョウサイアスが気に入ったのは、叔父の姿と重ねたから(外見だけ) 。中身ジジイなのはメリーの方。

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