10.子午線の祈り

Starved+Mortal

 首筋の噛み傷が、疼く。
 いつも覚えていろと、言うように。


***


「おやおや、カグリエルマ、まさかこんなに早く再会できるとは嬉しいですな」
 ふさふさの耳が、ぴくぴく動く。琥珀色の大きな瞳がにやりと笑った。
「俺も同感だ。またあんたに会えて嬉しいよ、フラウロス卿」
「それは有り難う。ところで、吸血王のお姿が見えないが…」
 見えないのも当然、メリアドラスは俺の側にいない。
 そもそも何故俺がフラウロス卿に会っているのかというと……。 

 一日何もしないで、ただだらだらしているのは、忙しい一日よりもよっぽど疲れる。
「なー、メリー。フラウロス卿のとこに行きたいんだけど」
 馬でも借りて、狐狩りでもできないだろうか。
「………好きにしろ」
 これで会話が終わるのだ。
 ジョウサイアス伯の館を後にしてからこっち、メリアドラスは非常に不機嫌だ。どうやら、まだ何かを怒っているらしい。その理由は、俺にも判らない。城に帰って散々好き放題俺のことを抱いておきながら、それでも機嫌は直らない。一応側にいることはいるのだが、これでは俺のストレスになる。ただでさえ貧血と疲労で消耗してるのに。
 理由があるなら言いやがれ!!と、普段なら逆にキレているだろうが、取り付く島がない素っ気なさに、口から漏れるのは溜息ばかり。
 居心地が悪いことこの上ない。
 二人で居る時を別にして、普段から口数の少ないメリアドラスは、今はほとんど何も話さず、表情もあまり変えない。
 それでも、未だ治らない首筋の跡は、布が触れただけで甘い疼きを返し、その気もないのにメリアドラスを意識させる。卑怯だと、思う。
「困っておるの…」
 呆れて言ったのは、メフィストだった。
「うーん。俺も原因解んなくてさー」
 しゃがみ込んで項垂れた俺に、メフィストは何度か頭をなでた。ああ、女の子はいいなあ……。
「わらわにできることであれば、助力は惜しまんぞ」
「あー、悪いね。じゃあ、お言葉に甘えて、フラウロス卿の屋敷まで連れてってくれない?」
「………フラウロス。あの猫男か」
 可憐な顔を派手にしかめてメフィストは腕を組んだ。
「いや、メフィーがだめならウィラメットにでも頼もうかと……」
「嫌だが、手の空いている者はわらわしかおらん。ウィラメットは品種改良に忙しい」
 品種って、何のだ。
「あ奴の屋敷になど行くのは嫌じゃが、わらわが連れて行かんとお主がいたたまれんしの」
 そんな具合で、俺は今フラウロス卿の屋敷に来たわけだ。

「おや、そこにいるのはメフィスト嬢ではありませんか?ご機嫌麗しく、お嬢さん」
「わらわより若造のくせに、年長者に対する礼儀がなってないのう、フラウロス」
 火花が散ったように見えたのは、俺の勘違いだろうか。
 メフィストが腰に手を当てて、さも嫌そうにガンをつけている。
「つれないことを…。この世界であなたのような美少女は貴重なのだよ?」
 パイプを吹かしながら、フラウロス卿はのほほんとした調子で返す。……そうか、メフィストは結構年増なのか…。
「美少女に関しては異論はないが、『お嬢さん』呼ばわりは止めて貰おう」
「どこからどうみても『お嬢さん』でしょう?」
 紫煙を吐き、メフィストの頭をなでた。その途端、メフィストの瞳がすうっと細められ、フラウロス卿の手を払いのける。プラチナブロンドがふわりと揺れて、陶器のように白い肌が淡く発光した。
「これで、わらわを子供扱いできなかろう」
 声は、少女のそれではなかった。光に目を覆って視線を戻すと、そこにはプラチナブロンドの美女が立っていた。俺より頭ひとつ小さいくらいの、胸と腰の張った凄まじくスタイルのイイ、絶世の美女が。
「メ……メフィスト……?」
 呆然と美女に聞く。
「何を惚けておる。いつものわらわを見ていれば、容易に想像できるであろ」
 大きな胸を反らして、びしりと俺に指を突きつけた。
 む、胸が……。谷間が……。うなじが……。
「何処を見ておる!!そんなに見ても触らせてやらんぞ」
「いや……。それより、今度一回どう?」
 大まじめに聞くと、紅い口唇の端ををにやりとあげて、俺の尻を一発叩いた。
「若造が!千年早いわ!お主には、わらわより数段美人の相手がおろうに」
 数段美人って、誰よ。………………メリー?いや、美形だけど、男だし。テクニックあるけど、男だし……。
「何でいつもこの姿じゃないんだ」
「胸が重い。……それに、元々わらわはこの姿ではない」
 女って……。
 飄々と言ってのけたメフィストだが、ほんの一瞬辛そうな顔をした。俺はそれを見なかったことにする。誰にでもどうしようもできない問題はあるものだから。
「なんじゃ、フラウロス、不満そうじゃの」
「今のあなたは美しい、それは認めましょう。だが、私はあの少女の可憐さが恋しい…」
「………付き合っとれんわ。『ちびっ子』に会うと鬱陶しいから、わらわは城に戻る」
 苦虫を噛み潰したような顔をして、メフィストはフラウロス卿に背を向けて乗ってきた馬車の方へむかった。
「ちょっ…、メフィー、帰んの?!」
 ちょっと待て、俺は置いてけぼりか?
「子供のように駄々をこねるでない。城に帰ってくるならば、そこの猫男に送ってもらえ」
 うわ、機嫌悪っ。
 止める間もなく、美女は馬車を繰って行ってしまう。
「どうも私はメフィスト嬢の機嫌を取るのが下手なようだ。私は彼女が好きなんですがね」
 大きな耳を伏せて、フラウロス卿がぽつりと漏らした。


***


 案内された屋敷の中は、ちょっと不思議な館だった。メリアドラスの城は、その広さと迷路のような複雑な構造で摩訶不思議だったが、フラウロス卿の館はやたらと観葉植物が多く、それに窓や鏡も多かった。
 鏡。そういえば、メリアドラスの城には鏡がなくて、最初はかなり苦労したが。
「そういえば、カグリエルマ。私に何か用があったのじゃないかね?」
 紫煙を吐きながら卿が聞く。
「ああ。実は、馬のことを聞きたくて。それと……」
「それと?」
 途中で言葉を切った俺を訝しがり、足を止めて聞き返す。
 俺は言おうか言わまいか逡巡し、やっと決心を付けて言う。
「義も礼も欠いていると俺自身も思うが、もし良ければ狐狩りとか、できないとかと……」
 初対面ではないが、それに近い相手にいきなりこういうことを頼むとは、自分でもとても情けない。
「実は馬も弓矢も何もなかったりするんで……」
 しどろもどろになってしまう。
「そんなに恐縮せずとも良いよ。私の馬が気に入ったのなら見せてあげるけど、吸血王は何と?」
 う、痛いトコ突いてくるな。
「今はメリーに何か頼める状況じゃなくてな……」
 いや、頼んでもきっと彼は俺の言うことを聞いてくれるだろう。だが、無言の圧力に耐えられそうにない。
 ばつ悪く言う俺をどうとったのか、フラウロス卿はあごをつまみながら、
「ふむ。痴話喧嘩かな?」
 嫌なことを言った。
「今のところただのケンカだと俺は捉えてるんですがね」
「加護を受けているということは、恋人同士ではないのかい?」
「あいつはそれを望んでる。俺は……」
 言葉に詰まった。
 俺は、あいつに何を望んでいるのだろう。
「まあ、立ち話も何だ。こちらにいらっしゃい、カグリエルマ。温かい物でも出そう」

 俺を客間に残して出ていったフラウロス卿は、見知らぬ人物を連れて戻ってきた。
「紹介しよう。彼はアブサロム。不死族の中では一番若い子爵だ」
 フラウロス卿の後ろから現れた人物は、獣の耳を持った赤毛で青い目のそこそこ整った顔立ちをしている青年だった。
「どうも」
 良く通る声を発した口唇からは、吸血鬼と同じような犬歯が覗いていた。一体どういう魔物なんだろうか。
「アブサロムは狼男としてはまだ未熟でね。変身が完璧じゃない」
 子爵の狼男だという青年は、無礼なまでに俺を凝視している。俺が美人だからみとれている……わけではなさそうだ。
「俺はカグリエルマ・ベルフォリスト。よろしく」
「ベルフォリスト……?」
 アブサロムは眉間にしわを寄せて尋ね返す。
「グロリアナ・ベルフォリストの身内か?」
 グロリアナ、は俺の祖母の名前だ。会ったことはないが。
「そう…だが?」
「やっぱり!毛色は違うが、そのそっくりな顔はあの魔女の身内か!!」
「何でばーさんのこと知ってるんだよ」
 相手の気迫に呆気にとられそうになる。俺の家名はそんなに悪名高いのか。
「知ってるも何も、外交官だったあの女がウチの都市の領主を顔と身体使ってたぶらかしたおかげで、タレイアからアグライアにかけての関税が倍に跳ね上がったんだ!忘れられるものか!」
 ナイスだばーさん。
「アンタ、タレイア人か?悪いがグロリアナは今じゃ外交官じゃなくて領主になってる。しかも多分、性格はアンタが知るよりもっと悪くなってると思うぜ」
「……ベルフォリストの身内のくせに、お前変な奴だな。金髪碧眼じゃないし」
「そりゃー悪ぅーゴザイマシタね!アンタもタレイア人のわりにキレイ系の顔してんな」
「まあまあ、二人ともそのくらいに。お茶が冷める」
 フラウロス卿になだめられて、俺達はそれぞれ席に着いた。座り心地の良いビロードのソファーに身を預ける。
「それにしても、俺達の世界の住人だった奴を初めて見た」
「おや、そうですか。吸血鬼や狼男・狼女の中には、元人間が多いのだがね」
「……あ、そうなの。じゃあ、メリーもそうなのか?」
「さあ、王に直接聞いてご覧なさい」
 人の悪い笑みで、フラウロス卿が笑う。
「なんでこいつ吸血王を呼び捨てにしてんだよ」
 眉間にしわを寄せてアブサロムが卿に聞く。…俺に聞けよ。
「『加護』を受けているからでしょう」
「げっ!なんでこんな奴が!趣味悪っ!」
 俺もそう思うよ。
「本当に礼儀がなってないね、アブサロムは。それに、私はいい趣味だと思うがな」
 アブサロムはそれでも顔をしかめて、俺をじろじろと見ている。まあ、タレイアの住人はアグライア人が嫌いだからな。その割に、俺達の顔や身体にすぐに惚れ込む。何度騙されても懲りることはない。
「ところでカグリエルマ、何の話だったかな。馬だったかい?」
 しばらく向こうのやりとりを眺めていた俺は、急に話を振られて言葉に詰まる。
「…あー。そう。できれば、馬を借りられないかと。ついでに狩りとかもしたいんデスガ……」
「狩り、ね。具体的にはどんなことを?」
「俺の今の食事って、全部メフィストが世話してくれてるんだけど、やっぱり自分のことは自分で何とかしたくてさ。連中モノ食わんし。それに、何もしてないと身体が鈍る」
 今までだって一人で飯を食ってきたが、一人で食うのが嫌なら酒場にでも行けば良かったし、何より『てめえの飯はてめえで稼ぐ』が、俺の性に合っている。
「ふむ。私たちは基本的に食事はするが、彼らの食事は特殊だもの。そうだ、今晩はうちで食べていくといい」
「はあ!?作るオレの身にもなれよ、フラウロス!」
「二人分も三人分も変わらないだろう?カグリエルマ、あまり期待はしないでくれよ、アブサロムの料理に繊細さはないから」
「ほっとけよ!」
「いや、食えりゃいいよ、俺は。ご馳走になる側だし」
「………お前本当にベルフォリストか?あの女は料理から住まいまでそれはそれは贅沢だったぞ。それこそ目の前にある物でさえ、人に取って貰うような奴だった」
「俺にそれを求めるなよ。ハンター生活の方が長かったんだ」
 そう言うと、今まで睨み付けていたアブサロムの表情が驚きに変わった。ころころ表情の変わる奴だな、タレイア人らしいといえばらしいが。
「なんでベルフォリストがハンター家業なんだよ。お前相当頭悪いのか?じゃなきゃ…」
「こらこらアブサロム失礼ですよ」
「育ちが悪いだけで俺の頭脳は超一級だ。これが素なんだからしょうがねぇだろ。社交界に出れば、俺はがらりと紳士に変わる」
 って、自慢できねーけどな。でも、まあ、女の好みにわけて自分のタイプを変えていかないと、あの場では相手なんか獲得できない。
「野蛮さも魅力のうちってね」
「けっ!何が野蛮だ!お前のは性格悪いって言うんだよ!」
「吠えるな下郎。お前達タレイアの蛮族共に、俺を理解などされたくないわ」
 相手を見下す仕草で鷹揚に言う。ベルフォリスト流の、高慢さで。
「なっ…!!」
 アブサロムは青い目を見開いて顔を赤らめた。何故そこで赤面するんだ…?
「ふふふ。アブサロム、あなたの負けですね。自分が高慢な美人に弱いことを、いい加減学習することだな」
 高慢な美人…。ああ、メフィストの言っていた『ちびっ子』とは、もしかしてアブサロムのことか。
「話が大分逸れてしまったね。それで、馬を貸すことは構わないよ。狩りに行きたいのなら初めのうちは私が連れて行こう。………だが、うちのファランクス種の馬もいいが、本当は吸血王に借りれば良かったと思うんだがね」
「何で?」
 いや、借りるとすればメリアドラスに頼む方が本来良かったのは認めるが。
「王はホワイトとブラックのナイトメアを飼っているから。あれより良い馬はこの国にはいないのじゃないかな」
「へー」
「それに、狩りをしてその獲物を酒場に持っていくと金に換えて貰える」
「そうなのか!?何だ、もっと早くメリーに聞けば良かったな」
 俺が城の探索をしていたから気付かなかったが、稼ぎ口があるのならやっておくに越したことはない。
「あなたを側に置いておきたかったんでしょう」
「……え?」
 ぴんと耳を立てて、フラウロス卿が微笑した。
「アブサロム、お茶が冷えたから新しいのを持ってきてくれ」
 文句を言いながら出ていったアブサロムが消えると、室内に卿と二人きりになる。どうやら、あいつに聞かせたくない話らしい。
「私で良ければ話を聞こう」
 案の定だった。俺は苦笑して答える。
「……みんな、同じようなことを言うな」
「メフィスト嬢とウィラメットかい?」
「そう。俺に気を使っている」
「気を使っている?」
「いや、俺とメリアドラスをくっつけたがっている、というか」
 何かにつけてあいつらは、俺にその話題を振るのだ。俺はソファーに深く座り直し、足を組んで窓を眺める。この位置からでは月は見えなかったが。
 それにしても、夜目が利くようになったな。
「それは……きっと、怖いからでしょう。私とて、彼女たちと同じだと思う」
「怖い?…何がだ」
「あの方が荒れるのが…」
 大きな耳がしゅんと伏せた。
「王は、希に気に入った者に加護を与えなさる。深く入れ込んでも、裏切られていると感じれば、しばらくして何も言わずその相手を無惨に喰い殺す」
「……何?」
 耳を疑い聞き返すが、フラウロス卿は答えを返さず深くパイプを吸い込んだ。
「寂しいんですよ。王も私たちも。だから、お互いに連れ添う相手を見つける。しかしこの国に、怖れずあの方を愛せる者はいない。残念なことだ」
 どこか遠くを見つめて言う彼は、深い哀愁を漂わせた。
 寂しいから愛す。
 一人になりたくないから、一晩の相手を捜す。
 孤独だから、求める。
 息もつけない程、愛されたい。
 それは俺も同じ。
「王を怖れることを知らないあなたは、一体あの方に何を求める?」
 何を?
 第一、俺はあいつを愛さなくてはいけない由縁はない。
 あいつの側にいる義務もない。
 どんなに言い寄られようと、嫌なら断ればいい。
 そうしないのは、何故だ。
 あいつの行動と想いを否定しないのは、何故だ。

『私に抱かれて、何か判ったか?』

 噛み傷が、疼く。

  

 

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