12.小慧な魁し干渉

Starved+Mortal

「これから三日間、私の側を離れるな」
「は?」
 目が覚めて、おはようよりも何よりも、開口一番こういった。
「このフロアより下に行くときは、私の許可を得てから行け。約束しろ」
 真面目だが何処か苛立った口調でメリアドラス。
「約束…してもいいけど。なんでよ」
 これから三日間、何があるというのだ。
「月が沈む」
 らしくもなく眉間にしわまで寄せて、きつい視線で。
「月が沈む……?」
 どうしてこう、メリアドラスは一度でいいことを複雑に言うのだろう。
「三月に一度満月が重なれば、同じように三月に一度新月が重なる」
「ああ、『闇の三日間』ね。そういえば、何だかやけに暗いと思ったら月が出てないのか」
 魔物の驚異にさらされる満月の三日間よりも、俺達人間がよっぽど怖れていたのはむしろ何の光も差さない新月の三日間だったりする。月光に心乱される狂気のような恐怖より、一条の光もない深淵の闇に人々は無言の恐怖を噛みしめた。
 俺は新月のあいだこぞって開かれる社交界にふらふらしていて、恐怖など感じる暇もなかったが。ああ、そうか。だからやたらと新月に社交界が開かれたのか…。
「で、新月だと何で?」
「私たち吸血族は、月に作用される。それは初級になるほど顕著にあらわれる。公爵以下の吸血鬼はまずそうだと思え」
「どうだと思えって?」
 聞き返す俺にメリアドラスは苛立って見えた。珍しい。
「満月より凶暴になる。月が影響しないおかげで魔力の波長が大きく乱れて、理性が落ち込み本能が顔を出す。だからこの時期はどんなに知能の低い下級の魔物でさえ、吸血鬼に近寄ることはおらか、住処から出てくることさえない」
「それってお前も十分危険だろうが」
 思わず呆れた。すでにイライラしてるし。
「私は全ての吸血族の親だからな。それほど酷くはないが、下手をすると公爵位より影響を受けてしまう」
 十分危険だろう。俺が顔をしかめると、彼は理由を了解したように苦笑した。
「心配しなくてもいい。悪くても感情に起伏が出る程度だ」
 低く穏やかな声で俺の肩を抱き、こめかみに軽く口付けをした。
「……やめてくれ。自分がやたら馬鹿に思える」
 照れ隠しなのは言うまでもない。
「お前が馬鹿なら私は愚か者だろうな」
「どーして、そう…」
「覚えていて欲しい。私はいつもお前を求めている」
 面映ゆい…。だが突き放すこともできずに、降りてきた口唇を重ねる。自分でも相当重傷だと思う。俺の家系は数多く愛人を囲っても、一人に決めることはない。
 これだけ際限なくいちゃいちゃできる環境はあの街には存在しないことだろう。それに比べたら今の状況は新鮮だが、何処か滑稽にさえ思えた。
 だがそれは些細なこと。重大に扱うのばかばかしい。しかし、重大に扱わなければ時として危険でもある。


***


 空が暗いので、室内はいつにも増して蝋燭が明るく輝いている。表面上は。
 だが、漂う雰囲気は何処か剣呑で胡乱だ。
「何をしているんですか?」
 掛けられた声に、驚いて飛び上がりそうになった。振り返るとそこにウィラメットが静かに立っている。
「……脅かすなよ」
「それはすみません。それより、一人でうろついて、何をしてるんです?」
 口調は穏やかだが、詰問に近い。
 ここはメリアドラスの部屋でもなければ、俺にあてがわれた部屋でもない。本来地下にあるはずの酒蔵だ。地下の温度と湿度を保ちながら、この部屋は切り離されたように城の上部にあった。もちろんメリアドラスの許可も取ってある。
「酒でも飲もうかと思って。俺が入ってはいけなかったか?」
 不当な詰問に苛立ちを込めて答えを返す。…やはり空間と同じように、ウィラメットも胡乱だ。
「いえ、あなたが入っていけない理由などありません。王の寵愛を受けていらっしゃる方ですからね」
 微笑とともに首を傾げる。その流れる動作に不似合いな冷めた視線に、本能が危険信号を捉えた。
 ウィラメットが一歩近付き、俺は一歩下がる。だが広くもない場所ではすぐに追いつめられてしまう。背中で瓶が軋む音がした。
「あなたはあの方を愛していますか?」
「は?」
 口唇の端を優雅に上げ、歌うように俺に尋ねる。そのあまりの邪悪さに俺は眉をひそめた。
「私はあの方を愛している。崇拝している。だからこそ、中途半端な者を排除します」
「……脅しか?」
「いいえ?そうとって頂いても結構ですが」
 くすくす笑いながら、ウィラメットは俺を追いつめた。見下す視線は冷血としか形容できない。
「王の言葉は絶対です」
 俺の耳元で囁き、口唇がだんだんと下にさがってくる。
「何のつもりだ」
「……愛し愛される怖さを知りなさい」
 低く唸ってウィラメットは俺の首筋を軽く舐め、そしてきつく吸い上げた。何の感情もこもっていない、ただただ傷つけるような獰猛さで。
「やめろ」
 もっと早くに拒絶すれば良かった。まさかメリアドラスの傍らにひかえる彼が、こんなことをするとは思えなかったし、そんな雰囲気にも思えなかった。心で睨み合い脅しをかけているだけだと。
 実際愛撫でも何でもない行為は、俺に不快感しか及ぼさない。
「正直に言うとあなたを好ましく思っていません。ですが、今の行為に僕は命を懸けています」
 何事もなかったような平静さでウィラメットが言う。
「あなたのためではありません。あの方のためです」
 俺が疑問符を浮かべている間に、彼は返答も待たずに去っていった。
 ……話が読めない。
 何となく好かれていないような気はしていたが、それと今のことと何の関係があるのだろうか。
 蝋燭の明かりしかない薄暗い部屋の中で、酒を選ぶことも忘れて呆然と疑問を覚えた。


***


「どうした?」
 低い声に呼ばれて、俺は思考をいったん止めた。
「何時の間に来たんだよ」
「今来たところだ。お前がそのボトルを凝視しているので聞いたのだが。それが気になるか?」
 メリアドラスは軽々と青い瓶を取りだした。
「いや、少し考え事をしてただけだから……。それは?」
「『ボナパルト』と言う。百年ほど前の青葡萄ワインだ。飲み心地は固いが、悪くはない。だがワインの三倍ほどの度数を誇るため、ワインというにはウィスキーのような飲み方をする場合がほとんどだ。薄めずにできればロックがいいだろう」
「なるほどな」
 ワインに氷ってどうよ。思ったが口には出さない。
「……お前は酒豪だったな」
「それはお前もだろ。俺の場合は限界が遠いだけで、酔うことは酔う。樽ごと飲めば酔う程度だがね」
 棚から同じボトルを取りだしてラベルを眺めた。大半の文字は読めなかったが、所々は俺の読める文字で書かれてある。
「私も酔っていないわけではない。体内構造を制御しているだけだ」
 今日のメリアドラスはよく話す。らしくないと言えばらしくないが、たまには饒舌も新鮮でいい。
 だが、俺がボトルを棚へ戻したとき、すごい力で腕を捕まれた。
「なっ、何だよ」
 突然のことに驚いて、メリアドラスを仰ぎ見た。
「これを何処で付けた?」
 地を這うような低音で俺の首元を指さした。そこは先程ウィラメットが口唇を寄せた場所。
「好きこのんで付けたワケじゃねーって!」
「ほう……。相手は誰だ」
「相手って何だよ?これを付けたのはウィラメットだけど、嫌がらせだったぞ!」
 変な誤解をされる前にできればメリアドラスをなだめたい。
 だが、俺の思惑を余所に壁の角へ追いやられ、場違いに微笑むメリアドラスと対峙することになる。微笑みは口元だけで、冷えた視線は怖ろしい。
「またあいつか…。よくよく干渉好きだ」
 言うが早いか俺は床に押し倒されていた。
「お、おいっ!ちょっと待てよ!!」
「聞く耳は持たん。お前の身体に私以外の者が触れたなど、ほおっておけはしない」
「やめろ、おい!シャレんなんねーって!!」
 必死に暴れるが馬乗りに乗られては身動きもとれない。人は来ないかも知れない、そんなことなど気にしないが、こんな薄暗いワインセラーでどうこうしようという趣味は持ち合わせてはいない。
 両腕で押しのけようとしたが、そのままメリアドラスに手首を捕まれた。
「待て待て待て!!!」
 押さえつけたまま、俺の髪を縛る革紐を片手で解いた。その紐で事務的に俺の手首を縛り上げ、丁度頭上で何かにくくりつける。
「お前が泣いて懇願するのなら、考えてやらなくともないがな」
 くつくつと喉の奥で笑い、メリアドラスはボナパルトのコルクを犬歯で抜いた。
「私はお前が泣くところを見たことがない。一度、見てみたいと思っていた」
「ふざけんな!大の大人がそう簡単に泣くか!それより、これ解けよ!!マジのSMは好きじゃないって!」
 さすがに焦って言うが、俺の上に乗るメリアドラスは鼻で笑うだけだった。びくともしない両腕がぎしりと軋む。
「そう暴れるな。後が辛いぞ」
 いいざま青いボトルにそのまま口を付ける。
「てめ、一人だけ飲んでんじゃねーよ!俺にもよこせ。飲まないでやれるかこんなこと」
 腹をくくったわけではないが、しらふで行うには抵抗がありすぎる。せめて強い酒でも飲みたい。
「ふん……。後で嫌と言うほど飲ませてやる」
 見下すように愉悦的な笑みを浮かべ、俺のズボンに手をかけた。
「うわ、ヤダ!絶対嫌だ!!!」
 拒否も虚しくメリアドラスは手早く俺を脱がしにかかる。屈辱的だが罵声を浴びせるにも心がそれを止め、何故か離すことのできない紅玉の視線をただ受け止めるしかなかった。
 メリアドラスは薄く笑い、自らの指を口元に持っていく。唾液を絡ませるように長い指を舐める卑猥な仕草に、ほんの一瞬息が詰まる。白い肌と赤い舌があまりに対照的で。
 縫い止められて動くこともできぬ身体を、ひどく忌々しく思った。足を抱え上げられて羞恥に憤死しそうになる。
「やめっ……、………っあ!」
 唾液に濡れた指をいきなりねじ込まれて、全身が硬直した。前戯も何もなく押し込むような指に軽い苦痛を感じる。目を閉じて余波をやり過ごそうにも、ほぐされていない秘部にはいささか刺激が強すぎた。
 だが根本まで指を飲みこまされてしまうと、その動きは途端に優しく、甘くなる。意地悪く丹念なそれは、否応なしに身体の熱を呼び覚ますには十分だ。
「おねがっ……。やっ………だ………」
 降り注ぐ視線に顔を背け、喘ぐ吐息の合間に懇願する。両腕を拘束され、無理矢理足を開かされて、それでも指に感じてしまう自分がひどく恨めしい。俺にとってこれほど屈辱的な行為は他にない。
 しかし俺の願いにも、メリアドラスは冷酷だった。
「嫌、だと?何を言う。こんなにも締め付けて離さないと言うのに」
 告げる言葉は暴力のようだった。楽しげで甘く語る口調とは裏腹に、言葉の内容で俺を蔑む。しかも、二の句を継げさせないとでも言うように、指の動きは緩慢でまるで焦らされているように淫猥だった。
「知る……か!」
 怒りを込めて言うも、メリアドラスはふんと鼻で笑った。
「この指で何度達したと思っている?」
「なっ…!?て、てめぇ、後で覚えてろよっ!!」
 吠えるのが精一杯である。
 あくまでも有利に立つメリアドラスは、まったく動じない。形勢が不利だ。動かせない両手と、下部から聞こえる粘着音が俺を苛む。何度かの行為のおかげで、そこは俺の意志に反して貪欲だった。性感帯を熟知した長い指は、総毛立つほどの快楽を俺に教え込んだ。
 一度知ってしまえば、忘れることは難しい。脊髄を這うような悦楽の波は、抵抗を溶かしてしまう洪水のようなものだった。
「委ねてしまった方が、楽だぞ?」
 笑いを含む言葉は甘美な脅迫と同じ。
 快楽中枢を麻痺させるような毒を持った口唇は、海の底を思わせる液体を飲み下す。後に漂わせる気配は、止むことのない酒淫の猥雑さだけだった。

  

メリーがただただ変態のようだ。

copyright(C)2003-2008 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.