VSeI - prologue - 02

Vir-Stellaerrans Interface

 世界は広いが、宇宙は未だ狭い。
 そこは生身を永遠に拒絶する。
  ひとはそれでも、宇宙を我が物にしようと藻掻いている。

 

***

 

 その薄く張った膜は、太陽の光を柔らかく通していた。膜の内側から外を見ると、そこに一枚物質があるとは思えないほど透明だったが、外から見れば光を反射する群青色のプレートに見えるだろう。この特殊な膜は日光の他に自然雨を通過させることも出来る。
  一般的に利用されている建築技術だが、小さな森を覆うこの膜は様々な改造を施されていた。主なものとしては光学センサーの類を攪乱する機能だ。膜の内側には森があるだけで、熱源ですら人間までのサイズの生物までしか捉えることが出来ないようになっていた。
『やあ、アレクシス、いいてんきだね』
  木漏れ日落ちる暖かな草むらの一角、白銀の羽毛が太陽の光に輝いている。
  脳に直接語りかけてくるような独特の声は、その生き物から木霊した。
  この森に名前はない。現在では珍しく一切人工物質で変化していない天然の草木と土を残す場所だ。森と呼べるほど鬱蒼とした樹木を茂らせているが、その広さはひとがゆっくり横断して五分かそこらの広さだった。
  周囲は建物で覆われていて、窓は幾つかあるけれど、窓の内側からは樹木しか見ることができないような加工がされている。開かずの箱庭。
  原則立入禁止指定された此処は、広大な施設の中でも最も奥まった場所にあった。立入を許された青年が、どこか宗教的な黒衣を翻して草を踏む。
「さっきまで雨だった」
  十人中十人が美しいと溜め息を零してしまうような美青年だ。計算して作り出してもこれほどの魅力は得られないだろう美貌を兼ねた容姿を持ちながら、けれど儚さは感じられない。訓練されたような隙の無さで歩きながら言葉を返した。
『アレクシスは、はれをよぶから、いいてんきになる』
  巨木の下にそれはひっそりと居た。
  血肉を貪る獰猛なくちばしを持った鷲の上半身と、長い尾と逞しい筋肉に覆われた獅子の下肢。羽毛と体毛、爪やくちばしまでも銀色に輝くその巨体の生き物は、けれど瞳だけは爛々と宝石のような深紅。
『ヴァレンは、まんぞくだ』
  性別という概念が無いけれど名義上『彼』と呼ぶことにしているそれは、自分のことをヴァレンという名前で表す。
  どの生物図鑑にも載っていない。想像図で描かれていることが殆どだが、かけ離れて間違う表現をされることも少ない。このレカノブレバス星で一番多く読まれるお伽話や、果てはどこかの宗教書にも名を残す伝説上の生物。ヴァルレイヴェン
  お伽話の出だしは決まってこうだ。全ての鳥と獣の王。彼はまさしくそのような姿をしている。
「君がそれでいいのなら」
『ああ、ヴァレンはまんぞくさ』
  アレクシスと呼ばれた青年は、獣の腹の辺りに座り込んだ。背を預けると、柔らかな体毛越しに暖かな体温を感じる。幻影や投影ではない。彼は生きてこの場に居た。
『きょうはなにがあった?これからなにがある?』
  くるくると喉を鳴らしながら、ヴァレンは上機嫌で首を回らせた。ヴァレンが好んで姿を現し、その身に触れることを許しているのはこの世に二人だけ。その片方でもより好ましい相手が傍にいるのだから、嬉しくない筈はない。
「孤児院の子供達と朝食を食べて、その後は射撃の訓練。麒麝きじゃの雑用を手伝って昼食を取って、君に会いに来た」
『それから?』
「午後の予定は決めてない」
『ずっとヴァレンといる?』
「そうしてようかな。待機命令が出てるから、外に行くわけにいかないし」
  その答えに、ヴァレンは楽しそうに吐息を吐いた。くちばしの付け根にある鼻から、草木に似た香りがアレクシスの髪を擽る。直射日光から遮られていても、赤みを帯びた金髪が輝いていた。
『でもアレクシスはすぐによびもどされる。とてもざんねんだね』
「ヴァレン…?」
  ヴァルレイヴェンの生態は誰も解明していない。そもそも太古に絶滅していると認識されているのだ。目の前に存在していても、アレクシスさえ知らないことの方が多かった。
  例えば、その出生だとか、強さだとか、人間とどうやって会話しているのかだとか、何を考え、または感じ取っているのか等。
  彼は時に予言めいたことを言うし、過去の出来事をぴたりと当てたりする。小さな端末ひとつで世界の情報を知ることが出来る現在だが、この森にそんな機械が入り込んだ試しはない。
『麒麟がはしりだした。ぶたいがととのったから』
  ヴァレンはそよ風を心地よさそうに、真っ赤な瞳を細めて歌う。
『破壊がくるよ、アレクシス』
「…何だって?」
  物心を覚えてからずっと変わりないヴァルレイヴェンが、初めて不穏な言葉を発した。アレクシスは腰を上げて聞き返す。けれど獣は楽しそうに喉を鳴らしていた。
「ヴァレン、何がはじまる?」
『はじまるのはきみだよ、アレクシス』
  それっきり、彼は太古の歌を口ずさむ。言葉ではない音程が低く高く。
  アレクシスは追求を諦めて座り直した。物騒な台詞だ。育ったこの施設が厄災に見舞われた事は、その歴史を漁っても無かったことだ。戦争は探せば何処にでもあるけれど、職業柄特殊なこの団体に火の粉が降りかかることはそうない。何か悪いことが始まるので無ければいいが。
『破壊はヴァレンをうみだしたもの。ヴァレンのてきじゃないけれど、このよではもうかんけいがないね』
  鼻歌の途中、ヴァレンが笑いながら呟く。
  やはり意味は解らない。彼との会話は、どこか通じているようで時折遠く外れる。ずっと後になって意味がわかることもあるし、まったく解らないまま終わる事の方が多い。
  だからアレクシスはそれ以上考えることを放棄した。
  ヴァレンとの会話は日記に残すことさえ許されていない。全ては記憶の中に留め、それがこの伝説の獣を生かしている。
  薄い膜が時折煌めく空を眺めて、アレクシスは長嘆した。それから、空と海を足したような瞳を閉じる。心残りはあるけれど、今考えても仕方がない。鼻歌はやがて子守歌に変わり、誘われるように睡魔が訪れた。眠ってしまってもいいけれど、ちりちりと警戒心に似た何かが邪魔をする。
  暫くそうやって微睡んでいたアレクシスは、しかしヴァレンの予言通りに呼び戻されることになった。
『破壊がくるよ』
  アレクシスが森から去る瞬間、獣の声が柔らかく木霊した。

 

***

 

 フォルト協会の建物は低層のものが多い。高層建築がまるで林のように立ち並ぶ街の中、その敷地は森林公園よりも広いと言われている。小さな森や庭園は全て無料で開放され、休日は緑を求める人々が訪れる場所だ。
  景観を邪魔しないよう配慮された低い建造物は、在る意味贅沢な代物だ。溢れかえった人々は、高くまたは低くその居住スペースを開拓している中、敷地に頓着せずどっしりと構えたいくつもの屋敷の姿は一見の価値がある。
  その内部は、古くからの技術を守り通している事もあれば、最新の設備を備えている場合もあるので、利用に不都合は感じない。
  レカノブレバス星で一番の規模を誇る国家連合の中心都市に、フォルト協会総本部が在った。街の外れに位置して居るとはいえ、交通に不便はない。入り口の目の前には各種停留所があるし、施設の中を移動するにしても車やモノレールで事足りる。
  アレクシスは街に近いそんな場所から真逆の、訪れるには面倒な最奥の屋敷の廊下を歩いていた。箱庭の森を腹に収めた、大きな邸宅。
  長い廊下だ。両脇にある扉の間隔は広い。内装のデザインは今ではアンティークで、扉の全てが手動開閉式だ。けれどこの屋敷には所々最新の技術が詰め込まれている。例えば、全ての無線通信機器が不通になるようなジャミング波が張り巡らされている、とかだ。古くさくて不便でも、恐らく実現させようとすれば随分資金がかさむ事だろう。もっともそれを必要とする者は、余程の資産家か好事家だけだろうけれど。この屋敷の場合、持ち主は後者だった。
  天然木で出来た両開きの扉の前で、アレクシスは一度立ち止まった。ノックを二度。
「どうぞ、アレクシス」
  誰何せず扉の向こうにいる人物を当てた声に、いつもの事ながら僅か驚く。監視カメラの類があるわけでもないし、絨毯で足音さえ消えているというのに。
「失礼します」
  軋んだ音を立てる扉とは正反対に、衣擦れすらさせぬ静かさでアレクシスは部屋に入った。光の差し込む、静謐な部屋だ。手編みの絨毯の上に、雰囲気を壊さない古くさい応接セットが鎮座している。その奥、重そうな焦げ茶色の机の奥に、その人はひっそり佇んでいた。
「ヴァルレイヴェンは元気にしていたかな?」
「概ね。今日の彼は上機嫌でしたよ」
「それは結構」
  にっこりと微笑む静の気配。光を失った白髪を長く伸ばし、少年のようで少女のような華奢なかんばせ。ほっそりとした肢体は、成人と子供の境目で、年齢を予測することも不可能なミステリアスな雰囲気があった。
  鳥と獅子の王ヴァルレイヴェンと同じく性別不詳で、便宜上彼と呼んでいるものの、本来の生態は誰にもわからない。彼こそが、宇宙に広く知れ渡ったフォルト協会で頂点にいる人物だ。名を、麒麝きじゃという。正式な役職名ではないけれど、ひとは彼のことを枢機卿と呼ぶ。
「何かお手伝いすることでも?」
  感情の読めない微笑みには慣れているアレクシスは、机の前で足を止めた。枢機卿について知っている事は少ない。引き取られてから育ててもらった今まで傍にいたけれど、彼が『麒麟』種と呼ばれる異星人であることと、彼の母星はとうの昔に滅んで居ること、加えて永きにわたるフォルト協会の創設者であるという事くらいだ。
「今後、ね。君を借り受けたいという要望があった」
「『仕事』ですか」
  フォルト協会は慈善企業であるが、その中枢で枢機卿直下の私設傭兵部隊を抱えている。
「相手は?」
「AUGAFF」
  麒麝の端的な台詞に、アレクシスが顔を顰めた。
  その名称を知らない筈はない。この広く拓かれた宇宙で、母星から出たことがなくとも知っている。レカノブレバス星系を本部とする大連合軍の名だ。
「軍事組織に派遣することを嫌っていた貴方が、どういう風の吹き回しです」
「古い友人からの頼みでね。同胞を無碍に出来ないのさ」
「…自分で言うのも何ですが、俺は使い勝手が悪いと思いますよ?」
「『殺さず』の君だと、あちらも承知している」
  微笑を絶やさぬ麒麝は、革張りの椅子から立ち上がって応接椅子の方へ。白を基調としたローブは体型を上手く隠していて、性別不詳さに輪をかけていた。正反対の黒衣に身を包んだアレクシスより小柄だが、ひ弱そうな印象は受けない。仕草ひとつで促されたアレクシスは、ソファの一つに腰を下ろす。
「何か裏でも?」
「さあ。純粋に戦力としてカウントしているのだろうけど、君がどうしても嫌だと言うのなら聞いてあげてもいいよ」
  ポットからお気に入りの香草茶をカップに注ぎ入れた麒麝は、テーブルの上にそれを並べた。
「与えられた仕事はこなしますよ。ただ飯食らいは性に合わない」
「君を商売道具だと考えていない。君たちは皆、私の子供同然だと思っているのだから」
  自虐的な言葉を苦笑と共に窘めた麒麝は、ゆっくりとソファに座った。
「明後日、君の迎えが来る。君の装備はそのまま持っていくといい」
「随分急ですね。何処の部隊に派遣されるんですか、俺は」
  打ち合わせも目的も知らされぬまま任務に出ることは皆無だ。単独で派遣されるということも滅多に無い。訝しむアレクシスを慈愛の視線で見つめながら、麒麝はカップに口を付けた。
「銃戦闘員の欠員補充ということだけれど、何か作戦があるとは聞いていない。詳しくは迎えの者に聞けばいい。むこうで何が起こっても、君の判断に一任するよ。制約は何も課さない」
「そんな無茶苦茶な契約を交わすなんて、貴方の古い友人というのはどんな人ですか」
「数少ない『麒麟』の生き残りさ。私は彼らの行く末を見守る義務がある」
「AUGAFFに『麒麟』種が居るとは初耳です」
「あまり表に出る性分じゃないからね、私達は。そう、彼は今、総帥という立場にある」
  それは大それた相手だ。アレクシスは言葉を継げずに飲み込んだ。AUGAFF全軍の最高指揮官。争いを厭うと伝えられる『麒麟』が軍人家業とは数奇だが、もしかしたら一番向いているのかもしれないと思う。AUGAFFは面目上防衛を担っている。争いを回避してこそ、攻めるための戦いは好まない。綺麗なだけでは無いだろうけれど。
「それよりも私は、君がこの地を離れる事が心配だよ」
「…ということは、駐屯地じゃなくて、惑星基地スフィアですか」
「そう。セントラルスフィア。その中枢、通称『遊撃隊パルチザンコラム』」
「聞いた事がない」
  お茶を口に含んだアレクシスは続けて「AUGAFFに詳しい訳ではありませんけど」と呟く。
「私もそれ程詳しい訳ではないさ。…君と対極に位置しているようなものだとは思うけれどね」
「はい?」
  聞き返しても、枢機卿は静かな笑みを返すのみ。
  アレクシスは後ですぐに調べようと決意する。自分が派遣される先が未知のままというのは、どうも具合が悪い。軍隊というだけで好感は持てないのだから尚更。
  侵略戦争を繰り返す国家というものは、この広い宇宙では少なくない。星間戦争へ発展しないのはAUGAFFという抑止力が働いている証拠だが、そもそも戦って奪い取ることを止めてしまえば誰も悲しまないと思っている。それが甘い考えで、絶対的に不可能だと解っているけれど。戦いを望む者が居るから軍隊という組織が生まれたのか、身を守るための武力を持った為に戦いが始まったのか、ひとり考えても答えが出ない問いだ。答えが出たとしてもそれを止める術は持たない。
  そもそも宇宙は人間を拒んでいる。宇宙空間で生きることが、そもそも戦いかもしれない。生身でも死ぬ事の無い種族は、探せばどこかに存在しているのかもしれないが。
  アレクシスはこの星が好きだった。地に足を付けて生を繰り返す日々を何より至上だと感じている。二十歳のアレクシスと同じ年齢の者達は、異国に思いを馳せるように異星系に夢をみるというのに、彼は不思議とそんな思いは抱かなかった。
「それ程長い期間ではないから、旅行気分で行っておいで」
  長考を破ったのは穏やかな麒麝の声だ。
「ドラマや映画でやってるような軍隊生活を求められたら、俺は真空宇宙を泳がなくても窒息しますよ、きっと」
「それは大問題だ。私なんか『イエローフラッグ25』を毎週見てても参加したいとは思わない」
「そんな無責任に笑わないでくださいよ…」
  連合国家軍特殊部隊をヒーローにした大衆ドラマはこの国では高い視聴率を誇る娯楽番組だが、目の前の枢機卿とそんなTV番組が結びつかない。それよりも、アレクシスを自分の子同然と言っておきながら平気で軍属へやろうとする思考は、やっぱり常人には理解できないものだった。冗談だろうけれど、笑っていいものか悩む。
「でも君は、私の元へ帰って来る頃には、きっと何かが変わっているはずだよ」
  こぼれ落ちた中性的な声に、アレクシスは顔を上げた。
  ヴァレンの予言めいた言葉が脳裏に浮かんでくる。
『はじまるのはきみだよ』
  ヴァルレイヴェンと『麒麟』種の麒麝は似ている。滅びの手前に居ながら、それすら些末事だと言い切ることの出来る悠然とした態度。凡人では計りきれない全知さ。片やレカノブレバス固有種、片や異星人。他の個体を知らないから比べることはできないけれど、きっと同じようにミステリアスで、心引かれる生き物には違いない。
  アレクシスに見つめられた麒麝は、すべて知っているとでも言いそうな超然とした気配を纏って。実際その場に居たわけでもないのに、彼は驚くほど正確にアレクシスとヴァルレイヴェンとの会話を把握しているようだった。
「ヴァルレイヴェンは気に入った者に虚言を告げない。彼の思惑は私の知るところではないけれど、君に敬意を払っていることは解る」
「ヴァレンと俺は友人です」
「そうだね。それが彼の望むところでもある。私はこの星ではただの客人(まろうど)に過ぎない」
「人種のボーダーを語るとは、ナンセンスですよ、麒麝」
  宇宙が開拓され、数多の銀河系が知れ渡り、幾度の争いの果てに訪れたこの世の中では、性差と同じくらい人種差の境界は曖昧になった。閉鎖的な国家や集団でない限り、隣人の生まれや遺伝子が違おうと偏見の目はないのだ。フォルト協会の内部ですら人種のるつぼなのだから、世界はそれより雑多。
  麒麝の主張は無意味だとまで言い切れないけれど。母星を失った者の心境はアレクシスに理解できるものではない。アレクシス本人でさえ、生粋のレカノブレバス星人とは言え、今時珍しくもないが、代表的な人種から見れば混血だった。
  レカノブレバス赤道周辺に多く見られる金髪の殆どは、浅黒い肌をしている。けれど彼は透き通るような白い皮膚。白い肌は北方に多い。元々スラム街で生まれた彼には、両親の記憶が無いのでどんな混血なのか知るところではない。遺伝子情報を調べれば簡単に解るけれど、一般的な教育を受けているのでそんなことこそ些末だと言い切れた。興味は無い。
「そのうち君にもわかるさ」
  枢機卿は曖昧に微笑む。彼の謙遜なのか、それ以上の意味を持っているのか、その表情から読み取ることは出来なかった。

 

***

 

 香草茶を飲み干したアレクシスは、今後の引き継ぎのためと告げて枢機卿の私室を辞した。同じ屋敷内にある一室へ。けれど目的は引き継ぎなどではなく、自分の知的欲求を満たすため。簡素な扉を開けると、その中は建物に対して不釣り合いな機材で埋め尽くされている。
「ロキ、今いいか?」
  数多のディスプレイと、それ以上に並べられた金属製の箱の隙間に黒髪の青年がひとり。回転椅子を軋ませて振り返り、ロキは銅色の瞳を細めた。
「来る頃だと思ってた」
「…また盗み聞きか」
「麒麝だってわかってる。フォルトのシステムは僕が一任されてるんだし」
  けらけら声を上げて笑う無邪気な姿に、アレクシスもつられた。ロキもアレクシスと同じ黒の長衣姿だ。これはフォルト協会の制服みたいなもので、正式な構成員達は皆平等に纏っている。着崩しや在る程度の改造が認められているから個性を表すのは各々自由だが、この場の二人に限っては何も手を入れていない質素なままだった。
「何を知りたいの、アレク」
  唇を吊り上げてロキが小首を傾げる。彼はアレクシスと同じフォルト協会の孤児院で生活を共にした幼なじみだ。歳も殆ど同じ。
「AUGAFFのデータをどれだけ引き出せる?」
  率直にそう聞けば、いつもなら二つ返事で了解するロキが嫌そうに顔を顰める。
「……やっぱりそう来た」
「お前に敗れない防壁でもあるのか?何処の国家機密だろうが軽々拾い上げるくせに」
「僕は魔術師マギだけど、賢者フィロソフィアじゃないから。弱点暴露するみたいで格好悪いけどさ、AUGAFFとナタナエルのマーヴェリアル王家の二つだけは出来ることなら手を出したくない」
  機械全般、とりわけコンピューターなど全方向型情報端末の操作で天才的な才能を発揮する者達を、まるで魔術師のようだと例える。彼はその点まさしく最高レベルに居るだろうと、門外漢であるアレクシスはずっと認識していた。間違ってはいない。マギより高度な神業を披露する事ができればフィロソフィアと称されるらしいが、それは殆どお伽話だという。
  ロキはフォルト協会を結ぶ全てのネットワークを再構築して絶対防御のシステムを一人で組み上げた。彼にとって他のネットワークなど子供だましと同じ。そのロキが突破できないシステムがあると言う。
「まあ、ぎりぎり見れるとこまでなら、頑張ってもいいけど」
  麒麝が怒らなきゃね、と。
「そんなに厳しいのか?」
「……兄妹がいるから、かな」
  ぼそりと呟く言葉に、アレクシスはそれ以上の追求を諦める。ロキは身内のことをあまり話したがらない。レカノブレバス人ではないことは確かだが、何処で生まれて、何故生まれもってのマギであるのか幼なじみ相手にすら口を割ることは無かった。
  無理強いする気がまったく無いアレクシスは、それなら一般閲覧可能域まででいいと言いかけた時、よし!と気合いの入った声と共にロキが腕まくりをする。
「ちょっと腕試しでもしてみるか!久々に!」
  至って明るく笑顔に戻った彼の顔には、取り繕ったような気まずさは微塵も見あたらない。肉親のことに口が堅い理由はマイナス感情からではないと、無邪気な彼は態度で告げる。
「いいのか?…まあ、ほら、一応、犯罪だろ?」
「バレなきゃいいんだよ。もしバレても、今回に限っては別に問題ないし」
  その自信は何処から来るのか問いただしてみたくもなるけれど、ロキの実力は嫌と言うほど知っている。彼を信じよう。
「で、AUGAFFの何を調べたらいいわけ?」
「『遊撃隊パルチザンコラム』」
「何それ」
「知らないから知りたい。隊ってくらいだから、部隊名かコード名か何かだと思うけど」
  アレクシスは枢機卿に告げられた事情までしか情報が無い。
「もっと何かないの」
「セントラルスフィアの中枢に食い込んでる、ってくらいしか」
  相手がロキでなければ、ここまで伝えるということも本来有り得ない。傭兵は仕事内容と雇い主に対する情報を漏らすことを絶対的に禁止している。フォルト協会が派遣する傭兵についての情報は全て麒麝の中に完結されているといえ、システム管理者のマギ相手には筒抜けだろう。
  悪戯っ子のようににやにや笑っていたロキは、本日何度目かの顰め面に戻った。
「よりにもよるなあ…。あんまり期待しないでね…」
  先程の自信は何処へやら。それでもロキはくるりと椅子を戻して、所狭しと並べられた機材に向き合った。
  彼は体内に無数のナノインプラントを飼っている。肉体改造を施したサイボーグとは違うけれど、性能はそれ以上だ。今では一般的に普及されてきた技術だが、施術の簡単さよりも適応性でひとを選ぶので、万民が共有出来るものではない。機材無しで情報通信を行える便利さはあるが、大半の者達は未だ通信端末を身に付ける方を選んでいる。
  ロキの持つナノインプラントはm情報ネットワークにマンマシンインターフェースを介さず生体単独でアクセス出来る。
  今回はそれ以上の高度アクセスが必要。ロキは両手の指をフル活動させ、演奏者のような手付きでいくつものキーボードに触れ、同時にナノインプラントを稼働させて情報の海に潜った。
  くるくると移り変わるディスプレイを見つめるアレクシスには、彼が実際どんな作業を行っているのか理解できない。観客は大人しく見物。
「うわっ、ノアだ!」
  開始して数分。機械の作動音だけの室内に、ロキの悲鳴が上がった。
  付き合いが長いけれど、滅多に聞かないような声だ。何事かとアレクシスが覗き込めば、中央のディスプレイが暗転していた。
『Do you want to be punished ?』
  真っ暗な画面は電源でも落とされたのかと思いきや、たった一行の文章がちかちかと点滅していた。
  風船から空気が抜け出るような長い溜め息を吐き出したロキが首を反らして天上を見上げる。アレクシスには知らない言語で、その意味を理解することは出来なかったが、彼の様子を見れば挑戦が失敗に終わったのだろうと解った。
「駄目だったのか…」
  傷口を抉ってしまうかと言った後に思ったが、リアクションほどロキに消沈は見られない。
「ごめんな、アレク。いいとこまで行けたかなと期待させといて、兄貴が出てきた。お仕置きされたくないから、これ以上潜るのは無理っぽい」
「そ、そうか。こっちこそ悪かった」
「ううん、へいきー」
  それでもぶつぶつ何処かへ向けて悪態を付きながら、ロキは黒い画面を復旧させる。
「『遊撃隊』が何か解らなかったけど、AUGAFFにとって重要な位置づけにあるのは確かだろうし」
「ああ、そうか…」
  どれだけの深度でネットワークに潜り込んだのか定かではないけれど、ロキの腕前で瞬時に追い返されるくらいなのだから冗談ではなく軍事機密の何某かなのだろう。過剰反応するのだから、それだけ重要な、知られたくない情報だと。
「これは保険になるか解らないけど、もしノアが居るならそう悪いものじゃないはずだよ」
  首の後ろを掻きながらロキは呟く。
「ノア?」
「うん。俺の兄、かな」
「ロキがそこまで話すのは、珍しい」
  そうかな、とロキは曖昧に笑った。ロキにはアレクシスに対して負い目がある。直接害を及ぼした訳ではないけれど、とても複雑で制約の多い事情が。いつか全て告白出来ればいいのだが、今はこの関係を壊したくないし、アレクシス自身も薄々勘付いていながら気付かぬ振りを見せていた。それが尚更申し訳なくて有り難くて、ロキはアレクシスの頼みならば断らないのだ。
  他者相手ならこんな危ない技術を簡単に披露する事は無いだろう。
「あんまり力になれなくて、ごめんね」
  椅子の上からアレクシスを見上げる姿は、飼い主に叱られたペットに似ている。
「馬ぁ鹿、十分だ。俺の方こそ助かった」
  黒髪を拳でこづいたアレクシスが、目の覚めるような笑顔を返した。
「ありがとう」
  何が出ようと、二日後に解るだろう。

  

伏線とか色々詰め込んだまま進行していきますが、最終的に全部解明していきます。ちなみに、キャラクターがカタカナ語を話している部分ですが、日本人が英語をカタカナ語にして使っているような感覚でとらえてくださると幸いです。
※ 『Do you want to be punished?』 : お仕置きされたいの?
2009/06/06

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