VSeI - 01 Positive Discipline - 2 -

Vir-Stellaerrans Interface

 アレクシスの身体能力はレカノブレバス人としては高い。特に敏捷性は目を見張るものがあると、現役軍人であるルイは感じた。短距離走のタイムを計ることはしないが、いい記録が出そうだと簡単に想像できる。柔軟性も高く小柄なので、これは本気で戦闘機にでも乗せて見たいと半ば本気で思った。冗談だが。
「ウォームアップは済んだな?」
「ああ。……本当に、銃とやるのか?」
  短く応えたアレクシスは、けれどルイの手にあるそれを見つめて尋ねた。
「お互い使い慣れた得物が最大限実力を発揮出来る」
  ルイは長い刃物状の武器の鞘を肩に当てながら笑った。
「出力は精々20%に設定してある。だからって自分が遠距離武器だと高をくくってりゃ怪我するぜ?」
「そんな油断を、貴方の前でする気は無いが」
「結構」
  至近距離で弾道を避けたルイの片鱗を見ているアレクシスは、腕を組んで頷いて見せた。
「ノア!ランダムセット、防壁は念のため最大に設定しておけ」
『イエス、サー』
  准将の命令に、訓練室のスピーカーから声が返る。
  ここはSOACOM司令室の訓練室。大型ディスプレイの設置してあるメインコントロールルームの奥には、一般兵が訓練する場とは違った専用の訓練室があった。大小あるうちの、この広さでも小さい方だ。
  ルイの部下達は、その任務の特殊性から主だった訓練を外部の部隊へ見せる事は少ない。とりわけサイオニクス関連の能力訓練など、際だった特異戦闘を行う為に様々な改造が施されている。
「配置はブリーフィングの通り。スタートの10秒前に障害物が組み上がる。どんな障害物が出てくるのかはランダムだから俺もわからん。条件は同じ、大丈夫だな?」
「ああ。特殊弾のマガジンの動作確認も済んでいる。いつでも始めてくれ」
  どの程度の障害物がせり出してくるのか、天井の高い何もない空間の外側にあるコントロールルームで一度確認していた。
  ルイは若干の緊張を漂わせたアレクシスを一度見つめ、指定の場所へ向かった。この訓練室は広い。サイオニッカー達がその能力をフルに生かせるよう、技術の粋を集めて作られている。だから通常の武器では外壁に傷すら付けることが出来ないだろう。
『配置確認。システム起動します。カウント30。10カウントでフィックス。カウントダウン開始、30、29、28…』
  ノアの機械的な音声が室内に響く。ルイ、深呼吸。期待と喜び。久々の興奮を味わう。
  利き手に握る武器は、メンテナンスが終わったばかりのものだ。兵器開発の主任が直々に作成した、ルイ専用にカスタマイズされた剣。切断・打撃・貫通性は汎用の物とそう変わりはないが、これはサイオニッカーの能力を最大限引き出す別の効果があった。
  AWC−LS0X”sivan”、それがこの武器の型番だ。
  ルイはサイオニッカーではない。サイオニクス値は、どんな機材で計測しようと針が振れた事は一度もなかった。それにも関わらず、この特殊な武器を使いこなすことが出来る。矛盾のような事実を、武器として形に表した開発部には恐れ入るが、その分の見返りは身体で払っていた。
『3、2、…開始します』
  長剣の鞘を抜いた。乱立する障害物で、相手の姿を視認する事は出来ない。足跡も気配も絶って、ルイは死角に潜んだ。

 床から迫り上がってきた目の前の障害物に、アレクシスはそっと触れてみた。冷たい金属の感触。微かな振動を感じる。
  三面を壁に囲まれ、このまま黙って追い詰められることが嫌ならば正面の通路を抜けるか障害物の上に昇るかだ。ルイは遠距離に使える武器は持っていなかったと記憶している。もちろん戦地では道ばたの石ですら武器になるので、甘い考えを持ってはいけない。ここに石ころは無いが。
  音を立てずにひっそりと進み、壁の途切れた場所で立ち止まる。ホルスターから銃を抜いて、グリップの光沢を利用して周囲を窺った。本来鏡に類する物を使うのだが、二丁拳銃をスタンスにしている者の為、細かな改造が施されている。
  気配も人影もない。拓けた場所ではなさそうだ。浅く呼吸をした後に、アレクシスは奥へ踏み入れた。
  こんな原始的な訓練は正直初めてのことだ。目標に対する機械や電子的な援護が無いというのは、些か心許ない。こちらが見つからず先に相手を補足できるといいのだが、最悪鉢合わせになった場合の回避行動は避けたい。銃口から弾丸を発射する早さより、抜き身の得物の方が速度は上だろう。
  アレクシスは警戒心をレーダーの様に張り巡らせて、相手のことを考える。
  敵――ルイの得物は剣だ。
  彼の足の長さよりは短いが、棒と言うには短すぎた。コンバットナイフならば理解できるのだが、それにしては刃渡りが長すぎる。ただの刃物で無いことは、簡単に説明されていた。アレクシスはその武器の名称など知らなかったが、例えば時代物の映画などで剣士が振り回していそうな形だと思った。最も、装飾も何も無いので無骨に過ぎたが。
  射撃訓練の腕前で言えば、ルイは確かに軍人として優秀だ。身体能力も高い。それなのに近接武器を選択するのだから、何か思惑でもあるのだろうか。
  戦闘補助スーツなどにより、生身での格闘というのはそれ程多くないと思っていたが、センスを養う為にはやはり肉体に覚えさせる事が大事だと学んでいる。宇宙空間に浮かぶ施設は、観光目的でもなければ通路は狭く作られている。だからより生身に近い戦闘術を身に付ける事は理にかなっていた。迂闊に傷を付けて住処その物を破壊してしまうと、味方ですら危うい。だから潜入作戦などでは大火力の武器を施設内で扱う事はあまりない。空気と水は場合によって、命より貴重だ。
  アレクシスに与えられた弾丸は、火薬を扱わないものだ。一般的に扱われているものより、威力が上げられている。訓練用の弾を使うのかと思いきや、通常弾であることに驚いた。しかもサイオニッカーを相手にしても殺傷力があるという。
  何度か障害物の角を曲がって、死角に潜む。
  ふいに違和感を感じた。ちり、と針でつつかれたような感覚。人の気配にしては、鋭い。一瞬で消えたその感覚を覚える。自分で無ければ、相手の気配だ。
  近くはないが、それ程遠くはなかった。射程距離内だと、経験が言う。そんなはずは無いのに、先程の気配を知っているような気がした。
  素早くグリップで周囲を確認すれば、面倒なことに拓けた空間が出来ていた。障害物が無いのは、相手にとっては不利だろう。場所さえ押さえてしまえば、射撃ポイントとして文句はない。だが一撃で仕留めることが出来なければ、射線からこちらの居場所を特定されてしまう。
  こちらからは、空間へ三カ所の出入り口が開いている。少し考えたアレクシスは、中央の場から相手を迎え撃とうと決めた。相手の懐へ入り込む事は、現時点では避けたい。運良く、障害物の上部に隙間がある。僅かな助走で壁を昇って陰に潜んだ。
  深呼吸。余計な力を抜いて、己を場と同化させる。
  どれくらい待ったか、姿は見えないがアレクシスにはわかった。
  相手側唯一の出入り口の近くにルイが居る。どう出てくるだろう。長期心理戦を望まないのなら、そこからこちらへ来るしか方法は無い筈だ。
  足音は無かった。風のような自然さで、ルイがゆったりと姿を現す。ちり、と先程感じた気配。有り得ない筈だ。過去どこかで感じた事があるような気がする。だが今は忘れろ。
  両手で銃を構える。当たればいいのではないから、精度を求める。無心。ルイの三歩目が終わる直前、引き金を引いた。
  狙いは心臓ではない。眉間だ。発砲音は小さい。続けて二発。相手に聞こえる音量ではない。しかしルイは、素早く切っ先を振り上げて弾丸を弾き飛ばした。
「……」
  何だあれは。
  一発ならば、広い宇宙を探せば防ぐ者も他に居るだろう。だが、二発だ。微妙な差でずらした射線を、寸分違わず当ててくるなんて、サイオニクスではないのなら、何だと言うんだ。
  アレクシスは驚愕を、切り離した感情で意識する。狼狽する事がないのは、マインドセットを戦闘仕様に切り替えてある所為だ。
  剣を構えたままのルイは、赤い瞳をアレクシスが潜む場所へ動かして唇を吊り上げた。静かに、にたりと笑う。予測範囲内だったのだろう。その程度はアレクシスにも解る。銃身に一発残して、マガジンを空にするだけ撃ち込んで、素早くその場から降りた。姿は見られていない筈だ。
  新しいマガジンに入れ替え、外側の出口へ駆ける。中央から来るはずがないという心理に付け込んでその場に居ても良かったが、相手も同じ事を考えている可能性は否定できない。ならば何処にいても同じ事だ。三つのカップに玉が一つ、手品師ならば全てのカップに玉が入っていないという事も出来るだろうが、アレクシスにそんな芸当は出来ない。
  元来た場所へ逃げ込んで相手を撒くことも案のひとつではあるが、有利な場は最後まで取っておきたかった。
  時間にして数秒。
  アレクシスは本能が発する危険信号に身体が反応し、上体を下げてしゃがみ込んだ。毛先が微かに焼ける。三カ所から当たりを引き当てたルイの切っ先が振り下ろされる前に、反動を利用して拓けた空間に飛び出す。振り返らず、一発。踏み込んだ足が着地する前にもう一丁をホルスターから抜き出して一発。
「いい動きだな!」
  剣と足捌きでやはり弾丸を避けたルイが、楽しそうに吠えた。ちりちりと、視認していなくても気配を感じる。剣の間合いの外に居るが、ルイが追ってきていると解る。正面の壁にはルイが出てきた通路があった。障害物の上部に隙間があるので、駆け上って身体を滑らせる事も出来るが、その動作の間に仕留められるだろう。
  アレクシスは勢いを止めずに壁へと走った。直線距離を競えば、早さではアレクシスが上だ。逃げるだけならば。だがアレクシスは間合いぎりぎりを保って引き付けながら、速度を微妙に調節していた。
  壁に数歩。間合いに入った瞬間、速度を上げる。切っ先が首を狙っている。アレクシスは飛んだ。軽業師の様な身軽さで。ルイが剣を薙いだ場所にアレクシスの首は無い。片足が壁を蹴り上げ、その反動でルイの頭上を抜けた。身体を反って、広い背中と銀髪目がけて持てる速度の銃撃を繰り出す。着地するときには全弾、銃身に一発ずつ器用に計算して残し、撃ち尽くしていた。超至近距離から十数発の弾雨。
  アレクシスはそのまま、自分が先に居た側へ走った。目標沈黙の確認はしない。出入り口の一つに滑り込み、迷路のように入り組んだ障害物の間に身を潜ませる。
  鼓動が早い。それでも焦りはない。素早くマガジンを交換する。終了のコールは、まだ無かった。

 

***

 

「…背後を取ったの?今のって」
  金の巻き毛を肩口で切りそろえた女性が、褐色の肌に似合う白っぽい唇で誰ともなしに尋ねる。
「追い風、ですね。空気密度が変化した」
  ノアがディスプレイに表示される幾つかの数値を見つめながら呟く。
「どういうことですか、大佐」
「詳しいことは後で解析してみます」
「サイオンは感じなかった。…私には」
  訓練室のコントロールルームには、ノアの他に数人の隊員達が居た。彼女以外は、皆固唾を呑んでディスプレイに注視している。
「一瞬でも准将の背後を取るなんて、信じられないわ」
「ゲイブ大尉、ルイだって人の子ですよ」
「そうですが、……だって私の知る限り、あんなに見事に准将の背中に攻撃出来た奴なんて知らないもの。ムカツクわ」
  ノアは、信じたくないと声色に出す彼女に見えないよう苦笑した。
  ゲイブ大尉――ガブリエーラ・ギブリル大尉は、ルイより一つ年下の武官だ。中でもとりわけ上司である准将に対する信奉が強い。褐色の肌に残る頬の微かなそばかすが、彼女を幼く見せている。
  彼女はルイと同じく生粋のレカノブレバス人であり、サイオニッカーだ。SOACOMに配属されて以来、上官に殆ど崇拝に近い忠誠心すら持っていた。負け知らずの准将に、常に勝利を抱いている。
「…後で今のVI見せてください」
「ルイの許可が下りればね」
  ノアは軽く答えながら、映像ではなく様々な数値こそを見つめていた。

 構えを解いたルイは、うっすらと笑みを浮かべながらも、その瞳は鋭くアレクシスが消えた障害物の出入り口を見つめていた。
  ランダム配置にしては計ったような空間に、弾丸が転がっている。それは最初にアレクシスが放ったもので、今立っている場には残骸すら残っていない。まるで蒸発したかのように消えていた。
「…まさかここで使わされるとはな」
  肩慣らしのように首を回したルイは、sivanの刃を確認する。刃こぼれは無い。制限出力を上回った力を乗せれば壊れてしまう。開発主任にどやされるのは御免蒙りたい。
  驚愕と悔しさが入り交じったような感情より、歓喜が勝っていた。
  あの一瞬、頭上を飛び越えていったアレクシスは、正確にルイの背後から銃弾を撃ち込んでいた。まさか相手を仕留めることが出来るとは思っていなかったが、下や横ではなく上から逃げられるとは予測していなかった。振り返り様切り上げて落とすことも出来なくはなかっただろう。油断していた。
「舐めてたのは俺の方か」
  アレクシスの敏捷さは二次元ではなかった。空間そのものをフルに生かしてくる。銃戦士としては及第点もいいところ。実力を低く見積もっていた。美しい容姿に惑わされでもしたのだろうか。そんな筈はないと言い聞かせる。
  壁を蹴って宙返りを行うのは、身体能力に秀でた者ならば難しい技ではない。だが隙を最大限減らして攻撃に転じる事が出来る者は多くないだろう。軍人ならまずやらない。
「本気でいたぶりたくなる」
  ぺろりと唇を舐めた姿は、肉食の獣に似ていた。
  銃弾の怪我は無い。彼は己の身体に撃ち込まれた弾丸を、跡形もなく消していた。監視映像には、唐突に消えたように保存されているだろう。だが、もしゆっくりと傍で見る事ができれば、それは塵になり質量その物が溶けて霧散してまったと感じる。
  物質を砕くサイオニッカーでも強力な者ならば、同じような事が出来る。質量消去は出来ないだろうけれど。しかしコントロールルームで監視しているノアにすら、サイオニクス値は検出していない。
  これは、ルイの能力の一端でしかない。タネの無い手品。
  マインドセットを、完全に切り替える。亡き父ならば無表情だったろうが、彼には薄い笑みが乗る。獲物を追い詰め、破壊を求める眼は、前髪に隠れて映像には残らなかった。
  ゆっくりと、三カ所の出入り口の内中央を選んで通路に入る。綺麗に消してある気配を追う。現在地は把握出来ないが、点々と痕跡のように残っていた。
  不思議と解るのだ。これは誰にも打ち明けていないが、アレクシスの傍は空気が清む。人工的に清浄された匂いではなくて、地上の空気に近い。心地よい。計器が誤差の範囲内で示すような僅かな差だが、ルイには堪らなく馨しく感じた。
  剣の鞘は先程の広場へ置いてきた。抜き身の両刃は、いつでも獲物を仕留められるよう絶妙な位置で握っている。
  角の直前で立ち止まった。居るな、と端的に感じる。ルイの気配は、弾丸を消してしまったのと同じように無くなっていた。隙を、一瞬でも与えるつもりはない。重心を下げて、踏み込んだ。
「!!」
  アレクシスは初檄を避けた。紙一重だ。すかさず引き金を引くが、ぎりぎり当たらず障害物に当たる。跳弾を期待したが、無情に落下した。
  殆ど反射作用だけで斬檄を避け、同時に弾丸を放つ。だがルイも上手だった。通路を最大限に生かしてアレクシスは逃げるが、長剣にもかかわらずルイの動きは小さい。無駄を一切省いた切っ先が襲う。信じられない僅差で弾丸は全て避けられている。その幾つかは消えて無くなっているのだが、アレクシスにはじっくり見ている暇は無い。
  ふわりと風に似た空気の動きを感じて、ルイは瞳を細めた。先程の立ち回りで隙を突かれた違和感の正体はこれだろう。サイオニクスではないな、と冷静に判断する。だが逃がさない。間合いはこちらのものだ。
  足払いを機敏に避けたアレクシスの肩、急所に掌底を叩き込む。一瞬ふらついた隙に追い打ちをかけ、その首筋目掛けて切っ先を打ち込んだ。
  二人の動きが、止まる。
「へぇ?」
  唇の端を吊り上げて感嘆を漏らすルイのこめかみに、がちりと銃口が当てられていた。ルイの切っ先は確かにアレクシスの首筋を捉えている。薄皮一枚、確かに削いでいた。
「化け物か、あんた」
「残弾一発?」
「当たり前だ」
  彼らは、数センチという顔の近さで睨み合っていた。
「俺が化け物か試してみるか?」
「あんたの剣とこの状態で?いいとこドローだ」
「だろうな」
  これはあくまで訓練だ。本気で殺す訳にはいかないと、お互い最後の一線は知っている。それでも二人は戦闘意識をそのままに、呼吸すら潜めていた。
  ルイは間近の顔を見つめた。同じ部屋で暮らしていても、これだけ近付いた事は無い。金色の睫毛に、空とも海とも感じる深く清んだ青い瞳。人種が違えば美的感覚も異なるだろうが、同郷のルイには目の前の彼が堪らなく美しい生き物に思えた。
  手に入れて、握りつぶしてしまいたい。
  ふいに、そんな凶暴な感情が湧いてくる。
  アレクシスは機敏にそれを感じ取ったのか、微かに眉を寄せた。引き分けなら、そろそろ離れた方がいい。このまま近くに居ると、危険だ。本能が訴える。
「おい――」
  続きは、言葉にならなかった。
「っ!?」
  薄く開いた唇を、ルイに塞がれる。驚愕に見開いた瞳は、深紅の色を見た。焦点が合わない。自分の身に何が起こったのか理解出来ず、マインドセットが崩れた。息を吸い込んだアレクシスを追い詰めるように、ルイは口付けを深くする。獰猛な動きで舌を滑り込ませ、望むまま貪った。
「ん、…んんっ!!」
  視界に映る青が滲んで消える。アレクシスが瞼を閉じたのか、と遠くで意識した。抵抗する身体を壁に押さえ付け、押し出そうとする舌を逆に絡め取る。顔の角度をずらして、深く思うさま嬲った。
  これほど旨い物を食べたことがない。
  ずっと待ち望んでいた味だ。
  脳裏に歓喜の声が響く。重い金属音を耳が捉え、銃が落ちたと知る。だから何だ。関係ない、と気にかけることもしなかった。背に数度打撃を受けるが、痛む程の力はない。いつの間にか、アレクシスの指はルイの戦闘服を握りしめていた。ルイの指が剣の柄を離れ、床に転がる。唾液が交わる濡れた音のほうが、より大きく感じた。空いた手で腰を引き寄せる。
  堪らない。ずっと欲しかった。これは俺の物だ。二度と離すものか。
  内に凶暴さを秘めていることは自分で解っていたが、これは自分の感情だろうか。呼吸さえ忘れ、気が遠くなりかける程夢中だった。息継ぎのため、名残惜しいが一度唇を放す。もっとだ。足りない。
  その瞬間。
『レイブン・ローゼンヴォルト准将!』
  警告音。続いてノアの怒鳴り声が響いた。
『訓練は終了だ。映像ラインに不具合が発生している。ルームシステム再起動。こちらへ引き上げてくれ』
  引き寄せたアレクシスの背から振動。障害物が徐々に下がってくる。
  ここは訓練室だ。その名の通り、寸前まで戦闘訓練を行っていた。ルイは状況を思い出す。閉め出していた情報が、堰を切ったように脳に到達する。自分は一体、何をしていた。
  腕の中に感じる重みは、訓練前には知らなかったものだ。身体を離して確認する。銃と剣、二人の獲物が床に転がっていた。ぐったりと力ないアレクシスの濡れた唇を見つめれば、焦りと同時に欲望を覚えた。
  おかしい。戦闘で昂ぶった感情が抑えられなかった。こんな事は初めてだ。混乱する胸中はそのまま表情に表れ、それでもルイはアレクシスに手を伸ばした。衣服が乱れてなくて幸いだ。指の背を唇に当てて拭ってやった。
「…あ、…?」
  金糸に縁取られた瞼が震える。二、三度瞬いたアレクシスの焦点がルイに合わさって、空色の瞳は徐々に正気が戻ってきた。
「……」
  先に目を反らしたのはルイだった。これ以上見ていられない。訳の解らない衝動を、必死に抑えつける。膝を付けて立ち上がり、せめてもの礼に手を差し出した。
「…すまん」
  アレクシスはばつの悪そうな低音の謝罪を耳にした瞬間に、何が起こったかを思い出して顔に朱を走らせた。羞恥ではない、完全な怒りだ。
  無骨なてのひらには見向きもせず、取り落としてしまった銃を拾う。障害物が収まる様を横目で見ながら、ホルスターに得物をしまって踵を返した。
「っ…、おいっ!」
  ルイの声に足を止めることもない。ひんやりとした殺気すら発して去っていく。コントロールルームへの扉が閉まってしまえば、ルイがただ一人がらんとした室内に取り残された。
『准将、AC准尉が出て行ってしまったが、いいのかい?』
  ノアの呆れた声に、直ぐには答えられなかった。自分の感情を制御することで手一杯だ。様々な感情が勝手に渦巻いている。
『ルイ!』
「……聞こえている。アレク…、アレックスはそのままでいい。ご苦労」
  それだけ呟いて、ルイは剣を拾った。やけに重く感じる。遠くに鞘が転がっているのが見えた。
『話がある。戻ってくれ』
「ああ。解っている」
  訓練前とは違い気が滅入る。掌を見つめ、ゆっくりと握った。
  苦い喪失感が、やたらとリアルに残っていた。

 これじゃまるで強姦だ。

  

ちょっとBLが混ざってきました。カロリーオフ無糖な感じですが。
ゲイブさんは次回も出ます。一話にひとりずつ登場人物が増えている気がします。記号として流してくださってかまいません。いまのところは!
VI:ヴァーチャルイメージ 立体動画みたいな感覚でご想像ください。
サイオン:サイオニクスの略語
2009/09/18

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