VSeI - 01 Positive Discipline - 3 -

Vir-Stellaerrans Interface

 AUGAFFセントラルスフィア、SOACOM司令部ローゼンヴォルト准将の執務室に、部屋の主と情報分析主任の二人が殺伐とした雰囲気を纏って詰めていた。
  執務机のコンピューターからは、二つのディスプレイが立ち上がっている。片方には通常業務を含めた様々な情報が常時表示され、もう一方には戦闘訓練の動画がいくつかの窓に別れて流されていた。
「12分48秒、18分3秒のここで空気密度が若干変化している。動作による空気抵抗ではない」
  応接用のソファに腰掛けたノアは、腕を組んだまま空中を眺めて呟いた。彼に視覚ディスプレイも操作端末も必要ない。情報官の殆どが機械的な肉体改造を施しているのと同じように、基地コンピューターにアクセスしていた。
  対するルイはその類のサイボーグ化を行っていないので、執務机のディスプレイをむっつりと顰め面で眺めていた。
「ちなみに、12分50秒から1秒間と18分3秒以降の数分はホワイトノイズが混じっている。これは君が何かしたんだろう?」
「ああ」
「最大の問題は、20分36秒からの数分。映像と音声が消えた。こんな事は、初めてとは言わないが、やはり君かな?僕の記録すら排除して何をしていた?」
「…言いたくない」
「ティーンのような我が儘を言わないでくれないか、ルイ」
  ディスプレイに四つの動画再生画面を出して、タイムカウンターと共に静止したノアが、視線をルイへとやる。溜め息混じりに。
「AC准尉が逃亡してしまった事と関係があるんだろう?」
「…ああ」
  ルイは眉間に皺を寄せたまま瞼を閉じた。深く息を吐き出す。
  アレクシスとの戦闘訓練を終えて一時間と少し。休憩を挟んでルイは執務室に籠もって居た。秘書官の姿は無い。彼女には消えてしまったアレクシスの様子を探らせている。
  ノアの情報分析は、ものの数分で終わっていた。時間を置いてから訪れたのは、彼の優しさのお陰だった。
「ルーム損傷は無い。システムにも異常は見られなかった。だからこれはオフレコでいい。総帥の情報開示が来ても、僕は知らぬ存ぜぬでとぼけるつもりだよ」
  近しい友人の表情と声色でノアはルイを促した。准将が何も言いたくないのならば、それを無理矢理聞き出す事はしたくない。だが、二人の信頼関係はそれほど弱い物でも無いはずだ。
  ルイは目を瞑ったまま暫く考えていた。秘書官が煎れてくれるコーヒーではなく、スタッフルームのサーバーから持ってきた珈琲を口に含む。温いし、それほど旨くはない。
「…まず、空気密度の変化の件だが、俺も感じた。例えるなら『風』に近いか」
「だろうね。そんな数値だ。追い風、かな。だが発生源が無い」
「発生源はアレックスだろうさ」
「彼はサイオニッカーではないよ。全身スキャンさせてもらった僕が保障する」
「大局的に見れば俺と同じ何かがあるんだろう。もう少し突き詰めて調べなきゃ、何とも言えない所だが。使い方が無造作だから、もしかしたら本人も解っていないのかもしれない」
  サイオニクスが発現する前の状態かと思わなくもないが、それならば計器に反応が出る筈だった。手っ取り早いのはアレクシス本人に尋ねてみることだが、現状では限りなく無理だろう。
「だから、とりあえず保留にしてくれ。機密はレベル5で。俺と同じなら、分類できる類ではない」
「了解」
  ディスプレイから一つの画面が消えた。ルイは次の画面に視線をやる。確かにホワイトノイズが微かにかかっている。軍事機械、しかもこのSOACOMでノアが管轄する装置に限って、ノイズが混じる事など皆無に等しい。
「これは俺だ。蜂の巣にされるのは堪ったもんじゃないからな」
「そう。弾丸を消去したわけだ」
「存在の破壊と消滅、の方が正確な表現だ。質量数値が消えているだろう?」
「そうだね。何処を探しても弾丸の痕跡は消えている。これもレベル5扱いにしておかなくちゃ」
  ルイの力の一端を、ノアも知っていた。実際に見せてやった事もある。非公式な人体実験だったが、戦闘情報の全てを把握するノアに隠し事をするのはお互いの共生において拙い。訓練などの記録が残る場では滅多に使わない能力ではある。一般兵の弾丸ならば、ルイの類い希な危険回避能力と戦闘力でどうともなるのだから。
「君が短時間にこれだけ力を使うのだから、AC准尉というのは凄いな。フォルトの傭兵という組織は軍隊に相当するんじゃないか」
「『麒麟』種の思惑はわからんものさ」
  AUGAFF総帥とフォルト協会枢機卿の間でどんな遣り取りが行われたのか想像の埒外だが、少なくとも枢機卿はアレクシスの能力について何かしら知っていたのではないかとルイには思った。確認してもはぐらかされそうなので、それは自分の目で確かめていこうと決めているが。
  レカノブレバス人のサイオニッカーで、アレクシスと同じような事が出来る者は居るだろう。周囲の空気を利用して風を起こすくらい、造作もない。ルイは一つ思い付いた。
「アレックスが何かした瞬間、室内の空気密度はどうなっていた?どこか薄くなったりしたか?」
「ふむ。ちょっと待ってくれ」
  ノアが数回瞬きをする間に、ルイの卓上ディスプレイに幾つか数値が映し出される。
「室内の気圧変化はない。不思議だ。開始時と終了時の変化も無い。ただ一瞬だけ増えて、すぐに戻っている。有り得ない」
「なるほどな。確かにサイオニクスじゃないらしい」
「詳しい成分分析にはもう少し時間がかかるけれど、そうだな…、循環清浄された酸素ではない、強いて言うなら大気内のそれに近い」
「自然風か」
「かな」
  二人は黙った。考えた所でどうしようもない。ルイはやはり保留という事でその話題を終わらせた。
「で、ブラックアウトの件だけれど?」
「……」
  どうやら、逃がしてくれるわけでは無さそうだ。
  本当に、自分の尊厳的な物を根底にして、どうしても口に出したくは無い話題だ。
  あの時監視映像に細工する意識は全く無かった。意図的な行動では無いのだと告げて信じてくれるかどうか怪しい。無意識に自分の能力を使うなど、未だかつて体験していないのだから、ルイ本人が混乱していた。
  至近距離でアレクシスを見つめ、理性の糸が切れた。確かに滅多にない程興奮する訓練だった。自分の力を出し切って戦える事は少ないから、子供のようにはしゃいでいたかもしれない。だが、実戦に出た後でさえ、ルイには理性が残っていた。衝動のまま他人を抱いた事は、一度もない。性的な面では、ルイは身綺麗なものだ。ティーンエイジャーの頃だって、好きになった相手に無体を働いた記憶なんて無かった。
「ルイ」
  ノアの口調が鋭くなる。
「…俺だって、訳がわからん」
  辛うじて答えたルイは、そのまま突っ伏して頭を抱えた。
「ルイ?どうしたんだ。君が力を使ったのなら、それはそれでいい」
「いや、まあ、違いは無いんだが…。ちょっと待ってくれ。追い詰めてくれるな」
「本当にどうしたんだ。そんな君を見るのは初めてだ」
  待てと言われ素直に思案時間を与えたノアは、執務机にへたり込んだ銀髪を見つめていた。暫くして、覇気のない低い声が漏らされた。
「お前、誰かをレイプしたことはあるか?」
「…は?」
「あるのか、どうだ」
  ジョーク混じりの猥談がしたいわけではなさそうだ。ノアはふむ、と思案するふりをしてみせた。
「肉体の快楽限界より、電脳性交ネットファックの方がより強烈な快楽を味わうことが出来る。そんな楽しみを知っていて、敢えて生身の生物を襲う事はプログラムバグの極みだよ。その手のプレイソフトでも回してあげようか」
「電気信号でセックスかよ。この引きこもりめ」
「そういう君は野蛮人だな」
  違いない。ルイは黙った。
「それで?まさかブラックアウトの短時間に部下に暴行でも働いた?」
  ノアはルイの言葉や仕草から、最も的中率の高い答えを予想してみせた。軍属の彼しかしらない者は、行き着かない答えではあるだろう。最も、普段のルイを知っているノアにすら、随分希な予測ではあったが。
  漸く腹を括ったルイは、何があったのかを完結に告げた。情報官はその内容に的外れだと言わんばかりの不満げな表情を浮かべる。
「たかがキスのひとつやふたつで大げさな。ティーン以下だね」
「オフならどうでもない。訓練中だってのが俺にとっちゃあ大問題だ」
「カウンセラーの手配が必要?」
「クイーンみたいなこと言うなよ…」
  すっかり冷えた珈琲を飲み干したルイは低く唸る。秘書官に事情は話していないが、きっと彼女もカウンセリングを勧めてくるだろう。戦闘後遺症ならまだしも、この手の話をプロとは言え他人に話すことはしたくなかった。
「俺がマインドセットを崩す何かが、あの時あったんだ」
「記録には残っていない。君の記憶が頼りだ」
  ノアは立ち上がった。執務室に備え付けの珈琲サーバーを起動させて、インスタントではなく上質で温かい飲み物を用意する。ディスプレイに齧り付いて原因を追及するのは後でいい。彼は部屋の主を応接ソファへ誘った。ルイはしぶしぶ対面に座る。
  卓上にはカップが二つ。ノアはあまり飲食を見せないので、これは友人として破格の対応だ。
「詳しく聞くよ」
  先程までと変わって、茶化すこともからかうこともせず、ノアが静かに促す。
「…そもそも、最近寝覚めが良くない。やたらと同じ夢を見ているんだが、起きて内容が思い出せない。いつもの夢だと思うんだがな」
「うん」
「あいつを見てると、それを思い出す。妙に懐古的で、傷心と妙な欲求が湧いてくる。性的に欲求不満かと聞かれちゃ困るんだが、ここに連れてきて今まで、…今もだが、アレックスに欲望を感じた事はない」
  そう。同じ部屋で生活し、若く魅力的で類い希な美貌を伴ったアレクシスが傍に居て、彼をどうこうしようと思った事はなかった。自分の好みとしては対象外だったし、何より戦友に手を出す事はしない。抱き合うにしては、相手を知らなすぎる。
「そうだね」
  ノアは否定をせず、相槌だけを返して聞き役に徹していた。追々助言は聞くつもりだが、意見を求めていなかったルイは有り難いと思えた。
「得物を突き付けたあの瞬間、俺はあいつを自分の物にしたいと思った。ずっと待ち望んでいた何かだと堪らなかったな。脳裏で糸が切れた音みたいなのを聞いた気さえする。味方に対して牙を剥くとは、自分が信じられない」
  こんな感情は殆ど初めて感じるものだ。酷く凶暴な心情変化だった。
  思えば何かにひたすら執着することも無かった気がする。青春時代に自分が何者か理解して以来、出会う者達に対して一歩引いていた。ルイが背負う一族の宿命は、偶然では片の付かないものだ。出来るだけ他人を巻き込まないよう、それは女性に対して顕著に表れていたように思う。だから、という訳ではないだろうが、男性であるアレクシスに対して若干防御が薄かった。何がこれ程まで琴線に触れたのか、原因が解らなくて苛立たしい。
「一番理解し難いのは、あいつ…途中から抵抗を止めた」
「…おや」
  今まで親身に聞いていたノアが、興味を引かれたと言わんばかりに片眉を上げてみせる。
「正直、あんな強烈なキスは初めてだ。ガキの頃、覚え立てのセックスに夢中になるような激情じゃあ、ない」
  温かいカップを手にして口を付けたルイは、珈琲の熱さに数時間前の感触を思い出した。跡を辿っては拙いと、一口飲んですぐテーブルに戻す。
「キスだけで勃ちそうになるなんざ、己を疑う。俺がへこんでるのは、主にこの辺だ」
  命の取り合いは生々しい。そこに快楽を覚え、性的に興奮するという錯覚とは違う。直接触れ合い、熱を覚えたそれは。別次元の生臭さだ。擬似ではない。
  無性に欲しくて堪らない。相手を屈服させ、征服したい。自分の力でもって、滅茶苦茶に。そんな雄性そのままの野生を、これ程顕著に実感してしまうとは。
  今にして思えば、酷く懐かしい、そんな味だった。知っている気がするのに、覚えていない。ただ欲求で突き進んだ。静止が入らなければ、自分が何をしてしまうのか簡単に想像できてぞっとする。恐怖と、けれど同時に甘美ですらある。
  あの時知ってしまった体温を、拳を開いたり閉じたりしながら思い出していた。応えたわけではないだろう。抵抗しても無駄だと悟って力を抜いたのか。訓練とはいえ殺傷能力の伴う武器を手にしたまま。そんなまさか、だ。本気で抵抗すれば、アレクシスは一発残したという弾丸を撃ち込むなり、グリップで殴りつけるなり出来た筈だ。
  何故止めてくれなかったのか、と理不尽な感情さえ湧いてくる。全力で逃げてくれれば、こんな想いをしなくても済んだのに。
  それ以上を、知りたい。感じたい。
  馬鹿にするのは簡単だが、口付け一つで、もう以前の様にアレクシスを構えない。ルイ本人が身構えるだろう。触れたくても、自分が自分であるためには、触れてはいけない。相反する望みが鬩ぎ合う。
「あんなものを知っちまえば、他に手を出す気も失せるな。極上の味だった。共食いの背徳に似ている」
  語りを締めたルイは、ノアの出方を窺う。これ以上告げる事は今のところ無い。そつなく察したノアが、胸で組んだ腕を解いてルイに向き合った。表情は軟らかい。プログラムされたような笑顔ではなかった。
「君にしては随分文学的な事を言うね」
「俺も驚きだ」
  ルイは苦笑で返す。
「僕より詳しい相手が居るけれど、今の君はハイルやマリアにそれを求めては居ないんだろう。だからデータベース上で拾った事しか言えないけれど、口付けは相手を食べてしまいたいという欲求の表れだったかな?」
  ノアは今まで聞いた内容を素早く再生して要約する。
「とすれば、セックスは共食いかな?相手を取り込んで吸収し、ひとつになるという擬似行為に性交がある。大局的に見ると、君が感じたものは間違いではない」
「お前が言うと浪漫のかけらもねぇな」
「否定はしないと言うだけさ。行為そのものは、多分意見が分かれるところだろう。公的に見ると立派なハラスメントだ」
  だろうな、とルイも思う。この程度のことで訴えるような者は軍に存在しないが、アレクシスは傭兵だ。軍人ではない。同じ兵でも、全然違う。
「それで君はどうしたい?」
  その問いかけには幾分困った。正直に告げて喜ぶ相手は居ないだろう。アレクシスの去り方を見てしまえば尚更だ。
「とりあえず謝るが…」
「そうだね。君の安寧の為には謝罪が必要だ。許してくれるかどうかは別次元のファクターになる」
「あいつの安寧は二の次か」
  ルイの呆れ混じりの言葉に、ノアは苦笑してみせた。この情報官にとっては、客兵は身内ではない。罪悪感を感じているなら、今後のためにそんな憂いは取り払ってしまうのが得策。ルイ本人が罪悪を抱いているとは言っていないが、謝罪の意があるという時点で無意識にでも罪悪感があるのだろう。
「今後どうなるかは、君の行動にかかっているんじゃないかと思うよ」
「……そうだな」
  言いたいことを言って安心を得たルイは、次の段階へのアプローチへ進めるよう、心境を切り替える事が出来た。
  香りの消え始めた珈琲に口を付けて一息つこうとしたが、しかしその温度が体温に似ていてやはりテーブルに戻すことになった。珈琲にヒーリング効果は無い。
  それでも気分は話す前より軽くなっていた。

  

少し短いですが、一度切ります。キスひとつで狼狽える27歳(笑)。
ノアの台詞に出てきたハイルとマリアですが、マリアは兵器開発主任の彼です。ハイルはそのうち。今は個人名程度でおねがいします。
2009/10/03

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