VSeI - 01 Positive Discipline - 4 -

Vir-Stellaerrans Interface

 SOACOM作戦司令官の秘書であるクイーン・リンデンバウムは、手持ちの電子バインダーから目的の人物の居場所を検索した。基地内に居る者全て携帯を義務付けられているIDは、その居場所を常に記録している。特定の権限で検索範囲が決められているが、クイーンの持っている権限は秘書官としては上等な部類で、簡単に目的を見付けることができた。
  そこは基地内のリラクゼーション用に設けられたカフェテラスのひとつだ。惑星から移植された植物が多く、壁一面には大自然の光景が映し出されていてとても明るい。
「あら、アレックス准尉じゃなくて?」
  彼女はさりげなく声をかけた。探していたとは微塵も見せない。最も特に演技をしているわけではないのだが。
「クイーンさん」
  半分だけ振り返ったアレクシスは、タイミングの良さに彼女を疑惑混じりの視線と気配で見つめる。
「准将に何か言われて来たんですか?」
「どういう事?」
  逆に聞き返されてしまうと、返答に詰まる。
「ここは私のお気に入りのひとつよ。休憩には最適。それに、さん、は要らないわ。余所余所しいのは好きじゃないの」
  電子バインダーを脇に挟んだ手には、カップが握られている。確かに休憩なのだろうと、それ以上疑うことも不躾だと感じたアレクシスは緊張を解いた。
「何か飲む?おばさんが奢ってあげるわよ。何が好き?」
  おばさん、と言う表現に、アレクシスは何て答えていいのか戸惑った。実際彼女の見た目はそう表される年齢と合致しているのだが、溌剌とした美しささえ感じる彼女を『おばさん』扱いしたくない。
  アレクシスの心情は表情に表れていて、クイーンは思わず微笑む。正直な子だ、と好感が持てた。
「そんな顔しなくていいわ。私には貴方より少し下くらいの子供が二人も居るのよ。それで、ねぇ、アレックス。私の休憩に少し付き合ってくれないかしら?ルイに文句なんて言わせないから」
  笑いながらカフェテリアのスタッフを呼んだクイーンは、アレクシスの注文を頼んで椅子の一つを勧めた。植物に似た材質で編まれた椅子はゆったりとしていて、どこかリゾート地の趣がある。人の入りは少なくないが、広く取られた庭の木陰にそれぞれ椅子がばらばらと点在しているため、混み合った感じはしなかった。
「戦闘服にフライトジャケットじゃ、この時間だと少し目立つわね。司令部の更衣室を使わなかったの?」
  何か不思議な匂いのするお茶を飲みながらクイーンが尋ねる。アレクシスはどう答えていいものか迷った。
  ちらりと時計を確認する。今日の行動計画ではまだ休憩時間では無いはずだ。命令違反か、プログラム変更か、きっと調べれば直ぐに解るのだろう。ルイの秘書官をやっているのだから、付随する者の行動内容をクイーンが知っていてもおかしくない。
  やはり追って来たのかと、アレクシスは思い直す。
  彼女はルイ側の人間だ。好意的な態度でも味方ではない。では敵なのかと尋ねられても、答えられるものではなかった。そもそも誰が敵だと言うのだろう。怒りにまかせてここまで逃げて来てしまった原因はルイにあるが、彼は撃退しなければならない敵かどうかなど、簡単に判断できない。冷静さを取り戻す。
「懲罰を、受けるかな?」
「ものによるわね」
  今更戻った所で何も変わらないだろう。アレクシスは握りしめたカップから果実水を飲んだ。
「訓練は終わっている。…と、思う。終了のコールを聞いた気がするけど、散会の号は貰っていない」
「あらら」
  クイーンの返答は軽い。興味が無いという気配じゃないので、その程度では違反にならないのか、判断要素が足りないか、どちらかという感じだ。
「ルイかノアから静止命令を受けた?」
「無かった」
  それだけは確かに言えた。ルイもノアも、反応としては大差無かった。名前を呼ばれたかどうかの違いで、本気で止まれと命令されていれば、きっと立ち止まっただろう。冷静さを失っていても、訓練された反応を覆す程では無かった。
「なら、連行命令が出ていないし、容認されているのね。懲罰は無いわ。お小言はあるだろうけど」
「お小言ね。まあ…、そうだろうな」
「私も一緒だし、ルイは命令違反じゃなければそれほど堅くないわ」
  アレクシスは曖昧に頷いて周囲の植物に目をやった。限りなく自然に似せた雰囲気だが、何か違和感を感じる。レカノブレバス星の、丁寧に手入れされた真実自然の中で生活していた彼にとって、同じ植物が植えられていても、ここはやはり人工物だった。何より空がない。
  基地を訪れて感じた心理的な息苦しさは、早々に気にしないよう努めていたけれど、今は無性に恋しかった。ホームシックの類とはまた違った感傷だ。そう思いこもうとしているだけで、心細いのかもしれない。友人でもある獣のヴァレンに触れたい。
「クイーン、少し変な事を聞いてもいいか?」
「なあに」
「その…、旦那さんと結婚する前って、どうやって出会ったんだ?」
  予想していた質問とかけ離れすぎていて、クイーンは瞳を瞬かせた。
「ああ、ごめん。不躾すぎた。忘れてくれ」
「あら、別にかまわないわよ。この歳で聞かれることなんてなかったから、びっくりしたのとわくわくしただけ」
  少女のようなウィンクが返ってきて、アレクシスは途端に気恥ずかしくなった。
  電子バインダーを太腿と椅子の間に置いてゆったりと寛いだクイーンは、赤い肌の太腿を惜しげもなく組み替えてお茶を嗜む。
「そうねぇ。うちの人は今は自宅で歯科をやっているんだけれど、昔はレカノバレスタで勤めていたの。私は患者だった。同郷人に出会うのも珍しくて、すぐに意気投合しちゃったのよ」
「同郷?」
「ブガナヴィル星ね。今は直行便も出てるけど、それでもど田舎の銀河よ」
「名前は知ってる。花々の星だ」
「そう、そこ。たまにドキュメンタリーなんて流れてるけど、半分は誇張されてるからあんまり信じちゃだめよ」
  アレクシスはまさしくドキュメンタリーでその存在を知っているくちなので、あまり深く触れないでおいた。いつか聞いてみたいが、今知りたい事は星の話ではない。
「どんな人?」
「旦那?家庭的なひとよ。私が軍属なんてやってても文句は言わないし、産休と育休が済んで復帰することに理解もある。寂しいって拗ねることはあるけれどね。可愛いものだわ」
  素直に惚気られてしまったのだが、仲が良いことは彼女の気配や言葉で簡単に伺える。睦まじいカップルを見ていることは好きだった。争いより、温かい平穏のほうが好ましい。
  ねたましいとは思わない。唯一無二の家族愛を純粋に羨ましいと思う。フォルト協会での生活は確かに大家族に似ているが、時折自分だけの存在という者が欲しくなる。我が儘で贅沢な願いだと解っている。今は無き義母が懐かしい。
「…何か強要するようなタイプじゃ、ないんだ」
「そうね。元々ブガナヴィル人は征服心に薄いからかもしれないけれど」
  呟いたクイーンは、ひっかかるものを感じて眉を顰めた。
「……もしかして、何かされたの?」
  誰とは言わないが、クイーンはルイを筆頭に部隊のメンバーの顔と名前を脳裏で検索した。力に物を言わせて無体を働く嗜好を持った者は、アレクシスと引き合わせたメンバーの中に居ただろうか。居ない筈だ。部隊外からの接触を完全排除する事は無理だが、ルイの眼が光っているので今のところ手を出そうとする兵士は無い。
「いや…、あー、気にしないでくれ」
「するわよ。秘書官として何かあったなら見逃せないわ」
  カップを片手に持ったまま、ずいと近寄ってくる彼女をアレクシスは椅子の中で避けるが、あまり上手くいかない。女性の勘というものは、どの星に生まれてもある一定の範囲において鋭いと知る。
「事故だ。俺が忘れればいい。多分」
「泣き寝入りは駄目よ。訴えるなら力を貸すわ」
「そんな大事じゃないんだ。本当に。ただキスされただけだから」
  うっかり漏らしてしまってから、拙いと気付く。クイーンの鬼気迫る気配に負けた。
「誰に」
「えーと…」
「言いなさい」
「………准将、に」
  辛うじて小声で呟いたアレクシスの目の前で、クイーンは深く息を吐き出した。あのクソガキ、というスラングが聞こえる。
「後でたっぷりお仕置きしなきゃいけないわ」
「いや、多分、事故だから…」
「貴方が庇うことなんて全く無いの。あいつの弁護なんてする気はないけれど、何が『部下に手を出さない』よ。セクシャルハラスメントなんて不快なこと、上司がやっちゃったなんて大恥もいいとこだわ」
  困った。妙齢の女性が怒りを露わにしてくれたお陰で、今までアレクシスが感じていた怒りなど消えてしまった。しかも秘書官自らの守るべき上官に対する扱いに、今までのことを棚に上げて同情すら感じる。
  そうだ。犬に噛まれたとでも思えばいいのに。何を思い悩んでいたんだろう。派遣先は色仕掛けだって武器にするような特殊な部隊ではないか。あくまで想像だが。
  それに、確かに驚いた事は事実だが、途中から不快感が消えていた。被害者ぶることはできない。真剣に訓練をしていたのに、突然別の方向から想像もしなかった攻撃を受けたのだ。対応出来なかった自分にも非はある。思わず縋り付いてしまった時点で、ルイを一方的に責められない。
「昔から激情型だったな」
「え?」
  ぽつりと漏らしたアレクシスの呟きに、クイーンは耳を疑った。まるで以前からルイを知っているような言葉。彼女の情報では二人はお互いに初対面だったはずだ。非公式に面識があったのならば、少なくともクイーンには伝えるだろう。そこまで上司からの信用が薄いとは思っていない。
「ルイといつから知り合いなの?」
  だからクイーンは率直に聞いた。
  けれどアレクシスは、たった今自分が放った言葉の内容を覚えていない素振りを見せた。演技なら大した物だが、そもそもそんな発言自体不必要に漏らす物ではない。問い詰めてほしいから漏らしたのでなければ、随分と性格がねじ曲がっている。クイーンはアレクシスの性格を計りかねた。
「独り言にしては、意味深だったわよ?」
「何?何だって?事故が、か?」
「その後の、……」
  問い詰めようとした秘書官の言葉は、近付いてくる足音によって止められた。褐色の肌、鮮やかな金髪の女性。平時の通常軍服。丈は膝より少し上くらいだ。
「ごきげんよう、ギブリル大尉」
「失礼します、リンデンバウム秘書官」
  踵を合わせて軍人らしく敬礼をしたガブリエーラ・ギブリル大尉は、すぐにクイーンからアレクシスへ視線を向けた。睨み付けるような強烈なオーラを纏って見下ろしている。
「アレックス・C特別准尉。話がある」
「彼は今私とお茶をしているの。解らなくて?」
「お邪魔した事には謝罪します。ですが准尉は本来司令部に居る筈です。私が連行しても問題無いと思いますが」
  ガブリエーラの階級はクイーンと同じだ。一般的な偏見の通り、秘書官の全体的な地位は階級にかかわらず武官に劣ると思っていて、彼女はそのように行動している。クイーンにとっては完全に甘ちゃんなのだが、そんなことで制裁を加えるような愚かな事はしない。
「そのまま私刑にでもしそうじゃない。同僚として見過ごせないわね、ゲイブ」
「私は准将に恥じるような行為はしない」
「なら、一緒にお茶でもどうかしら。歓迎するわよ?ルイの客人の気分を損ねたくはないもの」
「……」
  引き合いに出されたアレクシスは、どうしたものかと様子を窺い静観していたのに矛先を向けられて、椅子に座りながら文字通り身を引いた。何というか、気の強い女性を二人相手にして無事で居られる自信がない。
  ガブリエーラの視線は、女の影に隠れる腰抜けめ、とでも言わんばかりのものだった。否定も肯定もやぶ蛇だと感じて、現状のまま黙る。
「…ウェイター!リモネードを」
「かしこまりました」
  息も荒く注文したガブリエーラは、クイーンとアレクシスを挟むように椅子を引きずって来て荒い動作で座る。すぐに冷たいグラスが差し出されて、彼女は一気に半分ほど飲み干した。ウェイターは精算用のプレートを差し出したまま眉を寄せる。そのままの勢いでIDカードをかざし、電子音が鳴って漸く去っていった。
「そんなに急いで、一体どんな用事なのかしらね」
「私は准尉を連行しに来ただけです」
「誰の命令で?」
「……独断ですが」
「あら、そう?」
  軍人は命令で動く。独断先行はあまり褒められた行為ではない。指揮官ならば判断力が求められるが、アレクシスはガブリエーラの部下ではないので、もし彼女の上官であるルイが許した休憩時間を大尉という地位を振りかざして遮っても、効力は無かった。クイーンもガブリエーラもそれを知っていて口には出さない。強引にアレクシスを引き連れて行かない事が証明だ。
「あー…、ギブリル大尉、迷惑をかけたようなら謝る」
  冷たい空気なのに火花が散っている気がする。アレクシスは居たたまれなくなり、大凡原因である自分の行為をまず謝罪した。謝罪すべき相手ではないのだが、険悪さに火を注ぐほど意固地ではないつもりだ。
  すると、ガブリエーラはグラスを強く握りしめ、アレクシスをきつく睨み返す。侮辱されたとでも言うような表情。きっと普通にしていれば可愛い女性なのに、勿体ないなと場違いに感じた。
「貴様…、男なら簡単に非を認めるな!」
「…ゲイブ、貴女、やってることと言ってることが滅茶苦茶よ」
  優雅な貫禄に似た仕草で足を組み替えたクイーンが、カップに唇を付けて瞳を細める。
「准将と引き分けておいて逃げ出したなんて、しかも女相手に素直に謝るような奴が、あんな戦闘を行うなんて、認めないわ」
「……私に解るように話して」
  こめかみを指で解しながら、クイーンは肘掛けに肘をついて溜め息を吐き出した。彼女達は本来、特段不仲という訳ではない。普段なら穏やかに雑談を交わし合う程度には、気安かった。ただ完全に頭に血が上っているようだったので、少しばかりクールダウンさせるのも部隊の『母』たる役目かと茶目っ気を出しただけ。
  アレクシスは完全に蚊帳の外だと感じながら、自分を挟んで始まった会話の成り行きを見守っていた。
  確か彼女は、訓練室のコントロールルームに居たと記憶している。直接言葉を交わすことは今回が初めてだったが、挨拶と紹介はルイを中継に行っていた。だからそれ程情報は多くない。生粋のレブスで、ルイの年下。腕の立つ武官だという認識。
「あら凄い。アレックス、貴方、ルイの背後を取ったの?」
「え?」
「その耳は飾りか。私の言葉を聞いていろ。腹が立つから二度は言わない」
  クイーンが助け船を出してくれそうもなかったので、アレクシスは推測した。心当たりが無くも無い。訓練では、確かに頭上を飛び抜けるなんて曲芸じみた事をやってしまったが、単なる攻撃の一手段だ。あんな隙の多い回避行動ではなく、むしろ被弾しなかったルイこそ凄いを通り越して居るんじゃないかとさえ思う。
「背後を取る、というのは、相手をホールドアップさせなきゃ意味がない」
  率直に簡潔に答えた。
「言い訳とは潔くないわ。私が知る限り、准将にあんな防戦をさせたのは貴様だけだ」
「狙撃に失敗して、ガンファイトに持ってこられて、あんな曲芸やらされた俺のほうがよっぽど防戦だ。ただの人間が弾丸を避けるかよ」
  自分が負けていたとは戦人として認めたくないが、事実は事実。
「私にはどれだけ頑張っても准将のsivanを実力で抜かせられないもの」
「シヴァン?あの剣か?奴ははなから抜いてただろ。俺が抜かせたわけじゃない」
「だとしても、弾丸を浴びせて攻撃を止めたわ」
「…要するに」
  長年付き合いのあるルイを褒め称えられているように聞こえたクイーンは、わざとらしい咳で注目を集めてから告げた。二人とも口調が変わってきている。ガブリエーラは素に近いが、アレックスもそうだろうかと微笑ましく思った。
「アレックスの戦闘能力は買ってるのね、ゲイブ」
「そんなことは…!ムカツクわ!」
  吐き捨てるように叫んで、ガブリエーラはグラスを呷った。中身を空にして勢いよく立ち上がる。
「貴様も早く戻れっ!」
  捨て台詞を残して去っていく金髪を、アレクシスは唖然と見つめることしか出来なかった。クイーンが脱力と同時に長嘆。疲れるわ、と悪態をつく。
「悪い子じゃないんだけど、ちょっとルイに傾倒しすぎなのよ、あの子」
「それは何となく、解る」
  何かに悩んで居たことなど、見事に忘れてしまった。まるで嵐のような女性だ。きつい口調ではあったが、悪気は無いのだろう。そのくらいは解る。曲解すると褒められた気がしなくもない。
  冷静さを取り戻したアレクシスは、ガブリエーラと同じように果実水を飲み干す。味はそれ程悪くなかった。
「ごちそうさま。俺もそろそろ行く」
  聞き忘れた事がある気がする。僅かに逡巡して見せたクイーンは、しかし今はいいだろうと微笑みを浮かべた。
「一緒に戻りましょうか?」
「いや、いいよ。そこまで子供じゃない」
「あら、言うわね、坊や」
「ありがとう、クイーン」
  背を向けるアレクシスを見送りながら、クイーンは電子バインダーを操作した。メールソフトを起動させてタイピングする。
『AC帰還。心配無用』
  短くそれだけ打ち込んで、上司に送信。他にも知りたいだろうけど、簡単に教えてやるものか。
  見付けた当初の、彼の怒りと警戒心を纏った冷たい気配は消えている。後はルイ次第だ。上司と二人きりになったら、根掘り葉掘り聞いてやろう。そのくらいの報酬を貰っても構わない筈だ。
  クイーンは冷えたお茶のお代わりを頼んで、ゆったりと椅子に寛いだ。

  

アレクシスのほうが色々柔軟だったらしいです。ゲイブはツンデレというわけではないと…、思いま…す?
クイーンがレカノヴァレスタ(地名)をレカノバレスタと言ってますが、訛りみたいなもんです。
2009/10/04

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