VSeI - 02 Thermit Groove - 3 -

Vir-Stellaerrans Interface

 到着時刻十分前。
  予定時刻にディサイオスの接続ゲート前に集合したのは、アレクシスを含めて二十名。指揮官であるルイとノアの遠隔端末体リボーグは艦橋に居る。
  ルイは巡洋艦リエージュオからの情報分析の結果を聞いて、行動方針を再確認していた。
  第一にエンスージアスモスの撃退、第二に銀河間通信無人浮標施設の確保、第三に人命。変わりはない。
  今も昔も人類が相手であるのならば、敵の情報は四分の一でも手に入れば決断できる。戦況がめまぐるしく動くような中では、八分の一でも手に入れば御の字だ。情報戦の激化に伴った確率変動はそれ程多くない。だが対エンスージアスモス戦では、敵の情報が圧倒的に少なすぎた。
  情報収集の為にも遊撃隊パルチザンコラムが本来の意味で出撃する場合の戦闘は、対人類戦よりも厳密に戦闘情報を記録する。それは隊員達の目線の動きや脈拍までも。
「…居る、な」
「この距離からでも補足可能ですか」
「計器は?」
「IGCUBPは沈黙したままです。辛うじて生きていますが、稼働率は4.8%、破損率は変わらず3%のまま。ディサイオス接近に対する何らかの活性化は見られません」
  眼前の巨大なディスプレイには、星々の海を切り取ったような施設の陰が浮かんで見えた。楕円の中心を貫くように天地から円錐形のアンテナが伸びている。誘導灯の類は全て消えて、辛うじてレカノブレバス銀河の太陽光が反射していた。それでも目視では厳しいだろう。
「検査員が一人不明者リスト入りってのがしんどいな」
  死んでいれば事故死扱いになるが、最悪遺体は返還できない可能性が高い。生きている公算は低い。
  ルイはぼやきながらも、ディスプレイ越しに通信基地を見つめていた。怒りと不快感を混ぜたような、絶対排除の衝動に突き動かされる気配。マインドセットを徹底しているので行動には表れないが、切り離した私的な感情がざわめいているのを感じた。
「発生から約一時間五十分以上経過しています。生存率は低い」
  アラトの言葉に、ルイは頷いて見せた。稼働率が5%を切った今、生命維持装置がまともに動いているとは思えない。残留酸素で活動できる限界は二十時間程あるが、それは基地が破損していない場合だ。基地全体をスキャニングすれば敵に察知されるので、破損状箇所況などは全てリエージュオに収容された生存者からの報告と、彼らが記録していたデータボックスだけだった。
「ブリーフィング時から変化無しと想定、これより出撃する。緊急通信以外の情報は全て遮断。行動部隊からの帰還要請が無ければ、規定距離外で待機」
  オペレーターからの復唱と了解を聞いて、ルイとアラトは接続ゲートへ向かった。

 接続ゲートで点呼と最終確認を終えた二十三名のSOACOM隊員達は、銀河間通信無人浮標施設へと移動するための小型船に乗り込んだ。張り詰めるほどではないが、各々緊張と警戒心を纏っている。
  この小型船はディサイオスよりもより強力な出力で擬似サイオニクスを発生させることが出来る。アラトの操舵で施設の接続ゲートハッチへ無事ドッキングしても、誰一人発言する者は居ない。息遣いさえ機械制御され、慣れないアレクシスにとっては些か居心地の悪さを感じた。
  ルイは出撃前、やつらが未だ基地内に留まっている、と言い切った。科学的な情報ではないが、と前置きして。それがエンスージアスモスなのかエンスージアストなのかは言わなかったが、隊員達に不平を述べる者は居なかった。
  敵は目に見えない。だがサイオニクスならば感知できるし撃退できる。三名の行方不明者に対しては、生体スキャニングで事前のデータと一致しなければ最悪撃破の許可が下りている。生体反応があるかどうか、または救助の必要があるかどうかは出会ってみなくては判断できない。
  アレクシスは船長室でルイと別れて以来マインドセットを切り替える事ができていた。けれど信条を曲げられるかどうかの判断だけは土壇場まで保留している。口付けを受けた事は、故意に忘れようとしていた。
  ルイは自分にとって何なのだ。
  数日前、聞いたこともない酒に酷く具合が悪くなったときに、その不快感から助けられた。どう頑張っても説明ができないが、確かに彼のお陰で体調が軽くなったことは事実だ。先程自家中毒に陥りかけたときにも、切り替え処理が出来なくなったアレクシスの心情を冷静に引き戻したのもルイだ。
  今まで生きてきた年月は多いとは言えないけれど、これ程自分の生存に直接的な関わり方をした相手は居なかった。この仕事に就く直前、本来の主であるフォルト協会の枢機卿と、友人である獣の言葉を今になって深く思い出す。彼らは何を知っていて、自分に何をさせようとしているのだろう。説明の出来ない数々の何かを、予め知っていたのだろうか。
  ディサイオスを離れる直前まで考えていたことは、作戦が開始された今、記憶の奥に閉じこめてある。生きて帰れば好きなだけ問答できるだろう。
「ゲート、開きます」
  ルイは各隊長に手振りで合図した。了解のサインを確認し、小型船は施設に繋がれた。支給されているヘッドギアのバイザーには、出入り口にサイオニクスの遮蔽が施されて薄い緑色に発光して見えていた。登録された生体反応以外の全てを遮断するものだ。これがあるお陰で、小型船の警護に人員を割く必要が無く、施設側からゲートハッチの開閉などは捉えられないようになっている。
  遊撃隊のガブリエーラ・ギブリル大尉の部隊が最初に動き、侵入経路を確保する。侵入可能のハンドサイン。ティアルア隊、ルイとアレクシスに続き、ドスーミ隊とコントロールルーム掌握部隊が接続ゲート前に展開する。
  ルイのハンドサインでコントロールルームを掌握を目的とした二部隊とアラトが移動を開始した。通路は狭い。人が生活することを目的にしていないため、柵がある程度で配線やパイプが剥き出しになっていた。擬似重力装置が稼働していないので、床の概念は意味を為さない。重力が発生していれば床だろう足場は、分厚い金網に似ていた。
  遊撃隊に支給されている戦闘服には、単体で天地を設定出来るような機能を持っていた。勿論無重力化での戦闘行動も訓練されているとはいえ、本来重力を得て生きている人類にとっては足場があるに越したことはない。ルイの背後に付いたアレクシスは、訓練で慣れた感覚を確かめた。
  内部からのスキャニングについては、部隊が展開してしまっている手前危険値は変わりないので早々に行われていた。ドスーミ隊の小規模生体反応スキャンからの情報は随時周囲の隊員のバイザーへと送られてくる。バイザーには視界の片隅に現在位置が表示され、隊員達の光点を囲むようにスキャン波が広がっていた。
 銀河間通信無人浮標施設IGCUBPは他銀河からの情報波を受送信する錐状のアンテナを中心部とし、施設維持管理に関する全ての機材とコントロールルームを兼ね備えた楕円型の設備の二ブロックからなっている。
  接続ハッチは計二カ所。遊撃隊はコントロールルームへ一番近いハッチから侵入を開始し、アラト達コントロールルーム掌握部隊はそちらへ向かっていた。
  隊を分散させるリスクについて、ルイは最初から考えていた。もしエンスージアスモスがコントロールルームを主体に出現していたのならば勿論そちらへの迎撃を考えただろうが、今回に限っては違う。生存者達が最後に持ち帰った情報で、攻撃を受けた最たる場所は現在ルイ達が向かう所だ。行方不明者達の信号が途切れた場所でもある。
  兵士達にとっては未知の敵だったのだ。施設メンテナンスの護衛に回される一般兵など、存在を知らない。おそらくマニュアルや訓練で鍛えられた対応など、殆ど出来なかった筈だ。施設のソフトメンテナンスではなく、通路に剥き出しになっているハードの点検だったこともコントロールルームが最初から攻撃を受けなかった要因でもあるだろう。
  そして統括コンピュータが消費するエネルギーは、施設の各部分が使用するエネルギーより少ない。殆ど沈黙しているコンピュータ群より、数の多い迎撃部隊の方がより遭遇する確率は高いと判断していた。
  第一、敵の殲滅が最優先なのだ。加えて、サイオニッカーではないけれど特殊な感知能力を保持するルイが居る。囮になる気はなかったが、限りなくそれに近いと言えた。
  状況判断に任せているとはいえ、コントロールルーム復旧は出来るだけルイが交戦している時が好ましい。メイン技師であるアラトは理解している。
  遊撃隊はバイザーに表示される地図と目視できる分かれ道を確認し、動きを止めた。生体反応は無い。
  T字路だ。内縁側と外縁側に分かれている。二本の通路を抜ければまた一つに戻り、そのまま一本道が続いてコントロールルームへ通じていた。外縁通路の途中にもう一つの接続ゲートがある。
  ルイはバイザー越しに分かれ道を睨み付けた。居る。全身を覆うような嫌悪感。出来ることならば施設ごと吹き飛ばしてやりたいような凶暴な感情が沸いてくる。
  どちらの通路にどれだけ、何が居るかまでは解らない。けれど近付けば解る。こちらを感知しているのか判断できないが、留まったままだと袋の鼠になる事は明白だ。退路は一本道。
  ちらりと視線を流して隊員達へ指示を出そうとした途中、ルイは背後にぴたりと付いてきていたアレクシスに目を留めた。鏡面加工されたバイザー越しで覗えないはずなのに、何故か彼も不快感を感じている気がした。
  その事を心の片隅に置いて、ルイはドスーミ隊へ生体スキャンの出力を上げろと指示を出した。相手にこちらの存在を証すことにもなる。始まりを意識したのか、他の隊員達がいつでも牙を剥けられるように気配を変える。
  円状のスキャン波が先程より広い範囲で展開される。一度目の波動では無反応だった。
「…不明者スリン・シアの生体コード確認」
  二度目の波動で滲みのような微かな光が不規則な点灯を繰り返す。
  ルイは即断した。
「ギブリル、ティアルア隊は外縁。残りは内縁だ。行くぞ」
  出撃合図に隊員達は短く応え素早く移動を開始する。発声規制は事実上解除された。遊撃隊内では以降の通信は音声使用の制限は無い。
  アレクシスは右手に銃を構え、ルイの背中を追った。生体反応は内縁通路に確認されたが、その光はとても弱く時折沈黙する。無機質な施設に生物の気配など感じなかった。
  けれど、微かに神経がざわめく。不快感がより強い。言いようのない怖気のようなものが感情を逆撫でしてくる。戦闘前の緊張に似ているが、どこかが違う。
  銃撃に似た音が響いた。遠い。他の部隊から離れて走った時間を長いと感じて居たが、バイザーに表示されているタイムコードは一分も経って居なかった。
『ギブリル隊エンゲージ』
  通信機から端的な女性の声。外縁通路で戦闘が開始された。
  一瞬意識がそちらへ向きそうになったアレクシスは、止まらぬ進行に警戒心を戻した。その瞬間、呼吸が止まりそうな衝撃を受ける。迫り上がってきた何かを飲み込むように喉が嚥下する自分の音がはっきり聞こえた。無意識に身体が震える。
  先頭を走るルイは、内に押さえ込んだ殺気を解放していた。愛剣を抜き様、出力を全開に上げて己と一体化させる。横薙ぎの抜刀。空間を裂く鋭い音に混じって、金属が爆ぜるような煌めきが散った。
  バイザー越しにそれを見たアレクシスは、通路を塞ぐ靄のような物を確かに感じた。ルイが切り裂いた箇所から靄が霧散していく。収まった震えの正体を、ここに来て漸く理解することが出来た。
  これは、ルイの発する殺気だ。自分に向けられていないと解った今でも恐ろしいとすら感じる。獣が獲物を追い詰める気配などではない、全てを食い尽くし破壊してやろうという凶暴な気配だ。
  速度はそのまま通路を突破していくルイに従い、ドスーミ隊もそれぞれ応戦を始める。彼らは冷静に己が持つサイオニクスを武器として目に見えない何かと戦っていた。
  この場に来て未だ姿を見ることも感じる事も出来ないアレクシスは、無力感に舌打ちした。バイザーで見えるものは、撃破された何かの靄だ。背景が滲むような、心許ない反応。試し打ちをしている余裕など無い。
「ドスーミ隊、バックアップ」
  使い物にならないアレクシスをどう感じているのか、ルイは短く指示を出す。通路に黒い塊が蹲っていた。人の形だと判断すると同時に、生体スキャンの情報を確認する。反応は無い。
「くそ。やられてんな…。アレックス、よく見ておけ」
  返答はせず、アレクシスはルイの声に従った。
  黒い戦闘服に身を包んだもの。生体反応が無いそれは、ゆっくりと立ち上がった。それは、例えるなら操り人形の動きに近い。関節が先に動き出し、後から肉体が付いてくるような、生物として活動しているのならば大凡不自然な動き方だった。
  ルイは剣を構え、それに肉薄する。訳の解らない混乱などは切り離した感情においやって、アレクシスが銃を構える。生きていないはずの人影が手にする銃を狙い、ルイの動きを読んでトリガーを引く。武器になりそうな物を狙って使用不可能に追い込むけれど、肉体の部分を狙うことは出来なかった。
  もし、もっと人間らしい動きで襲ってきていたのなら、行動不能になるよう人体関節を狙ったかもしれない。けれどあれは生きているのか死んでいるのか、わからない。計器の反応を信用していないわけではないが、命を奪う可能性だけは卑怯にも除外してしまう自分に、マインドセットを切り替えている筈の心が戸惑っていた。
  通信機越しにルイの舌打ちが聞こえる。反論したくなる己を押さえ込んだアレクシスは、次の瞬間目を伏せたくなる光景を目にした。
  ルイの切っ先は兵士の形をした何かの頭部を狙っていた。首ではない。顎から脳天を正確に捉え、スライスする。兵士はスイッチが切れたように動きを止めた。四肢が無重力に踊った。そのまま鳩尾を足蹴にして通路に転がせ、そこで漸く首を胴から切り離す。重力のない通路に、残された頭部の破片が浮いていた。
  血や肉片が飛び散らなかったのは、ルイの持つ剣が高周波振動に伴う高熱を発しているからだ。切断部分は一瞬で焼けただれている。火花が散りながら消えていった。
  しかし視覚的なものはどうあれ、凄惨な行為には違いなかった。
「侵蝕濃度が低くて助かったな。生体憑依じゃなかったか。死にたてか。ドスーミ隊、検体回収処置に回せ」
「イエッサー」
  死体の向こうで足を止めたルイは、殺気を消さぬまま周囲を窺う。不明者の生体反応は未だ消えていない。消えることもあるが、忘れた頃に光り出す。不自然だ。まったくの無事という訳ではないだろう。いつ襲って来るかも解らないが、相手はこの通路の先のどこかに居ることだけは確かだ。
  スリン・シアは検査技師の名である。身に纏っていた装備品は、兵士のそれより電子的人工物が少なかったのだろうか。それともただの偶然か、何が幸いするか解らないが、すぐに死亡することだけは免れたらしい。生きながら憑依されているか、されかけているのならば不運だろうが。目の前で人を切り刻んだ彼は、既に次の目標を考えている。
  警戒と殺気を解かぬまま、ルイは視線を背後へと向けた。右手に銃をぶら下げたままのアレクシスが呆然と死体を見つめている。バイザーが無ければ、頬を打っていただろう。自分の勘は間違いだったのだろうか。
「アレックス、仕事をしろ」
「…ッ」
  鋭く告げられた声に、アレクシスは正気に戻った。殺すだけにしてはあまりに衝撃的な光景だった。何故ここまでする必要があるのだと問い詰めたい。青い瞳に感情が表れてしまうことを、必死に押さえ込む。
「関節射撃は無意味だ。脳を狙え。脳が四肢へと伝達する電気信号を絶て」
  ミラーグラスで表情が読めない筈なのに、求める答えが返って来た。意味を知っても僅か戸惑いが残るまま頷いた。
「すまない…」
「反省は後だ。ここが何処だか思い出せ」
「イエス、サー」
  そうだ。ここは戦場だ。敵の姿が見えなくとも、いや、だからこそこれ以上ない危険な場だ。ルイが屠った者は、生体反応を返していなかった。
『こちらティアルア隊。エンスージアスト一体撃破、損害無し。エスモス殲滅に移る』
「了解、ティアルア、ギブリル隊。こっちも一匹狩った。外縁は任せた」
『ラジャー』
  通信を聞いたドスーミ隊が、周囲に散っていた靄を消し去ったことを確認して近付いてきた。検体を回収するためのバッグを広げる。アレクシスは漸く遺体から視線を外し、動かぬ物になったそれをまたいでルイの傍へ寄った。
  ルイは殴りつけたい衝動を抑え、頭一つ分低いアレクシスを見下ろす。一瞬だけ殺気をアレクシスへ向け、視線を通路へと戻した。奴等の気配が薄い。隊が展開するこの周囲だけ、惑星に居るような居心地の良さすら感じる。アレクシスが居る所為だろうか。
「ドスーミ隊、ここは任せたぞ」
「准将、単騎で――」
「誰に言っている。安心しろ。AC荷物は連れて行く」
「いえ…、解りました」
  荷物呼ばわりされてしまったアレクシスだが、事実その通りなので返す言葉も無い。剣を構えて歩き始めたルイに大人しく従い、バイザーの表示を確かめる。一瞬の反応。すぐに消えてしまう。
  内縁通路には、中心部へと延びる横道が幾つかあった。行き止まりだが、潜むにはもってこい。生体反応はそんな横道のひとつで点滅している。
  生きていてくれ。この期に及んでアレクシスはそう願わずには居られなかった。
「なんだ…?」
  囁くようなルイの声。視線を前方へ向けたアレクシスは、その瞬間バイザーの表示がノイズと共に消えていく異常な反応を視界の端で捉えた。
『…――、――』
  通信機に異音が混じる。
  背後のドスーミ隊からの反応は無い。無線通信を喰われているのか確認する間が惜しい。目の高さに剣を構えたルイは、背後のアレクシスが冷静に二丁拳銃を構えて警戒しているのを感じ、前方に集中する。エンスージアスモスの気配は確かにある。間合いの範囲ではないけれど、それは強く殺気に似た敵対意識すら肌で感じる。
  一つ目の横道はクリア。二つ目も同じ。対エスモス仕様、サイオニクスの鎧であるマーシャルスーツの反応が鈍い。バイザーに映るはずの電子的バックアップは沈黙。残ったのは本能に似た己の勘だけだ。
  アレクシスは極限の緊張の中、人の気配を感じた。考えるよりも早く身体が反応し、ルイの背中を守ったまま三つ目の横道へ銃口を向ける。息が詰まった。
「あ…ぁ、あ」
  白衣を想像させる、白い作業着姿。ヘルメットのバイザー部分は壊れ、苦悶に歪む男の顔が覗く。施設内の酸素は無事だったなんて場違いに思った。青白い唇から確かに呻き声が聞こえた。けれど、その動きは先程見た兵士のそれと似ていた。関節が先に動き出す不気味な操り人形。
  しかしどれだけ不自然だろうとも、アレクシスには彼が未だ生きている事が解った。トリガーに指はかかっているが、引けない。
  これ程濃いというのに気配を察知することが出来なかったルイは、それでも反応は早かった。ルイにとってあれは既に人ではない。生体憑依、エンスージアストだ。最も危険な存在。同じ死ぬのならば未知の害悪ではなく、ひとの手で殺したい。
  最後の一体を沈黙させるため、ルイは踏み出した。狙う場所は変わらない。
「…止めろ!」
  叫んだのはアレクシスだった。咄嗟にルイの間合いに飛び込み、動きを阻む。彼に容赦は無い。止められなければ相手は死んでしまう。生存者を生かすため、膝の関節を狙って撃つ。命中。エンスージアストは膝を突いた。
「ぎ、あ…、あああッ!」
  けれど何もなかったように立ち上がる。苦痛に歪む男の瞳から涙がこぼれて空中に舞った。
「退け!アレクシス!!」
  罵声と共にアレクシスを殴りつけようとしたルイの腕が空を薙ぐ。渾身の反応を交わされるとは思わなかった。障害を排除しようと剣を向けそうになる腕を理性が必死に押さえ込む。
  一体何を考えている。あれだけ危険だと告げた相手に対して、殲滅させなければならない敵に対して邪魔をするな。いくら子を残さなければ死なないという呪いに似た宿命を背負っていても、危険を望んでいるわけではないのだ。これだけは譲れない。我らの絶対敵を、破壊させろ。
  ルイの殺気を痛いほど感じるアレクシスは、この場になって漸く怪異を視た。紫と緑をどろどろに混ぜたような光の靄が、周囲に渦巻いている。それは触手を伸ばし、呻く男に繋がっていた。頭部は殆ど埋もれている。
  二丁の愛銃を握り直し、操り糸を狙って撃った。弾丸は光の礫に似ている。先程の弾丸と同じ物を発射させた筈だが、それ以上の力を秘めていることに現時点では気付けなかった。
  靄に当たった瞬間、煌めきが爆ぜるのはルイの攻撃と同じだ。光は消えずに靄を侵蝕していく。男が倒れた。頭部を覆うような奇怪な靄が頭上に溜まる。心情はそれぞれ異なっていたが、その光景を二人は同じく見ていた。
「アレクシス!!」
  反応したのはルイが先だ。視覚で捉えることの出来ないような早さで、靄がアレクシスを襲った。ルイの剣が薙ぐ。真っ二つに裂かれた靄は、消滅の煌めきを彗星の尾のように延ばし、それでも勢いを止めなかった。
  消しきれないと悟ったルイは、訓練で馴染んだ行動を忘れて左腕をアレクシスの前に突き出した。外敵から守るように。相反するマーブル色の靄が、ルイの腕に触れた。波打ち、水檄のような動きで散らばっていく。ルイは己の力を武器には乗せず、腕一本で防ぎきろうとした。
  だがエンスージアスモスは漂うものよりよっぽど濃かった。消滅の煌めきが呑まれ、消える。
「ッ…ぐ、…」
  それは痛みを越えた不気味さを伴っていた。サイオニクスの防御繊維を破り、地肌を浸食する。血管が沸騰する怖気。生身で触れたのは初めての事だった。食い千切られるならまだマシだ。水疱が皮膚に蠢く。それ以上の侵入を拒むため、吐き気を堪えながら、ルイは己の剣を二の腕に向けた。超振動の熱を感じる暇もない。
  切り落とした自分の腕を眺めながら、因果かと胸中で思う。
「これは、…部下の腕を切り落としたツケか」
  焼け爛れ腐ったように変色した己の腕が、無重力の空間に舞った。
  エンスージアスモスはまだそこに居る。アレクシスを守らなくては。本能に突き動かされるまま、ルイは硬直したようなアレクシスに覆い被さった。腕一本無かろうが、自分の力は衰えていない。
「レアシス…!」
  耳元でアレクシスの叫び声がした。
  ルイでもレイブンでもなかったが、それは確かに自分の名だと解った。
  瞬間、あたりが光に包まれた。
  ホワイトアウト。

  

なんだかツッコミどころは色々ありそうですが、とりあえずこんな感じで。とりあえず。
2010/02/17

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