VSeI - 02 Thermit Groove - 4 -

Vir-Stellaerrans Interface

「ここが我らの領域内で幸いした。もう少し離れていれば、こうも力を使えなかっただろうから」
  天地の境目すら曖昧な白光に包まれた空間の中、軍靴が音を立てた。
「久方ぶりの再会ですら、君は血生臭いね、レアシス」
  穏やかな雰囲気を纏ったアレクシスは、先程までとは別人に近い落ち着いた口調で傍らの男の前に跪く。
  失った腕を押さえ、同じく失ったはずの視界が戻ったルイが数度瞬きする。己の背には外壁の感覚があるけれど、何処へ視線を動かしてもたった今まで居た施設内の景色は見あたらなかった。
  ヘルメットを脱いだアレクシスが眼前に居るのだが、ルイは一瞬武器を向けようかと身構えて止める。確かにアレクシスだ。姿形は変わりない。けれど、何かが違うように感じる。空と海を混ぜたような真っ青の瞳が、齢二十の気配ではない。
「アレクシスか?」
  紅の瞳を鋭く細めてルイが誰何する。確認せずにはいられない。違和感かそれとも既視感というべきか、昔から知っていたような懐かしさがちらついている。
  すると、尋ねられた当の本人はとても悲しそうな表情を浮かべて目を伏せた。
「そう…。それ程までに君の業は深いのか。謝罪も感謝も、君を不快にさせるだろうから、私は何も告げないでおく」
「何を言っている」
「……」
  短く息を吐いたアレクシスは、視線を戻してルイを見つめた。悲哀の滲んだ瞳は、瞬き一つで消えるように隠される。
「解らないのなら、今はまだこのままで」
  小さく呟いた。
  アレクシスの視線は、ルイの瞳から離れて彼の腕へ辿り着いた。深く息を吸い込んで、グローブを外す。生身の細い指先は銃を扱う者にしては美しく整っていた。
  負傷した部分に触れてこようとする気配を感じ、ルイは咄嗟に緊張した。焼けただれて出血は免れているが、少しでも傷が付けばそうも言っていられない。痛覚は気を失わない程度に己の制御で最小限に留めている。本能の危険回避行動に、アレクシスは気にせず指を伸ばす。
「何を、…」
「君の腕を創ろう」
  短い応え。指先から小さな光が生まれ、それはルイの切断された腕にまとわりついた。不快感は無かったが、神経を逆撫でされるようなくすぐったさを感じる。光は範囲を広げ、元からあったものと同じ形に成った。
  異常な光景をルイは信じられない思いで凝視する。己の指先の感覚が戻ってきたのだ。幻肢では無い。痺れるような曖昧さが、光と共に徐々に消えてゆく。特殊加工を施された戦闘服の黒い布地までもが、呆気ないほど簡単に失った以前と同じく甦った。
  驚愕に止めていた呼吸が戻り、息苦しさも忘れてグローブを外してみた。古傷さえもそのままに、けれど、エンスージアスモスの接触を受けた痕跡はまったく残っていない。
「…マジかよ」
  辛うじて絞り出した声は随分ひび割れていた。確かに現在の技術ならば、己の腕を再生してつなぎ合わせる事は可能だ。だがそのための設備も何も無い状況では有り得なかった。失った肉体を自己再生出来る種族も居ないことは無いのだが、ルイは純粋なレカノブレバス人だ。治癒力が人よりずば抜けているわけでもないし、そうだったとしても切り落とした部位をこれ程短時間に再生することなど出来ない。しかも戦闘服ごとだ。
「アレクシス、…いや、お前は一体――」
「知っているだろう。だから答える必要は無い」
「謎かけは結構だ。説明を…、って、人の話を聞け」
  己の仕事は終わったとばかりに立ち上がったアレクシスは、ルイの問いかけを無視して通り過ぎた。数歩先に転がる人影の前で立ち止まる。白い作業着姿の男性。エンスージアストとなった者。近寄るのは危険だ。それを敵と認知しているルイは、汚染を警戒して静止のかけるが、やはり聞き入れては貰えなかった。
「純粋なレブスで良かった。混血ならば生かせない」
  男の前でしゃがみ込んだアレクシスは、『憑依』を受けた肉体に触れた。生命活動を確認して安堵の溜め息を漏らす。
「この一帯の脅威は消え失せた。そろそろ戻ろう」
  振り返った視線の先には、何も納得していないと苛立ちを募らせたルイが居る。それはそうだろう。自分に向けられる感情を理解し、アレクシスは失望と少しの安堵を覚える。自分が何者であるのか思い出したアレクシスとは違い、ルイは変わっていないのだ。けれど今この場で事情説明をしている場合ではないし、言葉で何を教えようと思い出せないのであれば変わらない。憎まれる事には慣れている。憎ませてしまったことには、苦痛を感じるけれど。
「私が――」
  言いかけて、一人称の使い方に気付いた。これではルイが自分を何者かと問われても仕方がない。アレクシスは、その名で呼ばれ生きてきた間のことを別物だとは思っていない。急激に甦った記憶の所為で混同してしまったが、きっと直ぐに馴染むだろう。訛りのようなものだ。
「俺が創った空間を壊すことは、あんたにしか出来ない」
「アレクシス?」
  記憶の中の彼と違和感ない口調で話しかけられて、ルイが戸惑う。二重人格者かと疑ってしまいそうになった。
「力の使い方は知っているだろ?俺の影響下に置いてしまっただけで、ここは戦闘展開中のIGCUBPだ。元に戻してくれ。ルイ、壊すのはあんたの仕事」
  微苦笑を滲ませたアレクシスに告げられ、ルイは状況を思い出した。通信機の類が全て不通になっている。咄嗟にバイザーを確認し、周辺状況をスキャンする。オフライン。強力なジャミング装置が発生しているのではない。電子機械が完全に沈黙していた。
「そう長い間音信不通にしておくと、色々と拙いだろう。早いほうがいい」
「お前が把握していて、俺だけ無知なままってのは度し難い」
「なら傭兵屋の企業秘密だ。仕事をしろ、戦争屋」
  敵を切り倒したルイがアレクシスに告げた言葉を、そのまま返した。ルイは顔を顰めて盛大に舌打ちする。職業軍人相手に随分な嫌味だ。お荷物だった時とは度胸の据わり方すら変わっている。一体全体彼に何が起こったのだ。新手のエンスージアストかと勘ぐってもおかしくないが、確かに自分と正反対の何かを感じてもアレクシスが敵だとは思えなかった。
「そういえば、バックアップが俺の任務だったな。遂行しよう」
  いつの間にかホルスターにしまわれていた銃を確認し、ルイの元へ戻る。途中で脱いだグローブとヘルメットを拾った。
  座り込んだままのルイに近付き、未だ握りしめたままの彼の得物を脇へ置かせる。様子を窺う彼の膝を開かせ、足の間に陣取った。
「…何をする気だ」
「だから、バックアップだ」
  ルイのヘッドバイザーを引き上げ、アレクシスは顔を寄せた。お互いの額を合わせ、金糸で縁取られた瞼を下ろす。幼子の熱を測るような体勢に気まずさを感じたルイだが、流れ込んできた意識と光景に息を詰めた。強力な感能力を持つサイオニッカーが行うような同調。その手のサイオンは本能的に遮断している筈なのに、アレクシスには全く通じない。
  それ程相性がいいのか悪いのか。疑問に思う間もなく、何をすべきか知った。確かに、この白一色に染まった空間を破壊することは出来るだろう。
  眉間に皺を寄せたルイの眼前で、アレクシスが瞼を上げた。澄んだ青色が視界に広がる。沸き上がる郷愁の念。やはり自分はこの色を昔から知っていた気がする。気が遠くなる永い年月を、ずっと追い求めていたものだ。
  お互いの呼吸すら解る距離に、目眩がしそうだった。ルイはいつかと同じように、目の前の身体を抱き寄せた。瞬間強張るアレクシスを逃がすまいと腕の力を強める。互いの唇が触れ合った。
  自分の感情なのに、ルイは泣きそうな安堵を感じた。どこから沸いてくるのだろう。強情な鍵でもかかっているのか、どうしても重要な何かが思い出せない。けれど漸く永い旅が終わった様な幸福感と開放感につつまれる。瞳を閉じて、本能に任せた。抵抗は無かった。むしろ与え返される。唇の甘さに酔った。
  瞬間、あたりが闇に包まれた。
  ブラックアウト。

 

***

 

 その瞬間、出撃した遊撃隊の全隊員――正確に言えば約一名、ガブリエーラ・ギブリル大尉以外が我に返った。
「…何だ。何があった。状況を」
「――エスモスの反応無し。マーシャルシステム再起動確認。…何だこれ、どういうことだ」
  手にした武器や構えは途切れた意識の前の状況と同じだった。だが、再起動した電子システムに表示された時刻だけは確かに進んでいる。
『こちらアラト。遊撃隊に告ぐ、約8分38秒間の体感消失を確認。コントロールルーム掌握を報告。再起動プロセス実行。状況報告を及び作戦司令官の指示を求む』
  通信機越しにコントロールルーム掌握に向かったノアのリボーグから全隊員へ向けて平坦な声がかけられた。ノイズは無い。状況を説明出来る者は誰一人居なく、作戦司令官であるルイの返答を固唾を呑んで待った。
  施設の生体スキャン画像が、システム統括者であるアラトから送られてくる。バイザーに表示されたデータには、全隊員の生存と不明者であったスリン・シア検査員の光点が灯っていた。
  沈黙に耐えられず指示を仰ごうと痺れを切らす直前、
『…8分38秒か』
  作戦司令官であるローゼンヴォルト准将の声が返った。無意識に息を詰めていた者が、長嘆する。戸惑いも苛立ちもなく、しっかりとしたルイの声に安堵した。
『こちら内縁通路ローゼンヴォルト。エンスージアスモス殲滅を確認。第一目標達成。不明者の生存及び救助作業実行中。第一種警戒態勢で帰還準備へ移行せよ。コントロールルーム部隊は、IGCUBP再起動実行後ゲートへ集合。内縁通路部隊は一週して戻れ』
  外縁通路で戦闘展開していた二部隊は、互いの顔を見合わせた。
「こちらティアルア隊、了解」
『ドスーミ隊、了解』
『ユーラ隊、ギャラン隊、了解。プロセス実行後ゲートへ向かう』
  何処か釈然としないまでも、問いかけることはしなかったティアルアは、同じく展開していたガブリエーラから了解発言がないことに眉を寄せた。確かに困惑する異常事態ではあるが、命令に返答しない程ではない筈だ。
「ギブリル大尉」
「……」
  マーシャルスーツに身を包んだガブリエーラは、全身から力抜けた様に脱力した姿だった。まさか負傷でもしているのかと肩にふれれば、彼女ががくりと膝を突いて崩れ落ちた。
「ゲイブ!」
  生体状況を読み出したティアルアは、けれど彼女がまったくの無傷であることを確認する。戦場で戦意喪失など、遊撃隊のメンバーであれば有ってはならない。システムを再起動するように、己のサイオニクスで彼女を刺激しようとしたティアルアだが、強力な抵抗を受けて驚愕した。いくら対エンスージアスモス加工が施されているとはいえ、これ程の干渉拒絶を受けるとは思わなかった。
「…ああ、すまない」
  か細いが意志の強い声色に、ティアルアが緊張を解いた。
「――こちらギブリル隊、了解した」
  返答したガブリエーラは、震えそうになる膝を撫でてから立ち上がる。涙が頬を伝っている。バイザーをあげて拭き取ってしまおうとは思わなかった。後から後から零れてくるけれど、不快感は無いのだ。
「本当に大丈夫か、ゲイブ」
「問題は無い」
  脱力を見せた彼女に問いかけるような視線を向ける者は少なくないが、この場で問い詰めるような事ではなかった。サイオニッカー達は、彼女の力が衰えるどころか満ちあふれている事を確認して意識を切り替える。
「ゲートへ帰還する」
「了解。実行する。後方警戒は私が行う」
  隊員達は武器を構えたまま進行を開始した。最後に残ったガブリエーラが彼らを見つめている。准将は奴等を『殲滅』したと言った。疑う余地はない。
「……世界が違って見えるわ」
  彼女の満ち足りた呟きは、誰の耳にも届かなかずヘルメットの中で消えた。
  AUGAFFの軍人である自分に、今はもう一つ、忘れていた事すら忘れていた記憶が更新されている。
  どうして上官である准将に、崇拝に近い感情が湧くのか解った。戦士としての憧れも間違っては居ないけれど、それ以上に仕えるべき相手なのだ。しもべであり、武器であり、手足の一部。破壊を担う者の、一片。
  ガブリエーラの能力はルイと似ている。指摘されたことは何度もあったけれど、当たり前だ。私は彼の模倣なのだ。ガブリエーラは自分が何者であるか悟った。
  同時にどうしてアレクシスに対して反発に近い苛立ちを感じるのかも。相反する相手なのだから、本能的に嫌悪に近い感情を覚えることも仕方のない事だ。
  ガブリエーラはルイのことが好きだった。恋愛感情ではなく、犬が主へ抱く敬愛の情に近い。本来茶色である己の髪を金色に染めたのも、主へ対する好意の表れだったのかもしれない。ルイと同じ銀髪ではなく金色。全てを思い出した今は複雑な心境だ。彼が求む金糸の君には、どう逆立ちしたってなれはしないのに。
  次に染める時は、憧れの銀色にしようかしら。
  部隊のしんがりを務めるガブリエーラはヘルメットの中で微笑んだ。早くゲートに集合したいと逸る気持ちを抑え、力強く歩いた。

  

中二病っぽいのは自覚していま…す…。結局何なのよとかそういうのは、流れ的にもう少し後になるので、暫く耐えていただけると助かります。
2010/03/08

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