VSeI -Intermission - vol.3

Vir-Stellaerrans Interface

 星を覆う海はその昔色取り取りの青を見せていた。今は鉛を流したように黒く、錆び付いた冷たさが漂っている。砂浜は不自然に紅く、緑の無くなった茶色の森は焼け果て爛れたようだ。枯れ落ちなかった樹木が不健康に細く、まるで針山を思わせた。
  汚染された大地。灰色の空。不気味なプラズマを放つ雲。人工物ばかり、やたらと埋め尽くされている。大気ですら不気味な腐臭を放っていた。
  様々な種が無数に生活していた筈なのだが、今では楽に数えられる程しか種族は残っていない。
  かつて宝石箱の様だと讃えられた姿は、見るも無惨な有様だった。
  それがもし己が生んだ結果であれば、力が満ちてこそすれ削られたりはしなかっただろう。けれど今更だ。そう、今更。
  惑星は無数にあれど、生物を発生させるものは希だ。様々な条件と偶然が重なって星は命を生み出す。同時に星は生まれ変わる。意志を持った生き物として。だが星に住む生命達は、星が生きているとは思いもしない。
  星は複雑な意識を持っているけれど、それを感知できる器官は住む者にはなかった。そして住む者達の意志を慮ろうともしなかった。無関心というのが一番近いが、だからといって放置しているわけではないのだ。
  星の意識は自然という隠れ蓑を被って時折顔を出すけれど、そこに意志はない。宇宙空間において閉鎖している星は己の自衛の為、自然に意識と意志を持たせた。
  創造と、維持と、破壊との意識を。
  それが生命と呼べるかどうかはわからないが、星の意志の一部であることは確か。思考し、見守り、時に手を出す。星と住む者を繋ぐ接触体。中間に在る者。インターフェースとでも呼ぶべきか。
  住む者には、彼らの姿を見ることが出来ない。それはあまりに当たり前だからだ。星の姿を正確に感知出来ないのと同じ事だった。物理的に宇宙空間から星を眺めれば見れる、というものではない。
  星の意識を彼らは投写する。星から生まれた生命を愛おしみ守り繁栄させようとし、それを見守り、時に拒絶する。
  星は生きている。だから寿命がある。彼らは自分の母とも呼べるその命を、果てしなく永い終わりまで無事に過ごせるよう補助している。だが彼らとて、各々の個性がある。個性があるということは、存在主張があるという事だ。中間接触体である彼らは、星に近く、そして住む者達にも近い。
  住む者達の進化と繁栄を見つめていた彼ら中間接触体は、いまやたった一人になっていた。地平線まで色を失った星を無表情で見つめている。
  単純な方向性を持たされたが故の、結果。結末ではない。終わらせることを望んではいない。母なる意識が生存を主張すれば、この星は今一度生まれた姿に戻るだろう。全ての住む者達を駆逐して飲み込み、自然として繋ぐ媒体すら取り込んでしまう。そうして途方もない年月を眠る。繰り返し命が生まれるかどうかなど、解らない。そのまま星だけが生きて死ぬかもしれない。
  彼は、自分が消えてしまうことが惜しかった。この意識と意志が、二度と同じように生まれるかどうか解らないのに、委ねてしまうことなど出来なかった。己が絶えれば、忘れてしまう。相反する存在を忘れたくなかった。反発するが故の表裏だが、厭わしいと思っていた訳ではないのだ。むしろ、だからこそ、愛おしいと思ってしまったのだ。
  創造を司る者は、傲慢だ。母なる星を生かすため、住む者達の一部を活性化させることだって出来た筈だ。その結果人類と呼ばれる他の住む者達が死に絶えようとも。しかし彼の者は、直接的な力ではないとはいえ命を殺すような選択はしなかった。星の意識は選択に関与も降れもしない。それはそうだろう。最終的に全て飲み込んでしまえばいいのだから。
  ならば、と彼は苦汁を飲む。ならば我らに意志など持たせなければいいのに。
  管理者までの権を与えず、調整者と呼べるほどの指向性も持たせず。意志など、感情など要らぬのではないかと、己を生んだ『もの』を恨みそうになったが、その想いがなければこれ程まで彼を愛おしいと想う事も無かったのだろう。
  だから破壊を司る者は、己にしか行うことの出来ない選択をしたのだ。
  住む者達の共食いには無関心であるが、中間接触体同士の争いを禁じているその禁を冒すことを。
  今、星と住む者を繋ぐインターフェースの性質は破壊だけだ。じわじわと星を蝕む者達を滅し、原因とも言える繁栄した文明を破壊する。
  邪魔だと思える者は、己の手先であろうと真っ先に破壊した。同族の破壊は、消滅ではない。一度母の母胎へ還すだけだ。
  自らの意志を持って現状を見つめることを止めた、維持を司る者は賢かったのだろう。覚醒の希望を持っていたわけではなく、同族殺しをさせないための防衛本能とでも言うのか、それとも単に己にすべき事はないという諦念か。還ってしまった者に問う事は出来ないが、今更どうでも良いことだ。
  時間はそれ程残されていない。
  星は、破壊を尽くす彼を暴走と見なして回収にかかる筈だ。その意識はじわりと忍び寄って来ている。
  一瞬先かもしれない己の終わりが近付く前に、彼は住む者達へ牙を剥いた。一瞬でいい。破壊の波を、星は止めない。弑逆するほどの力は与えられていないのだから、星の意識にとって破壊はただ擽られた程度のものだ。だが十分に、その行動は彼を回収するに値する。
  平等に分かったはずの力を、一方的に振るわれる事を赦してはいないのだ。
  彼は瓦解する世界を見つめながら皮肉気に嗤った。
  己が殺した者達は、束の間の眠りを得るだろう。彼らを作り直すことより、胎内で癒して送り直す方が手間も命も削らない。
  だが自分は強制的に回収され、一体どうなるのだろうか。眠らされるだけだとは微塵も思っていない。それだけのことを行っている。
  この意識が消え失せてしまう恐怖を、己の力で破壊する。
  今更だ。後悔など、ない。
  愛おしい彼が、そのままの彼として甦ってくれるのならば、己がどうなろうと今更だ。選択は終えている。
  望んで罪を選んだ。
  罰を拒まない。
  彼は意識が消えるその瞬間まで、対の相手を想っていた。

 

***

 

「…ガブリエール?ああ、そうか…。君は…」
「ガブリエーラ、よ」
  アレクシスはその病室の前に佇む女性を見た瞬間、苦笑を漏らした。
  セントラルスフィア内医療部。一般開放区画ではなく、機密事項を扱う研究棟に近い隔離病室だ。
「君は、何故?」
「悔しいけれど貴方と同じだから、今、私は此処にいる」
「でも君は…」
「同情は要らない。真っ平だ。私は彼の手足であり道具。破壊されることを厭わない」
  先の出撃で人生が変わってしまったアレクシスは、何かしら気配を感じては居たが敢えて問うことをしなかったガブリエーラを間近で確認してその存在を識った。
  彼女はアレクシスのことを一方的に邪険にしていたのだが、どうやらそれは今も変わらないようだ。ただ扱い方が、階級も年齢も下の兵士に対する物ではなくなっている。
  あのとき、遥か昔、真っ先に殺されてしまった自分は、目覚めるまでの空白を知らない。破壊する者の手先である彼女ならば何か知っているかもしれないと思ったが、彼女から聞き出そうとは全く思わなかった。
「何しに来たの」
  ガブリエーラは自分とそれ程差のない身長のアレクシスを見上げ、挑発的に尋ねた。
  この隔離病棟は、いくつものIDチェックを越えなければ侵入することは出来ない。アレクシスが持つ権限では、辿り着くことすら困難だ。だが人の境目を越えた存在で、力を持つ彼ならばどうとでもなるだろうことも解っていた。
「挨拶に」
「彼は眠らされている」
「そのようだ」
「妨げないで。貴方が介在できるものじゃない」
「解ってる。だから、挨拶。世話になったからな。俺の派遣期間は終わってしまった」
  肩を竦めてみせたアレクシスに、ガブリエーラは眉を顰める。
  戦闘艦ディサイオスがセントラルスフィアとドッキングし、隊員達が基地へ帰還するゲートを開いた時、彼らを待っていたのはSOACOM総司令官スルガ・ヴァン=ウル中将と、ハイル=クライル・ラ・ザルト中佐を筆頭とした医療部の面々だった。
  ルイは生存者と共に拘束され、そのまま司令部に戻って来ることは無かった。現在の指揮はカノウ大佐が執っている。
  正規軍人ではないアレクシスには何が行われているのか解らないが、純粋にルイのその後が心配だった。司令部に戻り散会の号を与えられ、間借りしている部屋へ戻ると個人的な通信がアレクシスを待っていた。暗号通信を開くと、懐かしいとも思える本来の雇用主が朗らかに微笑んでいた。
『お疲れ様。今まで連絡一つくれなかったけれど、きっと元気なんだろうね。君の派遣契約は終了したよ。レカノブレバス君の星へ還っておいで』
  ごく短い枢機卿の伝言には、今後二十四時間以内にAUGAFFからの除隊とセントラルスフィアからの帰還指示が添えてあった。
  麒麝の言い回しがひっかかるが、何者であるか覚醒してしまったアレクシスにとってその意味は悩むほどのものではない。ただ、彼はやはり識っていてアレクシスを派遣したのだろうと思うだけだ。
  そのまま着替えて基地を後にしても良かった。SOACOMのメンバーに挨拶する気はない。親しくしてもらったが親密とよべる関係を築いていなかったし、異例の派遣兵士として以外の痕跡を残すつもなかった。
  だが、ただひとりだけ、本来なら接点も無くいつ会えるとも解らない相手の顔くらいは見ておきたかった。
「清々する。貴方は軍人向きじゃない。彼の前をうろうろされたら堪らない」
「君にも、ルイが何一つ思い出していないと解るのか」
「当たり前だ。私を何だと思っている」
「そうだな、ごめん」
「…やっぱり気にくわない。貴方はすぐそうやって謝る。そこに誠意があった試しがない」
  アレクシスは黙った。
  徹底的に嫌われている。ルイの現状を考えれば、昔も今も彼の部下であるガブリエーラが怒るのも無理はないかと反論する気も起きなかった。
「ギブリル大尉、何故ここに?」
  これ以上の会話は不毛だと見切りを付けたアレクシスが、現在の彼女について尋ねた。
「護衛兼見張りだ。万が一抜け出されても、私には解るからな。上には適当に納得させた。課程はどうあれ事実だから、私はお前の行動を上に報告することも出来るぞ」
「それは困る。出来ることならコネなんて使わずに済みたい。時間はかからない」
「帰還までの間、司令官私室に籠もって何をしていたのか見抜けない私だとでも?」
「…そこまで筒抜けになるものか、困ったな。別に俺はルイを誑かしに来た訳じゃないんだが」
  ルイが覚醒していたらきっと悟られ無かっただろうけど、どうやら主が命令権を行使できない間の権限はその手先に移るのだろうか。経験在ることではないので、憶測するしかないのだが。
  心底困ったといわんばかりのアレクシスの態度に、ガブリエーラは短く息を吐き出した。そもそも本当にアレクシスを近づけたくないのならば、気配を察知した段階で何処へでも通報すればよかったのだ。そうしないのだから、結果は決まっている。ただ嫌味くらいは言いたかったのだろう。
「五分よ。痕跡は残さないで」
  壁にもたれ掛かった彼女は、腕を組んで目を閉じた。
「ありがとう、ガブリエール」
「ガブリエーラよ、今はね」
「わかった」
  短い感謝を残してアレクシスは扉の前に立った。開閉パネルを操作せず、フラットな扉が開く。音もなく室内に滑り込んで扉が閉まった。
  ガブリエーラはうんざりするような態度をしていたが、その唇は楽しげにつり上がっていた。

 落とされた照明は、眠る者を妨げないような柔らかさで室内を照らしていた。隔離病棟の個室は様々な機材を搬入するために広い。徹底的に調べ尽くすわけではないのか、眠るルイの周りにはモニターとセンサーくらいしか設置されていなかったので、余計室内の広さが目立っていた。
  診察用の寝間着に着替えさせられたルイは、死んだように眠り込んでいた。大凡病人には見えない。軍服では幾分着痩せして見える胸板が上下している。シーツが胸元まで引き上げられている程度だが、徹底的な室温管理されたこの場では寒さを感じることも無いだろう。
  アレクシスは眠る彼の傍に近寄った。真白いベッドの上に腰掛け、ルイの頬に手のひらを当てた。温かい。
「随分強い睡眠薬と鎮静剤だな…」
  彼はその性質上、おそらくどんな薬剤だろうと意志で破壊してしまえるだろう。けれど大人しく受け入れたのは、現在の立場の為か、それとも力が不安定だからか。
  基地に戻る戦闘艦の中で、アレクシスはルイと体を繋げている。限りなく近くまでお互いを混ぜたのだから、全て覚醒していないルイの力が不安定になるのも道理だ。制御出来ているアレクシスは問題ない。それにしたって常人に投与するにしては強力な薬剤を打たれている。抵抗したのだろうか。
「あんたはいつ、思い出すかな」
  頬を撫でながら、アレクシスはぽつりと呟いた。触れれば解る。彼は未だ何一つ思い出せてはいない。
  正直、思い出して欲しい気持ちと、そのまま忘れていて欲しい気持ちは半々だ。このままならば、それでもいいと思う。
  自分の存在を識り、船長室でルイと対話をした時は随分と挑発的で強気な態度を取っていたというのに、静かに眠る彼を見つめていれば随分気弱なことを考えている。覚醒の衝撃と人としての自分が混ざり合った直後だ。混乱と恐怖を感じていたのかもしれない。
  過去、人間として生まれ直す前、自分はルイに破壊された。彼をそこまで追い詰めてしまったとは、正直思って居なかった。生き残ろうという意志は、破壊を司る彼の方が強かったのか。彼が何を考えていたのか、アレクシスには解らない。対の相手を殺してしまった罪悪感や後悔があるのならば、思い出さない方が良いのかもしれないと思う。
  最悪の結末は予想していた。
  お互いの主張を賭けて、共倒れするのだろうと思っていた。結果母なる星に吸収され、新たな媒体を星が生むか、そのまま何も生まず星か生きるか。自分達に架せられた制約はこのほか重かった。己の性しか知らぬのだから、主張を曲げる事は無かっただろう。
『愛しているから、お前を殺そう』
  最後に聞いたのは、慟哭だった。
  泣き叫ばれたわけではないが、声色は確かに突き刺さった。
  その言葉が無ければ、彼が攻撃してくる前に己を贄として星を生き存えさせる事は出来ただろう。防ぐ力が無くても、星に溶けてしまう事は出来た。ほんの猶予だとしても、命を奪うこと無く。結果人類達が道を変えず破滅へ進もうとも。
  星を生き存えさせる簡単な方法よりも、愛する者を選んでしまった、媒体としては愚かな感情。それ程までに想われていたのか。以前なら理解出来なかっただろう。動揺が、贄になることを鈍らせた。
「君は本当に、優しすぎる」
  私に対して。
  自分勝手で融通の利かない相手に、よく己を押さえ込んでいたものだ。破壊を司る者故か、彼は己の感情すら破壊することが出来る。
  アレクシスは何度もルイの頬を撫でた。
  破壊を司る者は、確かに禁を犯した。選んだのは彼だが、全ての原因は彼ではない。背負った罪の重さは、呪いのような罰となって今生の彼に下されている。意識を消去されなかっただけ温情を加えられているのかもしれないが、人としては残酷な生き様だったことは想像に難くない。
  アレクシスを抱く直前、ルイは己の出生の秘密を語った。表情を無くした顔が、痛々しかった。狂い堕ちてしまえば楽だったろう。けれどそれは赦されない。彼の苦しみは、接続体として生きた時から続いている。自分が屠った者を探し続ける事はどれ程の呪縛か。
  母なる星が、以前と同じ接続体としてではなく、肉体を伴った人間に甦らせた事に感謝する。そうでなければ、こんな感情を知ることも無かっただろう。
  彼の罪も罰も、解放できるのは自分だけだ。それが今は解る。
  愛しているからこそ、殺さなければならなかった彼の苦しみを、受け入れたい。
  最初に生まれ、創るだけである己は、意識としては未成熟だった。感情という面では、彼らの誰より遠かった。何も贔屓しないという為に必要だったのだ。
  先程ガブリエーラに誠意がないと言われたが、真実だった。言葉に籠もる感情を知らなかった。アレクシスは苦笑する。
「今なら、応えられえそうだ」
  眠るルイの銀髪を掻き上げ、身を屈める。
「あんたを独りには、しない」
  守られる為に彼が傷付くなんて、御免だ。
  人として生きて、狡さを学んだ。融通と柔軟さを知った。全て平等に愛する事は、無関心と同義だ。
  創造を司る者として、おそらくそれは欠陥だろう。だが星は敢えて人の肉体を与えたのだ。己で考えろということだろう。力の使いどころの裁量は、以前より格段と広がった。その分威力が落ちているかもしれないが、母なる星を防衛する意味ではなんら劣らない。
  アレクシスは己の額をルイと合わせた。
  次に出会うのはいつだろう。近いかもしれないし、遠いかもしれない。彼が全てを思い出す事が出来たならば、今度は自分から会いに行こう。
  病室の扉をノックする音が聞こえた。防音処理されていてさえ響くのだから、ガブリエーラの催促だ。
  海と空を合わせたような瞳をゆっくり閉じたアレクシスは、ルイに口付けてから身を起こした。
「また、会おう」
  呟きはひっそりと溶けた。

  

ゲイブさんは昔は男性体だったんじゃないかな、と。厳密に彼らの性別は無いんですが。
2010/03/22

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