VSeI - epilogue - 01

Vir-Stellaerrans Interface

種の滅亡を感じて、漸く平和を思い出す。
束の間の平和は、しかし、束の間でしかない。
だからこそ、とても貴重なのだ。

 

***

 

 レカノブレバス星国家連合首都レカノヴァレスタ。AUGAFF常設地上基地への定期便から降りたアレクシスは、ゲートチェックで制止を受ける事もなく無事に基地外へ出た。
  雲が幾つか漂っているけれど、快晴だ。
  天然の空気を肺いっぱい吸い込めば、それはどこか甘くさえ感じる。同じ人工物に囲まれていても、自然の大気は何物にも得難い。
「レカニーア、ノーヴ、レアシス。レカノブレバス、ね。誰が残してくれたんだか」
  深く吐きだした吐息に、呟きが混ざって消える。
  とりあえず電車に乗ってターミナル駅へ行こうと歩き出せば、路肩に年代物の車が止まった。
「よっ!」
  ウィンドウから、見知った顔が覗いていた。
「ウィリアム」
「麒麝に聞いて迎えに来た。乗れよ」
「助かる」
  刈り上げた茶髪と日に焼けた肌のウィリアムは、アレクシスが暮らす協会で育った兄のような存在だ。後部座席にドラムバックを突っ込んで、助手席に滑り込む。シートベルトを締めるより早く、車が走り出した。
  フリーウェイに出るまでは、車通りは殆ど無かった。陽気に声をかけてきた雰囲気にもかかわらず、車内には沈黙が漂う。口火を切ったのは、ウィリアムだった。
「あいつに何もされてないか?」
  視線は行く先をみつめたまま。けれど、今のアレクシスにとっては短い問いの内容が嫌でも理解出来た。
「彼は、何も思い出していない。片鱗はあるが、宇宙に居るのだから仕方がない」
「何も思い出せていなくとも、貴方に害為す事はできる」
  常とは違う口調と態度で鋭く切り返したウィリアムへ、アレクシスは苦笑を返した。
  破壊を司る者の傍に、彼の手足であり使役される奴隷とも呼べる者が居たように、創造を司る者であるアレクシスの傍にもそれは居た。
  自分が何者であるか気付いた今、それが身近なウィリアムであることに、星へ足をつけた瞬間から解っていた。最初に殺されてしまった自分は知る所ではないが、おそらく彼もガブリエーラと同じような時に殺されているだろう。主を殺された恨みは、根深い。思えば、人間では無かった頃から、彼は破壊を司る者達を毛嫌いしていた。反属性なのだから仕方がない事ではあるが。
「私はもう二度と争う気は無いよ」
「……」
「私は――俺は人間としての生を受けた。今となってはそれも逸脱してると思うけど、これはこれで楽しいもんだろ。過去に拘る必要はない」
「お前がそれでいいなら、俺は着いて行くだけが…。奴がお前に手を出して来るのは気に入らねぇ」
  唇を尖らせて不満を表すウィリアムはアレクシスより年上なのだが、その態度は随分と子供じみていた。
「今生まで俺に従属する必要はないって。ウィルはウィルの好きに生きればいい」
  笑い声を上げながらアレクシスが言い切れば、ハンドルを握るウィリアムが渋い表情になる。
「そういう所は、今も昔も変わんねぇな。何気に傷付くぞ」
「何で」
「無責任すぎだろ。俺は捨て犬か」
  確かに大型犬に似ていると思ったアレクシスは吹き出した。その態度が仕事に行く前と同じで、ウィリアムは些か複雑だ。
  過去、主の手足と成って力を振るっていた時の誇りは、全てを思い出した今となっても根深い。目覚めはあまりに唐突で、その一日は殆ど茫然自失で自我を手繰り寄せた苦労など、すっかり今生の性格と混ざり合ってしまったアレクシスは知らないだろう。教えてやるつもりはないけれど、創り出す事こそ生業だった彼が持つ残酷さは、相変わらずだと思う。
  主を失った絶望。二度と失わずにすむ安堵。言葉にすらならない喜びに震えた。護るべき主を、手の届かぬ所で、それも敵うことのない相手に屠られた時の絶望など、二度と味わいたくはない。それが破壊だろうと星だろうと、誰であろうと、もう彼を失うなど御免だ。絶対に。
  自分は、弟のようだと思っていた存在に平伏することすら厭わないと言うのに、彼は簡単に切り捨てる。自覚が無いことが、なおさら始末に負えない。自分は創造を司る者から生まれている筈なのに、主は手足の思惑など考えもしないのだ。
「ガブリエールにも同じようなことを言われたな」
  誠意が無い、と悪態を付かれた事を思い出し、苦笑が零れた。
「んな…、あの野郎も目覚めてんのか」
「なかなかの美女だったけどな」
「マジかよ…。嘘だろ。信じらんねぇ…」
  急ブレーキを踏みそうになったウィリアムは、過去の記憶を手繰り寄せる。当時二番目に気にくわない相手だった。力は対等。それが女だと。何の冗談だ。
  ぶつぶつ悪態を零す兄代わりを横目で見つめていたアレクシスは、車窓に広がる空と大地へ視線を移した。すっかり姿が変わってしまっている。けれど、母なる星は静かに生きていた。病むことも、衰えることもなく。滅びを回避した姿は、人の手が作り出した建造物にまみれていても何処か美しい。
  彼が、己を殺してくれたお陰で。
「なあ、ヴィルヘール。…この星は生きているんだな」
  私のエゴで住む者達を地獄へ落とすことも無く。
  囁くようなアレクシスの呟きに、永い昔の愛称を呼ばれたウィリアムがきつく瞼を瞑った。見開いた世界は、よく知るはずなのに、とても眩しい。傍に主が生きているのならば、尚更。
「俺たちも、生きています」
  貴方と、共に。
  声色が震えてしまうことは、今の彼には隠せなかった。

 

***

 

「お帰りアレクシス」
  フォルト協会地下駐車場から繋がる枢機卿館へ戻ったアレクシスは、この協会の主である麒麝の柔らかい声を聞いて、またひとつ気付かされた。
「五体満足で戻りました。無事契約を完了できてフォルトの名を守れたことでしょう」
「あはは、いいよ、そんな言い回しは。どうだいアレク、目が覚めて魔性を得たかな」
「…人聞きの悪い事を」
  いつも通りの態度で微笑んだ麒麝は、重厚な机を回り込んでアレクシスの前で立ち止まった。
「『客人まろうど』としての借りは、無事返せたようで何よりだ。貴方の帰還を、嬉しく思う」
  何処か厳かに告げた麒麝がアレクシスを抱きしめた。
  光を失った白い長髪。少年とも少女ともつかない身体を抱き返して、言葉の意味を反芻する。麒麝はその生態が謎である『麒麟』種だが、それだけではない。触れ合えばより確かだ。生まれは違えども、おそらく同種と呼べる存在に違いない。
  親愛を込めた抱擁を解いた彼は、応接セットへとアレクシスを促した。
「さあ、何から話そうかな」
  愛用の香草茶を煎れながら、麒麝は窓の外を眺める。館の中心に潜む獣が、不機嫌そうだと微かに感じる。それはそうだろう。レカノブレバスと縁もゆかりもない自分が、真っ先に彼と話しているのだから。
「貴方の話を」
  問い詰めるわけでもなく、外見年齢に見合わぬ落ち着きを持ってアレクシスが微笑み返す。テーブルにカップを並べて、麒麝がソファに座った。
「私の『星』は、滅んでいるんだ」
  それは、随分と儚げで悲しそうな声だった。
「高い知性と能力を持った『麒麟』種は、己を高めることに尽力し、住処を殺してしまった」
  白い睫毛が降りて瞳を隠す。麒麝の瞼の裏側には、今も昔の光景が鮮明に焼き付いていた。
「生む者と殺す者は互いに身を終やし、せめてもの希望として『人』を生かした。我らの『星』は、その寿命もあっただろうけど、もう生まれ変わる事すら出来ない。繋ぐ者である私は、ただ独り生き残った。星を揺るがす力を捨て、『人』と同じ身体で。
  『麒麟』種の最後の一人が息絶えるまで、私は何をすることも無く、見守ることしかできない。けれど確かにそれは、私の義務だ」
  琥珀色の瞳が開いて、慈悲深い視線がアレクシスを捉える。
「この星は、『監視神』が留守だったからね。存在しない、という訳ではなさそうだけれど、深く沈んでしまった意識の居場所など、私には解る筈もない。無断で間借りさせてもらった事に、感謝するよ。今の私には、地を感じられない事が些か辛い」
「麒麝はレカノブレバスを支配しようという意志は無いだろう。害意が無ければ、排除されることはない筈だ」
「そうだね。最も、そんな力も気力も無いけれど、私はただ、滅んでしまった故郷の二の舞は見たくなかった。だから、君たちを見守らせてもらう事にした。そろそろ目覚めても良い頃合いだったし、何より君が生まれ、私の元へやって来た。何て幸運だろう」
「貴方は最初から、俺が何者か識っていたのか?」
  カップを持ち上げた手はそのままに、アレクシスは真正面の彼を見た。麒麝は頷く。
「何より『同種』である私だもの。解らぬ筈はないよ。ヴァルレイヴェンも、おそらくは」
  誰に指摘された事もないが、麒麝がアレクシスを見つめる視線は他者に対するそれより身近だった。親が子を見守るような。それは古の獣ならばもっと顕著だ。あの獣は、再生の災害を生き延びた獣。星と人を繋ぐ者の眷属だ。
「この星に何があったのか、私はヴァルレイヴェンから一度だけ聞いた。事実だけを聞いた。星と人を生かす為に、同族を殺す事が出来るなど、私には考えつかない事だった」
「それでも貴方は、俺がルイと出会う事を望んだんだな」
  もしかしたら、それで力の衝突が、殺し合いが再開されるかもしれないのに。そうとは考えなかったのだろうか。今更の疑問がよぎったが、麒麝は胸中を読んだかのように首を横に振る。
「何を想って、彼が君を殺したのかは私の知るところではなかったが、決心したのはヴァルレイヴェンが『大丈夫だ』と明確に告げたから、かな」
「ヴァレンが…」
「『愛しているから、大丈夫』だそうだ。覚えはあるかい?」
  小首を傾げて尋ねる麒麝は、年頃の少女に似ていた。
  即答することも、何て答えていいのかも解らず、アレクシスは言葉に詰まる。誰かに教えてしまうのは、心が咎める。
  過去の発端は元より、つい先日宇宙空間で体感してきた出来事は、こんなにも美しい昼間から口に出せる内容ではない。仕方なく曖昧に頷いたアレクシスは、話の矛先を変えることにした。
「俺が創造を司ると知っていながら、戦闘術を身に付けさせたのは?」
  下手くそな誤魔化し方だが、あえて蒸し返すほど子供ではない麒麝が香草茶を口にする。昔を懐かしむような表情で、カップを置いた。
「レギアが君を拾って来たからね。彼女は母親というか父親に近かったかもしれないが、自分の持てる術技を全て君に教えようとした。彼女もまた私が育てた子だ。止める気はなかったし…」
  一度言葉を句切って唇を湿らせた麒麝が、眉の端を下げて苦笑を浮かべる。
「それに、君の気は清純過ぎてね。その属性を考えれば仕方のない事だし、とりわけ敏感な者には強すぎる。引き付けられる理由がまっとうであれば害にならないけれど、邪な者のほうが誘惑には負けやすい。せめて自衛手段くらいなくては、君が穢れてしまいそうで怖かったんだよ。本来の意味で君を守る事が出来る者など、居なかった」
  戦う術は、確かに厭う物ではない。壊すことも殺すことも出来ないけれど、確かに身を守ることには一役買っていた。最も、穢れてしまうと表現されるような聖人ではないので、持ち上げられすぎかと思わなくもない。けれど、少なからず、自分の容姿を含めた色々が醜い欲望の対象に為りうると経験しているので、今となっては有り難かったかもしれない。
「感謝はしています。悩んだ事もあるけれど、ありがとう」
「そう言ってもらえれば、私は救われる。間借りした礼になればいいのだけれど」
「十分です。貴方が居なければ、スラム生まれの俺なんて今まで生きてこられたか解ったものじゃない。それに、これからもこの星に居てくれると嬉しい。この協会も、貴方の傍も、俺の住処だから」
「嬉しいな。本当に、嬉しい言葉だ」
  そう言って、麒麝は花が綻ぶような美しい笑みを浮かべた。

 枢機卿の館の中心には森がある。窓から覗き込んでも、生き物の気配さえ感じないが、そこはいつでも変わらぬ美しさと静謐さに支配されていた。庭と言うには広すぎるそこに入る事が出来る者は限られている。館に住む者の殆どは、この森へ出入りすることが出来るとは知らないだろう。
  木漏れ日の落ちる柔らかな草を踏みながら、アレクシスは森の中心へ進んだ。歩くこと数分。樹齢数百年とも千年とも呼べるような立派な巨木の根元、伸びた枝が濃い影を落とすそこに、獣はひっそりと佇んでいた。
『おかえりなさい、レカニーア』
  差し込んだ日の光に、銀色の体毛が輝く。大きなくちばしの上にある紅い宝石の瞳が、喜びに輝いていた。飛ぶことは見たことがないけれど立派な翼を広げたそうに振るわせ、獅子の下半身から伸びた長い尾がゆらゆら揺れる。
「…ただいま。ヴァレン。元気にしてたか?」
『いとしいきみがもどった。これいじょううれしいことはないね』
  猫のように喉を鳴らしながら、くちばしの先をアレクシスの身体に擦り寄せる。彼は本当に嬉しそうに言うので、アレクシスはその鼻先を撫でてやった。
『レカニーア、レカニーア』
  それは、昔の名だ。誰が名付けたか知れないが、個体識別のためにあったようなものだった。けれど愛着が無いとは言えない。アレクシスという名を呼ばれる方が、どちらかと言えば身に馴染んでいると感じた。太古に呼ばれた名は、自分が何者であるかを思い出す。
  そう言えば、彼はあまり呼ぶことが無かった。今も昔も、この獣だけが、それしか知らぬと言うように呼びかける。
  ヴァルレイヴェンは、考古学者達の間ですら伝説上の生き物だと言われていた。痕跡から、そのような生物が古代に生きていたかもしれないと推測されていたが、正確な化石一つ残されていなかった。レカノブレバスにはそんな未確認の生物が幾つか存在し、古い童話に片鱗を見ることが出来る。
  彼らは言わば、人と星の使いを繋ぐ姿有る生き物。同族を皆殺しにした破壊者は、彼ら獣を殺さなかったのだろうか。獣は力を奮わない。人の世に関与することはない。ただ、属性を象徴するような異形の姿だけを垣間見せる、星の自然のごく一部。
  ヴァレンの纏う色は、ルイそのものだ。本質もおそらく同じだろう。
「レカニーア、ノーヴ、レアシス。レカノブレバス。君が残したのか?」
  今では対外へ向けてこの星を表し、その銀河の名にすらなっているものは、人が名付けた偶然ではない語感を持っていた。
『ヴァレンじゃない。あいつだ。ヴァルレオフェン』
「そうか。怒っているだろうな」
  破壊を司る獣がヴァルレイヴェンなら、創造を司る獣もまた存在する。生きていて欲しい。けれど、隠れてしまっているのか、人の身体の枠に留まる今では気配すら掴むことは出来なかった。けれど必ず見付けてあげなければ、きっと浮かばれない。情けない主だと呆れているだろう。独りになって、どれだけ歯痒い想いをさせてしまっただろうか。
  俯いてしまったアレクシスに、ヴァレンが悲しそうに鼻を鳴らした。
『なかないで、いとしいレカニーア。ヴァレンは破壊のこども。レカニーアがかなしいなら、ヴァレンがそれをたべるよ』
  顔を見られないように獣の首筋に抱きついたアレクシスは、その盲目的な感情の意味を考えた。可哀想な獣だ。彼は、かつてレアシスと呼ばれていた者の眷属。彼が必要としなかった素直な感情を引き継いでいると言ってもいい。
  同族を殺してまで愛しているのだと慟哭した彼と、この獣は繋がっている。生み出した者の影響が色濃く残っているから、本能にでもすり込まれてしまっているのだろう。
「今は、アレクシスだよ。ヴァレン」
  自分は同化している。受け入れ、望んで今生の名を名乗ろう。
『レカニーア?』
  けれどもしかしたら、この獣は二度とアレクシスと呼んではくれないかもしれない。待ち望んでいた者は、彼の中では何時までも『レカニーア』なのだ。
『わらって、レカニーア。愛しているよ』
  裏のない澄んだ声色に、つくづく業の深さを思い知った。
  同じ言葉は返せないけれど、柔らかな羽毛を撫でてやれば、ヴァルレイヴェンはそれは嬉しそうに歌を口ずさむ。錯覚でも偽りでもない。本能に刻み込まれた愛の言葉は、獣が囀るにしては哀れだった。獣に刻まれているのは、その主の意志だ。ヴァレンは自分の意志だと言いたいだろうが、使役される者達とは違い、獣の意志は刷り込みに近い。
  元凶を辿る先には、身勝手で残酷な昔の自分が居た。謝罪も、感謝も、口には出せない。獣の愛情を受け入れることすら出来ない。全てを求めることの結果など、過去の過ちが全てを語っている。迷わないと、決めた筈だ。
『レカニーアから、かすかに破壊のにおいがする。なつかしいな。うれしいね。これでレカニーアはずっといっしょにいられる』
  それは、主であるレアシスの残り香だろうか。どう解釈して良いのか解らなかったアレクシスは、静かに聞いてやることしか出来なかった。
  ヴァレンが破壊を司るレアシスの心を映しているならば、迷うことなく応えられるだろう。二度と彼に自分を殺させるようなことは、させない。
  銀色の毛並みに顔を埋めながら、アレクシスは固く決意した。

  

ヴァレンは別に、アレクシスに対して性的な独占欲を持っているとかそういうわけではない。
2010/06/09

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